執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)
ラテンアメリカ協会のホームページの「投稿欄」に2021年4月から12月まで、12回にわたって、「ラテン好きのためのリベラルアーツ」というタイトルで連載しました。内容は下記の通りです。
1回目 ラテンアメリカのノーベル賞受賞者
2回目 ラテンアメリカの国花と国鳥
3回目 ラテンアメリカ出身のメジャーリーガーたち
4回目 ラテンアメリカの著名サッカー選手 上中下
5回目 ラテンアメリカの歴代オリンピック・ゴールドメダリスト
6回目 ラテンアメリカの著名建築家
7回目 ラテンアメリカの著名作家たち 上下
8回目 ラテンアメリカの著名ボクサー
9回目 ラテンアメリカの著名画家たち
10回目 ラテンアメリカの著名作曲家たち
11回目 ラテンアメリカの国際空港と人名
12回目 ラテンアメリカ主要国の紙幣と人名
これら一連のレポートは、ラテンアメリカ全域をカバーしていますが、個々の国に関心のある方から見ると使い勝手が悪いかも知れません。そこで今回、上記レポートを基本にして、主要国の著名文化人・スポーツ選手等の人名録を作成することにしました。さらに詳細な情報入手を希望される方は、上記のレポートにアクセス下さい。今回は、1000万人を超える人口を持つ南米のエクアドル(1751万人)とボリビア(1151万人)とカリブ海のドミニカ共和国(1073万人)を取り上げました。内容は、下記の通りです。
1) エクアドルとボリビアの著名作家・詩人
ここでは、ボリビアの著名作家3名とエクアドルの著名作家3名を選んだ。
「ボリビア」 3名
*エドムンド・パス・ソルダン Edmundo Paz Soldán
1967年~ 。 ボリビアの作家、バルガス・ジョサによれば、ラテンアメリカの新しい作家の中で最も創造性にあふれた作家であり、従来の魔術的リアリズムに変わるラテンアメリカ文学運動であるMcOndoの典型的な例である。代表作は、「チューリングの妄想」El Delirio de Turing でボリビア国民文学賞を受賞。近未来的なテクノスリラー小説。
*アルシーデス・アルゲダス Alcides Arguedas Díaz
1979年~1946年。 ボリビアのもっとも著名な作家、政治家、歴史家。彼の作品は、ボリビアのナショナル・アイデンテイテイに関連し、混血及び先住民の課題を扱っている。代表作は、「青銅の種族」Raza de Bronceや「ワタ・ワラ」Wata Wara。インデイヘ二スモ文学の先駆け的存在。
*ペドロ・シモセ・カワムラ Pedro Shimose Kawamura
1940年~ 。ボリビアの国民的詩人、ジャーナリスト、作詞家。日系人。シモセの詩はボリビア国民にナショナル・アイデンテイテイを植え付け、かつ人々を社会的抑圧から解放したと言われる。代表作は、「ボクは書きたいのに出てくるのは泡ばかり」Quiero escribir, pero me sale espuma。ボリビア国民文化賞ほかの賞も受賞、多くの言語に翻訳されている。
「エクアドル」 3名
*ホセ・デ・ラ・クアドラ José de la Cuadra
1903年~1941年。社会的リアリスト作家で、彼の短編はエクアドル文学で最も重要と考えられている。代表作は、「サングリマ一家」Los sangrimasで、闘争と伝説に満ちたサングリマ一家のストーリー。
*ホルヘ・イカサ Jorge Icaza Coronel
1906年~1978年。エクアドルのインデイヘ二スモの流れをくむ小説家。代表作は、「ウアシプンゴ」Huasipungoでエクアドルの白人支配層から搾取される先住民の姿を描いた小説で、日本語訳もある。ウアシプンゴとはケチュア語で、地主が労働と引き換えにインデイオに分与する小作地を意味する。
*ホルヘ・カレラ・アンドラ―デ Jorge Carrera Andrade
1902年~1978年。エクアドルの詩人、外交官、歴史家。重要国の大使を務め、後に外務大臣に就任。日本にも駐在。彼は詩作を通じてエクアドルの歴史を語ると言われている。代表作は。「海と陸の時報」Los boletines de mar y tierra、「霧の訪問者」El visitante de niebla。
2)エクアドルとドミニカ共和国の著名画家
それぞれ1名ずつ紹介する。
「エクアドル」
*オスワルド・グアヤサミン Oswaldo Guayasamín
