『国家テロリズムと市民 -冷戦期のアルゼンチンの汚い戦争』 杉山 知子 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会
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『国家テロリズムと市民 -冷戦期のアルゼンチンの汚い戦争』 杉山 知子

国家間の大規模な戦争というものを20世紀以降してこなかったラテンアメリカの軍部が、国家テロともいえる「汚い戦争」を自国市民に向けて行った事例がいくつもある。本書は、アルゼンチンの歴史を概観し、東西冷戦期にペロンが1940年代後半以降アルゼンチン政治に与えた影響から説き始め、失脚して18年ぶりに亡命先から帰国して78歳の高齢で1973年の選挙で再び大統領に就いたものの9か月後に死去、副大統領のイザベル夫人が昇格したが、対立が激化しつつあった左右勢力の対立を収束出来ず、側近の強硬な右派であるロペス・レガの組織する暗殺集団トリプルAの活動を黙認したことから激化した、モンテネロスやERPといった左派グループとの襲撃の応酬、これにアルゼンチン軍部に近隣のチリ、ウルグアイ、ボリビア、そしてブラジルの軍部が協力してよって進められたコンドル作戦による左派政治家等の暗殺などもあり、1975年にイサベル大統領が国家転覆活動に対し軍事的に対処する権限を軍部に与え、以後汚い戦争がエスカレートしていくことになる。

1976年アルゼンチン軍部はクーデターによりイサベルを放逐し、「国家再組織プロセソ」により3軍が組織的に左派活動家のみならず市民まで拉致、拷問、処刑、遺体の隠滅などを行い、1~3万人が犠牲になったと言われる状態が、1982年の対英マルビナス(フォークランド)戦争の敗戦で軍政が終わるまで続いた。その間、米国は当初は反共体制固めということから軍部のやり方に理解を示すなり黙認していたが、カーター政権による人権外交で次第にアルゼンチン政府に批判の圧力を加えるようになり、国内でも拉致行方不明者の母がブエノスアイレスで毎木曜日に無言のデモを行う「五月広場の母たち」運動を契機にこの人権侵害への抗議が高まってきた。

1983年の大統領選挙でアルフォンシン民政が復活すると、立法と裁判による軍部への責任追及が高まったが、軍の一部の叛乱による追求停止や恩赦、メネム政権での恩赦と拉致者の乳幼児略奪等の理由によるかつての軍幹部逮捕などで、犠牲者家族等とプロセソは必要な策であったと考える層の主張との間で揺らいだ。

最後にこのアルゼンチンでの事例研究からの教訓として、法秩序と民主主義の確立、軍部に介入させない政党政治の制度化、米国の明確な民主主義外交姿勢、政軍関係と国家安全保障ドクトリンをめぐる対話に必要性を指摘しているが、一方で左右対立を抑えられないペロン政権へ批判せず、亡命から戻ったペロンが高齢で政治経験のない夫人を副大統領に立てたにも拘わらず問題解決をしてくれると期待して投票した市民の他力本願な姿勢を強く批判している。著者はコロンビア大学で博士号取得、東海大学政経学部助教授(執筆時)を経て、現在は愛知学院大学総合政策学部准教授。

〔桜井 敏浩〕

(北樹出版 2007年3月 北樹出版 195頁 ISBN978-4-7793-0086-8 )

(本書は発行されて久しいが、アルゼンチンのこの問題を扱った類書は少ないので、記録の存在を知るためにあえて採りあげた。)