執筆者:広橋勝造 医療機器のメンテナンス会社経営 ブラジル在住50年
日本でのカルチャーショックの話題にブラジルでのカルチャーショックも入れて続けよう。ブラジルのカルチャーショックの話を入れるとアグレッシブになって問題視される言論も出てくると思う、その事を無視して、楽し事に集中して読んでもらいたい。
オーナー兼寿司メンで頑張っておられるSさんが久しぶりの故郷の熊本を訪問して戻ってこられた。さぞかし、機嫌が良かろうと思いながら、昼食にのれんをくぐった。「いらっしゃーい」いつもの元気がいい女将さんの声、「いらっしゃい」と板前から大将のSさんが不機嫌な声(俺にはそう感じられる)、俺「どうでした、久しぶりの日本」、女将さんと大将「まぁー、良かったよ」、女将さん「この人、日本に行ってきてから、少し機嫌が悪いのよ」、俺「?どうしてですか」、女将さん「もう、私達を知ってる親戚の人が少なくなって・・」と標準的な50年後の日本でのカルチャーショックを語った。余り話さない大将が今日は少し興奮気味に板前の奥から「今の日本人は日本語を理解できないようで・・・、俺の日本語をバカにするんですよ」、俺「”バカにする“って?何でですか」、大将「食堂で俺が”シロゴハン“を注文すると、”ライス“でしょう?と質問しやがるんだ。俺をバカにしやがって!」、俺「ライスは”白ご飯“で、す、よね」、バカにされた大将の怒りようを観て、俺も少し疑問になってしまった。「それで、如何なりました?」、大将「【いや、丁寧な日本語で”白ご飯“が欲しい】と言ったんだ、すると、また同じ事言いやがって【だから、ライスでしょ、おじいさん!】、と今度は”おじいさん“まで付けやがって、我慢できなくたって「ライスだったらいらない!」と言って食堂を出てきたんだ。その時、お腹が空いてて・・・、それで怒りが頂点に達して、まだ収まらないんだ」、女将さん「ブラジルに帰って存分に”白ご飯“を食べさせてやったけど・・・、まだ怒ってるのよ」、”カルチャー食ック“の恨みは何とやら“・・・。
マトグロッソ州の北端、アマゾナス州との州境にコトリグアスと云う人口一万五千の小さな町がある。俺はその町に十数年前から仕事で頻繁に行く(広橋の想像:密輸か麻薬の運び屋で凄く儲かっている)ようになった。サンパウロから30時間以上かけて行く。日本に行くより時間的には遠い所だ。そこで、日系人が親戚にいて、日本の事に興味を持つ青年と知り(シリ)合いになった。毎日、俺が朝食をとる食堂でアルバイトしている青年である。熱帯地方の食堂としては清潔で美味しい。ある日、その親しくなった青年の腕に日本文字の刺青があるのに気付き、俺「(お前、仲がいい男性がおるのか?そうだったのか・・・)」、青年アラウージョ「(いいえ、そんな事ないですよ。変な事言わないでくださいよ。如何してですか?)」、俺「(その刺青なんだけど・・・)」と意味ありげな顔をして言った。アラウージョ「(ああ、この刺青恰好いいでしょう。これ、日本語なんですよ)」、俺「(知ってるよ。お前、意味わかってるのか?)」、「(あぁ~、俺意味が知りたかったんですよ。教えてください)」、俺「(オ・カ・マって描いてあるんだ)」、アラウージョ「(えぇ~、だから、俺の親戚の日本人は俺を嫌っているんだ)」、俺「(もうその腕を切り落とすしか・・・)」、いっし!残酷なこと言っちまった。俺「(心配するな、お前、沢山の日本人男性に好かれるぞ)」、いっし!これもまずい事言っちまった。アラウージョの顔が私に興味あるのかとニヤッと・・・。俺慌てて「(冗談!冗談!冗談だよ)」、と、本当の意味を伝えた。意地悪冗談も気を付けないと、飛んだ事になりかねない。その後、奴には余り近づかない様にしたが・・・。広橋に想像してもらうと酷い結末になる・・・。冗談で思い出した。家内は冗談が嫌いだ(通じない)、いつも、冗談話から夫婦げんかに発展する。くそ真面目の人には冗談は通じない!