1919年~1997年。エクアドルのケチュアとメスティーソの画家、彫刻家、建築家。ラテンアメリカ人のキュービズム的スタイルの描写、特に彼が現実に見た激しい抑圧、貧困、政治闘争を取り上げた。代表作は、「死んだ子供」(Losniños muertos)、建築「人間のチャペル」(La Capella del hombre)・サンパウロ・ビエンナーレ、パリのルクセンブルグ宮殿、ブエノスアイレス等での展示も行った。
「ドミニカ共和国」
*トニー・カペジャン Tony Capellán
1955年~2017年。ドミニカ共和国で最も卓越した80年世代に属する万能のアーチストで、プラスチックアート、絵画、造形、彫刻に秀でていた。サントドミンゴ自治大学やニューヨークのアート・ストゥ―デンツ・リーグで学んだ。彼の作品は自国のみならず、米国、ブラジル、ペルー、メキシコ、スペイン、フランス、オランダ等で展示されている。
3)ボリビアの著名作曲家
*マティルデ・カサソーラ Matilde Casazola
1943年~ 。ボリビアの詩人、作曲家、歌手。彼女は詩と音楽をつなぎ合わせ、ボリビアの音楽の伝統に根差した音楽を作曲した。31歳の時にアルゼンチンやチリで、その後フランスやスペイン等で歌曲を演奏した。Canciones del Corazón para la vida(人生のための心の歌)等の全集を発表した。ボリビアを代表する国民的歌手のLuis Rico、Emma Junaro、Jenny Cardenasも歌った2016年には国家文化賞を受賞、2017年には、マヨール・サンアンドレ大学の名誉博士号を受賞した
4)ドミニカ共和国出身のメジャーリーガー
*フアン・マリシャル(Juan Marichal)
1937年生まれ。ジャイアンツ、レッドソックス、ドジャースに所属、投手。最多勝利賞2回(1963年・25勝、1968年・26勝)、最優秀防御率1回、通算勝利数247勝、ノーヒットノーラン1回、オールスター戦出場9回(MVP1965年)、殿堂入り。
*シーザー・セデーニョ(Caésar Cedeño)
1951年生まれ。アストロズ、レッズ、ドジャース等に所属、内野手。 ゴールド・グラブ賞受賞5回(1972年~76年)、通算盗塁数550、オールスター戦出場4回。
*アントニオ・ペーニャ(Antonio Peña)
1957年生まれ。パイレーツ、カージナルス、レッドソックス、インデイアンズ等に所属、捕手。ゴールドグラブ賞5回、オールスター戦出場5回。WBC監督として2回、ドミニカ共和国代表を指揮(2013年、2017年)
*フーリオ・フランコ(Julio Franco)
1958年生まれ。インディアンズ、レンジャーズ、ブレーブス等に所属。首位打者1回(1991年、)通算安打数2586本、オールスター戦出場3回〈内1990年MVP〉。千葉ロッテマリーンズにも所属したことがある。
*ト二―・フェルナンデス(Tony Fernández)
1962年~2000年。ブルージェイズ、パドレス等に所属、ショート。ゴールドグラブ4回受賞(1986~89)、オールスター戦5回出場。2000年には西武ライオンズに所属。
*サミー・ソーサ(Sammy Soza)
1968年生まれ。ホワイトソックス、カブス、レンジャーズ等に所属、外野手、指名打者。本塁打王2回(2000年、2002年)、打点王2回、シーズンMVP1回、ロベルト・クレメンテ賞1回、通算本塁打数609本。オールスター戦出場7回。
*ラウル・モンデシー(Raúl Móndesi)
1971年生まれ。ドジャース、ブルージェイズ、ヤンキース等に所属、外野手。新人王(1994年)、ゴールドグラブ賞2回、オールスター戦1回。200本塁打200盗塁。1997には30本塁打30盗塁を達成。
*ペドロ・マルテイネス(Pedro Martínez)
1971年生まれ。ドジャース、エクスポス、レッドソックス、メッツ等に所属、投手。サイヤング賞3回(1997年、99年、2000年)、投手三冠(1999年)、最多勝利1回、最優秀防御率5回、最多奪三振3回、通算勝利数219勝、オールスター戦出場8回(1回MVP)、WBC出場1回。殿堂入り。
*マニー・ラミレス(Many Ramírez)
1972年生まれ。インデイアンズ、レッドソックス、ドジャース等に所属、外野手、指名打者。首位打者1回(2002年)、本塁打王1回(2004年)、打点王1回(1999年)、通算安打数2574本、通算本塁打数555本、通算打点数1831点、最高出塁率3回。オールスター戦出場12回。
