連載レポート79:桜井悌司「ラテンアメリカ主要国の文化人人名録 国別編 メキシコ」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載レポート79:桜井悌司「ラテンアメリカ主要国の文化人人名録 国別編 メキシコ」


連載レポート80

ラテンアメリカ主要国の著名文化人・スポーツ選手等の人名録(メキシコ編)

執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)

「はじめに」

ラテンアメリカ協会のホームページの「投稿欄」に2021年4月から12月まで、12回にわたって、「ラテン好きのためのリベラルアーツ」というタイトルで連載しました。内容は下記の通りです。

1回目  ラテンアメリカのノーベル賞受賞者
2回目  ラテンアメリカの国花と国鳥
3回目  ラテンアメリカ出身のメジャーリーガーたち
4回目  ラテンアメリカの著名サッカー選手 上中下
5回目  ラテンアメリカの歴代オリンピック・ゴールドメダリスト
6回目  ラテンアメリカの著名建築家
7回目  ラテンアメリカの著名作家たち 上下
8回目  ラテンアメリカの著名ボクサー
9回目  ラテンアメリカの著名画家たち
10回目 ラテンアメリカの著名作曲家たち
11回目 ラテンアメリカの国際空港と人名
12回目 ラテンアメリカ主要国の紙幣と人名

これら一連のレポートは、ラテンアメリカ全域をカバーしていますが、個々の国に関心のある方から見ると使い勝手が悪いかも知れません。そこで今回、上記レポートを基本にして、主要国の著名文化人・スポーツ選手等の人名録を作成することにしました。さらに詳細な情報入手を希望される方は、上記のレポートにアクセス下さい。その最初として、メキシコを取り上げました。内容は、下記の通りです。

  • メキシコのノーベル賞受賞者
  • メキシコの著名作家・詩人
  • メキシコの著名画家
  • メキシコの著名作曲家
  • メキシコの建築家
  • メキシコ出身のメジャー・リーガー
  • メキシコの著名サッカー選手
  • メキシコの著名ボクサー
  • 国際空港に見るメキシコ人
  • 紙幣にみるメキシコ人

1)メキシコのノーベル賞受賞者

ラテンアメリカには16名のノーベルも受賞者がいる。メキシコはアルゼンチンの5名に次いで、第2位で3名が受賞している。文学賞1名、化学賞1名、平和賞1名である。以下紹介する。

*Octavio Paz(オクタビオ・パス) 1990年文学賞受賞

1914年~1998年。メキシコの作家、詩人、批評家、外交官。主要な作品は、メキシコ文化やメキシコ人の行動様式を紹介した「孤独の迷宮」(El Laberinto de la Soledad)、「弓と竪琴」(El Arco y la Lira),「インドの薄明」(Vislumbres de la India)等翻訳も多数あり。受賞理由は、「広い視野を持ち、先鋭的な知性と人文主義的高潔さを特徴とした情熱的な作品に対して」となっている。インド大使、ケンブリッジ大学、ハーバード大学等で教鞭を取った

*Mario Molina (マリオ・モリーナ) 1995年化学賞受賞

1945年~2020年 メキシコの科学者、マサチューセッツ工科大学教授若い時にフロンガスのオゾン層に対する危険性についての論文を書く。フロンガスによるオゾン層破壊の危険性を指摘し、他の2名の科学者とともに受賞。受賞理由は、「オゾン層の分解に関する研究」による。

*Alfonso Carlos Robles(アルフォンソ・カルロス・ローブレス) 
1982年平和賞受賞

1911年~1991年 メキシコの外交官、政治家ラテンアメリカとカリブを非核地域と定めた「トラテロルコ条約」の成立に尽力したことに対して、平和賞が贈られた。この条約には地域のほとんどの国が署名し、1967年に発効した。国連大使、外務大臣を歴任、その後、ジュネーブ軍縮会議メキシコ高級大使を務めた。

2)メキシコの著名小説家・詩人 17名

ラテンアメリカの著名小説家・詩人を選定するにあたり、スペインやラテンアメリカで授与される各種文学賞、内外のラテンアメリカ文学の専門家等の書籍、インターネット等を通じて、メキシコからは下記17名を選定した。

*ソル・フアナ・イネス・デ・ ラ・クルス Sor Juana Inés de la Cruz

1651年~1965年。ヌエバ:エスパーニャの詩人、修道女、スペイン黄金世紀の演劇作家。17歳で修道女になり、サンへロニモ修道会サンタパウラ修道院に入る。以後、詩作に没頭し生涯を終える。代表作は、演劇「家のポーン」Los empeños de una casa、詩「最初の夢」Primer sueño、散文「アレゴリカル・ネプチューン」Neptuno alegórico。また「知への賛歌 修道女フアナの手紙」も訳されている。

*フェルナンデス・デ・リサルディ José Joaquín Fernández de Lizardi 

1776年~1827年。メキシコの作家、ジャーナリスト。ラテンアメリカ最初の小説と言われる「疥癬病みのオウム」 El Peringuillo Sarmientoを発表した。ピカレスク様式を借りながら、植民地時代末期の教育、宗教等のメキシコの後進性を批判した作品。

*グティエレス・ナヘラ  Manuel Gutiérrez Nájera

1859年~1895年。メキシコの詩人、小説家。キューバのホセ・マルティとともに詩の分野の新しい運動であるモデルニスモを始めた。AZUL詩の発行。代表作は、「はかない物語」 Cuentos Frágiles 、ヨブ公爵 LaDuquesa de Job等がある。

*アマ―ド・ネルボ  Amado Nervo

1870年~1919年。 ナヘラの弟子でモデルニスモの詩人。Revista Moderna誌を創刊し、多数の詩作を発表した。代表作は、「動かぬ恋人」 La Amada Inmóvil、 「黒真珠」 Perlas Negras。学生時代に彼の「動かぬ恋人」をテープで聞き、感動したことを覚えている。

*マリアノ・アスエラ  Mariano Azuela

1873年~1952年。メキシコの医者、作家。後の大統領のフランシスコ・マデロに仕えた後、パンチョ・ビジャの軍医としてメキシコ革命に従軍。代表作は、「虐げられた人々」 Los de Abajoで、メキシコ革命の残虐さを悲劇的に描いた。メキシコ国民科学・芸術賞を受賞。