社会法人“日本ラテンアメリカ協会”の常務理事のS氏から“ブラジル日本祭り”に関しての記載情報が送くられてきた。それがきっかけで、“日本祭り”会場で起こった“カルチャー何とか”を思い出しながら書く事にした。何があったかな? “楽しかった” が一番先に頭に浮かんだ、さて・・。
金曜日夜の飲み会連中は大分県の郷土食会場の前あたりで一杯始めているとの情報をキャッチ、“日本祭り”に行った。さっそく、JR筑豊線に乗って大分県に向かった。着くと座るところがない、皆が押し寄せ超満員である。時間帯を選んでまた来ようと決めた。皆と一緒に飲まないと意味がない。とにかくこの連中と飲むと酒が三倍位美味しくなるのだ。不思議な現象だ。酒が飲めないとなると、お茶セレモニーのデモンストレーションコーナーで厳かにお茶をいただく事にした。列に並んで順番を待った。直ぐに俺の番が来た。畳(ござ)がはまった長椅子があった。それに座ると、高さも適して座り心地が良い、着物を着た女性が屏風の奥から盆に乗せたコップ(日本語名詞が出てこない)を丁寧にサービス(日本語の動詞が出てこない)してくれた。俺、丁寧にお辞儀をして「グッと」飲んだ。うん、美味しい。もっと飲みたい。空のコップを取りに来た着物の女性に「もう一杯くれないですか?」、女性、躊躇した顔を一瞬してから「ハイ、お待ちください」、屏風の奥に入って一分位してから前と同じ丁寧さでもう一杯サービスしてくれた。女性「二杯もいただいてもらえるのは初めてです」、俺、褒められたのか、怒られたのか、雰囲気からは両方感じられた。この、両方感じられるのが日本伝統の奥深さなんだな、と自分なりに勝手に解釈した。畳で思い出した。15年近く日本で出稼ぎに行っていた二世が「畳の匂いが懐かしい」と渋い事を言っていた。奴は俺よりも日本人で「ヒロさん、日本人だったらね、そんなことしませんよ」とよく俺に上からの目線で注意していた。奴と知り合ってから確かに俺は行儀が良くなった。服装、靴、シャツ、ズボンと身だしなみがだんだん良くなり、床屋に行く回数も増えた。運転マナーも良くなった。奴に日本から持ち帰った新型日本カルチャーをショックなしで学んでいるところだ。そう云えば交通違反の罰金額も少なくなっている。いい面も出てきた。
さて、“日本祭り”会場を周ろう。おっ!“可愛いねーちゃん”じゃない“美しいねーちゃん”じゃない適した名称が浮かんでこない、うん、“美人”かな?“美女”だ。この名称がピッタリだ。何と10人の美女がズラッと並んだコーナーがあった。その美女達を引き立たせるために数台の車が置いてあった。逆かな?車を引き立たせる為に美女達がいるのか?まぁ、どっちでもいい。俺は美女達にしか目に入らない。今、考えると車の事は殆ど思い出せない。あの自動車メーカー(トヨタだったと思う)の展示は完全に失敗である。ブラジルであんな美女達を展示場におくとどんなに素晴らしい車でも訪問者の興味を引くのは難しい。俺なんかメーカー名も定かではない。平均的ブラジル人男子(俺も)には10人の美女の展示であった。その美女達に囲まれて写真を撮らせていただいた。丁度偶然に出会った飲み友達のFちゃんに数枚撮ってもらった。一生に一度の幸運のチャンスだ。そのコーナーにいた全美女達が俺の周りに集まってくれた。嘘ではない、要望があれば大事にしまっているアルバム集から探し出して公表する。そのコーナーの責任者みたいな男が来ていい気になっている俺を睨んできたのでその場を去った。つかの間の楽園だった。また、ブラッと人混みの流れに入った。弓場農場のコーナーがあった。俺の会社でメンテナンス責任者をやってもらっているT氏が何度か休暇を利用して訪ねて好評価していた農場である。農場でとれた農産物(果樹物)から作ったジャム類がズラッと並べてあった。みんな美味しそうだ。全部の種類を一瓶づつ買った。半年以上パンに塗って消費した。後で(半年後)サンパウロから500㎞以上の弓場農場を訪ねた。この農場には劇場があって年末にバレーや演劇が公演され、多くの観客が集まる。“日本祭り”と“弓場集団文化農場”は日本で受ける強力なカルチャーショックで傷ついた患者を癒し、治してくれる。あっ、あの美女達もだ。
