執筆者:渡邉尚人(元在バルセロナ総領事)
1.マイアミに来た理由
私は、2020年退官後、米国フロリダ州マイアミに移り住むことにしました。ちょうどコロナの真っ只中、ステイホームで自分時間が増えた時に、これまで40年間一生懸命働いたので、これからはもう自分の好きなように暮らしてもいいだろうと決心したのです。
またマイアミは、かつて在マイアミ総に4年間勤務し、土地勘があること、明るい太陽と海の開放的な雰囲気が気に入っていたこと、得意なスペイン語も使え、好きな葉巻も思い切り堪能できること、最後に米国で医師となった娘家族が在住しており、各種在留手続き面でも協力を得られ、更に孫娘達の世話をしたいということもありました。
2.よりエコロジカルな街に
マイアミは、サンシャイン・ステート(陽光の州)とよばれるフロリダ州の南端に位置し、マイアミ・デイド郡(35市、郡庁所在地はマイアミ市)に属しています。なお、州都は、マイアミではなく、フロリダ半島の北部の付け根にある州政府と州議会の所在するタラハシーです。
マイアミに到着すると明るい太陽と肌に迫る太陽の暑さを感じます。特に今年の夏は温暖化のせいか、ひりひりするくらいの暑さです。車で空港を出て、毎年ハリケーンに襲われるにも拘わらず素晴らしく維持管理された片道6車線もある広大な高速道路を通り、近代的な高層ビルの林立するダウンタウンに向かいます。以前よりも驚くほど高層ビルの数が増加しています。かつては、日本総領事館のあるビルが周りに何もなかったためその偉容を誇っていましたが、今では高層ビルに囲まれて、すぐにはどこにあるのかわからない程です。
摩天楼の間を抜け、燦燦と降り注ぐ陽光の下、揺れる緑の椰子の並木道を通り、巨大な豪華客船が6隻も停泊できる改装されたモダンなマイアミ港を右手に見ながら湾岸道路を走ります。行き交うクルーザーやヨットを左手に見ながら青い海の上にたおやかに伸びた女性の腕の様なハイウエーは、スターアイランド等世界の各界スター達の住む豪邸のある島々を繋いでいます。そして有名なマイアミ・ビーチ沿いのオーシャンドライブに至ります。夜若者達があまりに騒ぐので一時は車が通行止めとなっていたのですが、今では片道が車道、片道が自転車専用道路となっています。
明るい白やクリーム色のアールデコ風の建物が立ち並ぶ通りには、水着で散歩する歩行者、ローラースケートやキックボード、自転車が走り、白い砂浜は、ビーチバレーや海水浴客でにぎわっています。歩行者優先のエコな街並みです。マイアミの街角は、昔から多くのリムジンに混じり、ランボルギーニやフェラーリ、マセラッテイ、ロールスロイスやブガッテイー等スーパーカーが行きかうところですが、今は、電気自動車(EV)のテスラ(州内95,600台、カリフォルニアに次ぐ全米2位)が驚くほど増えています。これは、2050年カーボン・ニュートラルをめざす米バイデン政権の政策により、電気自動車の購入時の補助や税優遇措置、充電器の充実、無料充電等によるものです。
しかし道路は依然混雑しています。摩天楼のあるビジネス街の道路が手狭なこと、主要幹線道路に船を通すための跳ね橋があり橋が開くと車が長時間通行待ちとなることも原因です。当局は、電動バス等の拡大、強靭性ある省エネ建築、熱緩和策、ビスケー湾汚染対策等の環境戦略を進めています。また、SDGs達成度ランキングは、世界58位で地方政府、企業、市民がそれぞれSDGsをより意識していることを感じます。街にはデザイン性豊かなゴミ箱が据え付けられており、ポイ捨てのゴミも少なく、熱帯植物の街路樹の落ち葉もきれいに清掃され、クレーンのついたゴミ収集車も頻繁に行きかっています。太陽光パネルも普及しており、クリーンで環境フレンドリーな街となっています。
3.トロリーバスでの出来事