*マルティン・ルイス・グスマン  Martín Luis Guzmán

1887年~1976年。メキシコの作家、ジャーナリスト、政治家、外交官。マリアノ・アスエラなどと共に革命小説の先駆者。代表作は、「鷲と蛇」 El águila y el Serpiente や「領袖の影」la Sombra del Caudilloなどがある。パンチョ・ビジャの革命軍の顧問を務めた。メキシコ国民科学・芸術賞を受賞。

*オクタビオ・パス  Octavio Paz 1990年ノーベル文学賞受賞

1914年~1998年。メキシコの作家、詩人、批評家、外交官。主要な作品は、メキシコ文化やメキシコ人の行動様式を紹介した「孤独の迷宮」(El Laberinto de la Soledad)、「弓と竪琴」(El Arco y la Lira),「インドの薄明」(Vislumbres de la India)等翻訳も多数あり。受賞理由は、「広い視野を持ち、先鋭的な知性と人文主義的高潔さを特徴とした情熱的な作品に対して」となっている。インド大使、ケンブリッジ大学、ハーバード大学等で教鞭を取る。

*フアン・ルルフォ  Juan Nepommuceno Carlos Pérez-Rulfo Vizcaino

1917年~1986年。メキシコの小説家、写真家。20世紀最高の作家を選ぶアルファグアラ社の投票でホルヘ・ルイス・ボルヘスとともに選ばれた。代表作は、「ペドロ・パラモ」Pedro Páramo、「燃える平原」El llano en llamas、「黄金の鶏」El Gallo de Oro。アストゥリアス皇太子賞を受賞。

*フアン・ホセ・アレオラ  Juan José  Arreola

1918年~2001年。 メキシコの作家、大学教授。メキシコ国立自治大学やメキシコ作家センター等で後進の指導にも従事した。代表作は、短編「転轍車」El Guardagujas,「市場」La Feria、「共謀奇談」Confabulario。国民科学芸術賞他の賞を受賞。

*カルロス・フエンテス Carlos Fuentes

1928年~2012年。メキシコの作家、評論家。ラテンアメリカ文学最大のプロモーター。代表作は、「我らが大地 テーラ・ノストラ」 Terra Nostra(ロムロ・ガジェーゴス賞)、「澄み渡る大地」 La Región más Transparente、「アルテミオ・クルスの死」La Muerte de Artemio Cruz、「アウラ」 Aura。1987年セルバンテス賞、アストウリアス皇太子賞、ビブリオテカ・ブレベ賞等受賞。多数の日本語訳書あり。

*エレーナ・ポニアトウスカ  Elena Poniatowska

1930年~。メキシコの作家、活動家、ジャーナリスト。名門の家柄で親族にも有力者が多い、代表作は、「トラテロルコの夜」 La Noche de Tlatelolco で有名なトラテロルコ事件を証言で構成した。その他「レオノーラ」 Leonora。国際的に評価が高く、2013年セルバンテス賞、「汽車は最初に通り過ぎる」El tren pasaprimeroでロムロ・ガジェーゴス賞、ビブリオテカ・ブレベ賞等を受賞。

*セルヒオ・ピトール  Sergio Pitol

1933年~2018年。 メキシコの作家、翻訳家、外交官。長編小説、エッセイ、翻訳、回想録などバラエテイのある著作を発表。代表作は、「愛のパレード」 El Desfile de amor、「逃走の技術」El arte de la fuga。2005年セルバンテス賞、その他国民科学芸術賞等受賞。

*フェルナンド・デル・パソ  Fernando del Paso Morrante

1935年~2018年。メキシコの作家、外交官、画家。 代表作は、「帝国の動向」Las noticias del Imperioでフランスによる第2回目のメキシコ侵略を描いた作品。1982年ロムロ・ガジェーゴス賞、2015年セルバンテス賞を受賞。

*ホセ・エミリオ・パチェコ  José  Emilio Pacheco

1939年~2014年。 メキシコの随筆家、小説家、詩人。代表作は、「メデユーサの血」La Sangre de Medusa)、「砂漠の戦い」 La batalla en el desierto。2作共日本語に翻訳されている。2009年セルバンテス賞を受賞。

*アンヘレス・マストレッタ  Angeles Mastretta

1949年~ 。メキシコの作家、ジャーナリスト。メキシコの社会的、政治的現実を反映させる女性像を描く。代表作は、「私の命を引き出して」 Arráncame la Vidaで暴力と狡猾さで出世する男の話。1997年ロムロ・ガジェーゴス賞を受賞(対象作品は「恋愛の悪》。

*フアン・ビジョ―ロ   Juan Villoro

1956年~ 。メキシコの作家、コラムニスト、随筆家。現在メキシコで最も高く評価されている作家の一人。代表作は、「野生の本」 El Libro Salvaje。「証人」El testigo等。彼の短編のいくつかは翻訳されている。

ホルヘ・ボルピ  Jorge Luis Volpi Escala

1968年~  。メキシコの作家でラテンアメリカ文学ブームの世代からの脱皮を目的としたポスト・ブームの作家。代表作は、「クリングゾールを探して」En busca de Klingsorでこの作品でビブリオテカ・ブレベ賞を受賞。その後、「選ばれし少女たち」Las elegidasでアルファグラ賞を受賞した。

3)メキシコの著名画家

インターネットでメキシコの著名な画家として検索すると、下記の10名が出てきた。

Famous Mexican Artists & Paintersからのリスト

画 家 名 画 家 名
1.Frida Kahlo 6.  Remedios Varo
2.Diego Rivera 7.Rufino Tamayo
3.Leonora Carrington 8. José Guadalupe Posada
4.José Clemente Orozco 9.Gabriel Orozco
5.David Alfaro Siqueiros 10. Dr. TTL

多数のメキシコの画家の中から下記の9名と日系の画家3名を選んだ。(誕生年順)。(以下同じ)

*ホセ・グアダルーペ・ポサーダ José Guadalupe Posada

1852年~1913年。メキシコの画家、イラストレーター。メキシコの死者の 日と関連した骸骨の絵画で有名。代表作は、「骸骨の自転車乗り」Skeltons riding bycycles(名古屋市美術館)、「着飾った夫人」Catrina、「ドン・キホーテ」Don Quijote等。