息子が契約した“NET”でNHKワールドを観ている。正直言って”面白くない“。お笑い番組なんか、何が面白のか、タレントが作り笑いをして、勝手に笑いこけているだけ、余りにもバカげているのに笑いが出てしまう。一番カルチャーショックを受けるのはニュース番組である。朝、出勤前に街の様子を知るためにブラジルTVニュースを観る。
【(今年のカーニバル期間中、たったの93人が死亡、内容は交通事故60人、殺人33人、いずれも去年より減少し今年のカーニバル中の死亡者合計が100人を下り、良い年になりそうだ。市内のトランシットはバスが・・橋から転落、多数の死傷者が・・・、その他は正常に・・・)】、大事な交通関係を確認後、同じ時間帯にNHKニュースが放送されているので、NHKに切り替えると【夜七時になりました今日のニュースはご覧の通りです・・・。今入った緊急ニュースです。お伝えします。トラックに乗用車が突っ込み2人の負傷者が出た模様です。もう一度お伝えします。・・・交差点でトラックに乗用車が突っ込み負傷者が2名出た模様です。乗用車に乗っていた31歳の男性と20代と思われる女性は・・・・・・。詳しいニュースが入り次第・・・。先週から、行方不明になっていた・・・さん23歳は、山形の親戚の家にお世話になっているところを、現地の警察によって無事が確認されました】、一人の行方不明に対して一週間全国放送で流しているの対して、ブラジルは93人死亡、それも100人を下回った事で、良いニュースとして、アナウンサーはニコニコしながら放送した。一方NHKニュースのアナウンサーは、もう日本は世界一最悪な国で、終わりだと云わんばかりの悲惨な顔して“2人の負傷者が出た”とニュースを緊急ニュースで放送していた。恐怖に貶められる日本の視聴者は可哀そうだ。これでは、暗い毎日を送らなければならない。ブラジルだったら【今日は何も伝える事がありません。今日も明るく、良い一日をお過ごしください】、で終わる。
俺、日本に行ったら無口になる。それは、ブラジルの事を何言っても嘘になるからだ。
【ブラジルの気候は?】と聞かれると、『今年は寒く雪が降った』と伝えると、日本人は内心【何言ってんだこの野郎、アマゾンで雪が降るわけないだろう。この嘘つき野郎が・・・】、逆に『もう二年も雨が降らずに、暑さが続き砂漠化して・・・』、日本人【アマゾンがひやがるなんて有り得ない。又、嘘言いやがってこの野郎】といくら本当の事を言っても、日本人には嘘になるのだ。超大金持ちもいれば超貧乏人もいる。超悪人もいれば超善人(俺)もいる。ブラジルは広くて多種多様で何でもピンからピンまで存在するのだ。初めて日本に帰った時、ブラジルで大嘘つきになって帰ってきたとレッテルをハラれて困った。それ以来、ブラジルの事は余り話さなくなった。本当の事を言っても嘘になる。そうだ!嘘を言っても本当にもなるかも? これいけるぞ!・・・。
十数年前、日本から安くて良いサッカー選手を探しに来た。それを引率(随行)し、ある街(バーレド・リオ・ドッセ近辺の小さな村)に行った。予め連絡していたので、村を挙げて歓迎してくれた。選手はこの地方で有名になり始めた村の英雄だ。日本から来たオリェイロ(スカウト人)に彼のプレーを見せたいが為に、隣村からも駆り集めて2チームを造り、その努力と皆の協力でデモンストレーション試合が実現した。皆、仕事を投げ出しての協力だ。この地方のラジオ局から生中継のインタビューも来た。30分に及ぶ真剣な試合が行われ、炎天下の試合で汗を出し切って終わった。日本から来たスカウトにインタビューが始まった。アナ【(どう思うか?〇〇選手?)】、スカウト「そうね、期待していたよりも下手だね」、俺の通訳「(そうね、期待以上だ)」、アナ【(これからどうなりますか?)】、スカウト「多分ダメだ。私には時間のロスだった」、俺の通訳「(日本に帰って、他の国の選手候補を加えて慎重に検討するから・・・。ちょっと時間がかかるだろう)」、アナ【(何か他に言う事はないですか?)】、スカウト「別にないなー」、俺の通訳「(皆さんの協力によって、〇〇選手のプレーを観ることが出来幸運でして。村の皆さん、ありがとう!)」、インタビューは無事終わった。しかし50年後の大国になった今の日本の若者(年老いた俺から見て)人格的に社交的にレベルが落ちたもんだ。このクソ野郎!
