【季刊誌サンプル】日本メキシコ外交関係135年の歩みと展望 ―新たな地平の開拓を目指して 福嶌 教輝(在メキシコ大使) - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

【季刊誌サンプル】日本メキシコ外交関係135年の歩みと展望 ―新たな地平の開拓を目指して 福嶌 教輝(在メキシコ大使)


【季刊誌サンプル】日本メキシコ外交関係135年の歩みと展望 ―新たな地平の開拓を目指して

福嶌 教輝(在メキシコ大使)

本記事は、『ラテンアメリカ時報』2023年夏号(No.1443)に掲載されている、特集記事のサンプルとなります。全容は当協会の会員となって頂くか、ご興味のある季刊誌を別途ご購入(1,250円+送料)頂くことで、ご高覧頂けます。

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日本メキシコ外交関係135年の歩みと展望 ―新たな地平の開拓を目指して 福嶌 教輝(在メキシコ大使)

400年を超える交流
両国の外交関係樹立は1888年で本年(2023年)に135周年を迎えるが、交流の歴史は400年以上も前、1609年にフィリピン総督代理ロドリゴ・デ・ビベロ一行を乗せた船が、メキシコ(当時のヌエバ・エスパーニャ)への航海中に難破し、千葉県御宿沖に漂着したときに遡る。地元民は、寒さと不安に震える300人以上の遭難者たちを素肌で暖め救ったと伝えられている。翌1610年、徳川家康が寄贈した船で一行は無事メキシコに到着し、このサン・ブエナ・ベントゥーラ号は初めて太平洋を渡った日本の船となった。現在、御宿町のメキシコ記念公園には、この史実に関連して、「日西墨三国交通発祥記念之碑」(1928年設立)や、2009年の日墨交流400周年にメキシコ政府から寄贈されたメキシコ人芸術家の作品「抱擁の像」等が設置されている。

また、1614年には、仙台藩主伊達政宗の命を受け、支倉常長を団長とする慶長遣欧使節団が、日本がメキシコに派遣した最初の外交通商使節団として渡墨。メキシコ市には、同使節団の一部が洗礼を受けた教会や宿泊したとされる建物が今でも残っている。
 
135年の外交関係
それから約300年後の1888年、日本は、ラテンアメリカ(中南米)でペルーの次にメキシコと外交関係を樹立した。このきっかけは、金星の太陽面通過観測のため1874年に来日したメキシコ天体観測団であった。コバルビアス団長は日本側の待遇に感激し、本国への報告書で日本の文化や歴史を紹介するに留まらず、メキシコ政府に対し日本と外交・通商関係を結んだ場合のメリットを説いたとされ、これも契機となり、1888年に日墨修好通商航海条約が締結され外交関係が樹立された。これはメキシコにとってアジアの国との初めての条約であっただけでなく、日本にとってアジア以外の国との初めての平等条約であり、当時、欧米列強との不平等条約に苦しむ日本にとって、そしてその後の日本外交にとって、不平等条約の見直しや他国との平等条約の締結に繋がったという意味で大きな意義を持つものであった。明治政府は感謝の証として、現在も在京メキシコ大使館がある土地を提供し、メキシコは永田町に唯一大使館を構える国となっている。

その後、両国は困難な時にこそ助け合ってきた。お互い世界有数の地震国として、正に100年前の関東大震災時には、メキシコは、国内の革命直後で政情不安定かつ経済的に困難であったにもかかわらず、いち早く多額の義捐金を送った。1985年のメキシコ大地震では、日本は、義捐金寄付・機材供与や専門家派遣のほか、メキシコ国立防災センターを無償資金協力により設立し、以降技術協力を長年行ってきた。最近では、2011年東日本大震災や2017年メキシコ中部地震での相互支援が記憶に新しい。

また、メキシコ革命(1910~17年)時には、当時の堀口九萬一臨時代理公使がクーデターに追われるマデロ大統領一族を庇護し、2015年にメキシコ上院議会がこの史実に関して日本国民・政府に感謝する決議を採択し、上院の中庭にはこれを顕彰するプレートが飾られている。このように、両国は長い年月をかけて、友好協力関係を築いてきた。

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