連載エッセイ112:渡邉裕司 中南米は危なくない~安全対策Dos & Don’ts - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ112:渡邉裕司  中南米は危なくない~安全対策Dos & Don’ts


連載エッセイ109

中南米は危なくない~安全対策Dos & Don’ts

執筆者:渡邉 裕司(元ジェトロ・サンパウロ所長)

中南米は危なくない・・と言えば疑問を呈する人は多いだろう。もっと正確に言えば鉄則を守り現地事情を正しく怖れれば不可抗力か余程の不運に遭遇しない限り安全にビジネスを行い生活を楽しむことができることを私の実体験から説明したい。

このことは基本的に短期旅行者についても共通して言えることだ。つまり治安は確かに悪いのだが実際には犯罪被害を未然に防ぐ方法はある。これが1970年代~2010年までの通算14年に及ぶ筆者の中南米生活体験から得た結論である。私自身、この原則を守って何度か犯罪現場を目撃はしたが幸い直接、被害を被ったことはない。それは単なる偶然の幸運であったかもしれないが相当部分は自分なりに信じた原則を守ったお陰だろうと思う。

海外で犯罪被害や交通事故に遭うとその精神的物的損失だけでなく、その国を最後まで好きになれない不幸な副作用に見舞われかねない。そうなると生活を楽しむどころか先ずその前に良い仕事ができなくなる。従って安全対策は重要な仕事の一環でもあると心がけるべきである。

犯罪の傾向~アメリカに劣らぬ銃社会

一般にここ半世紀余りで中南米の治安状況は古き良き時代とは様変わりした。戦後、石油危機の来る1970年代初め頃までの中南米は長閑な雰囲気さえ漂う、今から見ると凶悪犯罪の少ない地であった。中南米に限らず当時は地球全体がそうだったかもしれない。南半球最大の都市サンパウロでもセントロで夕食し少し離れた住宅地まで夜間、小一時間ほど歩いて帰宅しても何ともなかった。現在の常識では考えられないことである。今、中南米で仕事する若い世代には信じ難いだろうが本当の話だ。当時の多くの中南米諸国が軍政下にあり治安がしっかり維持されていたこともあるだろう。

しかし1973年第一次石油危機後、経済情勢は徐々に悪化し、インフレ高進、成長鈍化、失業増大、都市人口膨張とスラムの拡大、債務危機、格差拡大が社会問題となって、犯罪は凶悪化し、極左テロや麻薬組織も勢力を増した。1980年にブエノスアイレスに着任するとブラジルでは「トロンバ」という聞いた事のない引ったくりが白昼のビジネス街にも横行しているという。危なくなったものだと思ったが、引ったくりなど可愛い犯罪、隙をついてカバンを盗って逃げる犯行だからこちらの身の危険は先ずない。しかしその後の情勢はご存知、銃器犯罪の急増と相成った。世界人口の8%を占める中南米の殺人件数は世界全体の1/3に達し年間44万人が死亡するという。毎年、かつてのベトナムの米軍戦死者累計の10倍の人が亡くなる計算だ。然しながら身を守る原則をわきまえて行動すれば、徒に怖がる必要はない。私の中南米の生活体験はやや古い。現在の犯罪傾向は相当変化しているかもしれないが、以下に述べる考え方は基本的には今も妥当するところはあると思う。

① 中南米の犯罪も当然だがピンキリである。スリ、空き巣、置き引き、ホテル室内盗難など伝統的犯罪から自動車泥棒、個人を襲う強盗から銀行強盗、殺人、誘拐、スキミング、サイバー犯罪まで広範に及ぶ。地域特有の犯罪もあるので渡航前に日本外務省の「海外安全ホームページ」でチェックすることが大切だ。誘拐には身代金の長期交渉に持ち込むためのものの他、路上で短時間拘束しATMで現金を引き出させるもの(secuestro al paso:行きずりの誘拐、ブラジルではde relampago)や、私の友人でビジネス・トラブルからスラム街奥アジトに拉致軟禁された日本人がいた。これは未払い債権取立てで相手を追い詰めた挙句の被害、ビジネスではマル暴系を後ろ盾に持つ現地人もいるから金銭の絡む交渉事は予め損切りのredline を自分なりに決めておくことが必要だろう。

② もうひとつはアメリカに劣らぬ銃社会であることを肝に銘ずる。護身用銃の自宅所持許可の取得は比較的簡単、携帯許可も国によって手続きに差こそあれ可能である。許可もとらないマニアや市民の非合法武装も一般化し、中古拳銃なら数十ドルで手に入る国もあり未成年者の拳銃強盗も多い。

③ 狙われるのは現金だけではない。日本人が意外に気づかないのが日本旅券の価値、偽造用にヤミ市場で高価で売買されるからその盗難は珍しくない。

④ 最近、日本女性の性的被害が増えている報告がある。飲酒や男性の甘言、服装での女性の気の緩みは危険である。

⑤ 犯罪はクリスマスの近い年末に増える傾向がある。バイクを使用した引ったくりや歩行者の衣服にマヨネーズ、ケチャップをつけて服を脱がせ拭き取る親切さ?を見せて財布を抜き取るスリも昔からある手口。後者は何故か、南のアルゼンチンなどに多く見られる。