十数年前、日本から“ブラジルサッカー特集”の取材に2名のM新聞のジャーナリストが来た。一人は記者、もう一人は写真家(屋)だ。少年達の路上サッカー、パルメイラス・サッカーチーム応援団本部のカミーザ・ベルディ、コリンチャス・サッカーチーム応援団本部のガビヨン、等を案内し順調に取材は進んだ。問題が発生した。アマゾンの密林でのインディオのサッカー取材が出来なくなった。FUNAI(インディオの文化を保護管理する国の機関)からの取材許可がなかなか出ないのだ。正式なプロセスで行うと、許可が出るまで1年以上かかる様だ。そこで、アマゾン地域に属するパラ州の俺の医療機器代理店に事情を説明したところ、「(簡単だ)」との返事、言葉通りそれから数日して、一週間後の取材が可能になった。全国紙のM新聞の部数の世界的な大きさが作用した。指定された日に現地に飛んだ。待ち構えていたのは、州政府が手配した4台の車で、前後にレインジャー部隊の兵隊で固めた護衛のジープ、それに守られた二台の空調付きの豪華なキャビン付きの大型ジープであった。それに、協力してくれた現地の代理店の車が加わり、隊列を組んでアマゾンの密林に分け入った。これも事前に手配してあった様で、密林の中に突然サッカー場が現れ、すでに観衆がいた。しばらくすると、密林の奥から“ホィ、ホィ、ホィ、”一定の短いリズムで、インディオが隊列を組んで出てきた。サッカー場の中央に整列すると、反対側の密林から別のインディオのチームが同じリズムで出てきた。ホイッスルが鳴ると、インディオ同士の試合が始まった。うまい演出によって、取材はスムーズに進み、25分程度で前半戦が終わり、後半戦が始まった。沢山のインディオの観衆が集まり、お祭りの様だった。
後半戦も終わり、観衆の子供達がもの珍しく日本人達(俺達三人)を囲んだ。現地の代理店が車からサッカー・ボールや子供達が欲しがる様なお土産を配った。試合観覧中、インディオの半裸の娘さんA子ちゃんに質問した。俺「(あの一番うまい選手の名前は?)」、A子ちゃん「(ゴールの支柱)」、俺「えっ!(その名前本当?)」、A子ちゃん「(本当です)」と真面目な顔、俺達「(じゃー、あの赤いパンツの選手は?)」、A子ちゃん「(水洗便所(器))」、俺達「(えっ、本当?どうしてそんな名前つけたんだ?)」、A子ちゃん「(あのね、水洗便所って素晴らしいのよ。FUNAIが特別にこの部落に設置したんです。綺麗な水がジャンジャン出るんです。この部落の宝物です。だからあの選手の名前にしたのね)」、俺達「(じゃー、あいつは?今ボールを蹴った奴)」、A子ちゃん「(知らない)」、M新聞社の記者「水が飲みたいな、喉が渇いた」、俺の通訳で、気が利くA子ちゃん「(持ってきてあげるわ)」、とサービスしてくれた。新聞記者“ゴクゴク”「あぁー美味しい。のどが渇いていたからなおさらだ。・・・」、俺「(俺も一杯欲しいな)」、気が利くA子ちゃん「(はい、持ってきます)」、しばらくしてA子ちゃんがしょぼんとして帰ってきた。俺「(水どうした?)」、A子ちゃん「(人が座ってて、水が汲めないの。あの酋長が座ると何時も長いのよ)」、俺は我慢して水を飲むのを諦めた。記者にはこの事を伝えなかった。それから、アマパ州に飛んで赤道がサッカー場のセンターラインの球場や、実際にアマゾンの奥に小舟で入って、アサイの実を採る現場を観たり、至れり尽くせりの接待を無料で受けたのだ。日本人達が日本に帰ってしばらくして、サッカー関係シリーズの欄にこの一連の記事が載った新聞が送られてきた。パラ州政府は日本語の新聞をポルトガル語に訳して観てガッカリした。その記事の中にパラ州政府が協力して取材が出来た事に対しての表示が一行も載っていなかったからだ、お礼の言葉もレターも皆無だった。この後、パラ州での俺の商売は完全にストップした。現在もだ。この礼儀に反したクソ行為は現代の日本人の常識なのか、誰か教えて欲しい。
