『マリアテギとアヤ・デ・ラ・トーレ −1920年代ペルー社会思想史試論』 小倉 英敬 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『マリアテギとアヤ・デ・ラ・トーレ −1920年代ペルー社会思想史試論』 小倉 英敬


1880〜 90年代に世界の資本主義システムの「帝国主義」が拡大した時期に、他のラテンアメリカ諸国とともにペルーにおいても欧米系外国資本の進出と鉱山・農産物の生産拡大にともない大土地所有が広がり、独立農民や地方小商人の没落、山地先住民の共有地喪失による都市部への移動による社会・文化変容が生じた。

本書は 1920〜 30年代のペルーに登場した二人の思想家による思想と彼らの指導によって生じた大衆運動史が大きく変質を余儀なくされた過程を丹念に検証したものである。

マリアテギは、ラテンアメリカでのマルクス主義思想の先駆者といわれるが、ペルーの現実に立って、先住民を国民の土台とする独自の思想を主張し、1928年に結成した PSP(ペルー社会党)は、コミンテルンと摩擦を強めたが、30年に死去した後 PCP(ペルー共産党)に改組され、彼の思想実現は 68年のベラスコ左翼軍事政権まで待たねばならなかった。

アヤ・デ・ラ・トーレはラテンアメリカ全体の社会変革を目指して APLA運動(ラテンアメリカ革命人民同盟)を創り、30年には PAP(ペルー・アプラ党)を結成、反帝国主義・寡頭制打倒を掲げ、武装蜂起を含む急進的な社会運動を展開したが、国際共産主義運動やマリアテギの社会主義路線派とも決別し、ペルー独自の社会運動に変容した。長い闘争期間を経てやっとアプラが選挙によって政権の座に就いたのは、1985年の党首アラン・ガルシアの大統領の誕生まで、結党以来 54年を要した。

20世紀末から 21世紀に入って、ラテンアメリカ各国での「新自由主義」政策とその後の批判を経て、ペルー・アプラ党自身の大きな変質(2006〜11年の第2期ガルシア政権)、経済成長による大規模な中間層の形成や、ベネズエラのチャベス大統領登場に見られる脱新自由主義、協同組合主義社会主義や反米的外交により、左翼運動は大きく変容しているが、二人が世界資本主義システム段階で提起した社会変革に向けた問題意識や思想は、今日再び照射される必要性が生じてきたと著者は説いている。

〔桜井 敏浩〕

(新泉社 2012年 10月 228頁 3,500円+税)