*ホセ・クレメンテ・オロスコ José Clemente Orozco

1883年~1949年。メキシコの象徴主義の画家。メキシコ革命中に「技能労働者・画家・彫刻家連合」に参加するとともに、ディエゴ・リベラやシケイロスと共に壁画運動を推進した。メキシコ革命の光景も扱った悲劇的な絵画もある。代表作は、ハリスコ州庁舎の壁画「立ち上がる神父イダルゴ」Hidalgoや国立芸術宮殿の壁画「カタルシス」Catarsis等。マンガ的な絵画も多数。

*ディエゴ・リベラ Diego Rivera

1886年~1957年。メキシコの画家、キュービズムの影響を受けた。メキシコ壁画運動のリーダー的存在でメキシコ絵画の代表的アーチスト。メキシコの民族的伝統と社会主義的色彩の中で、メキシコの社会、歴史、庶民生活を描いた。代表作は、ソカロ広場にある大統領宮殿の「メキシコの歴史」Historia de Mexico。1931年には、ニューヨーク近代美術館で回顧展が開催された。フリーダ・カロの夫でもあった。メキシコには、「ディエゴ・リベラ壁画博物館」、「ディエゴ・リベラ・アトリエ美術館」、「ディエゴ・リベラ博物館」の3つの博物館がある。

*ダビー・アルファロ・シケイロス David Alfaro Siqueiros

1896年~1974年。メキシコ社会主義リアリズムの画家。ディエゴ・リベラやホセ・クレメンテ・オロスコたちと共にメキシコ壁画運動を推進した。巨大なフレスコ画で有名。代表作には、メキシコ国立博物館の「ポルフィリオ時代から革命へ」、シケイロス文化ポリフォルムの壁画、メキシコ国立自治大学(UNAM)のキャンパスの壁画。マルクス主義者を公認し、1966年には、「レーニン平和賞」を受賞した。

*ルフィーノ・タマヨ Rufino del Carmen Arellanes Tamayo

1899年~1991年。オロスコ、リベラ、シケイロスの3巨匠に続く、メキシコの代表的な画家。ニューヨークやパリでの活動で印象派やキュービズムの影響を受ける。メキシコの伝統とヨーロッパのフォービズムを混合した作風。代表作は、国立人類学博物館にある「Dualidad」、国立芸術宮殿にある「国民性の誕生」Nacimiento de nuestra nacionalidad等がある。メキシコ・シティには、「タマヨ近代美術館」、生誕地のオアハカには、「ルフィ―ノ・タマヨ・メキシコ・プレヒスパニック造形美術館」がある。名古屋市美術館でも「夜の踊り子」等数点を保有している。内外から多数の美術賞や勲章を受章した。

*フリーダ・カロ Magdalena Carmen Frida Kahlo Calderón

1907年~1954年。世界中で認識されている数少ないラテンアメリカのアーチストの1人。今やラテンアメリカで最も影響力のある画家。父はハンガリー系のユダヤ人。彼女の現実を表現した数多くの自画像を制作した他、メキシコのアイデンティティーや遺産を表現した絵画、植民地主義、ジェンダーやフェミニズム、や人種問題を扱った絵画を制作した。1929年には、画家のディエゴ・リベラと結婚。メキシコ・シティには「フリーダ・カロ美術館」がある。

*レメディオス・バロ Remedios Varo Uranga

1908年~1963年。スペインのジローナ生まれ、メキシコに亡命・移住。シュールレアリズムの画家。同じ境遇のキャリントンと親しかった。代表作は、「菜食主義の吸血鬼たち」Vampiros vegetarianos等々。

*レオノーラ・キャリントン  Leonora Carrington

1917年~2011年。英国生まれでメキシコ、フランスで活躍した画家。マックス・エルンストの影響を受け、シュールレアリズムの絵画の制作や先住民文化の影響を受けた彫刻の制作を行った。代表作は、国立人類学博物館にある「マヤ族の魔術的世界」El mundo magico de los mayas,サンルイス・ポトシーのレオノーラ・キャリントン美術館にある「サギの小舟」La barca de las garzas等。小説家としても活躍した。

*ガブリエル・オロスコ Gabriel Orozco

1962年~  。メキシコのアーチスト、彫刻家。国際的に活躍している現代アーチストの1人。どこにでもある物や何気ない風景の中から魅力を発見し、少し変換したりする作品。オロスコは2009年から2011年にかけ、ニューヨーク近代美術館を皮切りにテート・モダンほか世界の主要美術館で大規模な個展を開催した。日本でも2015年、東京都現代美術館で個展を開催した。日本の若手アーチストにも影響を与えている。

*メキシコで活躍した日本人画家

メキシコの魅せられ、メキシコの先住民、社会などの絵画を描いた日本人画家には、北川民次(1894年~1989年、Tamiji Kitagawa)、岡本太郎(1911年~1996年、Taro Okamoto)利根山光人(1921年~1994年、Kojin Toneyama)等がいる。北川民次は,22年間にわたり、メキシコに滞在し、壁画運動に共感し、先住民の生活等につき、油絵や版画を描いた。また児童美術教育の推進にも貢献した。日本でもニ科会会長を務めた。著書も多数。

「芸術は爆発だ」で有名な岡本太郎も1960年代にメキシコを訪問し、シケイロスなどの壁画運動から大きな影響を受けた。メキシコ滞在中に描いた大壁画「明日の神話」(縦5.5メートル、横30メートル)は、長年行方不明となっていたが、2003年に発見され、日本に持ち帰り、平野暁臣氏のグループで修復後、渋谷駅に設置されている。利根山光人は、メキシコを題材とした情熱的な作品を多数残した。メキシコのマヤ文明をテーマにした油絵やリトグラフで有名である。代表作は、横浜駅西口の中央道路にある「太陽とこどもたち」がある。宮城県北上市には「利根山光人記念美術館」がある。

4)メキシコの著名作曲家  5名

インターネットで調べると、「5 Mexican composers you shold know on Cinco de Mayo」というページがあり、Manuel Ponce, Carlos Chaves, Silvestre Revueltas, Antonio Marquesの4名とここでは触れないGabriela Ortiz(1964年~)が入っている。ここでは、5名を紹介する。