マイアミでは、公共交通機関のトロリーバス、路線バス、高架鉄道、モノレール等が以前よりはるかに拡充されています。特にトロリーバスは、無料で高架鉄道の駅と連結しているので大変便利です。以前は広大な米国での車の無い生活などは想像もできなかったのですが、今では車が無くても十分生活できるのです。トロリーバスは、レトロな箱型で木目調の内装に硬い木製シート、自転車も車両前面に2台積めます。無料ということもあり、私も良く利用しているのですが、一度面白いことがありました。
閑静な住宅街のコーラルゲーブルを走るトロリーバスは、乗客も行儀が良いのですが、ダウンタウンに向かうトロリーバスには、色々な人々が乗り込んできます。ある日、白人の酔っ払いが乗り込んでいて管巻きながらバスの停車紐(ボタンではなくプラステイックの紐を引く)を乱暴にひっぱり“止まれ止まれ”とわめいていて、業を煮やした巨漢の黒人女性運転手が、それを無視してバスストップに全然止まらないのです。とうとう双方が車内中に響き渡る怒鳴り合いの喧嘩になりました。そこにヒスパニックの乗客が割り込んできて運転手の対応がおかしいと皆は思わないのかと乗客も巻き込もうとするのです。“そう言われてもねえ”と家内と話していましたが、“警察を呼ぶわよ”とか“訴えてやる”等さんざん罵詈雑言が飛び交う中、最後はその二人が降車して、その後は何事もなかったようにトロリーバスは出発したのでした。何ともドラマテイックな日常の一風景でした。
4.ヒスパニックの増加
そしてマイアミで今回特に気づいたのは、以前に比べて街にヒスパニックの人達が格段に多くなり、いたるところにスペイン語広告が溢れ、街角や銀行、スーバー、病院、レストラン等での人々の日常会話がほとんどスペイン語ということです。
フロリダ州(2224万人)の人口の26.7%、マイアミ・デイド郡(272万人)の実に7割がヒスパニックとなっているのです。メキシコ国境沿いの州で話され、世界の若者に人気の歌手ジャステイン・ビーバーもカバーする「デスパシート」という曲で有名となったスペイン語と英語の混じった言葉、いわゆるスパングリッシュやイングラニョールは、マイアミではわざわざ使わなくても、堂々とスペイン語のみで日常生活が送れるのです。街に活気が感じられるのもこのためかもしれません。
そして政治的ダイナミズムも感じます。フロリダ州には、2024年の大統領選挙の共和党立候補者が3人(トランプ前大統領、デサンテス・フロリダ州知事、スアレス・マイアミ市長)もいるのです。フロリダ州は大統領選挙のカギを握る州です。大統領選挙に当選するためには選挙人538名の過半数270名を獲得する必要がありますが、フロリダ州は今や選挙人30名を擁し、大統領になるためには、フロリダ州のヒスパニック票獲得が必須となっているのです。
5.ニカラグア・コミュニテイー
マイアミは、昔からニカラグア人の間では「ニカラグアの第二の首都」と言われてきました。マイアミ・デイド郡には12万人のニカラグア人がおり、ニカラグア系アメリカ人は50万人ともいわれています。米国ナンバーワン葉巻のパドロンやプラセンシア、ホヤ・デ・ニカラグア等の高級葉巻、フロール・デ・カニャ等のラム酒、焼き肉レストラン「ロス・ランチョス」、肉やチーズ等のニカラグア産品をマーケットでよく目にします。
米国とは、歴史的に関係が深く、1856年米国人傭兵ウイリアム・ウオーカーのニカラグア大統領就任、20世紀前半の二度の海兵隊のニカラグア占領、1937年から79年の42年間に亘るソモサ独裁政権時代、1979年サンデイニスタ革命と米国のコントラ支援、内戦等を通じて多くの亡命者や難民、移民がマイアミにやってきました。かつてスター・アイランドには、ソモサ元大統領の別荘もあり観光船から見える名所となっていました。
またマイアミの新聞「エストレリャ・デ・ニカラグア」は、反サンデイニスタ政権の論戦を張っています。そして、この新聞には毎回必ずニカラグアの国民的詩人「ルベン・ダリオ」の論説や特集記事が掲載されるのです。
6.ルベン・ダリオ
