執筆者:松田郁夫(元ジェトロ・サンホセ事務所長)
先日、インターネットを見ていると、少々古い情報ですが、旅行専門のオンライン口コミサイトminube.netが2014年9月に収集し、2015年7月に更新した口コミ情報に基づき、死ぬまでに訪れるべき世界の50の観光都市を掲載していました。遺跡、魔天楼、中世の名残りなどから選ばれたようで、地域別の内訳は次のとおりです。
バンコック(6位、タイ)、シンガポール(16位)、シェムリアップ(20位、カンボジア)、ジャイブル(22位、インド)、ホイアン(27位、ベトナム)、東京(29位)、バガン(30位、ミャンマー)、カトマンズ(31位、ネパール)、北京(35位)、京都(40位)ワーナーナシ―(43位、インド)ラサ(47位、中国・チベット自治区)など12都市。
モン・サン・ミッシェル(1位、フランス)、セビージャ(2位スペイン)、ブダペスト(3位、ハンガリー)、プラハ(4位、チェコ)、ドゥブロヴェク(8位、クロアチア)、 ベネチア(13位、イタリア)、オイア(19位、ギリシャ)、ウィーン(21位、オーストリア)、リヨン(24位、フランス)、ベルリン(24位、ドイツ)、アムステルダム(26位、オランダ)、リスボン(32位、ポルトガル)、ヴ
ァチカン(33位)、グラナダ(34位、スペイン)、アテネ(36位、ギリシャ)、パリ(41位、フランス)、フィレンツェ(42位、イタリア)、ローマ(46位、イタリア)、ロンドン(48位、イギリス)など19都市。
サマルカンド(10位、ウズベキスタン)、ザンジバル(17位、タンザニア)、ルクソール(23位、エジプト)、イスタンブール(28位、トルコ)、ティベラ(37位、エチオピア)、エルサレム(39位、イスラエル)、マラケシュ(44位、モロッコ)、ぺトラ遺跡(45位、ヨルダン)など8都市。
シドニー(12位、オーストラリア)の1都市
ラスベガス(9位)、サンフランシスコ(11位)、ニューヨーク(49位)の3都市
そして、我が中南米からはアンティグア・グアテマラ(5位、グアテマラ)、ブエノスアイレス(7位、アルゼンチン)、カルタヘナ(14位、コロンビア)、メキシコ・シティ(15位、メキシコ)、クスコ(18位、ペルー)、ハバナ(38位、キューバ)、リオデジャネイロ(50位、ブラジル)の7都市がランクインしています。
さて、皆さんは何ヶ所訪ねたことがありますか?私は、北米、中南米は10ヶ所すべてと、ヨーロッパはセビージャ、グラナダ、リスボンなど6ヶ所、アジアもバンコック、シンガポール、バガンなど5ヶ所およびシドニーの計22ヶ所のみです。残念ながらアフリカ・中東等は1ヶ所もありません。ヨーロッパやアジアの各都市にはぜひ一度行ってみたいと思いますが、皆様には遠くてあまりなじみのない中南米にも是非足を向けていただきたく、以下に各都市の概略と見どころをご紹介したいと思います。
1)アンティグア・グアテマラ
アンティグア・グアテマラ(古いグアテマラという意味)は1543年から200年以上首都であり、グアテマラ総督府がおかれていました。度重なる大地震で町の大部分が破壊され、首都は現在のグアテマラ・シティに移転されました。スペインのムデハル様式の影響を受けたバロック建築と、植民地時代に建てられた多数の教会の遺構で知られており、カプチナス教会・修道院、アンティグア・グアテマラ大聖堂、ラ・メルセ―教会、サント・ドミンゴ修道院跡、エルマーノ・ペドロ病院などが、1979年にユネスコの世界遺産に登録されています。アンティグア・グアテマラの近郊には、富士山にそっくりなアグア火山やアティトラン湖などの風光明美な観光地があります。
2) ブエノスアイレス
人口約1380万人(2019年、国連推計、近郊地域を含む)を擁するアルゼンチンの首都で、1536年に建設されました。19世紀後半のサルミエント政権による欧州化、文明化政策により多くの移民がイタリア、スペインなどから流入しました。また、小麦や牛肉の輸出の進展とともにアルゼンチン全土に広大な鉄道網が建設され、1911年には南半球初の地下鉄も開通し、経済は著しく発展しました。「南米のパリ」の名で親しまれ、南米のなかで最もヨーロッパ的で、最も美しい町の一つとして数えられています。アルゼンチン・タンゴはこの街のラ・ボカで発祥したといわれ、現在は数多くのタンゲリア(タンゴ・バー)でタンゴの歌と踊りを楽しむことができます。また、7月9日大通りにはオベリスクがあり、その近くには世界三大劇場の一つ、コロン劇場があります。
