執筆者:田所 清克(京都外国語大学名誉教授)
今回は、ブラジルのインディオの言葉の中で最も重要なトゥピー語を取り上げてみたい。
圧倒的な比重でインディオの言葉でポルトガル語にもなっているのは、トゥピー語(língua tupi)でしょう。 この言語については個人的な関心もあって、Facebookも含めて、色々なところで言及しています。特に、『ワンダーランド ブラジル』(角川書店)では詳述していますので、興味のおありの方はご参照ください。
周知のように、土着のインディオとアフリカ黒人奴隷の言語が、ポルトガル語に与えた影響は計り知れないものがあります。1500年にカブラル艦隊に発見されるブラジルにおいて、それ以降、使用言語が支配者の言葉、すなわちポルトガル語であったと見るのは誤りです。いくつかの社会史や言語学、歴史書などは、そのことを証左できます。
例えば、Sérgio Buarque de Holanda の手になる著名な『ブラジルの根源』(Raízes do Brasil)や、文献学者Ismael de Lima Coutinhoの文献に依拠すれば、18世紀の中葉まで、土着民のトゥピー語と征服•支配したイベリアの住民のポルトガル語が同時並行的に話されていたことが記録されています。中でもlíngua geralと称される「共通語」なるインディオの言葉は、北部アマゾン、パラー、サンパウロ、リオ•グランデ•ド•スールでは支配的で、ポルトガル語よりも使われていたようです。
1759年に、イエズス会士がブラジルの国土から追放されてはじめて、língua geralは下火になるのです。その言語がそれほどまでに勢力を保った要因について、次回は説明しましょう。
初回、18世紀中葉まで、línga geralの勢いは続き、宗主国の言語であるポルトガル語と合わせて使用されていたことに触れました。そのトゥピー語がかなりの期間存続した背景と要因と考えられるのは、次の点にあるように思います。
1)布教目的で到来したイエズス会士たちは、インディオの教化はむろん、彼らの教育をブラジル全土で展開していました。その実効性の必要から、驚くことに、カトリックの神父たちは自らトゥピー 語の文法書や辞書を作ったりもしました。そして、今で言う、二言語使用の教育方針を採ったこと。
2)妻帯者と同行したスペイン人に比して、独身で移住してきたポルトガル人は現地調達型で、現地のインディオ女性と多くが結ばれ、生まれた子供は母語使用の母親によって教育を受けたこと。
3)奥地探検隊であるバンデイラ(bandeira)には、インディオもしくはポルトガル人と、地理に詳しいインディオの混血児であるマメルーコ(mameluco)が常に同行し、探検隊員(bandeirante)と彼らの間では、コミュニケーションの手段として「アバニヤエン」(abanheen)と呼ばれるトゥピー•グワラニ語が使われていたこと。
注記:トゥピー語の初めての文法書Gramática da Língoa mais Usada na Costa do Brasil [ブラジル沿岸でもっとも使われる言葉の文法]は、イエズス会士José de Anchieta によって編纂され、それははや1595 年にはポルトガルで刊行されています。
Língua=Língoa
アフリカの言語がどちらかと言えば、ポルトガル語の音韻面に影響を及ぼしているのに対して、インディオの諸語、くにトゥピー語の影響は語彙面に現れています。ブラジルを訪ねた方ならば、一見してポルトガル語とは異なる発音の、地名や事物の呼び名を耳にされたことであろう。ことほど左様に、グアラニ語を含めたトゥピー語の多くの語彙は、今や国語化しています。
幾度となく、この国の津々浦々を旅した私などは、訪れたところの、インディオ語的な地名や事物を見たり聞いたりしては、かつてのブラジルが先住民が支配した世界であったことを痛感しています。次回は、国語化したトゥピー語を、項目別に例示するつもりです。写真は全てWebから。
ブラジル全土にインディオ民族集団、とくにトゥピー族由来の地名が沢山あります。このことは、裏を返せば、先住民のインディオが、広範囲に居住していた証かもしれません。ブラジル各地を旅すれば、あまたのトゥピー族を中心にしたインディオの言葉にちなんだ地名[toponímia]に出合います。挙げたらきりがありませんが、比較的によく知られたその例を以下に記します。
Iguaçu “água grande” 「大水」
Ipanema “água ruim”「悪い水」と”rio sem peixes”
「魚のいない川」を合わせもつ。
※洗練され、あか抜けた街からは想像できません。
Tietê “água verdadeiro “「真水」
※グアルーリヨ空港からサンパウロ市内に行く道筋 に並行して流れるテイエテー川は、真水には程遠い汚染が著しい河川です。
Niterói “água escondida” 「隠れた水」(伏水)
Copacabana ケチユア語(quechua)でkupa kawana、つまり”olhando o lago”,「湖を眺めつつ」の意味。トゥピー語ではない、例外です。
Piracicaba “lugar onde o peixe pára” 「魚が止まるところ」。ちなみに、pira=魚 ex. pirarucu
Itamaraty ”ばら色の石”
※ブラジル外務省あるところ。
Quixadá ”先が曲がった石”
※セアラー州奥地の旱魃の五角形(polígono das secas)に位置する半乾燥地帯で、Projeto Rondonで一ヶ月あまり滞在したところ。農園主で市長のお嬢さんと淡い恋で花咲いたところでもある。