ルベン・ダリオ(1867-1916)は、ニカラグアの生んだ最大の詩人で、イスパニア文学の巨匠、モデルニズム(近代文芸主義)の父です。多作な天才詩人で1300の詩、99の物語、750の論説記事を残しています。詩人の他に、アルゼンチンのラ・ナシオン紙の記者、在スペイン・ニカラグア公使等の外交官でもあり、詩人、記者、外交官として世界を見つめ独自のモデルニズムの世界を構築していったのです。
1898年の米西戦争の敗北によりスペイン帝国の没落が決定的となりイスパニア諸国が独立する中、スペイン再生への焦燥がスペイン文学を伝統への回帰に閉塞させてゆく中、ダリオの体現するモデルニズムは、フランス文学・言語への接近を通じてより独創的で開かれたイスパニア世界文学を構築するものでした。その作品は、リズム感のある多様な韻律、音響と視聴覚に訴える色と光の反射効果を持ち、礼拝用語、古語、新造語等の多用により絵画、彫刻、音楽世界が詩空間に表現されるのです。ギリシャ神話や中世の伝説、東洋や日本の時空を超えたエキゾテイックでコスモポリタンなテーマをたくましいバイタリテイーと想像力で包含しています。彼の代表作「青...」、「冒涜の散文」等には、モデルニズムの特徴である独特の言葉のリズム感、音楽性、きらめく色彩感覚がエキゾテイックで幻想的な世界をつくり、まさにミューズの優美な扇に詩情が舞うかの如くです。
私は、ニカラグア在勤時代にニカラグア湖畔の船着き場で小さな女の子がルベン・ダリオの詩を朗読するのに感激し、ニカラグアが詩人の国であり詩の長い伝統のある国であること、また日本について多くの詩や論説記事を書いていることを発見し、日本の読者に知ってもらうべきと考え、彼の作品「ニカラグアへの旅・インテルメッゾ・トロピカル」、「青...」更に「ルベン・ダリオ物語全集」を邦訳しました。
ルベン・ダリオがニカラグア及びイスパニア文学に占める重要性もあり、ニカラグア政府からは、ルベン・ダリオ勲章を受章し、ニカラグア言語アカデミー海外会員、マイアミのルベン・ダリオ世界運動名誉副会長、欧州王立博士アカデミー名誉会員、ニカラグア地理歴史アカデミー名誉会員となりました。以来ルベン・ダリオ文学普及に尽力し、マイアミ在勤時代(2006-09年)には、マイアミ・デイド郡で多くのルベン・ダリオ関連イベント(ルベン・ダリオの各種記念日にはルベン・ダリオ公園内の白い銅像前にニカラグア・コミュニテイが参集)に参加し多くの講演を行いました。 その後も多くの在勤地や日本のセルバンテス協会等で講演を行い、ルベン・ダリオ文学普及につとめ、マイアミに来てからも再び講演等を行っていました。
7.市長からの感謝状
7月29日、ルベン・ダリオ「青...」刊行135年周年記念、「ルベン・ダリオ物語全集」発刊記念講演会の機会に、コミュニテイに貢献したことによりレビン・マイアミ・デイド郡長及びフラガ・ドラル市長よりの感謝状を授与されました。 これはマイアミのニカラグア人のみならずヒスパニック・コミュニテイー全体のルベン・ダリオに対する関心の高さと敬愛の念の表れと考え、今後も引き続きルベン・ダリオ文学普及に尽くす決意を新たにしたところです。
8.中南米のゲートウエー
フロリダ州は、人口2224万人(全米3位)で人口増加率は1.9%(全米一位、1日約千人増加)、経済規模は1.3兆ドル(全米4位、世界15位)でスペインと並ぶ巨大かつ富裕でダイナミックな経済圏です。成長エンジンは、農業や観光のみでなく、製造業、宇宙産業、ライフサイエンス産業、金融、貿易・ロジステイック、IT等多様で、15の深水港、20の空港、先端高速道路、鉄道網、高速データ通信網、海運輸送ルート等強固なインフラを誇り、高教育、豊富な人材、言語文化の多様な1050万人の労働力を有しています。そして、当局のビジネス・フレンドリーな政策、各種投資インセンテイヴ、低税率(州とマイアミ・デード郡の個人所得税0%)、更に政治の安定性を有しています。このためフロリダ州は、中南米への理想的なゲートウエーなのです。米国と中南米カリブ地域の貿易総額の3分の1がフロリダ州であり、中南米を管轄する1400社の多国籍企業(日本企業約200社)があります。
