連載エッセイ45:「南米南部徘徊レポート」その6 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ45:「南米南部徘徊レポート」その6


連載エッセイ44

「南米南部徘徊レポート」その6

執筆者:硯田一弘 (アデイルザス代表取締役、パラグアイ在住)

1月12日発信 アルゼンチン・ボリビア旅行記 その2

アルゼンチン・ボリビア運転旅行記の第二弾はアルゼンチン北部からボリビア山岳部を抜けてパラグアイ北西の大平原チャコを抜けてアスンシオンに戻るルートの紹介です。

先週ご紹介した通り、正月元旦、塩の湖Salinas Grandesを訪れ、身も心も塩湖同様真っ白にしてから再び4,170mの峠を越えてHumahuaca渓谷にある七色の山肌を持つPurmamarca村を通り超して、古くから宿場町として機能してきたTilcara村に到着、ここの民宿で四泊目の一夜を過ごしました。

Purmamarca村から視た七色の山肌。

順番は相前後しますが、TilcaraからSalinas Grandesまでの映像が10分で見られます。

このビデオでは塩湖の様子は茶色っぽい感じですが、実際にはもっと真っ白でした。

Tilcara村を朝8時過ぎに出発し、殆どクルマの走っていない標高3,500mの高原道路(地球の歩き方には未舗装と書かれていますが、国境までは完全舗装)を200km走ってボリビア国境にたどり着きました。200㎞二時間走って追い抜いたローリーと対向車は併せて10台以下!道路の脇には配線となった鉄道が延々と続いていました。

国境の町La Quiaca(アルゼンチン側)から見たボリビアVillazónの町。白いバンは米国ワシントン州のナンバーを付けていました。パラグアイからアルゼンチンに入国した際にはパラグアイの身分証明書を使って入国したものの、ボリビアではパスポートを提示するよう求められました。昨年9月に陸路をボリビアVilla Montesに行った際には身分証明書で入れたのに、と言っても「入国審査のシステムが違う」との説明。でも問題なくは入れたので良しとしました。

国境を通過して暫くすると通行料の料金所、3ボリビアーノ(約50円)を払って暫くすると、Tarija行きは右に曲がるとの表示で、ここから未舗装の急峻な山道を約50㎞で2時間以上かけて走破しました。この道は道幅が狭いだけでなく、片側は深さ200m以上の谷底で、今までの経験で最もスリリングな道路でした。これも写真より映像の方が臨場感がありますので、こちらをご覧ください。

漸く到着したTarijaの町は田舎ながら立派な建物もあって、居心地の良さを感じさせてくれました。この町の中心のプラザ近くにあるのが古生物・考古学博物館。入口を入るといきなり巨大なナマケモノやマンモス・アルマジロの骨格化石が展示されていて驚きます。


ここにたどり着く道中目にした色とりどりの岩石の標本も多数展示されていて、この展示には日本政府の支援もあってPanasonic製のテレビが何カ所か置かれていましたが、展示物の昔の想像図や年代などを判り易く表示するパネルなどは無く、ペルーにいくつもある考古学博物館のように、もっと詳しい資料を展示すれば良いのに、と少し残念に感じました。しかし、Tarijaに来たらここは必見です。


https://boliviaesturismo.com/en/museo-paleontologico-arqueologico-tarija-bolivia/

Tarijaで一泊し、またまた「恐怖の報酬」現実版の様な山道を走って到着したのが昨年も訪問したVilla Montes。その名の通り山の村です。ここには温泉宿があって、年末に発症した帯状疱疹の療養にもってこいの入浴を楽しみました。

https://www.facebook.com/HotermaAguasTermales/

それからVilla Montes市役所に勤める友人の案内で、別のホテルEl Rancho Olivoのオーナーにホテル経営の極意を伺ってきました。
https://www.tripadvisor.es/Hotel_Review-g1825964-d2549207-Reviews-Hotel_Boutique_El_Rancho_Olivo-Villamontes_Tarija_Department.html

1月19日発信 アルゼンチン・ボリビア旅行記 その3

年初からお伝えしてきたアルゼンチン~ボリビア旅行記も三回目、本当に時間が経つのは速いものです。ボリビアの田舎町Villa Montesから国境を越えてパラグアイ チャコの中心地であるMariscal Estigarribiaまで357㎞のドライブは、ボリビア側の一部に40㎞ほど砂利道道路がある以外は完璧な舗装道路で、運転初心者の次男の練習にも最適でした。国境からMcal Estigarribiaまでの250㎞弱を一気に運転させて、すっかり慣れてカナダの新しい職場に向かうことが出来ました。

この道路、多くの地図では未完成と表示されているので、 パラグアイに永年住んでいても、ここが普通車で走れることを知らない人が殆どです。交通量も極めて少ないので、初心者の練習にはもってこいの環境です。

Mariscal José Félix Estigarribiaというのは、チャコ戦争(昭和7年-13年、ボリビアとパラグアイの戦争)の英雄であり、ボケロン県の中心の地名であるだけでなく、パラグアイ中至る所にその名を冠した通りや広場がある歴史上最も有名な人物の一人です。