*バルトロ・コロン(Bartolo Colón)
1973年生まれ。インデイアンズ、エンゼルス、アスレテイックス、メッツ等に所属、投手。2005年サイヤング賞・最多勝利21勝、通算勝利数247勝、通算奪三振数2535本。
*ミゲール・テハーダ(Miguel Tejada)
1974年生まれ。アスレチックス、オリオールズ、アストロズ等に所属、内野手。打点王1回(2004年)、通算安打数2407本、シーズンMVP1回、オールスター戦出場6回、WBC出場3回。
*ダビー・オルティス(David Ortíz)
1975年生まれ。ツインズ、レッドソックス所属、指名打者。本塁打王1回(2006年)、打点王3回、最多安打198(2013年)、通算安打数2472本、通算本塁打数541本。通算打点1768点、30本塁打100打点を10回達成。オールスター戦出場10回、ワールドシリーズMVP1回(2013年)、ロベルト・クレメンテ賞1回、WBC2回出場。ビッグ・パピーの愛称で親しまれた。上原選手が勝利するといつも抱きかかえたことで日本でもよく知られている。
*ウラジミール・ゲレロ(Vladimir Guerrero)
1975年生まれ。エクスポス、エンゼルス、オリオールズ等に所属、外野手。通算安打数2590本、通算本塁打449本、通算打点1596点、シーズンMVP1回、トリプルスリー2回達成。オールスター戦出場9回、殿堂入り。
*プラシド・ポランコ(Plácido Polanco)
1975年生まれ。カージナルス、フィリーズ、タイガース等に所属、内野手。ゴールドグラブ賞受賞3回、オールスター戦出場2回、WBC出場1回、通算安打数2142本。
*アルフォンソ・ソリアーノ(Alfonso Soliano)
1976年生まれ。ヤンキース、レンジャーズ、カブス等に所属、左翼手、セカンド。通算安打数2095本、40本塁打40盗塁1回、30本塁打30盗塁4回、オールスター戦出場7回(内2004年MVP)、最初は、広島東洋カープからスタート。
*カルロス・ペーニャ(Carlos Peña)
1978年生まれ。タイガース、デビルレイズ、レンジャーズ等に所属、ファースト。2009年本塁打王1回(2009年)、ゴールドグラブ賞(2008年)、通算本塁打数286本。
*エイドリアン・ベルトレ(Adrian Beltre)
1979年生まれ。ドジャース、フィリーズ、レンジャーズ等に所属、サード。本塁打王1回(2004年)、ゴールドグラブ賞5回、オールスター戦出場4回。通算安打数3166本、通算出場数2933戦、通算本塁打477本、通算打点1709本、WBC2回出場(2006年、2017年)
*ネルソン・クルス(Nelson Cruz)
1980年生まれ。レンジャーズ、マリナーズ、ツ゚インズ等に所属、外野手。本塁打王1回(2014年)、打点王1回(2017年)、通算本塁打数417本、オールスター戦出場6回、WBC出場3回。
*アルベルト・プーホールス(Alberto Pujols)
1980年生まれ。カージナルス、エンゼルスに所属、ファースト。MLBを代表する打者の1人。新人賞(2001年)、首位打者1回、本塁打王2回、打点王1回。ゴールドグラブ賞1回、2010年から連続10年間、打率3割、30本塁打、100打点を達成。通算安打数3236本、通算本塁打662本、通算打点2100点。オールスター戦出場11回。ロベルト・クレメンテ賞1回。ナリーグ年間MVP3回。大谷翔平の同僚。
*ホセ・バッティスタ(José Batista)
1980年生まれ。パイレーツ、ブルージェイズ、フィリーズ等に所属、外野手、サード。本塁打王2回(2010年~11年)通算本塁打数344本、オールスター戦出場6回。WBC出場2回。
*ロビンソン・カーノ(Robinson Cano)
1982年生まれ。』ヤンキース、マリナーズ、メッツに所属、セカンド。ゴールドグラブ賞2回。オールスター戦出場8回。WBC最優秀選手1回(2013年)、通算安打数2624本、通算本塁打数334本、通算打点数1302点。
*エドウイン・エンカルナシオン(Edwin Encarnación)
1983年生まれ。レッズ、ブルージェイズ、インデイアンズ、ホワイトソックスに所属、ファースト。打点王1回(2016年)、オールスター戦出場3回、WBC出場1回(2013年、ベストナインに選出)
*ハンリー・ラミレス(Hanley Ramírez)
