『うつろ舟 ブラジル日本人作家 松井太郎小説選』 松井 太郎 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『うつろ舟  ブラジル日本人作家 松井太郎小説選』  松井 太郎


著者は1917年神戸市に生まれ、19歳でブラジルに渡って数十年もの間サンパウロ州の奥地で農業を行ってきたが、還暦を迎えてやっと好きな文芸の道に入ったという。これまで中短編20以上を、同人雑誌や邦字紙に発表している。

本書には中編「うつろ舟」のほか、4つの短編を収めるが、日系社会の縁や辺境の熱帯雨林、大河の河岸で生きる日系一世・二世が朽ち果て埋没していく姿や、日系共同体内での摩擦、家族や縁者間の因果応報、復讐によって最後を迎える姿など、移民の生活に根ざした題材ばかりである。

奥地の大河のほとりで訳あって漁師になった日本人をめぐるいずれも不幸な女性との出会いと別れを描いた「うつろ舟」、婚前の関係でもうけた息子に狂犬病に罹ったことを知らせようとして殺される父の物語「狂犬」、息子の財産を乗っ取った嫁が、その資産を元手に開業したスーパーマーケットに放火することで復讐する老人の怨念「廃路」、ブラジル北東部のセルトンの荒れた土地に、かつて娘への求婚の勝敗以来の嫉妬と競争意識を引きずって住み続ける二人の男が、ついに殺人と遺児の娘の自死にまで至る伝承談的な「堂守ひとり語り」には日系人は登場しないが、「神童」は、かつて父が仲人をした日系人夫婦の妻の死後、妻の連れ子の絵に才能があるアキオが親譲りの農地を失ってまでも亡き母の青銅像を墓に造り若くして死んだという話しを聞きつけ、亡父の法要に出るための旅の途上でその像を見に行くという物語で、いずれも疎んじられてきた人生の敗残者にも追悼の念をもつ著者の気持ちが彷彿される。

本書の凄いところは、単に移民の苦労話を取り上げたのではなく、それに説話や滑稽譚のような筋書きを加えていること、自身が開拓に従事し、過酷な自然と闘って農業を営んできただけに、自然描写や労働の実態に臨場感があること、そしてしっかりした日本語と話しの筋の構成によって、一気に読ませる筆力を持っていることである。

(西 成彦、細川周平編 松籟社 2010年8月 327頁 1900円+税)

ブラジル在住映像作家の岡村 潤氏のサイト『岡村淳のオフレコ日記』に「孤高の作家松井太郎の世界」というコーナーがあり、そこでは上記のうち「堂守ひとり語り」と「ある移民の生涯」を読むことが出来る。http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000182/index2.cfm