*リカルド・カストロ  Ricardo Castro

1864年~1907年。メキシコの作曲家、コンサート・ピアニスト。ポルフィリオ・デイアス時代のロマンチック音楽の最後の音楽家と言われている。7歳~8歳の時から作曲を始める。1979年、メキシコ国立音楽院で学ぶ。1903年から06年まで、欧州のパリ、ロンドン、ベルリン、ブラッセル、ローマ等に滞在した。帰国後、メキシコ音楽院院長に任命される。代表作は、オペラ作「Atzimba」、「ルーデルの伝説」La Leyenda de Rúdel、他多数のピアノ曲、交響曲等がある。

*マヌエル・ポンセ  Manuel María Ponce

1882年~1948年。メキシコの作曲家、音楽教師、ピアニスト。メキシコ国立音楽院を卒業後、ボローニャとベルリンに留学。帰国後、メキシコ国立音楽院で教鞭を取る。その後、1925年に再度渡欧し,パリ音楽院で作曲を勉強、パリでアンドレス・セゴビアやヴィラ・ロボス等と親交を結ぶ。彼は、ギター曲、ピアノ曲、歌曲、室内楽曲、協奏曲、交響楽等広範囲な曲目を作曲した。代表作は、「Estrellita」、ギター協奏曲「南の協奏曲」Concierto del Sur、「ロマンチックなソナタ」Sonata Romántica、「南国のソナチネ」Sonatina Meridional等。

*シルベストレ・レブエルタス  Silvestre Revueltas

1899年~1940年。メキシコのクラシック音楽の作曲家、指揮者、バイオリニスト。メキシコ国立音楽院、オースチンのセイント・エドワード・カレッジ、シカゴ音楽大学に留学。1929年、カルロス・チャベスに招かれ、指揮者助手を務め、チャベスと共にメキシコ音楽の普及に努める。スペイン内戦で義勇軍側に参加。代表作は、「Sensemaya」(キューバの作家ニコラス・ギジェンの詩から取ったもの)、「ガルシア・ロルカへの賛歌」、映画音楽としては、「Vámonos con Pancho Villa」、「マヤ族の夜」La Noche de los Mayas.その他管弦楽、交響曲等。

*カルロス・チャベス  Carlos Antonio de Padua Chávez y Ramirez

1899年~1978年。メキシコの作曲家、指揮者、音楽教育家。ヴィラ・ロボスと並びラテンアメリカを代表する作曲家。メキシコの民族音楽、ネイテイブ・アメリカンの音楽、スペイン風メキシコ音楽という3つの特徴を持つ音楽を作り上げた。5つのバレエ音楽、6つの交響曲、4つの協奏曲。1つのオペラ、多数のピアノ曲等を作曲した。代表作は、「交響曲第1番アンティゴナ』Sinfonía de Antigona、「交響曲第2番インデイオ」Simfonía India。指揮者としても米国、欧州、ラテンアメリカの著名オーケストラを指揮した。また1937年には、「来るべき音楽」その後「音楽と電気学」の2冊の著書を発表し、新音楽の考察に貢献した。1947年、メキシコ国立音楽院の院長に就任し、メキシコ国立交響楽団の創設、初代音楽監督としても活動した。

*アルトゥーロ・マルケス  Arturo Márquez Navarro 

1950年~  。メキシコの現代音楽の作曲家。ネイティブ・メキシコのスタイルを彼の作曲に融合した。12歳の時にカリフォルニアに移住。その後メキシコ音楽院やカリフォルニア芸術大学で学ぶ。1994年に、「Danzón No.2」を発表。オーケストラで演奏される現代音楽の人気楽曲となっており、グスタボ・ドゥダメル指揮のシモン・ボリバル・ユース・オーケストラのプログラムにも取り入れられている。代表作は、ベラクルス地方の音楽を取り入れた「Danzón No1-No9」。2009年に「メキシコ芸術科学賞」を受賞。

「メキシコの曲目とその作曲家」

日本人のほとんどが知っているメキシコの歌曲の作曲家をリストアップした。

曲目 作曲家 その他・コメント
La Paloma Sebastián de Iradier y Salaverri(1807-1865) スペイン人
La Sandunga Máximo Ramón Ortiz(1816-1855) テワンテペック地峡に伝わる歌
La Llorona 作曲家不明だがAndrés Henestrosaが1941年に歌詞をつけ広めた。 テワンテペック地峡に伝わる歌
Cielito Lindo

 

Quilino Mendoza y Cortés(1862-1957) 誰もが知っているメキシコの代表的な歌
La Bamba 作曲家不明 Richie Valensが流行させた。
Sobre las olas Juventino Rosas(1868-1894) ワルツ。「波濤を越えて」
La Cucaracha Francisco Rodríguez Marín(1862-1957) スペイン人作曲家によるもので、メキシコ革命時に歌われた
La Adelita Antonio del Río Armenta(1892-NA) メキシコ革命の英雄的女性
Bésame mucho Consuelo Verazquez(1916-2005) 他に「カチート」も作曲
Solamente una vez Agustín Lara(1897-1970) 有名な「グラナダ」も作曲
Historia de un amor Carlos Eleta Almaran(1918-2013)

 

パナマ人の作曲家。日本語では「ある恋の物語」
El rey Jose Alfredo Jiménez(1926-1973) メキシコのシンガーソングライター、ランチェラス
Cucurrucucu Paloma Tomas Mendes(1927-1995)

 

ベラクルスに伝わる民族舞踊局
La Golondrina Narciso Serradell Sevilla(1843-1910) 誰もが知っているメキシコの民謡。「燕」
La Estrellita Manuel Ponce(1882-1994) メキシコで良く歌われる歌曲。「小さな星」
La Bikina Rubén Fuentes(1926- ) マリアッチ
Cuando vuelva a tu lado María Grever(1885-1951) 「あなたのそばに戻る時」米国でダイナ・ワシントンが歌って大流行した
Frenesí Alberto Domínguez(1906-1975) マリンバの曲からジャズのスタンダードになった
Quién será Pablo Beltrán Ruíz(1915-2008) マンボ。米国で大ヒット
La Malagueña Pedro Galindo Galarza(1906-1989) Malagueña salerosaとも
Adoro, Esta tarde vi llover Armando Manzanero(1935- ) 「アドーロ」 メキシコの世界的歌手・作曲家。カラオケ定番