1983年生まれ。マーリンズ、ドジャース、ホワイトソックス、インディアンズ等に所属、内野手。新人王(2006年)、首位打者1回(2009年)、オールスター戦出場3回、WBC出場2回。
*ホセ・レイエス(José Reyes)
1983年生まれ。メッツ、ブルージェイズ等に所属、内野手。首位打者1回(2011年)、盗塁王3回(2005年~7年)、オールスター戦出場3回。WBC出場4回(うち2013年ベストナイン)、最多安打204本(2008年)通算安打数2138本、通算盗塁数517。
*ジョニー・クエト(Johny Cueto)
1986年生まれ。レッズ、ジャイアンツ等に所属、投手。最多奪三振1回(2014年)、オールスター戦出場2回。WBC出場2回。
*サルバドル・ペレス(Salvador Pérez)
1990年生まれ。ロイヤルズ所属、捕手。ゴールドグラブ賞5回、オールスター戦出場6回、ワールドシリーズMVP(2015年)WBC出場2回。
*フアン・ソト(Juan Soto)
1998年生まれ。ナショナルズに所属、外野手。首位打者1回(2020年)、オールスター戦出場2回。打撃センス、選球眼も良く注目のルーキー。ナショナルズのワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。2022年、サンディエゴ・パドレスへ移籍。
5)エクアドルとボリビアの著名サッカー選手
「エクアドル」
*イバン・カビエデス(Jaime Ivan Kaviedes Llorenty)
1977年生まれ、2013年引退。FW。 ペルージャ→セルタ(スペイン)→バジャドリー→バルセロナ→エル・ナショナル(エクアドル)等。エクアドル代表。1990年~2012年、国際Aマッチ出場57戦、17ゴール。2002年と2006年のFIFAワールドカップに出場。エクアドルは南米のサッカー強国ではないので、候補者が思い浮かばなかったが、ミラノ駐在時代に中田英寿がイタリアのペルージャに入団した時に、一緒に活躍した選手がカビエデスであった、
「ボリビア」
*マルコ・エチェベリ―(Marco Antonio Etcheverry Vargas)
1970年生まれ、2005年引退。MF。愛称は「悪魔」(el Diablo)。 デストロイヤーズ〈ボリビア〉→ボリバル〈ボリビア〉→コロコロ→DCユナイテッド(米国)等に所属。ボリビア代表1989年~2003年、国際試合71戦13得点。1994年FIFAワールドカップ予選の対ブラジル戦で終了間際にゴールし、ボリビアの40年ぶり3回目の出場に貢献した。ボリビアで最も優秀な選手の1人と考えられている。米国のメジャーリーグ・サッカー(MLS)でのAll Time Best 11に選ばれている。
6)ドミニカ共和国の著名ボクサー
*カルロス・テオ・クルス(Carlos Teófilo Cruz)
1927年~1970年。元WBA・WBC世界ライト級王者。58戦43勝(内KO14回)、負け14回、引き分け2回。プエルトリコのカルロス・オルテイスに予想に反して勝利、1回防衛を果たしたが、米国のマンド・ラモスに敗戦。1970年、航空事故に巻き込まれ死亡。
7)エクアドル、ドミニカ共和国、ボリビアの空港と人名
インターネットで検索すると、エクアドルには35の空港があり、内、国際空港が8、国内空港が27となっている。人名のついた空港は12港である。ドイニカ共和国には、34の空港があり、内、国際空港が8、国内空港が26となっている。人名のついた空港は9である。ボリビアには の177の空港があり、内、国際空港が5、国内空港が172となっている。人名のついた空港は20である。
エクアドルで人名のついた空港 3空港
空港所在都市 | 空港名、人名 |
Quito | Aeropuerto Internacional Mariscal Sucre |
Guayaquil | Aeropuerto Internacional José Joaquín de Olmedo |
Cuenca | Aeropuerto Internacional Mariscal Lamar |
*マリスカル・スクレ Mariscal Antonio José de Sucre y Alcalá
1975年ベネズエラのクマナ生まれ~1830年。キトの国際空港名は彼に因んでいる。軍人、政治家で、シモン・ボリバルとともに南米の独立戦争で重要な役割を演じた。スペイン軍をピチンチャの戦いやアヤクーチョの戦いで破った。第2代目ボリビア大統領、ペルー軍最高司令官を務め、アヤクーチョの偉大なる准将(Grán Mariscal de Ayacucho)と呼ばれた。ボリバルの独裁化を嫌い、袂を分けた。最後は暗殺される。ボリビアの首都はスクレで、以前のエクアドルの通貨の単位はスクレと呼ばれた。
