瀧澤寿美雄(メヒココンサル 代表)
・50年前のメキシコ大統領と現在の大統領を比べてみる
「あれから50年。メキシコは本当に生まれ変わるのか?」
時代は、半世紀ほど前までさかのぼります。私が横浜にある神奈川大学外国語学部のスペイン語科三年の在学時に、運よく「日墨研修生・学生等交流計画」の国費による交換留学の奨学生選抜試験(学生部門)に合格しました。そして私は第5期生として1975年5月から10ヶ月間、メキシコのトルーカToluca(メキシコ州の州都でシティから西に車で一時間、埼玉県と姉妹関係)に滞在し、メキシコ人家庭にホームステイするという貴重な機会を手に入れることができました。
ここでは思いきって、40数年前にこの日墨交換留学制度を始めた当時のルイス・エチェベリアLuis Echeverría元大統領の政策や人物像を、現政権のメキシコのロペス・オブラドールLópez Obrador大統領と対比してみたいと思います。なぜなら、そうすることにより、現政権下のメヒコが、どこに向かうかを大胆に予測することができるかもしれないと考えたからです。ただし、これはあくまで私の個人的な独断と偏見に満ちた見解であることをお断りしておきます。
・エチェベリア元大統領の人物像と政策
メヒコの大統領の任期は、6年間で再選はできないことが憲法で規定されています。日本の隣国の韓国では、大統領は5年の任期で再選できませんし、米国の大統領は4年間の任期を二期8年まで可能です。エチェベリアは1970年12月から76年11月まで第50代メキシコ合衆国大統領を務め、98歳という高齢ですが、今でも生存しています。メキシコ国立自治大学法学部を卒業後、制度的革命党PRIに入り、64年から70年まで次期大統領候補の有力ポストといわれる内務大臣の要職についていました。
68年10月2日に、平和的な学生デモを武力で鎮圧する指示を出したのは、彼ではないかと言われ、多くの犠牲者を出した「トラテロルコ事件」は、メヒコ現代史上で忘れてはならない国民の血が流れた大惨事でした。軍隊や警察とは違う政府の特殊部隊がデモ隊に発砲して鎮圧した10日後、メキシコ・オリンピックは何もなかったように、予定通り開催の運びとなりました。
エチェベリア大統領在職時には、ポピュリズムの政策をとって、低所得者層への食い込みに成功し、社会保障を拡大しました。海外直接投資を制限した結果、企業家とは対立関係になり、石油や電気部門の国有化を実行しました。一方で、米国との国境地帯のマキラドーラの拡充を推進し、国内の一大リゾート地であるカンクンの開発に着手し、観光産業を発展させました。このあたりの政策は現在のアムロ大統領と共通点があるかもしれません。
こうした政策を実施した結果、経済は停滞し、政権末期の76年には、経済危機に見舞われ、IMFから緊急融資支援を受けざるを得なくなりました。債務も70年の60億ドルから200億ドルに膨れ上がり、官庁や国営企業の非効率、汚職や縁故採用が大きく批判されて、6年間の任期を終えました。野心家の彼は、退任直後の76年の国連事務総長選挙に第三世界出身者として出馬しましたが、中国が拒否権を行使したせいもあり、接戦の末に敗北しました。
エチェベリア元大統領とはどんな人物であったのでしょうか?第三世界のリーダー、非同盟外交を推進した左派の野心的な政治家、強権的支配者として、メヒコ国内では今でも認知されています。
・映画ROMAに描かれた70年代当時のメキシコ社会
さて、日本でも報道されたように、メキシコ映画”ROMA”が2018年8月にベネチア国際映画祭で金獅子賞、その後第91回アカデミー賞の監督賞・外国語映画賞・撮影賞を獲得したことはまだ記憶に新しいところです。映画の題名でもあり、舞台にもなるROMAとは、メキシコシティ・歴史地区の西部に位置する「コロニアローマColonia Roma」(ローマ地区)のことを意味します。20世紀初頭から上流階級向けの住宅街として開発され、都市の拡大につれ、多くの中産階級が集まる地区となった場所として知られています。
この映画の中で、エチェベリアの内務大臣時代に起きた「トラテロルコ事件」にも関わったといわれる準軍事組織が、大学自治への介入に抗議する学生デモ隊に襲いかかった「木曜日の虐殺」(71年6月10日)シーンがあります。彼の大統領就任時の70年代のメヒコ社会の本質が描かれています。メキシコ人中流家庭とそこで働くミシュテコ族という先住民出身の若い家政婦の姿を通じて、鬼才アルフォンソ・クアロン監督によって、モノクロの美しい「映像」と臨場感に満ちた「生の音」を巧みに使って見事に描写されています。