 

5)メキシコの著名建築家

建築家については、建築家のノーベル賞と呼ばれるブリツカー賞やアメリカ建築家協会賞の受賞者と世界的に有名な建築家の3名を選定した。

ルイス・バラガン」Luis Ramiro Barragan Molfin 

1902年~1986年。メキシコ、ハリスコ州グアダラハラ市の地主階級に生まれる。グアダラハラ自由大学土木工学科で水力工学を専攻。白を基調とする簡素で幾何学的なモダニズム建築が建築の基本であるが、メキシコ独自の色彩、たとえばピンク・黄色・紫・赤・黄などのカラフルな色彩で壁を一面に塗るなどの要素を取り入れている。ル・コルビジェなどの影響を受け、国際主義的なモダニズムと地方主義との調和を図っている。また庭園や屋内に水を張った空間を取り入れたり、建物に溶岩やメキシコ独特の植物からなる庭園を作ったことでも知られる。

代表作は、

・ペドレガル庭園分譲地(1945年~54年)メキシコ・シティ ぺドレガル庭園

・ルイス・バラガン邸(1947年~48年)メキシコ・シティ タクバヤ地区

・トゥラルパンの礼拝堂(1952年~60年)メキシコ・シティ トゥラルパン地区

・サテライト・タワー(1957年~58年)メキシコ・シティ シウダー・サテリテ,ナウカルパン地区等

などが挙げられる。彼の自宅は、2004年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。

*リカルド・レコレッタ」Ricardo Regorreta Vilchis 

1931年~2011年。メキシコ国立自治大学(UNAM)卒業。2000年ゴールドメダルを受賞の他、日本の高松宮殿下記念世界文化賞(建築部門)を2011年に受賞。彼は個人の住宅、公共建築、都市のマスタープラン等を手掛けている。
主要な作品は、下記の通り。

・ホテル・カミーノレアル(1966年、メキシコ・シティ、その他の都市の同ホ テルも多数設計している。

・メキシコ日産クエルナバカ工場(1967年、その他コダック、クライスラー、ルノーの工場)

・サンアントニオ公共図書館(1995年、博物館も多数設計している。モンテレイ近代美術館、サンノゼのイノベーション技術博物館等)

・モンテレイ工科大学サンタフェ・キャンパス(2001年、大学建築も多数関わっており、カーネギーメロン

・大学カタール、カイロ・アメリカン大学のキャンパス・センター等)、ハノーバー万博(2000年)のメキシコ館の設計等。

*ペドロ・ラミ―レス・バスケス」 Pedro Ramirez Vazquez

1919年~2013年。メキシコ国立自治大学(UNAM)建築学部卒業(1943年)。作家・詩人である。カルロス・ペリサー(Carlos Pellicer)の説得により、建築を学んだ。ラテンアメリカの近代建築、プレコロンビアの文化の影響を受けた。農村地域で学校を建設するシステムを開発し、メキシコと海外に数千の学校を建設した。誰もが知っている建築には、国立人類学博物館(1964年)、アステカ・スタジアム(1966年)、プエブラのクアウテモック・スタジアム、トラテテロルコの塔(1965年)、グアダルーペ寺院の新バシリカ(1976年)、スイスのローザンヌのIOC本部ビル(1986年)とIOC博物館(1988年)、テンプロ・マヨール博物館(1987年)等が挙げられる。

日本関係では、レフォルマ通りにある日本大使館(1975年)とぺドレガルにある日墨学院(1976年)を弟子のマヌエル・ローセンとともに設計した。国際博覧会関係では、1958年のブラッセル万博、その後のシアトル、ニューヨーク国際博覧会、1992年セビリャ万博のメキシコ館の設計を行った。

1968年メキシコ・オリンピック及び1970年FIFAワールドカップ・メキシコ大会の組織委員長、ロペス・ポルテイーリョ大統領時代のインフラ・人間居住大臣を歴任している。ロサンゼルス・タイムズは死亡記事で、「ラミレス・バスケスは、コロンビア前の美学とヨーロッパのモダニズム感覚を融合させた驚くべきオリジナル・デザインで知られていた。」「94歳で死亡、建築家はメキシコ・シティの顔を変えた」と評論している。

「メキシコの主要建築とその設計者」

加えて、メキシコの有名な建築の設計者を下記にリストアップした。

*Chapel of Pocito in Guadalupe 18世紀後半 Francisco Guerrero y Torres

Metropolitan Cathedral(メキシコ・シティ)16世紀に建設開始、 Claudio de Arciniega

*Santa Anna Theatre、1844年、Plaza de Toros、1850年代、Lorenzo de la Hidalga

すべてメキシコ・シティ

Palace of Fine Arts 、1904年~34年(メキシコ・シティ) Adamo Boari.

*National Insurance Building 、1928年、Manuel Ortiz Monasterio

*Institute of Hygiene、1925年(ポポトラ)、José Villagrán García

*Centro Urbano Alemán、1947年~49年(メキシコ・シティ)Mario Pani.

National Autonomous University of Mexico、1950年建設開始(メキシコ・シティ)、 Enrique del Moral, Pani, and Carlos Lazo.

*New Olympic Stadium、1952年(メキシコ・シティ)、Augusto Pérez Palacios, Jorge Bravo, and Raúl Salinas.

*The Rectory、1952年(メキシコ・シティ)、 Pani, del Moral, and Salvador Ortega Flores

*University Library、1952年(メキシコ・シティ) Juan O’Gorman, Gustavo Saavedra, and Juan Martínez de Velasco

*Anthropology Museum 、1963年~65年(メキシコ・シティ)  Pedro Ramírez Vázquez.

