連載レポート86:桜井悌司「ラテンアメリカ主要国の文化人人名録 国別編 チリ」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載レポート86:桜井悌司「ラテンアメリカ主要国の文化人人名録 国別編 チリ」


連載レポート87

ラテンアメリカ主要国の著名文化人・スポーツ選手等の人名録(チリ編)

執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)

「はじめに」

ラテンアメリカ協会のホームページの「投稿欄」に2021年4月から12月まで、12回にわたって、「ラテン好きのためのリベラルアーツ」というタイトルで連載しました。内容は下記の通りです。

1回目  ラテンアメリカのノーベル賞受賞者
2回目  ラテンアメリカの国花と国鳥
3回目  ラテンアメリカ出身のメジャーリーガーたち
4回目  ラテンアメリカの著名サッカー選手 上中下
5回目  ラテンアメリカの歴代オリンピック・ゴールドメダリスト
6回目  ラテンアメリカの著名建築家
7回目  ラテンアメリカの著名作家たち 上下
8回目  ラテンアメリカの著名ボクサー
9回目  ラテンアメリカの著名画家たち
10回目 ラテンアメリカの著名作曲家たち
11回目 ラテンアメリカの国際空港と人名
12回目 ラテンアメリカ主要国の紙幣と人名

これら一連のレポートは、ラテンアメリカ全域をカバーしていますが、個々の国に関心のある方から見ると使い勝手が悪いかも知れません。そこで今回、上記レポートを基本にして、主要国の著名文化人・スポーツ選手等の人名録を作成することにしました。さらに詳細な情報入手を希望される方は、上記のレポートにアクセス下さい。今回はチリを取り上げました。内容は、下記の通りです。

1)チリのノーベル賞受賞者
2)チリの著名作家・詩人
3)チリの著名画家
4)チリの著名建築家
5)チリの著名サッカー選手
6)国際空港に見るチリ人
7)紙幣にみるチリ人

1)チリのノーベル賞受賞者

ラテンアメリカ・カリブ諸国には、17名のノーベル賞受賞者がいるが、チリは2名で、いずれも詩人で文学賞受賞者である。一人は、ガブリエラ・ミストラルでもう一人はパブロ・ネルーダである。

*Gabriela Mistral(ガブリエラ・ミストラル)  1945年文学賞受賞

1889年~1957年。チリの詩人、政治家、外交官。唯一の女性文学賞受賞者。主要な作品は、「死のソネット」(Sonetos da la Muerte)、 「絶望」(Desolación)、「優しさ」(Ternura)等。受賞理由は、「その力強い動機に触発された抒情詩によって彼女の名が全ラテンアメリカの理想主義的な願望の象徴と化したこと」とある。「ラテンアメリカの母」という敬称を受けた。荒井正道氏や田村さと子氏の著作もある。

*Pablo Neruda(パブロ・ネルーダ) 1971年文学賞受賞 

1904年~1973年。チリの詩人、外交官、政治家。主要な作品は、「20の愛の詩と1つの絶望の歌」(Veinte poemas de amor y una canción desesperada)、「マチュピチュの高み」(Alturas de Machu Pichu)、「100の愛のソネット」(Cien sonetos de amor)、「詩集」(Canto General)等。受賞の理由は「一国の大陸の運命と多くの人々の夢と生気を与える源となった力強い詩的作品」。ガルシア・マルケスは「どの言語の中でも20世紀最大の詩人」と称賛している。イタリア映画「Il Postino」でも有名。

2)チリの著名な小説家・詩人

チリは著名な小説家・詩人を多数輩出している。ここでは14名を紹介する。

*アロンソ・デ・エルシージャ Alonso de Ercilla y Zúniga

1533年~1594年。スペインの軍人、詩人。代表作は、「ラ・アラウカーナ」La Araucana。スペイン軍によるチリ征服のためのアラウコ戦争について歌った壮大な叙事詩。 エルシージャはスペイン人なので、この作家紹介には入れるべきでないかも知れないが、彼の作品がチリの国民性形成に与えた影響を考慮した。アラウカ族のリーダーであったカウポリカン、ラウタロやコロコロの名前はチリで頻繁に聞かれることでも理解できよう。コロコロは最も人気のあるプロサッカーチームの名称ともなっている。