・50年前に訪日したエチェベリア元大統領は外交重視
1972年3月に大統領としての最初の訪問先として米国ではなく、実は日本を訪問した事実を知る日本人は少ないと思います。なぜなら、その訪日時期に「浅間山荘事件」(72年2月19日~28日)が起こり、日本人はそのテレビ中継にくぎ付けになっていたからです。当時、私は高校生で、警察隊が浅間山荘に突入していったシーンを食い入るように見ていたことを今でも記憶しています。このため、大統領訪日に関するわずかな日本での報道とは裏腹に、メヒコ国内では「グラン・ハポンGran Japón」(大日本)という名のテレビ番組が大々的に流され、有力新聞・雑誌にも日本特集の記事が多数掲載されました。
反米感情の投射として、アジアの日本を最初の訪問国として選んだ大統領は、親日国メキシコの親日家の大統領として知られるようになりました。大統領訪日を特集した週刊誌の”Siempre”シエンプレ(72年4月12日号)の表紙を飾ったイラストが興味深いです。アバタの白人で金髪の米国娘に背を向けたメヒコの男性が、三味線と日本髪を結った着物姿の日本女性(芸者風のイラスト)に恋の花束を捧げている、という象徴的な構図になっていて非常に面白い。
71年10月の国連総会演説の中で、彼は米国貿易政策を批判する一方で、中国を歓迎する旨の発言をしているのは注目されます。メヒコにとって米国との経済関係を断ち切ることはできないものの、対外的には対米牽制するため、対内的には反米ナショナリズムを国民に訴えるため対日接近を決断し、日本公式訪問を決めたと考えられます。彼の練りに練られた外交戦略は巧みな国内政策にも通じていたのでしょう。
・日本との外交政策で成果が表れた二つの具体例
一つ目として、1970年から始まった「日墨研修生・学生等交流計画」で、毎年日本とメヒコの間で100名ずつ交換留学させるプログラムが存在します。現在では「日墨戦略的グローバル・パートナーシップ研修計画」という名に変わりましたが、2021年には50周年を迎え、両国の交換した留学生の累計数は、何と5,000名近くになります。これだけ長く多くの留学生を出している留学制度は、米国のフルブライトとエチェベリアの日墨交流計画ぐらいでしょう。
この制度を利用して帰国した日本人OB会である「日墨交流会」(会長は明治大学の所康弘准教授)の存在意義は大きく、毎年会報誌”AGUILA Y SOL”(アギラ・イ・ソル)を発行し、会員同士の親睦を図る地道な交流活動をしています。しかしながら、残念なことに、有料の会員数が増えないため十分な運営費を賄えず、活発な活動ができないのではないかと私は心配しています。総会にも出席したことがあり、第5期生でもある私の助言としては、個人会員の会費収入の他に、大学や企業側からも会員を募り、特にメヒコと関係が深い大企業から資金面での支援を仰ぐ時期に来ているのではないかと思います。
二つ目は、日墨学院の設立が挙げられます。当時のメヒコでは、駐在員子弟のための日本人学校と日系コロニアの三校がありましたが、これらを一つに統合しようという構想がありました。1974年9月に田中角栄元総理とエチェベリア元大統領の首脳会談の共同声明でこの計画案は決まりました。建設資金の一部である100万ドルを日本政府が出資することになったのは、関係者の根回しがよかったせいもあるでしょうが、両国の優れた首脳のリーダーシップと決断力に負うところが大きいでしょう。
・50年後に現れた新左派勢力のアムロ大統領は内政重視
AMLOアムロの愛称で低所得者層から親しまれているメキシコのロペス・オブラドール大統領の月額給与は、実はわずか60万円、大統領専用機を使用せず、アエロメヒコ便で移動し、驚いたことに大統領公邸であるロス・ピーノスLos Pinosにも住まないで、米国のホワイトハウスより贅沢な建物を博物館として一般開放し、国民の人気を勝ち取りました。彼の愛車は大衆車として知られるフォルクスワーゲンのジェッダです。私には2016年に来日した「世界一貧しい大統領」として有名な南米ウルグアイ元大統領のムヒカ氏の姿と重なります。