*ホセ・ホアキン・デ・オルメド José Joaquín de Olmedo y Maruri
1870年グアヤキル生まれ~1847年。エクアドルで2番目の空港であるグアヤキル国際空港名は彼に因んでいる。エクアドルの政治家、詩人、弁護士、愛国者。グアヤキルの独立に貢献し、グアヤキル議会のトップを務めた後、1830年から31年までエクアドル政府の副大統領、1845年は臨時政府のトップを務める。詩人としてもボリバルを称えるVictoria de Junín Canto a Bolívarを作った他、エクアドル国歌の作詞も行った。エクアドルの歴史に重要な役割を果たした人物である。
*マリスカル・ラマール Mariscal José Domingo de La Mar y Cortázar
1776年クエンカ生まれ~1830年。クエンカ国際空港名は彼に因んだものである。軍人、政治家。ペルー軍の高官で、1822年から23年、ペルー議会議長、1827年から29年、ペルーの大統領。軍人としては、スペインからの独立戦争に参加、アヤクーチョの戦いで勝利。その後ペルーとグラン・コロンビアとの戦争に敗れ、コスタリカに追放され、同国で死亡。
ドミニカ共和国で人名のついた空港 4空港
空港所在都市 | 空港名、人名 |
Santo Domingo | Aeropuerto Internacional de las Américas José Francisco Peña Gómez |
Isabela | Aeropuerto Internacional de Dr.Joaquín Balaguer |
Baraona | Aeropuerto Internacional María Montéz |
Puerto Plata | Aeropuerto Internacional Gregorio Luperon |
*ホセ・フランシスコ・ペーニャ・ゴメス José Francisco Peña Gómez
1937年~1998年。サントドミンゴ国際空港の名前は彼に因んでいる。(改名前は独裁者トルヒーリョ将軍国際空港と呼ばれていた)ドミニカ共和国の政治家。ドミニカ革命党の党首。大統領候補として3度立候補した。サントドミンゴ市長も務めた。バラゲールやフアン・ボッシュと並び20世紀のもっとも傑出した政治家で、国民、特に貧しい層に人気があった。サントドミンゴの地下鉄駅の名前にもなっている。
*ホアキン・バラゲール Joaquín Balaguer
1906年~2002年。サントドミンゴのイサべラ国際空港名は、彼に因んでいる。ドミニカ共和国の政治家、作家、詩人。反共主義を掲げ、米国の支援で、1960年から62年まで第39代大統領、1966年から78年まで第45代大統領、1986年から96年まで第49代大統領に就任。強権政治で「ドミニカの奇蹟」と呼ばれる経済成長を実現したが、国内の貧富の差を広げ汚職を蔓延させた。また厳しい環境政策を採ったことで知られている。
*マリア・モンテス María Móntez(María Africa García Vidal)
1912年バラオナ生まれ~1951年。バラオナ空港は彼女の名前に因んでいる。ドミニカ共和国の女優で、合計26本の映画に出演した。内米国で21本、欧州で6本である。1940年代のテクニカラ―・コスチュームのアドヴェンチャー映画で大人気を博し、「テクニカラーの女王」と呼ばれた。代表作品は、「Invisible Woman」、「Arabian Nights」、「Cobra Woman」等々。死後、彼女の名前の通りがバラオナ市に、地下鉄の駅がサントドミンゴ市につくられた。
*グレゴリオ・ルペロン Gregorio Luperón
1839年プエルト・プラタで生まれ、死亡~1897年。プエルト・プラタ国際空港名は彼に因んでいる。ドミニカ共和国の商人、軍人、政治家。スペイン帝国とのサントドミンゴ戦争、6年戦争に参加。2回にわたり副大統領、臨時政府の大統領、1879年から1880年までは、第28代大統領に就任した。
ボリビア人名のついた空港 1空港
*ホルヘ・ウイルステルマン Jorge Wilsterman