*アルベルト・ブレスト・ガナ Alberto Blest Gana

1830年~1920年。チリの小説家、外交官。チリの小説の父、またイベロアメリカのリアリスト小説のパイオニアと言われている。主要な作品は、「恋の数学」 La aritmética de amor、「マルティン・リ―バス」Martín Rivas。「カラベㇻの理想」El Ideal de un calavera。 チリの学校の読解の教材として良く使用されている。

*ガブリエラ・ミストラル Gabriela Mistral 1945年ノーベル文学賞受賞

1889年~1957年。チリの詩人、政治家、外交官。唯一の女性文学賞受賞者。主要な作品は、「死のソネット」(Sonetos da la Muerte)、 「絶望」(Desolación)、「優しさ」(Ternura)等。受賞理由は、「その力強い動機に触発された抒情詩によって彼女の名が全ラテンアメリカの理想主義的な願望の象徴と化したこと」とある。「ラテンアメリカの母」という敬称を受けた。荒井正道氏や田村さと子氏の著作もある。

*ビセンテ・デ・ウイドプロ   Vicente García Huidobro Fernández

1893年~1948年。チリの詩人。パリでCreaciónという芸術誌を創刊し、creacismoを創始した。代表作は、アルタソル Altazor。ガブリエラ・ミストラルやパブロ・ネルーダと共にチリの傑出した詩人と言われている。2013年ビセンテ・ウイドプロ博物館がオープンした。

*マヌエル・ロハス  Manuel Rojas

1896年~1973年。チリの作家、詩人、ジャーナリスト。代表的な作品は、「シーザーたちの町」La Ciudad de los Césares、「泥棒の息子」 Hijo de ladrón。1957年国民文学賞受賞。新聞・雑誌への寄稿も多い。

*パブロ・ネルーダ  Pablo Neruda 1971年ノーベル文学賞受賞 

1904年~1973年。チリの詩人、外交官、政治家。主要な作品は、「20の愛の詩と1つの絶望の歌」(Veinte poemas de amor y una canción desesperada)、「マチュピチュの高み」(Alturas de Machu Pichu)、「100の愛のソネット」(Cien sonetos de amor)、「詩集」(Canto General)等。受賞の理由は「一国の大陸の運命と多くの人々の夢と生気を与える源となった力強い詩的作品」。ガルシア・マルケスは「どの言語の中でも20世紀最大の詩人」と称賛している。イタリア映画「Il Postino」でも有名。

*二カノール・パラ Nicanor Segundo Parra Sandóval

1914年~2019年。チリの詩人、物理学者、数学者。代表作は、「サロンの詩」やVersosde salón「厚い作品」Obra gruesa。2011年セルバンテス賞受賞。ノーベル賞候補にもなった他、多数の国際的な詩の賞を受賞した。

*ゴンサロ・ロハス Gonzalo Rojas 

1916年~2011年。チリの詩人、作家、エッセイスト。 ゴンサロ・ロハス詩集(アンソロジー)Antrogía poéticaとして翻訳されている。「すべては傷」と唄うチリの詩人。2003年セルバンテス賞を受賞した他、国民文学賞、ソフィア女王イベロアメリカ詩賞も受賞。

*ホセ・ドノーソ José Donoso

1924年~1996年。チリの小説家、ジャーナリスト、教師。ラテンアメリカ文学ブームの立役者の一人。代表作は、「夜のみだらな鳥」El obscene pájaro de la noche、 「隣の庭」 ElJardín de al lado、「戴冠式」Coronación(映画化された)等。スペインから帰国後、文学教室を開き、後進の育成に努めた。チリ国民文学賞等を受賞。

*ホルヘ・エドワーズ Jorge Edwards Valdés

1931年~ 。チリの作家、文芸評論家、外交官、ジャーナリスト。代表作は、在キューバ大使時代の経験を描いた「ペルソナ・ノングラタ」Persona non grata や「家族の無用物」El Inútilde la familia等。1999年セルバンテス賞を受賞。その他チリ国民文学賞等も受賞。

*アントニオ・スカルメタ Antonio Skálmeta

1940年~ 。チリの作家。代表作は、「郵便配達人」Il postino (El cartero de Neruda)、「ビクトリアのダンス」 el baile de la victoria等。彼の作品は世界の25カ国語に訳されている。チリ国民文学賞他世界の多くの文学賞を受賞している。

