ブラジルの風物と移民の生活をテーマに描くとともに、『移民の生活の歴史』(家の光社 1970年)はじめ評論や著作においても活躍した日系コロニアの良心といわれる画家の生涯。
11歳の時に栃木県から家族と移民、伯剌西爾時報社に入社し、聖州(サンパウロ州)義塾で多くの仲間たちとの交流を経て感化を受け、画家への道を歩みはじめ、日系画壇聖美会を結成し、さらに文化運動と活躍の場を拡げる。しかし太平洋戦争の勃発と敵国となったブラジルでの日系社会の暗黒時代を迎え、戦後の勝ち負け抗争などの混乱期を経て刊行物の発行に関わり、その後美術活動を再開、文化振興会を設立し、サンパウロ市400年祭のパビリオンとしてイビラプエラ公園に日本館を建設することに美術展示場主任として参画、1956年に初めて日本に帰国して、東京の三越はじめ各地で個展を開くことが出来、帰途欧州を周った。ブラジルに戻ってすぐサンパウロ日本文化協会(文協)の設立があり、1965年に設立されたサンパウロ人文科学研究所(人文研)には、専門委員、2年後に日本に帰ったアンドウ・ゼンパチ氏の後を受けて専任研究員となり、人文研の日本人移民史、日系社会についての調査研究の多くに執筆者として関わっている。
その後も画家としての活動とともに、戦前移民の物品資料収集・保存の必要性を訴え、1978年の皇太子ご夫妻(現天皇皇后両陛下)のブラジルご訪問時に文協ビルに「移民史料館」の開所に漕ぎ着けた。その後も1996年に90歳で没するまで、夫人に先立たれながらも画作を続け、個展を開催し、日系社会の将来について考察、開陳し、多くの人達からコロニアの良心と慕われた生涯を、膨大な資料の検証と関係者へのインタビューで纏めた労作。
(サンパウロ人文科学研究所(ブラジル日本移民百周年記念『人文研研究叢書』第9号)2013年5月 492頁。入手の問い合わせは同研究所 contato@cenb.org.br )