⑥ 武力革命を標榜する極左テロ組織は近年、その勢力を失い外国人を誘拐し、多額の身代金を要求する事件は少なくはなっている。かつて1960-70年代に猛威を振るったアルゼンチンのMontoneros(ペロニスタ左派)、ウルグアイのTupamaros、ブラジルALNなどの都市ゲリラ活動は軍政登場の契機にもなったが今は壊滅している。その後、長く政府軍と内戦を戦ったコロンビアの麻薬ゲリラ組織ELNやFARC(現在、合法政党化)、ペルーのSL(ペルー共産党毛沢東派)、MRTA(日本大使公邸事件で壊滅)などの武闘路線は沈静化した一方、メキシコ、中米の麻薬カルテルの活動が目立つ。

危機管理の心構え

「目立たない」「行動を予知されない」「用心を怠らない」は安全三原則と言われるが筆者は自分なりに以下の様な心構えを行動様式の中にセットした。

<日本人は目立つと認識する>

日本人はそのアジア系容貌、言葉、服装、持ち物等によって中南米では明らかに目立つ存在となる。日本から来た日本人はその表情や仕草などで現地生まれの日系人とも容易かつ明確に識別され得るものである。つまり日本人はサンパウロのような世界最大の日系社会でも実は目立つ存在であり、大人しくて警戒心が薄く抵抗しないと見られることもあって犯罪のターゲットになり易い。

<日本人は金持ちに見える、を自覚する>

(本当の金持ちかどうかはさておき)日本を一歩外へ出れば日本人はお金持ちと見られていることを自覚する。戦後急に豊かになった日本人が海外に観光し、外貨を費消する光景が至る所で外国人の目に留まるようになったのが金持ちイメージ定着の原因ではないかと思われる。

<犯罪の標的になりにくい行動を>

目立ち、大人しくかつ金持ちだとすれば金品強奪の標的になり易い。例えば外出時の歩行時は標的になり易い行動とは真逆のそれを心がければリスクはぐんと低下する。急ぎ足で目的意識を持った感じで、真っすぐ前を向き姿勢を正して時折り後ろと左右に目を配る。私はこれを実行して路上犯罪の被害に遭ったことはない。多少面倒だが慣れると苦にならない。多分、私の姿を見た強盗は数多いたはずだが、よりやりにくい輩とみて他の標的を選択したのではないか。うつむき加減にトボトボ歩くのは野生動物の世界と同じで餌食になり易い。

<リスクを避ける>
特に夜間の車の運転は犯罪に遭うリスクが高まるから止むを得ない重要な会合以外はしない方がいい。これだけで危険は半減するとみていい。止むを得ない外出には運転手をつけるか、多少高いがハイヤーを頼む。そうすればとりうる防御態勢の選択肢は増える。

そもそも君子危うきに近寄らずだが、不可抗力もある。友人がゴルフ帰りに給油中、スタンドが強盗に襲われ反撃する従業員との間で銃撃戦となった。とっさに地面に伏して戦い?が終わるのを待って事なきを得たと。私が偶然、見たのは白昼の車強盗、もうひとつは殺人現場。前者は若い男女がピックアップを強奪され、直ぐそばのビル玄関脇に避難して危険が去るのを待っていた。そうとは知らず通りかかったのが私。犯人はまだ幼い白人少年、銃を握ってハンドルに置く左手は震え、右手で必死にギアを入れ逃走を図ろうともがく。不気味に黒光りする自動拳銃は今も脳裏に焼き付いている。早朝のとあるゴルフ場正門前に仰向けに横たわる男の射殺体、警官が近所の人に被害者の顔を覆うためだろう、jornal usado!(古新聞ないか)と声をかける。人気のない前夜、ここで何かの理由で処刑されたのか。腕時計をはめ口髭を蓄えたハンサムな若い男だったから物盗りではない。血が胸からベットリ流れその痕跡は何故か、その後もその場所に1年以上も残ったのは死者の怨念か。

<犯罪発生は場所を問わない>

アメリカへ行くとあそこの道路から先は危ないから行くな、と教えられるという。つまり危険な地区は凡そ決まっていてそこに立ち入らなければ先ず大丈夫だと。しかし中南米は違う。高級ビジネス街も住宅街も他と同じように犯罪は起こる。こんなオフィス街で?と思う様な場所でTV局レポーターが朝からその前夜に起きた車強盗殺人事件現場を取材する風景をよく見た。