3)カルタヘナ
カルタヘナはコロンビア北部のカリブ海に面した港町で、同国最大の観光都市です。スペインがインカ帝国を滅ぼし、1533年に建設が始って以降、南米各地で収奪した金や銀、エメラルドをはじめとする南米大陸の産物のスペインへの重要な輸出港となり、南米北部の奴隷貿易の中心でもありました。17世紀から18世紀にかけて繁栄の絶頂期を迎えましたが、この富に目を付けたカリブ海の海賊たち(フランス、イギリス)の妨害と略奪が横行したため、城壁や難攻不落の港の建設が行われました。これらが「カルタヘナの港、要塞、歴史的建造物群」として、旧市街とともに1984年に世界遺産に登録されています。
4)メキシコ・シティ
1519年にスペイン人のエルナン・コルテスにより征服され、アステカ王国の都であったテノティティトランが破壊、その上にスペイン風の現在のメキシコ・シティが建設されました。1821年に独立後も、米墨戦争など、外国の干渉や数多くの内戦を経験しました。1911年には独裁政治に反発する革命が勃発しましたが、1920年代以降は政情の安定と経済成長が続き、高層ビルの建設、道路、地下鉄網の整備、メキシコ壁画運動やメキシコ国立自治大学の建設が進められました。1968年には中南米初のオリンピック、70年にはワールドカップも開催されました。2019年の近郊を含む都市圏人口は約2180万人(国連推計)で、中南米を代表する大都市です。
中心街のソカロにあるカテドラル(大聖堂)と国立宮殿(大統領官邸)、テンプロ・マヨ―ル(アステカの中央神殿)跡は、テスココ湖の名残りをとどめ、舟遊びを楽しめるソチミルコとともに、1987年に世界遺産に登録されています。近郊には、太陽と月のピラミッドがあるテオティウワカンがあります。
5)クスコ
1534年3月に征服者のフランシスコ・ピサロが到着するまで、クスコは1200年代から約300年間、インカ帝国の首都でした。スペイン人植民者は数多くのインカ帝国の建造物、寺院、宮殿を破壊し、その土台の上に数多くの教会、女子修道院、大聖堂、大学などを建設しました。インカ時代の石積みは、石と石の間に「カミソリの刃1枚通さない」といわれる精巧さです。
これらクスコの市街は1983年に世界遺産に登録されました。クスコからは豪華な展望列車で約2時間のところに、一番行ってみたい世界遺産といわれる空中都市マチュピチュがあります。
6)ハバナ
1519年以降スペインの植民地経営の中心地、貿易の中継地として発展しましたが、フランス、イギリスなどの海賊の攻撃を受けたため、モーロ要塞など多くの要塞が築かれました。19世紀に入ってハイチから入ったフランス人によりサトウキビ栽培の技術が導入され、キューバの砂糖産業の拡大が始まりました。1898年のキューバ戦争を経て、1902年にキューバが独立し、ハバナは首都となりました。1959年にはフィデル・カストロが率いるキューバ共産党革命政権が樹立されました。
ハバナの旧市街はスペイン風の街並みで、植民地時代の建造物が数多く残っており、「ハバナ旧市街と要塞群」として1982年に世界遺産に登録されました。ヘミングウェイがこよなく愛し、晩年を暮らした街として知られ、郊外には記念館があります。また、革命以前に輸入されたアメリカ車が今も健在で街中を走っており、クラシックカー・マニアの垂涎の的となっています。
7)リオデジャネイロ
コパカバーナ、イパネマなどの有名な海岸を有し、世界3大美港の一つに数えられる美しい都市で、ブラジル最大の港湾都市でもあります。
1502年1月、ポルトガル人探検家のガスパール・デ・レモスがこの地に到着、湾口を大きな川と誤認し、市名となった「1月の川」と命名しました。1960年にブラジリアに遷都するまではブラジルの首都で、2019年の人口は約650万人(国連推計)を数え、サンパウロに次ぐ大都市です。「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群」として、2012年に世界遺産に登録され、リオのカーニバルはあまりにも有名です。また、2016年には南米では初めてのオリンピックが開催されました。(了)