*The School of Theatre 、1994年(メキシコ・シティ)TEN Arquitectos

*The School of Dance、1994年(メキシコ・シティ)、Luis Vicente Flores,

*San Juan de Letrán Station、1994年(メキシコ・シティ)Alberto Kalach、 Daniel Alvarez Alberto Kalach、 Daniel Alvarez

*Tlalpan Chapel、1952年~55年(メキシコシテイ)、luis Barragan

6)メキシコ出身の著名メジャー・リーガー」

メキシコもドミニカ共和国、ベネズエラ、キューバ、プエルトリコほどではなが、ベースボールは人気のあるスポーツである。ここでは、メジャーリーグで活躍した4名の選手を紹介する。

*アウレリオ・ロドリゲス(Aulerio González

1947年~1983年。エンゼルス、タイガース、ヤンキース等に所属。サード。ゴールドグラブ賞(1976年)。メキシコの野球殿堂入り。

*フェルナンド・バレンスエラ(Fernando Valenzuela)

1960年生まれ。ドジャース、エンゼルス、パドレス等に所属。1981年にはサイヤング賞、三振奪取王(180)を獲得。最多勝利1回(1986年21勝)。オールスター戦出場6回。2006年にはWBCメキシコ代表監督。

*エステバン・ロアイサ(Esteban Loaiza)

1971年生まれ。レンジャーズ、パイレーツ、ブルージェイズ等に所属。投手。最多三振奪取王(2003年、207)。オールスター戦出場2回。

*エイドリアン・ゴンサレス(Adorian González)

1982年メキシコ生まれ。両親メキシコ人、レンジャーズ、パドレス、ドジャース等所属。ファースト。打点王(2014年)、最多安打(2011年、213)、ゴールドグラブ賞4回。オールスター戦5回出場。過去4回のWBCメキシコ代表。

7)メキシコの著名サッカー選手

メキシコもサッカーが盛んである。ブラジルやアルゼンチンほどのサッカー超大国ではないが、サッカー大国であることは間違いない。世界最大級のスタジアムである87,000人収容のアステカ・スタジアムもあるし、1986年にはワールドカップ・メキシコ大会を実現させた。メキシコは、過去にワールドカップには、全21回中16回出場している。2012年のロンドンオリンピックでは堂々金メダルに輝いた。以下5名を紹介する。

*アントニオ・カルバハル(Antonio Felix Carbajal Rodriguez)

1929年生まれ。GK。愛称は「La Tota」。レアル・クラブ・エスパーニャ(メキシコ)→クラブ・レオン(メキシコ)に所属。メキシコ代表1950年~66年、国際試合48戦0得点。FIFAワールドカップの50年ブラジル大会から66年イングランド大会まで連続5回出場の記録を作った。5回出場者は、前述のメキシコのラファエル・マルケスとドイツのローター・マテウス、イタリアのGKのブッフォンのみ。

*ウーゴ・サンチェス(Hugo Sanchez Marquez)

1958年生まれ、1998年引退。FW。愛称は「マニート」。 UNAM→プーマス(メキシコ)→アトレティコ・デ・マドリ―→レアル・マドリ―クラブ・アメリカ(メキシコ)→ラジョ・バジェカーノ(スペイン)等に所属。メキシコ代表1977年~1991年、国際試合58戦29得点。ワールドカップには3回出場、1980年代後半からのレアル・マドリ―はブトラゲーニョやミチェルなどのスター選手を抱えたチームであったが、その中にあって中心選手であった。スペイン・リーグでの得点数は234ゴール、5度の得点王。リーグ最優秀外国人選手賞2回(87年、90年)、メキシコ史上最高のストライカー。ゴール後の前方宙返りで有名。サンテイアゴ・ベルナベゥ・スタジアムで見る機会があった。

*ホルヘ・カンポス(Jorge Campos Navarrete)

1966年生まれ。GK。UNAM→アトランテ(メキシコ)→ロサンゼルス・ギャラクシーアトランテ→プエブラ(メキシコ)等に所属。メキシコ代表1991年~2004年、国際試合130戦0得点。3回のワールドカップに出場。165センチとか168センチと言う話もあり、小さな巨人という愛称を持つ。

*ルイス・エルナンデス(Luis Arturo Hernandez Carreon)

1968年生まれ、2006年引退。FW。愛称は「El Matador」。 クルス・アスル→モンテレイ→ボカ・ジュニアーズ→ロサンゼルス・ギャラクシークラブ・アメリカ等に所属。メキシコ代表1995年~2002年、国際試合85戦35得点。ワールドカップには2回出場、98年フランス大会では4得点。1997年コパ・アメリカ得点王。

*ラファエル・マルケス(Rafael Marquez Alvarez)

1979年生まれ。DF。MF。愛称「アステカの皇帝」。アトラス(メキシコ)→モナコ→FCバルセロナニューヨーク・レッドブルズ→クラブ・レオンとうに所属。メキシコ代表1997年~2018年、国際試合147戦19得点。FIFAワールドカップには5回出場、2002年と2010年はキャップテン。

8)メキシコの著名ボクサー

メキシコは、世界のボクシング界で名ボクサーを輩出させた国として有名である。筆者のメキシコ駐在時代には、カルロス・サラテとアルフォンソ・サモーラの両チャンピオンの戦いには手に汗を握ったものだ。ボクシングは大変人気のあるスポーツで、米国でも大活躍している。下記7名を紹介する。

*ビセンテ・サルディバル(Vicente Saldiívar)

1943年~1985年 40戦、37勝(うちKO26回)、負け3回。1964年、キューバのシュガー・ラモスに判定勝ちでWBA/WBCフェザー級王者になり、7回防衛。日本の関光徳とは2回闘い、判定勝ち、TKOで勝利している。柴田国明とは、12回終了棄権により、WBCフェザー級タイトルを失った。「メキシコの赤い鷹」という異名を持っている。世界ボクシングの殿堂入り。

*ルーベン・オリバ―レス(Ruben Olivares)

1947年~    104戦88勝〈内77KO〉,負け13回、引き分け3回。1969年、WBA/WBC世界バンタム級王者。2度防衛するがその後は王者陥落、再度獲得を繰り返す。その後、WBAとWBC世界フェザー級王者となり、2階級制覇王者となる。1971年には愛知県で金沢和良と防衛線を行い、「世紀の死闘」の末、KOで勝利した。1974年には、WBA世界フェザー級王者決定戦で、歌川善介を7回KOで勝利し、2階級制覇を成し遂げた。世界ボクシングの殿堂入り。