1910年コチャバンバの近くで生まれる~1936年。ボリビアのコチャバンバ国際空港名は彼の名前に因んでいる。LAD航空が設立したパイロット養成学校を卒業、ボリビアで最初のパイロット。1936年、コチャバンバからオルロに向かうフライトが墜落し死亡した。プロサッカーチームもかれの名前をとっている。
8)紙幣にみるボリビア人、エクアドル人
「ボリビア」
ボリビアも様々な分野の人物である。画家はグスマンとぺレスの2人、法律家のダレンセ、歴史家のモレーノ、作家のタマヨである。
金額 | 人名 |
10ボリビアーノス | Cecilio Guzmán de Rojas |
20ボリビアーノス | Pantaleón Dalence Jiménez |
50ボリビアーノス | Melchor Pérez de Holguín |
100ボリビアーノス | Gabriel René Moreno |
200ボリビアーノス | Franz Tamayo |
*セシリオ・グスマン・デ・ローハス Cecilio Guzmán de Rojas
1899年~1950年。ボリビア先住民の画家。20世紀前半のインディへ二スタ運動のリーダー。ボリビアの絵画における民族的価値の回復に尽力した。代表作は、「自然の勝利」El triunfo de la naturaleza、「アイドルの接吻」El beso de idolo。50歳で自殺。
*パンタレオン・ダレンセ Pantaleón Dalence Jiménez
1815年~1892年。ボリビアの法律家。ボリビアの司法の父と呼ばれている。ボリビア最高裁判所長官を長年にわたり務めた。生まれ故郷のオルロ州の1つの県が彼の名前をとっている。代表作は、「真実と正義の法典のために」Por los fueros de la verdad y la justicia。
*メルチョール・ペレス・デ・オルギン Melchor Pérez de Holguín
1660年~1732年。コチャバンバ生まれのボリビアの画家。ボリビアの歴史上べストの画家の一人、スペイン・バロックの絵画でベストの画家の一人。宗教画がほとんどで、代表作は、「最後の審判」Juicio final、[副王モルシージョのポトシ入場]Entrada del virrey Morcillo en Potosi、「天使」Angel。
*ガブリエル・レネ・モレーノ Gabriel René Moreno del Rivero
1834年~1908年。ボリビアのサンタクルス生まれの歴史家、分権化、文芸批評家、教育者。「ボリビアの著述家のプリンス」と呼ばれ、ボリビアの歴史上、最も偉大な研究者と言われている。ボリビア、チリ、ペルーの文献整理に貢献。彼の作品や文献記録は「ボリビア古文書館」の創設に役立った。生まれ故郷のサンタクルスには、彼の名前をとった「Universidad Autónoma Gabriel René Moreno」という名の大学が存在する。
*フランツ・タマヨ Franz Tamayo Solares
1879年~1956年。ボリビアの作家、詩人、哲学者、政治家、知識人。教育関連の著作が多数ある。アイマラとスペインのメステーソ。政治家としては外務大臣を歴任。彼の名前をとった県(Provincia de Franz Tamayo)がラパス州にあるほか、ラパスには、Universidad Franz Tamayoと呼ばれる大学がある。
「ドミニカ共和国」
ドミニカ共和国の紙幣は、複数の人物(2名~3名)の肖像画を使用した紙幣は、合計4紙幣となる。またモニュメントを使用した紙幣も2つある。独立の英雄3名、独裁者に抵抗した3姉妹、国歌の作曲・作詞家2名、文学者・教育者の親子、元大統領といった顔ぶれである。
金額 | 人名 |
10ペソ | Matias Ramón Mella |
20ペソ | General Gregorio Luperón |
50ペソ | Catedral Primada de América |
100ペソ | Juan Pablo Duarte Matias Ramón Mella
Francisco del Rosario Sánchez |
200ペソ | Las hermanas Mirabel |
500ペソ | Pedro Henríquez Ureña Salomé Ureña de Henríquez |
1000ペソ | Palacio Nacional |
2000ペソ | Emilio Prud’Homme José Reyes |
*マテイアス・ラモン・メージャ Matias Ramón Mella
