執筆者:設楽知靖 元千代田化工建設(株)、元ユニコインターナショナル(株)
前号で、スズメ(スペイン語:Gorrion)について観察する“ゴリオンの嘆き”という題で書かせていただきましたが、そのときに、ツバメ(燕)はスズメ目ツバメ科の鳥であることも思い出し、ツバメ(スペイン語:Golondrina)について調べ、観察してみることとした。さらに、メキシコの別れの歌は『ツバメの歌』であったので、同時に、その詩の謂われについて考察してみることといたしました。
体の全長は,約17センチくらい、翼間隔は、約32センチ、背は光沢のある藍黒色で喉と顔が赤く,お腹が白く、胸には黒の横帯、尾は長く切り込みの二股形“燕尾型”をしており、脚は短く、歩行には不向き、巣材の泥を探し求める以外は地面に降りることはない、といった特徴を持つ『燕尾服の紳士』の様相です。
世界の分布は、北半球の広い範囲におよび、日本で繁殖するツバメの越冬地は台湾、フィリピン、ボルネオ北部、マレー半島、ジャワ島などと言われています。 俊敏で、飛翔する昆虫を空中で素早く捕食、水面すれすれに飛んで水を飲む。繁殖期のオスは、チュピチュピルルルルルルと、比較的大きなさえずり声を上げる。巣は泥と枯草を唾液で固めてつくり、ほとんど人工物に造巣し、人の住む環境と同じ場所で繁殖し,天敵は、主にカラスです。
巣は通常は新しく造ることが多いが、古い巣を修復して使用することもあります。産卵期は4月~7月で、卵の数は3~7個、そして抱卵は主にメスが行う役目となっています。抱卵日数は13~17日、巣の中での育雛日数は20~24日、巣立ちを終えた雛と親鳥は河川敷や溜池の葦原などに集まり、集団を形成します。
また、ツバメの別名は『玄鳥』(げんちょう)と言われて,玄鳥には、陽気も暖かく、
南方で冬を越したツバメが、再びやってくるという意味を持っていると言われています。ご承知のごとく、ツバメは渡り鳥で、一年の半分しか日本におりません。そして、自分の育った場所を太陽の位置で把握していて、巣の方向を知るとのことです。ツバメは長いものは7~8年も続けて帰って来たり、場所も覚えていると言われており、その寿命は15~16年ぐらいと言われております。
ツバメは『人の住む環境に営巣する』との習性から、人の出入りの多い家は“商売繁盛”の印ともなっています。“ツバメの巣のある家は安全”とも言われていますが、一方、ツバメが出入りするので、戸締りができないこともあり、不審者の侵入を許すとも言われています。もう一つ、『雀孝行』という言葉があります。その昔、ツバメとスズメは姉妹だったとされ、ある時、親の死に目に際して、スズメ(雀)は、なりふり構わず、駆けつけて間に合いましたが、ツバメ{燕}は、紅を付けたり、着飾ったりしていたので間に合いませんでした。以来、神様は、『親孝行のスズメには五穀を食べて暮らせるようにし、ツバメには虫しか食べられないようにした』と言う言い伝えがあります.今日では、ツバメは〟“益鳥”、スズメは“害鳥”と、逆になっておりますが。
メキシコ市にある世界的にも有名な闘牛場、プラサ・デ・メヒコ(Plaza de Mexico)で観戦した時の思い出ですが、闘牛において闘牛士のチームには、必ず“槍“で牛を突く、”憎まれ役“のピカドール(Picador)の存在があります。普段、闘牛のプログラムの最初の場面で、牛を槍で突いて弱らせる役目を担います。このピカドールは観客の憎まれ役で,しつこく槍で牛を突くと、観客席からはブーイングが起こります。
私が観戦した時、スペインチームのベテラン・ピカドールは、その日を最後に引退するとあって、いきなり場内に“メキシコの別れの曲”である、「ラ・ゴロンドリーナ」(ツバメの歌)が流れたのです。場内はシーンとなり、これは途中で組み込まれたセレモニーであったようです。メキシコ市・警察音楽隊による演奏で、再登場した太ったベテランのピカドールは観客の盛んな拍手に、目には光るものがあり、次々と闘牛場の主人、闘牛士、同僚のピカドールと抱擁の別れを繰り返し、場内を一周して、最後にはグランドの整備の裏方さんに一人ひとり握手して退場しました。