長年中道右派と中道左派の二大政党の支配が続いたメキシコでしたが、2018年7月の総選挙で、新興左派政党「国家再生運動(MORENA)」率いる元メキシコシティ市長のロペス・オブラドールが、得票率53%という大差で勝利し、世界を驚かせ、2018年12月に第58代メキシコ合衆国大統領に就任しました。国民の間に既存政党政治に対する失望感が広がり、公正な社会を実現する「新メキシコ革命」とも言える「第四の変革」を提唱するAMLO氏への地滑り的勝利となりました。
・注目すべき主な公約と政策
汚職の一掃と公務員改革を主体とした緊縮財政を掲げ、公務員改革の最大の目玉として、大統領自身の給与を月額27万ペソ(13,500米ドル)から10.8万ペソ(5,400米ドル)に60%も大幅に下げて率先実行し、高級官僚は大統領以上の給与を得てはならないとしました。この結果、多数の有能な高級官僚の頭脳流出があったばかりではなく、公務員全体および各省庁が予算削減を受けて、人員整理を行ったと伝えられています。特に、政府の有期雇用職員の多くが退職させられたとも言われています。
メキシコとのビジネスに従事する日本人にとって、この影響をまともに受けた身近で関心をひく事例をあげてみましょう。永田町に一つしかない大使館として知られる駐日メキシコ大使館内にあった貿易投資振興機関のプロメヒコProMexicoや政府観光局の事務所が、2020年初めに突然廃止され、職員は解雇されました。この結果、各省庁の専門職員に代わって、外務省の職員が兼務している形です。日本事情にも精通し、マーケティングが上手な経済省、観光省や農務省の専門職員と比較すると、日本での経験が少ない外務省のスタッフのみで担当するのでは、おのずと限界があると思われます。この点で、日本企業の投資誘致、メキシコ製品の対日輸出促進、日本人観光客の誘致振興など貿易・投資・観光に関する公的機関からのビジネス支援か停滞することが懸念されます。
他方、現地に進出している日本企業で問題になっているのは、メキシコ省庁の機能が著しく低下し、各種手続きが大幅に滞り、また各部門の予算執行も遅れが生じていることが挙げられます。たとえば、メキシコ政府からの労働ビザの発給がかなり遅れて、多数の日本人の駐在員が業務上支障をきたし困っているようです。また、数年前に進出して地元の工場を借り上げ、医療用ベッドを生産して順調な滑り出しをした日本企業が、製造拠点の閉鎖を決断して、販売拠点のみを通じて営業を続けることになったという話を聞きました。その最大の原因は、公的病院の医療設備の予算が大幅に削られたことがあげられると聞いています。
・最大の懸念材料である治安状況を好転できるか?
アムロ政権二年目以降の最優先事項である治安状況を好転させるのは、最も難しい政治課題です。むしろ治安は悪化しているので、軍隊と警察で構成される「国家警備隊」が2019年6月に創設され、53,000人の隊員が全国に配備され、発足一年目に83,000人まで増員されることになっています。ところが、不法移民対策に満足していない米国トランプ政権の圧力で、メキシコ政府は南部国境沿いに6,000人の国家警備隊員を配置せざるを得なくなりました。本来の治安悪化を防ぐための隊員活動の力がそがれてしまいます。
アムロ政権の公約とは正反対に、2019年の殺人件数が過去最大の三万件を超える見込みです。今後の治安対策強化活動で実績を上げるのが緊急課題であることは間違いなく、この解決の糸口を国民に示せば、アムロ政権の支持率はこれ以上下がらず、高い支持率を維持して、他の大衆受けする政策を実行すれば、安定政権につながる可能性は残っています。
・終わりに
率直に言って、政権二年目以降のメヒコ経済が好転するという見通しは期待できません。しかし、国内外の投資行動は、悲観的なものの、国内の消費動向は横ばいが続き、アムロ政権が貧困者層向けに実施する年金額の引き上げ、学生向け奨学金の充実や医療の無償化などの一連の社会政策は、国民から評価され期待されていると考えられます。エチェベリアもアムロも左派政権の注目すべき大統領として登場し、二人とも大衆迎合のパフォーマンスを重んじるポピュリストという共通点がみられます。新しいタイプのポピュリストとして、アムロ大統領が「新メキシコ革命」を果たせるかどうかは、今年から来年にかけて彼が断行する政策にかかっていると言えます。メヒコがどこに向かうかを予測するためにも、今後の彼の新しいタイプのポピュリスト大統領としての発言や行動に目が離せません。