*カルロス・サラテ(Carlos Zárate

1951年~     70戦66勝(うちKO63回)、負け4回デビュー戦から23戦全KO勝ち、引き分けをはさみ、39銭まで全KO勝ち。

1976年WBC世界バンタム級王者、9度防衛。76年には、当時メキシコで人気を2分していたWBA世界バンタム級王者のアルフォンソ・サモーラ(当時29戦29勝29KO, 世界ボクシングの殿堂入り)とノンタイトル戦で闘いKO勝ちした。当時、メキシコ駐在であった私は、テレビで手に汗を握りながら観戦した。1978年にはWBCスーパーバンタム級王者のウイルフレド・ゴメスと戦ったが、5RKO負けを喫し、2階級制覇を果たせなかった。世界ボクシングの殿堂入り。

*ルペ・ピントール (Lupe Pintor)

1955年~   72戦66勝〈内KO42回〉、負け4回、引き分け2回1979年に、メキシコのカルロス・サラテに15R判定で勝利し、WBAバンタム級王者になり、8回防衛。1982年、プエルトリコのウイルフレド・ゴメスに14RTKOで敗れる。世界ボクシングの殿堂入り。

*ホセ・クエバス(José Cuevas

1957年~   50戦35勝〈内KO31回〉、負け15回1976年、アンヘル・エスパダにKO勝、WBA世界ウエルター級王者。初防衛戦は、日本の辻本章次でKO勝ち、その後11回防衛。通称PEPINO(胡瓜)、米コックのトーマス・ハーンズにKO負けで王座を失う。世界ボクシングの殿堂入り。

*フリオ・セサル・チャベス(Julio César Chávez)

1962年~  116戦108勝(うちKO87回、負け6、引き分け2回。

本WBCスーパーフェザー級王者(9度防衛)、元WBA・WBC世界ライト級王者、元WBCスーパーライト級王者〈12回防衛〉。ボクシング界のシーザー(El César del Boxeo)と呼ばれた。パナマのロベルト・ドゥラン、ニカラグアのアレックス・アルゲーリョと並びラテンアメリカのボクサー界のスーパースター。米国のオスカル・デ・ラ・ホーヤには2回、KO, TKOで敗戦している。世界ボクシングの殿堂入り。

*サウール・アルバレス(Saul Alvarez)

1990年~   57戦54勝うちKO54回)、負け1、引き分け2.

現在最も注目されている現役ボクサーの1人。ニックネームはカネロ(しなもん) 現WBA/WBCスーパーミドル級王者、4階級制覇王者。元WBA・WBC・WBO世界スーパーウエルター級王者、IBF世界ミドル級王者、WBO世界ライトヘビー級王者。最も注目された試合は、2015年のミゲール・コット(プエルトリコ)と対戦し、12回判定勝ちでWBC世界ミドル級王者となった試合である。また2017年、18年には、世界最強と言われたカザフスタンのゲンナジー・ゴロウフキンと2回闘い、引き分け、判定勝ちを納め、WBAスーパーライト級王者、WBC世界ライト級王者となった。彼の試合は、ペイ・パー・ビューで放映されるが、視聴者が100万件を超える試合が4試合もあった。Forbes Japan誌の2021年9月号によると、サウールは、2019年には9,200万ドル稼いだと報じられている。

9)国際空港名に見るメキシコ人

インターネットで調べてみると、メキシコには、108の空港があり、内国内空港は48、国際空港は60と他のラテンアメリカの国々に比較し、圧倒的に国際空港が多く、さすがの観光立国メキシコである。全空港の内、人名のつく空港は36で3分の1を占める。ここでは、7名を紹介する。

空港所在都市 空港名、人名
Mexico City Aeropuerto Internacional de la Ciudad de México Benito Juárez
Cancún Aeropuerto Internacional de Cancún Benito Juárez
Guadalajara Aeropuerto Internacional de Guadalajara Don Miguel Hidalgo y Costilla
Monterrey Aeropuerto Internacional de “General Mariano Escobedo”
Tijuana Aeropuerto Internacional de Tijuana”General Abelardo L.Rodríguez”
Puerto Vallarta Aeropuerto Internacional de “Licenciado Gustavo Díaz Ordaz”
Mérida Aeropuerto Internacional de “Manuel Crescencio Rejón de Mérida”

*ベニート・フアレス  Benito Juárez

1806年~1872年。メキシコ・シティの国際空港名になっている。先住民族から選ばれた最初の大統領。保守派と自由主義はとの間で戦ったレフォルマ戦争における自由主義者の指導者。大統領在任中にフランスからの介入を受けるが、徹底抗戦を貫き、共和制を復活させる。メキシコで最も尊敬されている人物の一人。彼の誕生日の3月21日は、祝日となっている。メキシコ・シティの人類学博物館の入り口に彼の有名な言葉「El respeto al derecho ajeno es la paz」(他人の権利を尊重することが平和につながる)が掲げられている。

*ミゲール・イダルゴ・イ・コスティージャ  Miguel Hidalgo y Costilla

1753年~1811年。グアダラハラ国際空港名になっている。メキシコ独立の父。聖ニコラス校で学び、1778年同校で教鞭を取る。ヨーロッパの啓蒙思想に影響を受ける。1808年、ナポレオン軍のスペイン侵攻でスペインが弱体化する時期に、イグナシオ・アジェンデなどと共に独立の蜂起を決行する。1810年9月16日の深夜に有名な「ドロ―レスの叫び」をあげ独立戦争が始まる。イダルゴはスペイン軍に捕まり処刑される。今でも独立記念日には、ソカロ広場の大統領宮殿で大統領自ら「ドロ―レスの叫び」を復唱することになっている。在外の大使館でも同様。

*へネラル・マリアノ・エスコべド  General Mariano Escobedo

1826年~1902年。メキシコの軍人。生まれ故郷のヌエボ・レオン州の州都であるモンテレイの国際空港は彼の名前を取っている。1862年5月5日のプエブラの戦いで頭角を現し、騎兵隊大佐、後に将軍となる。陸軍を創設し、フランスの干渉軍を破る。1867年には、皇帝マキシミリアーノをケレタロで捕らえる。ベニート・フアレス政権下で北部方面の最高司令官、後にヌエボ・レオン州等の州知事を務める。各地の市町や通りの名前に彼の名前が使用されている。