<性悪説に立つ>
中南米の人は性格が明るく大らか、一見して犯罪人はいないかのようにも見える。中南米任地は初めてという日本人の中に「こんな良い国に悪人はいるはずがない」と本当に信じ込む人を偶に見る。しかし治安への過信、不注意、無関心は取返しのつかない結果を招来する危険がある。性善説は通用しないことを肝に銘じることだ。その国を好きになることと安全への用心は別で、ここを混同し無用心になるのは日本人が時として陥り易い錯覚である。平和で長閑な地方都市や裏寂れた風光明媚な海岸でも外国人の強盗被害は絶えない。ある日のドミニカ共和国バラオナ海岸・・自然豊かな人気の少ない透き通る様な海。気に入った私達夫婦はここは大丈夫だろうと折りに触れ遊んだ。ある日、現地の男の人が私達を呼びこう言った「私はここで農科大学の教師やってる、心配しないで聞け。先週、ここで欧州の観光客一団が強盗に襲われた。ここは危ないから退散した方がいい」と。そう言えばカイトサーフィンを楽しむドイツ人らしき男女グループが最近、ここに来ていない。知らずにそのまま遊んでいたら我々も襲われたかもしれない。親切な警告に感謝しつつ持参ランチもほどほどにホテルに逃げ帰ったことがある。油断は禁物である。

被害の予防

① 自分は常に犯罪のターゲットであると自覚し、持ち物、服装など華美にならない。人前でカネめの物は見られないようにする。カメラやパソコンを提げ旅行者然として街を散策するなどはもっての他。特に空港到着時には気をつける。

② 市中歩行は犯罪の標的になりにくい態勢をとる。サンパウロで路上強盗を目の前で見た。何気なく3人の男の立ち話の様な光景を前方にみたが傍を通ると二人組の拳銃強盗、弱々しい感じの男から財布を奪う。被害者は立ち去る犯人を追う様な素振りも見せたが、諦めUターン、がっくり肩を落とした。

③ 空港やホテルロビーなど公共スペースでは、自分の持ち物から絶対に目を離してはいけない。目を離すと瞬時にモノがなくなると思うべきである。荷物を両足で挟んだまま空港カウンターで手続きする外国人を見かけるが正しい態勢である。中南米ではどこでも日本人の置き引き被害は後を絶たない。1980年代、私の家内はサンパウロ・コンゴニャス空港到着直後、手荷物を乗客の女にもっていかれそうになった。子連れで瞬時に目を離した隙だった。急いで外へ出る女に「それ私のよ」と叫ぶと女は荷物を床に置き小声で「ジスクルパ」。明らかな置き引きだ。空港の中でも気を許してはいけない。

④ 空港の偽警備員がセキュリティー・チェックをするふりをして日本人旅行者から旅券を盗む被害もある。空港出迎えには誰が来るのか事前に氏名等を確認する。スーツケースのタグから日本人の氏名を読み取り出迎え人のふりをして犯罪を行うケースもある。

⑤ クレジットカードを使用する場合、金額はその場で確認する、余分にプレスされないよう目の前で取扱わせる、店の奥には持っていかれないようにする。カードは信頼のおけるホテル等以外では使用せず現金で払う。不必要にカードは持ち歩かない。

⑥ 貴重品はホテル室内金庫に保管し、余分な現金や旅券は持ち歩かない。旅券はコピーを携帯する。カメラなど貴重品や細かな持ち物はスーツケースに鍵をかけて保管する。ホテル従業員の出入りにも注意する。

⑦ 女中、運転手、警備員などの使用人との関係は大切だ。日本人は人の使い方を知らないから女中は紹介したくない、と現地日系婦人から言われたことがある。人前で叱る、不必要な責任追及、疑うなど対応を誤ると恨みを買うことにもなり注意が必要だ。もし何かが失くなったら「どこに置いたか忘れたから探しといてくれ」という言い方、現金は目につく場所には絶対置かない、などの配慮が要る。ある日本人は女中から「(疑われるのは困るから)私の目に着くところにカネは置くな」と厳しく注意されたという。できるだけ現地の習慣と相場に従い雇用し決して過度な待遇や甘やかしはせず、心のスキを見せないことが大切だ。

命を守る最後の手段

① 強盗に遭った場合、相手の指示に従う。逃げない、抵抗しない、の2点が身を守る2大原則である。相手の顔をみつめず、両手を挙げお金は相手に盗らせる。中南米で被害者が命を失うケースは逃げたか、抵抗(反撃)したか、のいずれかの場合である。

②  強盗に差出すための命ガネを最低数十ドル程度は常時持つ。金額が少な過ぎると危害を加える恐れがある。おカネを差出す時、不用意に手を胸ポケットに入れるなどすると相手は反撃すると間違えて発砲するから身を任すこと。

③  空港到着後に尾行されたと思ったら警察施設か、目的地の建物の駐車場に直行し、尾行をブロックする。空港からの尾行を防ぐ方法もある。到着ロビーから一旦、出国ロビー階にエレベータで上がる。迎えの車も出国ロビー階に事前に回しておき、そこから市中に向かう。犯罪者は到着ロビーで到着客を物色し、、標的を定めるのが普通だからだ。

以  上


占拠事件後閉鎖されたリマ日本大使公邸


ドミニカ共和国バラオナ海岸。ここも危ないと警告を受ける。