*イサベル・アジェンデ Isabel Allende Llona

1942年~ 。チリの小説家。 バスク系のチリ人。父がサルバドール・アジェンデのいとこ。現在のチリ文学を代表する人気作家。代表作は、映画化された「精霊たちの家」La Casa delos espíritus、「パウラ、水泡なすはかない命」Paula、 「日本人の恋びと」、El Amante japonés。彼女の作品の多くは日本語に翻訳されている。チリ国民文学賞他世界の多くの文学賞を受賞している。

*ルイス・セプルべダ Luis Sepúlveda

1949年~2020年。 チリの小説家、ジャーナリスト。チリの軍事クーデターで逮捕され、投獄される。代表作は、「ラブストーリーを読む老人」Un Viejo que leía novelas de amorでフランスのベストセラー作品となった。他に「カモメに飛ぶことを教えた猫」Historia de unagaviota y del gato que le enseñó a volar。チリ及び外国で文学賞を受賞している。

*ロベルト・ボラーニョ Roberto Bolaño Ávalos

1953年~2003年。チリの小説家、詩人。チリの軍事クーデターで拘留される。代表作は、「野生の探偵たち」Los detectives salvajesでロムロ・ガジェーゴス賞、「2666」で全米批評家協会賞を受賞。その他「通話」Llamadas telefónicas等。近年、日本でも人気を集めている。

3)チリの著名画家< チリの著名画家をインターネットで検索し、下記のリストを見つけた。2名を紹介する。 Most famous painters from Chile https://rankly.com/list/most-famous-painters-from-chile

画家名 画家名
1.Olga Lehmann 2.Fernando Krahn
3.Roberto Matta 4.Delia del Carril
5.Mario D’Alba 6.Pedro Santa María
7.Beto Cuevas 8.Juan Francisco González
9.Sebastián Silva  

*ロベルト・マッタ  Roberto Antonio Sebastián Matta Echaurren

1911年~2002年。チリで最も知名度の高い画家。バスク系。抽象表現者やシュールレアリストとして有名。1933年にパリへ行き、マルグリット、ダリ、コルビジェらと交友を深め、シュールレアリズムのメンバーとなる。その後米国に移り活動、アメリカの抽象絵画に大きな影響を与えた。1992年には、アストウリアス皇太子賞、1995年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。1957年にはMOMAで回顧展を開催した。群馬県立近代美術館にも作品がある。

*リリー・ガラフリック  Lily Garafulic Yacovic

1914年~2012年。クロアチア系のチリの彫刻家、画家で40年世代のアーチスト。ビジュアル・アーチストで、主として彫刻部門で数多くの国内賞を受賞。代表作は、サンティアゴのビジュアル・アート美術館にある「Signo」。チリの国立美術館のディレクターを務めた。

4)チリの著名建築家

チリには、建築のノーベル賞と言われるブリツカー賞受賞者のアレハンドロ・アラべナがいる。

*アレハンドロ・アラべナ」Alejandro Gaston Aravena Mori

1967年、チリのサンティアゴで生まれる。チリ・カトリック大学卒業。2016年、プリツカー賞を受賞。2016年、ベネツイアのビエンナーレの建築部門のキューレーターを務める。ハーヴァード大学のグラジュエイト・スクール・オブ・デザインで客員教授を務めた後、現在、カトリック大学教授。社会的な関心を持つ営利企業 ELEMENTAL S. A. の執行役員に2006年に就任している。1999年に執筆した「建築の事実」他建築に関わる著書もある。主要な作品は下記の通り。

「シャムの塔 “Siamese Towers” 」(カトリカ大学の学部棟)
「 Hunt, Le Mans and Johnson residential halls 」(テキサス州オースティンの聖エドワード大学内)等がある。