*へネラル・アベラルド・ロドリゲス  General Abelardo L.Rodríguez

1889年~1967年。メキシコ北部の米国と接するティフアーナ国際空港は彼の名前を取っている。メキシコの軍人、政治家、企業家。メキシコ革命で立憲派の軍に所属。1932年から34年までメキシコの大統領代理を務める。Palacio de Bellas Artesは彼によって竣工した。その他カリフォルニア・ノルテ州やソノ―ラ州の知事を歴任した。

*グスターボ・ディアス・オルダス  Licenciado Gustavo Díaz Ordaz

1911年~1970年。観光地ハリスコ州のプエルト・バジャルタ国際空港は彼の名前を取っている。1943年から46年まで下院議員、1946年から52年まで上院議員を務める。前任のロペス・マテオス大統領に次いで大統領に就任。1968年にはメキシコ・オリンピックが開催されたが、当時学生運動が盛んで、有名な「トラテロルコの虐殺」と呼ばれる学生鎮圧の時の大統領で内務大臣は、デイアス・オルダスに次いで大統領になるルイス・エチェベリアであった。一方、ラテンアメリカでの核兵器の製造、保有、使用を禁ずる「トラテロルコ条約」は彼の治世に締結された。

*マヌエル・クレセンシオ・レホン  Manuel Crescencio Rejón

1799年~1846年。ユカタン半島のメリダ国際空港は彼の名前を取っている。メキシコの政治家、大臣。ユカタン半島に生まれ、メリダで教育を受ける。1822年に国会議員となり、イトゥルビデ政権に反対し、自由主義、連邦主義、共和主義を擁護した。そのため何度も投獄された経験がある。1824年憲法の起草者の一人、1840年には、個人の権利の保証や人身保護令状を含む憲法案を起草した。

10)紙幣にみるメキシコ人

メキシコは下記表のように6種類の紙幣を発行しているが、独立の英雄がミゲール・イダルゴとホセ・マリア・モレロスの2人、改革(レフォルマ)の英雄ベニート・フアレス、アステカ帝国の創始者のネサワルコヨトル、植民地時代の詩人のフアナ・イネス・デ・ラ・クルスとメキシコを代表する画家ディエゴ・リベラという文化人が2人となっている。うまくバランスがとれている。下記にそれぞれの簡単な紹介をつける。

金額 人名
20ペソ Benito Juárez
50ペソ José María Morelos
100ペソ Nezahualcoyotl ネサワルコヨトル
200ペソ Sor Juana Inés de la Cruz
500ペソ Diego Rivera
1000ペソ Miguel Hidalgo y Costilla

 

*ベニート・フアレス  Benito Juárez

1806年~1872年。メキシコ・シティの国際空港名になっている。先住民族から選ばれた最初の大統領。保守派と自由主義はとの間で戦ったレフォルマ戦争における自由主義者の指導者。大統領在任中にフランスからの介入を受けるが、徹底抗戦を貫き、共和制を復活させる。メキシコで最も尊敬されている人物の一人。3月21日は、祝日となっている。メキシコ・シティの人類学博物館の入り口に彼の有名な言葉「El respeto al derecho ajeno es la paz」(他人の権利を尊重することが平和につながる)が掲げられている。

*ホセ・マリア・モレロス José María Morelos

1765年~1815年。カトリックの神父。メキシコ独立革命戦争の英雄。ミゲール・イダルゴと共に独立戦争に参加。1811年にイダルゴが処刑された後は、主導権を握り、戦争を遂行したが、1815年にスペイン軍に捕まり処刑される。紙幣に名を連ねるほか、モレロス州、生まれ故郷のミチョアカン州バジャドリー市は、モレロスの名前を取り、モレリアと改名された。メキシコ・シティの地下鉄駅名にもなっている。

*ネサワルコヨトル Nezahualcoyotl

1402年~1472年。ナウアトル語で「断食するコヨーテ」という意味。テスココ王の息子として生まれ王位継承者。メキシコ盆地の支配者であったアスカポツアルコを排除し,テノティティトゥラン、トラコパンとともにアステカ帝国を築いた。100ペソ紙幣の他に、1993年、ネサワルコヨトル賞が創設され、先住民の言語で書かれた優れた文学作品に与えられている。

ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルス Sor Juana Inés de la Cruz

1648年~1695年。ヌエバ:エスパーニャの詩人、修道女、スペイン黄金世紀の演劇作家。17歳で修道女になり、サンへロニモ修道会サンタパウラ修道院に入る。以後、詩作に没頭し生涯を終える。代表作は、演劇「家のポーン」Los empeños de una casa、詩「最初の夢」Primer sueño、散文「アレゴリカル・ネプチューン」Neptuno alegórico。また「知への賛歌 修道女フアナの手紙」も訳されている。

*ディエゴ・リベラ Diego Rivera

1886年~1957年。メキシコの画家、キュービズムの影響を受けた。メキシコ壁画運動のリーダー的存在でメキシコ絵画の代表的アーチスト。メキシコの民族的伝統と社会主義的色彩の中で、メキシコの社会、歴史、庶民生活を描いた。代表作は、ソカロ広場にある大統領宮殿の「メキシコの歴史」Historia de Mexico。1931年には、ニューヨーク近代美術館で回顧展が開催された。フリーダ・カロの夫でもあった。メキシコには、「ディエゴ・リベラ壁画博物館」、「ディエゴ・リベラ・アトリエ美術館」、「ディエゴ・リベラ博物館」の3つの博物館がある。

*ミゲール・イダルゴ・イ・コスティージャ  Miguel Hidalgo y Costilla

1753年~1811年。グアダラハラ国際空港名になっている。メキシコ独立の父。聖ニコラス校で学び、1978年同校で教鞭を取る。ヨーロッパの啓蒙思想に影響を受ける。1808年、ナポレオン軍のスペイン侵攻でスペインが弱体化する時期に、イグナシオ・アジェンデなどと一緒に独立の蜂起を決行する。1710年9月16日の深夜に有名な「ドロ―レスの叫び」をあげ独立戦争が始まる。イダルゴはスペイン軍に捕まり処刑される。今でも独立記念日には、ソカロ広場の大統領宮殿で大統領自ら「ドロ―レスの叫び」を復唱することになっている。在外の大使館でも同様なセレモニーが行われる。

以      上