1985年8月に日本航空123便がボーイング社の機体修理のミスが原因で御巣鷹山に墜落した惨事があった年、歌謡曲作詞や建築設備関連会社を経営していた著者の成田空港からヴァンクーヴァー経由メキシコ行きのJAL便で往復したメキシコ旅行記。紀行記の間に恋人に宛てた手紙挟み込むという形で書かれた小説。
メキシコ市についてすぐ知人の案内でアカプルコに行き、タスコ、メキシコ市に戻ってレフォルマ通り、グアダルーペ大聖堂、国立自治大学の図書館の壁画、国立人類学・考古学博物館などを見て周り、郊外のテオティワカンを見るなど市内・郊外の見物と買い物、和食レストランでの食事を楽しむ。さらにケレタロ、グアナファト、サン・ミゲル・デ・アジェンデまで足を伸ばし、その後は一人で国内便でユカタン半島のメリダまで飛び、タクシーを雇ってマヤ文明のウシュマルとチチェンイツァ遺跡を訪れてからバスでカンクンに行き、国内線でメキシコ市に戻って 3週間の旅を終え帰国の途につく。
アステカ、マヤ文明やメキシコ近現代史についての記述は、15冊ほどの歴史書から「記述部分は可能な限り史実に忠実に記すため、歴史専門家の著作物から引用」してかなり詳細に盛り込まれているが、Salud をサルーンといったスペイン語の仮名化や、垂直尾翼のJALの鶴丸マークが主翼にくっきり描かれたなど細部での誤りが気になる。
〔桜井 敏浩〕
(風詠社 2018年10月 298頁 1,500円+税 ISBN978-4-434-25162-7 )