Manuscript “mãe dos deuses” 「神々の母」
※この一帯にはManáos族が居住していた。
現地に棲息する動物名を案内ガイドに尋ねては、それがポルトガル語ではなくトゥピー語由来の言葉であることに驚きを禁じ得ません。
近代派詩人の、当初、私が研究対象にしょうと考えていたManuel Bandeira の詩「Belém do Pará」(1937年)の一節にも、ブラジルの地にはいかにインディオ名が多いかを綴っています。 ”…Terra de fala cheia de nome indígena
Que a gente não sabe se é de fruta, pé
de pau ou ave de plumagem bonita…”
”[ブラジルは]人が果実か、木か、美しい羽毛の鳥かどうか知らないインディオ名の言葉がいつぱいの土地”
今回は、トゥピー語もしくはトゥピー•グワラニ語名を冠した動物を例示しましよう。
•sucuri(tg) アナコンダ、スクリ=”たちどころに噛む”
anaconda、sucuriúba、boiaçuとも称されます。ちなみに、anacondaは、タミール語でanai-condraで、「象の殺し屋(matador de elefante)」を意味するそうです。
• tamanduá 蟻食(tg)=”蟻の狩人”(caçador de formiga ”
•urubu 禿鷹=”黒色の(bu)大きな鳥(ave grande)”
•tatu アルマジロ=”厚くて固い(duro)”
•arara→a’rara ”多色の鳥”(ave de muitas cores)
•piranhaピラニア “悪魔の魚”(peixe diabo[pirá-anhã]
•pirarucuピラルク “赤い(vermelho)魚”
pira(魚)+urucum(赤色)”
※繁殖の時期になると、尾びれが赤い色調になります。魚を意味するトゥピー語がpiraであることは前回述べました。
注記:(tg)はトゥピー•グワラニ語源のものです。
次回はトゥピー語とトゥピー•グワラニ語について概説します。
língua tupiすなわちtupi antigoは、15世紀にブラジルの大部分の沿岸に居住していたtupi 族系統の民族集団が話していた言葉です。その代表的な部族は、人喰い人種でも知られるtupinambáです。
彼ら以外に、ヨーロッパ、とくに植民者となるポルトガル人によっても広範に話されたこともあって、とりわけ動植物相関連のものや地名が多数国語化しています。その意味で、国の精神、文化面でもっとも重要な古典語、と言えなくもありません。
そのtupi語が話されなくなっているなかにあって、アマゾン北西部でlíngua geralとも呼ばれるニエエンガツ[nheengatu](=língua boa)が今も存続しているのは驚きです。
かわってトゥピー•グワラニ語は、南米のインディオの多くの言語を包含した代表的な言葉で、もともとはラプラタ川界隈に住んでいたカリジヨー族(carijó)の言葉を、その地域の植民者がtupi-guaraniと呼んだことからきているようです。ちなみに、tupi-guarani 語はパラグアイの公用語の一つにもなっています。アルゼンチン、ボリビアでもスペイン語に足跡を残しています。
地図からも判明されますように、tupi-guarani 語はブラジルの地でも話されるtupi語と同系統の言語であることから、双方が合い混じってこの国の言語空間に及ぼした影響は小さくなく、インディオの果たした文化的役割の大きさがみてとれます。
地図は全てWebから借用。
トゥピー語あるいはトゥピー•グアラニ語を語源とする植物やそれと関連するものはあまたあります。そのいくつかを以下に例示します。それらの植物については、今回はマンディオカのみに言及し、次回に譲ります。
Abacaxi carnauba caatinga capão ibirapuera
Ipê jabuticaba など
•mandioca[tg]→Mani-oca(casa de Mani=マニの家、raiz de Mani=マニの根茎)
※[マンデイオカの伝説]→誰からも慕われる白い肌の娘がトゥピー•グアラニの族長にはいました。その目に入れても痛くない娘が懐妊したのを知って父は大層怒り、生まれてくる赤ん坊の父親が誰であるか問い質しました。けれども、娘は誰にも身を任せたこともなく、そうした事実がないことを訴えるのでした。が、族長は疑い、決して信じることはありませんでした。。ある夜父は、娘の言っていることを信じようにというお告げの夢を見ました。以来、父娘の関係は昔に戻り、仲むずましい、情愛に満ちたものとなりました。ところが、ある朝、娘は帰らぬ身となっていたのです。亡くなったことで部族全員が嘆き悲しみ、彼女に敬意を表して、ocaに埋葬しました。すると、いつしかそのocaから植物が芽生えたのです。それがすなわちmandiocaなのです。
mandioca は他にさまざまな名称で呼ばれています。pão-de-pobre(貧者のパン)などはその例の最たるものです。mandiocaについては別のところで詳述していますが、南米原産でシアン系の有毒野茂のと、無毒のものがあります。飢餓を救う食糧難として今ではアフリカをはじめ、世界の各地で栽培されています。
写真は、カボクロによってアマゾンの氾濫原で栽培されているmandiocaです。