アラべナは日本ではほとんど知られていないが、ソーシャル・ハウジング(低所得者住宅)に深くコミットしている建築家である。彼は、建築を社会問題の解決策を見つける方法として見ていて、すべての人に低価格で質の高い家を提供する手段だと考えている。アラべナの指揮するELEMENTAL社は、約40㎡の中に、基本的な衛生空間と寝室2部屋を備えた基本的な家をデザインし、入居した家族は、そのスペースを基礎として使い、「段階的に」家の残りの部分を追加していくというコンセプトである。このようにして、チリのイキケ市の「キンタ・モンロイの集合住宅」(2004年)であり、「モンテレイの集合住宅」(2010年、メキシコ、モンテレイ市)、「ビジャ・ベルデの集合住宅」(2013年、チリ、コンスティトゥシオン市)である。2015年、ヴェネツィア・ビエンナーレの建築部門ディレクター、2016年、ヴェネツィアで開催された第15回国際建築展のキュレーション責任者を務めた。

「チリの著名建築と設計者」

・Casa de Moneda、1780年~99年(サンテイアゴ)、Joaquín Toesca y Ricci
・Municipal Theatre、1853年~57年(サンテイアゴ)、François Brunet de Baines;
・ECLAC Building of United Nations、1966年、Christian de Groote
・Pizarras Ibéricas Building、1997年(サンテイアゴ)、Mathias Klotz
・Manantiales Building、1997年~99年8(サンテイアゴ)、 Luis Izquierdo, Antonia
Lehman, Raimundo Lira, José Domingo Peñafiel

5)チリの著名サッカー選手

チリはサッカーの盛んな国である。FIFAワールドカップには、9回出場している。最近のコパ・アメリカでは2015年と2016年に優勝している。ここでは7名を紹介する。

*レオネル・サンチェス(Leonel Guillermo Sanchez Lineros)

1936年生まれ、1974年引退。 FW。 ウニベルシダー・デ・チレ→コロコロ→CDパレスティーノ→CDフェロビアリオ等所属。チリ代表1955年~69年、国際試合54戦23得点。ウニベルシダー・デ・チレで監督も務めた。ほとんど全てのサッカー人生をチリで過ごした。1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会で、ガリンシャ等6名と得点4点で並び、ゴールデンブーツ賞を受賞。1959年から69年にかけて、ウニベルシダーの6回リーグ優勝に貢献した。

*エリオス・フィゲロア(Elias Ricardo Figueroa Brandar)

1946年生まれ。DF。 愛称「Mariscal」(陸軍元帥)。サンテイアゴ・ワンダラーズ→ペニャロール(ウルグアイ)→インテルナシオナル〈ブラジル〉→CDパレスティーノ(チリ)→コロコロ等所属。史上屈指のセンターバックと言われている。チリ代表1966年~82年、国際試合47戦2得点。南米最優秀デイフェンダー6回(72年~77年)、FIFA最優秀選手賞、1976年。南米年間最優秀選手賞、3回。その他ウルグアイの最優秀選手賞2回、ブラジルのボーラ・ジ・オゥロ賞2回受賞。ラテンアメリカのサッカー界に影響を与えた人物の第5位にランクされている。

*カルロス・カセリー(Carlos Humberto Caszely Garrido)

1950年生まれ、1987年引退。FW。愛称は「Rey de metro cuadrado」(平方メートルの王様)。 コロコロ→RCDエスパニョール→コロコロ→FCバルセロナ等所属。チリ代表1969年~85年、国際試合48戦29得点。ワールドカップに2度出場(72年ドイツ、82年スペイン)。1973年、リベルタドーレス杯の得点王、1979年のコパ・アメリカの最優秀選手。80年代のチリ駐在中にカセリーの引退試合を家族とともに見学した。

*イバン・サモラーノ(Ivan Luis Zamorano Zamora)

1967年生まれ、2004年引退。FW。 愛称は「ヘリコプター」、「雷帝」。コブレサル(チリ)→FCサンクトカレン(スイス)→セビージャ→レアル・マドリード→インテル→コロコロ等所属。チリ代表1987年~2001年、国際試合69戦34得点。2000年オリンピックでチリは第3位、得点王を獲得。1994年、スペイン最優秀外国人選手賞。ヘディングに強い。 ミラノ駐在中には、インテル所属で何度も見ることができた。

*サルセロ・サラス(Juan Marcelo Salas Melinao)