浮気“、余り、この件に関しての研究論文が発表されていない、”余り“ではない、殆どない。それで競争相手がいない事で、日本を代表する何かの権威者になりたい俺は、このチャンスをものにしようと思い、研究論文(この名の方がカッコいい)を発表する事にした。新しい部門の学術学会の初回総裁も狙いたい。それが無理なら”浮気振興協会“の理事長になり、正しい浮気のあり方を世間に広めたい、大志を抱いた。
研究テーマとして
浮気の日本と伯国カルチャーショック:
浮気の定義:
浮気の心理追及と分析:
浮気の効用:
浮気の利点:
浮気の盲点:
浮気の普及:
浮気の注意点:
浮気のこれからの課題:
浮気の法的観点:
浮気の生物学的観点:・・・、この位でいいだろう。
論文を書く目安として列記してみた。論文を書くのは初めてで、医療関係で長年働いてきた事でそれらの文献に現れる言葉を頼りに列記した。俺は残念ながら大学を出ていない。論文を書く機会がなかった。それで、インターネットで検索して、その資料を基にしようと考えたが、この案件に関し俺の持論を汚さない為に、外からの情報を断ち切った。
前文が長くなったが、頭に浮かぶ“浮気の定義”から順に列記していこう。
浮気の定義1:浮気は既婚者だけの特権である。
浮気の定義2:浮気度に限度なし、自由である。
浮気の定義3:浮気は異性に対して成立する。
浮気の定義4:浮気相手の了承があって浮気が成立する。
浮気の定義5:浮気は正妻をしっかり優遇しないと浮気は存在しない。
浮気の定義6:正妻から離婚されたら浮気ではない。
日本とブラジル間に生じる浮気カルチャーショックの研究結果:
ブラジル式の浮気:SEXだ。特徴は浅くシンプル。
日本的浮気: 心だ。特徴は深く複雑。
浮気の効用
精神面では、やる気が出る、優しくなる、競争心が出る、毎日が楽しくなる、仕事に励みがでる、と良い面だけだ。肉体面では、若返る努力をする、身体を磨く、鍛える、身なりを良くする、清潔になる、と、やはり良い面ばかりだ。
浮氣の利点(効用と同じ、プラス)
健康的、正妻を大事にする、幸せな人間が増える、よく働くようになる。経済効果あり。
浮氣の盲点
誰にでも起こる、何時でも起こる。何所でも身近にも起こる。
浮氣の普及
何もしなくても普及する。
浮氣の注意点、危険性
中毒になる。盲目になる。クレージ―になる。
浮氣の法的観点
罰金なしの違法。
浮気の生物学的観点
ネアンデルタール人のDNA遺伝子が影響、神も阻止できなかった。
1971年暮れから1979年初頭にかけて8年間サンパウロ電話局に勤めた。老朽化していたサンパウロ州の電話局を急ピッチで近代化を推し進めた時期であった。そこでブラジルに驚きと共感し、ブラジル人独特のカルチャーに感化されながら過ごした経験を紹介しよう。
サンパウロ州の電話局が次々と新設され、記念すべき電話100万台の大台に達した。サンパウロ州知事のバンデイランテ宮殿で記念式典が開かれる事になった。しかし、急ピッチで進む増設計画であちこちで不具合が起きていた。川向うにあったバンデイランテ宮殿への回線ケーブルの設置工事が難航して大幅に遅れ、電話回線の渋滞が起きていた。そこに政治家同士の百万台設置の記念すべき電話通話が行われることになっていた。いち早く渋滞問題をキャッチした俺の上司の上司(Chefe de Div. Tecnica=日本で云う課長)がブラジル式解決策を打ち出した。当時のサンパウロ市長であるラブセ・トゥーバ氏が地方の市長に電話する記念すべき式典で、回線状況は2回の電話で、1回が接続成功できる確率であった。それを基に課長は5人のオペレーターを用意して、ラブセ・トゥーバ氏に合わせて同時に電話させ、それで地方の市長につながった回線を素早くラブセ・トゥーバ氏の電話器に接続するのである。式典の2,3日前から何かシミュレーションして満足点(?)を得て式典の日を迎えた。俺は主任と一緒にラブセ・トゥーバ氏の電話回線をモニターする役目であった。
