連載エッセイ23:南米南部徘徊レポート その1 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ23:南米南部徘徊レポート その1


連載エッセイ22

南米南部徘徊レポート その1

執筆者:硯田一弘(アデイルザス代表取締役、パラグアイ在住)

今回から、パラグアイ在住のコンサルタントの硯田一弘氏に不定期に寄稿していただくことになりました。パラグアイを中心とした近隣諸国に現地訪問されており、現地の最新事情がよく理解できます。今回は、アルゼンチンのプエルト・イグアス及びクロリンダで見たアルゼンチン経済の実態、パラグアイのコンセプシオン県、チリ北部のイキケ市からのレポートです。なお、写真は、すべて硯田氏の撮影によるものです。

アディルザス社のホームページは、https://www.adirzus.com/about です。

プエルト・イグアス、クロリンダ(アルゼンチン)訪問 2019年9月1日発

急落するアルゼンチンペソの実態をお知らせするにはアルゼンチンに出向かなければ、ということで、先週日曜日にブルガリアから友人が遊びに来てくれたこともあって、東の街Ciudad del Esteからブラジル国境を越えてアルゼンチンのPuerto Iguazuに出向いてきました。当然、イグアスの滝観光の案内なので、景気や物価の調査はイマイチ出来ず。それでも、国境にあるワイン卸のお店ではかなり格安にパタゴニア産ワインが買えましたし、ガソリンもかなり安く入れられました。しかし、Puerto Iguazuは年間150万人もの観光客が訪れる世界的な観光地であり、ここの動きだけでアルゼンチン経済を語るのは無理があります。
https://misionesonline.net/2018/12/31/ano-record-cataratas-cerro-2018-mas-1-522-000-visitas/

ということで、アルゼンチンの地盤沈下を検証する為に、今日改めて出向いたのがアスンシオンの川向こうにある人口約5万人の街(村という方が正確かも)のClorindaです。クロリンダの中心部は拙宅から直線なら12㎞程度の所なんですが、パラグアイ川の対岸にあって、Remansoの橋を渡らないと行けない所なので、実際には44㎞の距離を一時間かけて出向く必要があります。パラグアイ川を跨ぐ橋、Remansoの橋は川幅の広い水たまり風のところに掛けられていますが、急流で橋桁が流されないようにとの土木工学的観点から選ばれた地形と思われます。

しかも、国境では出国と入国の手続きが必要なので、国境の混み具合によってもう少し時間がかかります。クルマで国境を超えるのは簡単ですが、パスポートやパラグアイの身分証明書Cedulaの他に、クルマの所有証明書Cedula Verdeや自動車保険の証書Carta Verdeを提示する必要があります。

朝九時半に自宅を出て、約一時間をかけて出向くと、そこはアスンシオンの西側なのに1時間先行、既に正午近くになっていました。南米では土曜日は正午までのお店が多く、慌ててGoogleで検索した酒屋に行って見ると、なんとカード決済の機械が壊れているとのこと。

うろうろしながら見つけた超田舎風のスーパーに飛び込んでワインを探すと、なんとアスンシオンで一本2千円相当のRutiniが一本AR$545(=千円‼)で売られていたので3本ゲットしました。その後、先週のPuerto Iguazuのスタンドで満タンにしたガソリンが半分以下に減っていたのでYPF(アルゼンチンの国営石油会社)のスタンドで給油すると、オクタン価98の高級品が99円/ℓと、アスンシオンの二割安!その後発見した大き目のスーパーでもビールやチーズを激安でゲットして帰ってきました。

アスンシオンに着任した3年前に初めてクロリンダを訪問した際は、まだ今の様な悲惨な経済状態に見舞われていなかったこともあり、むしろアルゼンチンからパラグアイに買い物に来る客が多く(品数は圧倒的にパラグアイの方が豊富)、土曜の午後だったこともあって街は閑散としていましたが、今回の訪問ではそれなりにお客さんが入っていたように感じました。(その分、パラグアイの買い物客が減っている訳です。)

アルゼンチンは先の予備選で現職のマクリ大統領が野党候補(前職のキルチネル夫人を副大統領候補とするフェルナンデス候補)に大幅に差を付けられたことから、10月の大統領選挙を前にデフォルト(債務不履行)の噂も飛び交っており、益々経済が低迷する懸念があると伝えられています。

今週はチリからお客さんが来て、アスンシオンの物価の安さに驚いていましたが、通貨価値が急落したアルゼンチンはもっと相対的物価が安くなっていることをチリ人の友人にも教えてあげました。次回はクロリンダにも連れて行きます。