1974年生まれ、2009年引退。FW。 愛称「El Matador」(正闘牛士)。ウニベルシダー・デ・チレ→リーベル・プレート→ラツィオ→ユーヴェントゥス→ウニベルシダー・デ・チレ等所属。チリ代表1994年~2008年、国際試合70戦37得点、チリ第2位。1997年南米最優秀選手賞、アルゼンチン年間最優秀選手賞。 1998年FIFAワールドカップでブロンズブーツ。アラウカノ族にルーツを持つ。90年代後半のミラノ駐在中にラツィオの選手として何回か見た。

*アルトウーロ・ビダル(Arturo Erasmo Vidal Pardo)

1987年生まれ。MF、DF。 コロコロ→バイエルン・レバークーゼン→ユーヴェントゥス→バルセロナ→インテル等。チリ代表2007年~ 、国際試合115試合28得点。2010年、2014年のFIFAワールドカップに出場。2015年、16年のコパ・アメリカの連続優勝に貢献、2015年、18年、19年のベスト11に選出される。

*アレクシス・サンチェス(Alexis Alejandro Sanchez Sanchez)

1988年生まれ。FW。 ウディネーゼ(イタリア)→バルセロナ→アーセナル→マンチェスター・ユナイテッド→インテル等所属。チリ代表2006年~ 、国際試合132戦43得点。代表でのゴール数、2019年時点で43点(マルセロ・サラスを抜き、チリでナンバー1)。2016年コパ・アメリカ、最優秀選手。2017年FIFAコンフェデレーション・カップ、シルバー・メダル受賞。

6)国際空港に見るチリ人

チリは南北4000キロ以上あり細長い国である。インターネットで調べると346の空港があり、内国際空港は7、国内空港は339となっている。人名が名付けられている空港数は29である。チリはラテンアメリカの中最多数の空港を有する国である。ここでは下記4空港を選んだ。

チリで人名のついた空港 4空港

空港所在都市 空港名、人名
Santiago Aeropuerto Internacional Comodoro Arturo Benítez
Iquique Aeropuerto Internacional Diego Aracena
Antofagasta Aeropuerto Internacional Andres Sabella Gálvez
Punta Arenas Aeropuerto Internacional Presidente Ibáñez

*コモドーロ・アルトゥーロ・メリーノ・ベニーテス Comodoro Arturo Merino Benítez

1888年~1970年。サンテイアゴ国際空港は彼の名前に因んでいる。チリの軍人で、チリの空軍の創設者で最初の総司令官(Comandante en Jefe)、空軍大将。チリの航空業界に多大なる貢献をした。チリの航空会社であったチリ航空(LAN)の設立者。サルバドール・アジェンデの支持者でもあった。

*ディエゴ・アラセナ   Diego Aracena Aguilar

1891年~1972年。イキケ国際空港は彼の名前に因んでいる。1911年チリ軍学校を卒業、空軍軍学校に配属。1891年から1939年1月までチリ空軍の総司令官を務める。英国、ブラジル、ペルー、イタリア、フランスから勲章を授与されている。イキケ空港は、チリのロス・コンドレス空軍基地と滑走路を共有しており、チリの第一空軍部隊が置かれている。

*アンドレス・サベッラ   Andrés Sabella Gálvez

1912年~1989年。アントファガスタ国際空港は彼の名前に因んでいる。アントファガスタ生まれ、パレスティナ・イタリア系の詩人、著作家、ジャーナリスト、画家。チリ文学の1938年世代に属する。著作は多数。2006年、チリのノルテ・カトリック大学は彼の栄誉を称え、Andrés Sabella国内文学コンクールを主催している。アントファガスタには、Casa dela Cultura Andrés Sabellaという博物館がある。

*プレシデンテ・カルロス・イバニェス   Presidente Carlos Ibáñez del Campo

1877年~1960年。チリの最南端のプンタ・アレーナス国際空港は、彼の名前に因んでいる。チリの軍人、政治家。チリの陸軍には1898年から1924年まで務めた。内務大臣の後、1927年から1931年まで、1952年から1958年までの2期にわたって大統領職を務める。孤立したアイセン州やマガリャネス州をチリに組み入れた功績を称え、空港名に付けられた。

7)紙幣にみるチリ人

チリの紙幣には、下記の5名の顔写真が使用されている。チリ建国者のバルディビア、ペルーとの太平洋戦争の英雄のプラットとカレラ・ピントの2人、独立の英雄のロドリゲスと詩人のミストラルと偉大な知識人のベージョの2人である。バランスのとれた配分である。