そして特にマイアミは、中南米と地理的に近く、時差もなく、高い教育を受けたバイリンガルなヒスパニックの人材を活用でき、中南米への56の直行便、貨物取扱量、情報収集等で圧倒的に優位であり、まさに中南米への理想的なゲートウエイ、空と海の玄関口、貿易、ロジステイック、コミュニケーションのハブ拠点、大げさに言えば「中南米の首都」といえます。私もアソシエイト・メンバーとなったマイアミの領事団は、全米でも屈指の規模(総領事館44,領事館25,副領事館1、代表部1 等)を誇ります。
9.米国マイアミから見た中南米
米国と中南米は、歴史的に経済、政治、人権、民主主義、移民、麻薬問題等多方面での米の大きな影響力と利害関係により、常に緊張をはらむ複雑な関係を有してきました。また反米意識と共に豊かな米国経済への憧憬、米国の裏庭的な意識もありました。しかし今や中国やロシアが中南米に接近していること、また、ウクライナ戦争もあり、中南米を豊富な天然資源を有し世界の食料エネルギー需給に大きな影響を与える地域として再認識する機運が以前より増したように思われます。
昨年六月のロスでの米州サミットでも、参加首脳は21ケ国でしたが、米州で連携して移民問題や人権問題に対処する国際枠組み「ロサンゼルス宣言」が20ケ国により署名され、13ケ国との「良き規制慣行に関する共同宣言」を発表、そして米国は、既に米・メキシコ・カナダ協定(USMCA)等中南米12ケ国とFTAを有するのですが、中南米との経済連携強化のための「経済発展のための米州パートナーシップ(APEP)構想」も発表され、更に気候変動対策でも官民で連携する動きがありました。
マイアミ・デイド郡の貿易投資機関ビーコン・カウンシルのサカサ副会長によれば、近年特にマイアミとの貿易が増大しているのはブラジル、ドミニカ共和国、ホンジュラス、コロンビア、コスタリカの由です。そして、中南米の政治情勢が右傾化しようが左傾化しようが、右派の富裕層はマイアミに資産を持ち、貿易投資でつながりがあり、左派貧困層も移民でマイアミにやってきて、働き、本国に送金するので中南米が反米左傾化したというのは言葉の上だけで、実態上は、米・中南米の経済関係は緊密であり、中南米市場を将来性ある市場としてポジテイヴに見ているとのことでした。なお、中国、ロシアの中南米進出は、自国の利益を最優先すること、また核大国でもあり地政学的観点から懸念して見ているとのことでした。
またマイアミから見る中南米の報道は、伝統的に反キューバ、反ベネズエラ、反ニカラグア等反独裁、反左派的色彩が強かったのですが、今では、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、コロンビア、ボリビア更にチリまで中南米の大半の国で左派政権が復活している状況にあり、これまでの単なる反左派イデオロギー的報道のみならず中南米の政治的・経済的な重要性を勘案したより複眼的な視野から報じられる傾向にあると感じています。
10.元気な老人達
マイアミにいると多くの元気な老人達を目にします。特に隣の席に若い女性を乗せて疾走するオープンカーの運転手には老人が多いし、ボートやクルーザーの所有者も老人が多く、また街をバミューダパンツとTシャツで犬を連れて夫人と一緒に散歩する多くの老人達を目にするのです。これら老人達は決して人生疲れ果てて枯れた感じではありません。大部分がお洒落なチョイ悪じいさん風です。
マイアミは、年中温暖な気候で風光明媚な観光地なので全米更には世界中から第二の人生を謳歌しに退職者や年金生活者、退役軍人等がやってくるのです。美しいビーチ、多くのグルメ・レストラン、多様なアトラクションと文化・芸術・音楽・スポーツイベント、エバーグレイズ公園等豊かな生物多様性等魅力に満ちたマイアミは、これから益々日本人の老後の選択肢の一つとなると思います。
(了)