今日の言葉remansoは水たまりという意味ですが、un remanso de paz=安息の地という意味にも使われ、単に淀んだ水を表すのではなく、流れのある水が緩むという意味合いがあります。色々な国同士の緊張が高まって経済も停滞気味と言われていますが、そうした今こそ、流れの重要性を考えてみたいと思います。

コンセプシオン県(パラグアイ)訪問 (2019年9月15日発)

先週末は業務出張でConcepción県に行ってきました。アスンシオンから県庁所在地までは陸路で約420㎞、4時間強のドライブで到着します。

北側をブラジル マトグロッソ州に接するコンセプシオン県の総人口は約8万人、200年以上の歴史を持ち、県庁所在地でもある古都Concepción市に人口は集中しています。三国戦争(1864-1870年)後に主にイタリア移民によって造成された旧市街は美しいコロニアル調の建物が多く、パラグアイ川に面した港町、古くはマテ茶や綿製品の出荷で栄えた往時の様子がそのまま残されており、「北の真珠」とも呼ばれています。

街の様子を紹介したビデオも含まれる以下のウェブページもご覧ください。https://concepcionparaguay.blogspot.com/

現在の主な産業は数千人の雇用を生み出す食肉生産で、パラグアイ最長の高架橋Nanawa大橋のたもとにある 一日千頭以上の肉牛を屠畜処理する工場の様子も壮観です。

ブラジル等からの観光客が急増している最近は、古くからの川港を利用してのパンタナール湿原への河川観光も行われるようになっており、水上ホテルでの宿泊も可能です。今回はたまたま国際モトクロス大会も開催されており、パラグアイ国内のみならず、ブラジルからも大勢のバイク愛好家が参加してレースに血道をあげていました。

以前もご紹介しましたが、パラグアイ川を川下から辿るとアルゼンチン国境の街Encarnacion(「神の権化」という意味)に最初に着き、次に首都Asuncion(昇天)、そしてこのConcepcion(受胎)と、キリスト教的な単語が並ぶことに気付かされますが、南米南部のはじめの開拓が原住民を改宗させる為の教会によって行われたことの名残であり、現在は胎児が大きく育つかのごとく、道路などのインフラも綺麗に整備されており、近隣の石灰岩を活用したセメント工場の建設なども進んで、更なる成長が期待される地域と言えます。パラグアイで最も宗教観を色濃く残す街Concepción、概念だけでなく実際に体験しに来られては如何でしょうか?

イキケ市(チリ北部)訪問 2019年9月20日発

今週はチリのIquique(イキケ)に行ってきました。アスンシオンからは直行便で2時間弱のフライトです。

イキケは、ご覧の通り南北4600㎞余りの長い国土を持つチリの北の端に近い街で、現在は内陸の銅鉱山への玄関口で、ボリビアやパラグアイへの中古車の輸入拠点として栄えています。紀元前7千年頃から人類が存在したとの記録もあるイキケは、もともと1822年に独立したペルーの領土でしたが、1864年にボリビア領になり、1879年に勃発した硝石戦争(Guerra del salitre、地元では太平洋戦争と定義)によってチリ領になりました。

硝石とは聞きなれない単語かも知れませんが、チリの硝石はChilean Nitrateとも言われ、化学的に窒素合成が出来なかった19世紀までは世界の農業を支える重要資源として重用されていました。その意味で、資源をめぐるチリ・ペルー・ボリビアの戦争の歴史は、現在の中東情勢をめぐる事情と重なる部分があります。チリの硝石は今でも北海道の砂糖大根の生産を支える貴重な資材です。チリ硝石の生産はアタカマ塩地での生産に切り替わっており、輸出はAntofagastaから行われています。

現在のイキケは海を失ったボリビアの富裕層の避暑地としての開発もされています。街は南北に細長く、海岸線に沿って海抜400m以上の砂の段丘が迫っており、中古車産業は政策によって段丘の上に移動する方針とのこと。築地市場を豊洲に移す政策と似たような話です。

今回の訪問は、パラグアイへの物流アクセスを確認することが目的でしたが、海の無いパラグアイにとって豊富な海産物や豊かな海岸線など、魅力の多い街と感じた一方、街の北部を占める中古車改造産業=貧者のビジネス、南部の高級リゾート=富裕層の拠点、という貧富の格差を感じさせられました。

イキケの人口は20万人弱ですが、地元の新聞が二紙も発行されており、印刷もパラグアイの新聞よりシッカリしていて、チリの知的水準の高さを象徴しています。
http://www.estrellaiquique.cl/impresa/2019/09/20/papel/
http://www.diariolongino.cl/

日本では馴染みのないイキケですが、輸入される中古車の大半は日本からのモノで、市内のいたるところに日の丸が描かれており、親しみを感じる土地柄でもありました。