1931年に岡島元七郎の4歳の恵子を含む一家6人は、大阪商船ブエノスアイレス支店に赴任し39年までの約8年間を過ごした。健全で幸せな家庭生活だったが、第二次大戦の勃発と岡島のシンガポール転勤で終わり、岡島は45年帰国途上に乗船していた戦時病院船が米軍潜水艦に撃沈され帰らぬ人となった。
戦後、教員になっていた恵子は、ブエノスアイレスに踏みとどまって成功を収めた原商会の原 昇・カズ夫妻に乞われて養子縁組し再びアルゼンチンに渡る。日本で見合いし入り婿となった修と二男二女に恵まれるが、仕事では昇と修は折り合いが悪く、原商会も時代の変化に翻弄され衰退、修は後年癌が発症し72年に享年46歳で亡くなった。その後子供たちも成長し、長女あやはアルゼンチン人の同級生ホルヘと、二女涼は医科大学を出た在留邦人進と、長男素も日本に研修留学した際に知り合った康子と、末子光は空手を通じて知り合ったパメラとそれぞれ結婚し、皆子供も授かった。恵子も91年64歳の時に養父の友人で旅行会社を経営する二世松堂昭と再婚したが、昭は2006年に病死した。物語は老いた恵子と子供、9人の孫たちの今に至る消息と家族生活を伝える。
著者(アキコ)が一族から聞き取った原家のおよそ百年にわたる家族史は、恵子がアキコに語った「ふるさとは日本、でも居場所はここブエノスアイレス」で終わる。これまでの移民史にはなかったアルゼンチンと日本との間で交差した家族の数代にわたる物語り。
〔桜井 敏浩〕
(悠書館 2016年8月 244頁 2,000円+税 ISBN978-4-86582-014-0 )
〔『ラテンアメリカ時報』2016年秋号(No.1416)より〕