慶応2年(1866年)に生まれ、苦学して高等商業学校(現一橋大学)を卒業し、教職を経て東京海上保険に入社、大阪や神戸の支店長、ロンドン支店監督を歴任し専務まで昇るが、他方で育英事業を早くから推進し、現在の甲南学園(大学から幼稚園まで)を創立した平生釟三郎(ひらお はちさぶろう)の伝記を漫画化したもの。
大正海上火災ほか保険会社の役員を歴任し、川崎造船(現川崎重工)の社長としての再建、日本製鉄会長、貴族院議員、二・二六事件後に発足した広田弘毅政権の文部大臣等々、経済界を主に教育界、政界や公的職務など、実に多くの分野で活躍した偉人の生涯を紹介している。
人の一生の第一期は自己を教育する時代、第二期は社会で働く時代、第三期は自己の事業より離れて他人のために尽力する時代という「人生三分論」を実践し、60歳を超えてからは国へ、社会への奉仕に務め、また世間の要請に応えるべく、様々な分野に関わったが、やはり一番力を入れたのは「教育こそが日本をつくる」という信念のもと、長く高等学校長をも務めた甲南学園での理想の学園造りだった。
また海外へも早くから目を向け、大正13年(1924年)にヨーロッパ、米国、ブラジルへ8ヶ月におよぶ視察旅行を行い、昭和9年(1934年)にはブラジルでの憲法での移民制限にともなう日本からの移民受け入れ制限を撤廃させるべく、経済使節団を率いてブラジルに渡り、半年にわたって交渉を行って綿花の大量輸入約束と引き換えに日本の主張を実現している。昭和初期に日本とブラジルの懸け橋ともなったのである。
(幻冬舎メディアコンサルティング2010年3月166頁1200円+税)