南米にはMariscal誰それという名前の付いた地名は極めて多く、名前が長くなるのでMcalと短縮されるのが一般的。他にGral(General=将軍)やTte.(Teniente=中尉)という地名も多いので、軍の肩書は自然と覚える単語です。近々公開される映画「Top Gun」の続編でも、万年Capitan(大尉)役のトム・クルーズが歳を取らない活躍を見せる様なので期待しましょう。

人口5千人程度のMcal Estigarribiaは、今はただの田舎村ですが、チャコ最大の滑走路を持つ空港もあり、南米大陸の両岸を結ぶruta bioceánicaの中心地にもなる交通の要所、パラグアイ最大のスポーツイベントであるチャコラリーの拠点としても有名で、将来の発展が約束された土地とも言われています。

三国戦争と並んでパラグアイの歴史を決定付けたチャコ戦争ですが、現在はボリビアとパラグアイにまたがる両方の地区で、この戦争を忘れないように記録する動きがありますが、ユニークなのは戦争の相手国を嫌うのではなく、戦争を繰り返さないために記録する努力をしていることは素晴らしいことです。


南米でも隣国同士はいがみ合うケースが多いのですが、パラグアイとボリビアは不思議な友好関係を結んでいる様に感じます。パラグアイの平和を象徴する地域でもあるチャコ地方です。

このMcal Estigarribiaから520㎞のドライブでアスンシオンに戻った訳ですが、実は道路の状態はMcal Estigarribiaから200㎞程度の部分の方がその奥よりも良くなく、走りにくいのです。しかし、道路整備を担当するMOPC(公共事業通信省)の最近の働きぶりは非常に素晴らしく、マリスカルに来るたびに大きな穴凹が減っていることを実感できます。

ところで、パラグアイに本格的な日本の城郭建築があることは以前にも何度かお伝えしましたが、今週そのお城に関する新しい本が出版されました。本のタイトルは「パラグアイのおかげの話」(文芸社)。チャコ地方の大牧場の記載も沢山ありますので、是非一読されることをお勧めします。
https://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/978-4-286-21171-8.jsp

1月26日発信 パラグアイの刑務所からの集団脱走事件

今週は珍しくパラグアイの事件が世界に報道されました。ブラジル国境の街、Pedro Juan Caballero市の刑務所から76名もの囚人が脱走したというもので、往年の名画「大脱走」を彷彿とさせるトンネル脱走の手口から、早くも映画化を期待する声すら上がっています。

この事件でパラグアイの刑務所の事情が注目され、今週は色々な記事が掲載されました。以下は全国の刑務所の収容能力(CAP)と実際の入所者(POB.REAL)で、受刑者に対して刑務所の数が圧倒的に足りないことを示しています。全国に18箇所ある刑務所の総需要能力9,511人に対し、実際の収容人数は15,477。定員の三倍以上の受刑者を抱える刑務所もあるようです。

このグラフの下の部分は、どのような犯罪で受刑者が入所しているか?を示しており、窃盗が24.6%で一番ですが、麻薬取締法違反16.2%が二番目に多く、続いて殺人15.1%となっており、麻薬犯罪が如何に深刻であるか?を示すデータと言えます。

今回の事件により、Pedro Juan Caballeroが危険な都市であるとの認識を強めた方も多く居られるのですが、二週間前に市場調査で出向いたPJCの街は落ち着いて住み心地の良さそうなところでした。アスンシオンから約460㎞、6時間弱のドライブも快適でした。実はPJC市とブラジルのPunta Porá市とは道を隔てた隣同士の街で、国境線が明確に惹かれている訳ではなく、自由に二国間を行き来出来ます。そして、税率が安いパラグアイの商品を目当てに大量のブラジル人が集まってくる商業都市となっているのがPJCの実態です。

こう書くと、アルゼンチン・ブラジル・パラグアイ三国国境の街Ciudad del Esteを想像する方もおられると思いますが、PJCの街はCDEほど建て込んでいる訳でもなく、標高も670mとパラグアイでは最も高い場所にある街なので、日中の気温もアスンシオンよりは涼しく、街中の治安も良いので生活するのは非常に良い環境であると感じました。勿論、国境では色々な人たちが往来し、その管理の緩さもあって冒頭の犯罪に関する記載でもあった麻薬や武器のブラジル向け出荷基地になっているという事実もあるようです。

コロナウィルスの対策として、中国では武漢市を封鎖するような措置までとったようですが、パラグアイとブラジルの国境のこの街は、完全な地続きのエリアを二つの国で線引きしただけなので、封鎖は絶対に出来ません。

1月26日発信 パラグアイが核兵器禁止条約を批准

さて、今週は「パラグアイが核兵器禁止条約を批准した」というニュースも入りました。大国が核戦争のリスクを高める維持の張り合いをしている一方で、小国パラグアイは平和に向けてのメッセージを世界に発信しています。
https://mainichi.jp/articles/20200124/ddf/041/030/012000c
世界中が紳士(Caballero)的に落ち着いた世の中になることを願って止まない週末です。