悦になったTELESPの広報部長の指導で式典が進み、100万台目の電話器の記念すべき接続の時が来た。お偉いさん達が座った舞台の後ろのカーテン越しに課長が指示を始めた、ラブセ・トゥーバ市長がダイヤルし始めた、それに合わせて一番目の番号、二番目、三番目、四番目、・・・、と5人のオペレーターがダイヤルを回し接続を試みた。市長の電話「ツー、ツー、ツー、ォツーャ・・・」、一瞬緊張が走った、5人のオペレターの中の一人が接続成功の手を上げることになっていたが誰もうつむいたままで手を上げない。俺の主任と課長の顔がこわばった。ラブセ・トゥーバ市長は式典の会場を見回し、息をのんで見守るジャーナリストやラジオ、TV局員、壇上のお偉いさん達を見回し、一息ついて突然「(おー、元気にしとるかい、私は元気にしとるよ。本当に久しぶりだな・・・、今日はめでたい100万台の・・・)」と「ツー、ツー、ツー」を相手に話し始めたのである。2分程度「ツー、ツー、ツー」と話し「・・・ではまた」と電話を切り、周りのお偉いさん達(州知事、郵政大臣、サンパウロ方面軍関係者、Etc‘s・・・)と握手して、電話100万台設置達成を祝った。
何も知らないTELESPの広報部長は得意げな顔で、式典の終了を伝え、式典壇上の後ろのカーテンの裏で青い顔になっていた課長は何とか息(生)きを吹き返し主任に支えられ恐怖政策部長に無事の式典終了を報告した。ラブセ・トゥーバ市長の咄嗟の英断行動で少なくとも10名の電話職員が退職処分から救われた。こうした事を踏まえ、俺は幸せにブラジル人カルチャーに馴染んでいった。俺は日本とブラジルの二つの魂をもらったのだ。断わっておくが良いとこだけをもらった・・・?
電話会社勤め中の話になると沢山の思い出がある。主任から“今日の午後2時に(恐怖)部長室に行かねばならない”事を伝えられた。俺はドキッとした。社内で外人狩りのうわさが流れていたからだ。主に外国人社員の嘘の学歴申告が表面化していた。俺も電気技術専門高校の成績証を公正翻訳師に出して会社に提出していた。その結果、今回の呼び出しだ。主任に同行してもらい部長室に向かった。部長室の中には既に総務、人事、Etc‘sの課長達が会議用の机に座っていた。シーンとして、まるで葬儀の会場みたいな雰囲気であった。俺と主任は指定された大きな会議用机の端っこに座らされた。総務課長が「ヒロハシ、君の学歴について話したい」と予想していた事柄だった。
そのまま総務係長「君が提出した学歴証を観た結果、問題が起こった」、主任「そうか、ヒロハシもか」、総務課長「この証明書に3年間の学校生活の間に3日に及ぶ不登校があったと記されてあるがこれは本当か?」、俺、緊張してポルトガル語がスムーズに出なくなって「私、真面目、学校、通った、3日、学校休んだ、学校許した」こんな感じで一生懸命言い訳した、俺、妻のお腹には二人目の子が宿っていた、ここで職を失う事は出来ない。おれの主張を続けた「学校、船で通った。台風、来た、学校、行けなかった、あります。それで、皆勤賞がもらえ、なかった」、それでも人事課長が首をひねって難色を示した。ブラジルと云う国はなんて厳しい国なんだ。主任に助けを求めたが主任は厳しい顔をして俺から視線を外していた。いよいよ総務課長が最後の裁断を発表した「エウクリィーデス(俺の主任)!、ヒロハシの学歴証の査定結果から、来月から残念ながら給与カテゴリーは16だ」、俺「?」俺の今のカテゴリーは14だ16は格上げではないか、それがどうして残念なんだ? 主任「おっ、お前はカテゴリーを一度に2階級上げて俺と同等になった。ヒロハシおめでとう」とニコニコ顔で言った。会議室に居た全員が俺を騙していたんだ、皆、笑い出した。「信じられない、3年間でたったの3日の休校で、それも台風の影響だったとは・・・」、俺、昇給の嬉しさで涙が出てしまった。後で知った、多くの外国人エンジニア(技師)の半数以上がテクニシャン(技能者)に格下げされたそうだ。俺はテクニシャン(技能者)からテクノ―ロゴ(短大卒の優遇)のクラスに特別昇格された。多分、俺の申告(技能者)に嘘がなかったからだろう。それから俺はブラジル人の温かい処遇に守られてブラジル人化していったのだ。