金額 人名
500ペソ Pedro de Valdivia
1000ペソ Ignacio Carrera Pinto
新2000ペソ Manuel Rodríguez
5000ペソ Gabriela Mistral
10000ペソ Arturo Prat
20000ペソ Andrés Bello

*ペドロ・デ・バルディビア   Pedro de Valdivia

1500年~1554年。スペイン王国の探検家、コンキスタドール。ピサーロの腹心で、1540年チリに遠征し、1541年2月にサンタルシァの丘の近くにサンテイアゴ市を建設した。その後、さらに南部まで遠征し、ビオビオ川のあたりまで征服した。その後、チリ総督に任ぜられたが、アラウカ族の酋長のラウタロとの戦闘に敗れ処刑された。サンテイアゴの中心のアルマス広場には巨大な彼の銅像がある。

*イグナシオ・カレーラ・ピント Ignacio Carrera Pinto

1848年~1882年。チリの軍人。チリの太平洋戦争のヒーロー、具体的には、「コンセプシオンの戦いのヒーロ―と呼ばれている。400名のペルー軍に、街が攻撃されたが、彼と77名の「チャカブコ第4師団」のチリ兵士が勇敢に戦い最後は戦死する。

*マヌエル・ロドリゲス     Manuel Rodríguez Erdoisa

1785年~1818年。チリの弁護士、ゲリラのリーダー。チリの独立運動の主人公の一人。ホセ・ミゲール・カレラとともに独立運動に立ち上がる。サン・マルテイン軍に合流し戦うが、ベルナルド・オ・ヒギンスとは対立し、最後は暗殺される。後にピノチェット独裁時代に都市ゲリラが活動したが、その名称は、FPMR(マヌエル・ロドリゲス愛国戦線)と呼ばれた。チリで人気のある人物で、映画化、オペラ化されたり、ビクトル・ハラの歌にも取り上げられている。チリには、彼の名前のついた通りが28あると言われている。

*ガブリエラ・ミストラル    Gabriela Mistral

1889年~1957年。チリの詩人、政治家、外交官。唯一の女性文学賞受賞者。主要な作品は、「死のソネット」(Sonetos da la Muerte)、 「絶望」(Desolación)、「優しさ」(Ternura)等。受賞理由は、「その力強い動機に触発された抒情詩によって彼女の名が全ラテンアメリカの理想主義的な願望の象徴と化したこと」とある。「ラテンアメリカの母」という敬称を受けた。荒井正道氏や田村さと子氏の著作もある。チリには、彼女の名前をとった通りが127ある。

*アルトゥーロ・プラット    Arturo Prat

1848年~1879年。チリの法律家、海軍士官。ペルーとの太平洋戦争のイキケの海戦で勇敢に指揮し、戦死した国民的英雄。スペインとの戦い、太平洋戦争で活躍。コルヴェット艦エスメラルダ号、スクーナー船コバドンガ艦の指揮者。彼の名前をとった通りの数は144あり、チリで最も多い。アルトゥーロ・プラット海軍学校、イキケにはアルトゥーロ・プラット大学がある。世界遺産バルパライソの中央広場には巨大なアルトゥーロ・プラットの偉業を称える巨大なモニュメントがある。

*アンドレス・ベジョ      Andrés Bello

1781年カラカス生まれ~1865年チリ、サンテイアゴで死亡。ベネズエラ・チリの哲学者、詩人、翻訳家、エッセイスト、言語学者、政治家、外交官、ヒューマニスト。イベロアメリカで最も重要なヒューマニストの一人。短期間、シモン・ボリバルの教師を務め、独立運動に参加。独立軍の外交官として、ロンドンに約20年間滞在。その後チリに渡り、チリ民法の推進者、1842年設立されたチリ大学の初代学長を20年間務めた。法律と人文科学の分野で多大なる功績をあげた。ベネズエラ、チリ、エルサルバドルにアンドレス・ベジョの名前を冠した大学がある。ベネズエラでも一時期、紙幣の顔として使われた。チリでは、彼の誕生日である11月29日は、「書物の日」に指定されている。

以   上