1816年~1864年。ドミニカの革命家、政治家、軍人・将軍。1844年のドミニカのハイチからの独立戦争で活躍した。国民的英雄で、Juan Pablo DuarteやFrancisco Rosario Sanchezと並び、「ドミニカ共和国祖国の父」と呼ばれている。この3名の名前をとった勲章もある。
*へネラル・グレゴリオ・ルペロン General Gregorio Luperón
1839年プエルト・プラタで生まれ、死亡~1897年。プエルト・プラタ国際空港名は彼に因んでいる。ドミニカ共和国の商人、軍人、政治家。スペイン帝国とのサントドミンゴ戦争、6年戦争に参加。2回にわたり副大統領、臨時政府の大統領、1879年から1880年までは、第28代大統領に就任した。
*アメリカ大聖堂 Catedral Primada de América
1540年完成。新世界最古の大聖堂。
*100ペソ紙幣には祖国の父と呼ばれる3名の国民的英雄が表面の顔となっている。
・フアン・パブロ・ドウアルテ Juan Pablo Duarte
1813年~1876年。ドミニカの軍事指導者、教授、作家、活動家。国家主義の政治家。メージャやロサリオ・サンチェスと共に、ハイチからの独立戦争で戦った英雄で祖国の父と呼ばれている。彼の名前は、カリブで最も高い山にPico Duarteと名付けられている他、米国にもいくつかの銅像が建てられている。また1月25日は、「国父ドウアルテの日」として祝日になっている。
・マテイアス・ラモン・メージャ Matias Ramón Mella
上記説明済み。
・フランシスコ・デル・ロサリオ・サンチェス Francisco del Rosario Sánchez
1817年~1861年。ドミニカの弁護士、政治家、活動家。祖国の父の3人の中で、ドウアルテに次いで、2番目にランクされている。1844年のハイチからの独立戦争で活躍。3人の墓はサントドミンゴに,「祖国の祭壇」Altar de la Patriaに安置されている。
*ミラベル姉妹 Las hermanas Mirabel
Patria、Minerva、 Maria Teresaの3姉妹で、ラファエル・レオニダス・トルヒーリョ大統領の独裁政治に強く抵抗。1960年11月25日に暗殺される。彼女たちの暗殺は国際的に大きな反響があった。国連は、1999年12月に総会で、11月25日を「女性に対する非暴力の日」とすることを決議した。
*500ペソ紙幣にはウレーニャ親子の肖像が使用されている。
・ペドロ・エンリケス・ウレーニャ Pedro Henríquez Ureña
1884年~1946年。ドミニカ共和国の知識人、哲学者、批評家、作家、ヒューマニスト。ドミニカ共和国のみならず、メキシコやアルゼンチンでも活動した20世紀のイスパノアメリカを代表する文化人。 主要作品は、「イスパノアメリカにおける文学の流れ」corrientes Literarias en la América Hispánica、「イスパノアメリカ文化史」Historia de la Cultura en la América Hispánica。サントドミンゴの国立図書館は彼の名前に因んでいるほか、Universidad Nacional Pedro Henríquez Ureñaと呼ばれる大学がサントドミンゴにある。
・サロメ・ウレーニャ・デ・エンリケス Salome Ureña de Henríquez
1850年~1897年。ドミニカの教育家、詩人。19世紀のドミニカで最も傑出した作家、詩人。女性の教育の向上に革新的役割を果たす。また男女間の権利の平等のために戦ったことで知られている。
*ナショナル・パレス(大統領宮殿) Palacio Nacional
1944年完成。トルヒーリョ大統領の時代にイタリアの建築家のグイド・ダレッサンドロ・ロンバルディによって設計された。
*2000ペソ紙幣はドミニカ共和国国歌の作詞者と作曲の2名を表面の顔に使用している。
・エミリオ・プルドンム Emilio Prud’Homme y Maduro
1856年~1932年。ドミニカの弁護士、政治家。ドミニカのナショナル・アイデンテイテイを強く持った人物。下院議員、法務大臣を歴任。米国の軍事介入に強く反対した。ドミニカ共和国の国歌の作成者、作詞者。
・ホセ・レイェス José Rufino Reyes Siancas
1836年~1905年。ドミニカの音楽家。ドミニカ共和国の国歌の作成に当たり、プルドンムの作詞に協力し、作曲を行った。
以 上