メキシコの別れの曲は、何時も素晴らしいと思って聴きます。何故ならば、ツバメは翌年に自分の巣に戻ってくるという意味を観客皆が理解しているからです。
この曲は、メキシコのホタルの光とされるものですが、この曲、ラ・ゴロンドリーナ(La Golondrina:ツバメ)の作曲者の“望郷の念”とメキシコの歴史について理解することが重要であります。この曲は1862年メキシコのNarciso Serradell Sevilla (1843~1910)が作曲したメキシコの歌曲です。
彼は、1861年、メキシコ・フランス戦争で捕虜となり、フランスへ護送されてしまった作曲家なのです。その歌詞では、自らをツバメの姿と重ね合わせて,遠く離れたメキシコへの望郷の思いを切々と歌ったとされております。その原曲の歌詞は;
A dónde irá
veloz y fatigada
la golondrina
que de aqui se va
por si en el viento
se hallara extraviada
buscando abrigo
y no lo encontrará
Junto a mi lecho
le pondré su nido
en donde pueda
la estación pasar
también yo estoy
en la región perdida
O Cielo Santo
y sin poder volar
<望郷からの意訳>; 疲れたツバメよ、どこへ行く、体を休める場所もないままに。君の巣を、私の寝床の傍につくろう。季節が過ぎ、私も、この地でさまよう。オー、聖なる神よ!!飛ぶこともできずに。 『蛍の光』の歌詞の日本語に,“明けてぞ、今朝は別れ行く”とありますが、『再会』の意味合いが薄いと思います。しかしながら、ツバメの歌は、”ツバメは戻ってくる“と言うことから、必ず故郷へ戻れるという願望としてのメキシコへの望郷の念が込められていると感じるのです。私は、このように解釈して、『再会』が必ずできることで、ラ・ゴロンドリーナが大好きなのです。
ツバメもスズメと同様、人間の生活圏に住む身近な存在ですが、渡り鳥で、日本には半年くらいしか滞在しないのがツバメで、以前は、JR線の駅の軒先に巣を構えて、よく駅員さんが、『この上にツバメの巣があります。雛を見守ってください』などと優しい看板を通勤時に見かけましたが、今は、駅の近代化やハトが侵入しないように防護網を設けて、ツバメの営巣の機会が失われてしまいました。民家も同様に家屋の構造や建築資材の変化で、ツバメの巣を見ることが無くなってしまいました。
そして、ツバメの別名、『玄鳥』(げんちょう)について述べましたが、これにはさらに言い伝えがあります。『玄』は『黒』の意で、ツバメの黒色の姿から言われたとされております。『玄鳥至』と書いて”ツバメ来る“と読みます。これは、七十二候の一つ、『二十四節季』の『清明』での初候、具体的には4月5日から4月9日頃をさすと言われており、その意味は『ツバメが南からやってくる頃』で”農耕を始める時期”であると伝えられています。
さらに、二十四節季の『清明』とは、春分から数えて15日目、春先の清らかな,生き生きとした様子を表した『清浄明潔』という語を訳したとされております。また、『清明』は、初候,次候,未候に分かれていて、それぞれの意味内容は、初候は玄鳥至{ツバメ来る}、4月4日頃で、ツバメが南の国からやってくる頃をさし、次候は,鴻雁北{こうがん帰る}で、4月10日頃,雁が北へ帰ることを指します。さらに未候は虹始見(虹始めて現る)で、4月15日頃をさし、淡い消えやすい春の虹が、次第にくっきりと見えるころとなることを意味していると言われます。このように、ツバメは春を呼ぶ鳥として、幸せをもたらすと伝えられているのです。
以 上
(参考文献);
1)インターネット情報:ウイキペディア、世界の農業民謡・童話
2)ラテンアメリカ時報、1996年4月号『オーレ(Ole! に見るメキシコ人気質=メキシコ闘牛素人解説=)』