連載エッセイ339:設楽知靖「ゴボウとイネのアルゼンチン原産の植物」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ339:設楽知靖「ゴボウとイネのアルゼンチン原産の植物」


連載エッセイ339

=これが、ゴボウとイネ?見てびっくり!!=

執筆者:設楽知靖(元千代田化工建設、元ユニコインターナショナル)

その昔、私はサンパウロに駐在していた時にフォルクスワーゲンのカブトムシで隣国のウルグアイ、アルゼンチン、パラグアイの四ヶ国を10日間で7,700キロメートルのドライブをしたことがある。サンパウロを出てリオグランデドスールを走るとフラットで牧場が続き街道の昼食レストランは体育館の様なシュラスカリーア(焼き肉レストラン)だけである。

この地はドイツ移民が開拓した牧場ばかりが続き、高木の植物は上の部分が平らな“パラナ松”が目に付く。やがて国境のチューイを越えてウルグアイへ入るとここもフラットな牧場が続き人口が少ない国で道に迷って牧場の家に入って尋ねると、先ず犬が出てきて次に馬が、そしてようやく人が出てきて道を聴く状況であった。

この話で初めに『鳥』の話をしておくことにしたい。それは、きわめて戦闘的な“ナンベイタゲリ“(Tero Comun)とタンゴの王様フランシスコ・カナロのニックネームと言われている”ピリンチョ“(Pirincho::Guira guira)の話である。

Ⅰ.ナンベイタゲリ と ピリンチョ:

このナンベイタゲリはウルグアイの国立研究所(LATU)とアルゼンチンの国立工業技術院(INTI)の庭で頻繁に見ることができた。この鳥は研究所の入り口や庭の芝生や低い草の生えた地上に営巣し、そこで卵をかえして雛を育てる習性から夫婦で雛を育てていた。

研究所へ入るときや食堂から昼食を終えて研究室へ戻るときに草原を通り、その巣の近くを通ると夫婦のどちらかがどこかで見ていて接近する敵に攻撃してくるのであった。

攻撃の時の鳴き声は〟“ギラクック―”と鋭い鳴き声であった。はじめはおどろいたが毎日のように攻撃してくるので、わざと巣の近くへ寄ってからかうこともたびたびあった。

この鳥はブラジルのアマゾンの日系の移住地、トメアスの植林の苗木の研究所でも見ることができた。この攻撃は飛んで来るのではなく地上を小走りにして来るのであった。

もう一つの鳥は”ピリンチョ“(Pirincho)でドライブ中にこの鳥に遭遇することはなかったが、私が学生時代にカナロ楽団が来日して新宿のコマ劇場で演奏した時に司会者が楽団を紹介した時に『カナロ氏には”椅子“が付もので楽団名が”Francisco Canaroysu(い・す) Orquesta Tipica”と紹介したこととピリンチョ五重奏団“Quinteto Pirincho “ではカナロ氏は頭の毛が立っているのでこのニックネームが付いたと言われていた。ネット検索ではこの鳥は〟“ギラカッコウと言ってブラジル東部、南部、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア、アルゼンチン北東部で見られる群生鳥でGuira属の唯一の種”と書かれている。

しかし、カブトムシでラプラタ川に沿って北上して、エスタンシアからパラグアイへ入国したが、真夏の街道では見られず、車の窓にあったてくるのはスズメほどのお腹の黄色い緑がかった小鳥と熱で焼けたアスファルトの道を渡れずに死んだガラガラヘビの死骸であった。

2.『ゴボウ』(メキシコヤマゴボウ):

別名オンブ―(OMBU)、ゾウノキ,漢字::墨西哥山牛蒡、学名はPhytolacca Dioica,、添付の写真で示すような大木である。『あれ!これゴボウ?』とまず驚く。これがアルゼンチンをドライブしているとどこでも見られる。首都ブエノスアイレスの有名な『7月9日通り』(Nueve de Julio)でも見られるし、郊外の牧場では牛馬が夏の日差しを避けてこのオンブ―の下に集まっている。

さらに検索してみると『ナデシコ目ヤマゴボウ科フィアトラッカ属の巨大な草』と書かれておりアルゼンチン原産でパンパス平原で普通にみられる。幹の様な巨大な茎は高さ15メートルを超え枝は横に大きく広がり20メートルほどになる。日差しの強い南米では緑陰樹や風よけや境界線の目印に使われる。花は房状に白から薄黄色に集合して下向きに咲かせる.葉っぱや樹液には毒があると言われている。

アルゼンチンの研究所の中にもこのオンブ―の木があり幹の倒れた部分を見ると年輪はなくすかすかのスポンジ状で木材としての価値はなく、草木としての扱いで枯れた根元から芽が出てきて,さらに太くなって正に“盆栽”を見るような樹形となる。われわれの言う『ゴボウ(牛蒡)』、学名Aratium Loppa)はユーラシア大陸原産でキク科ゴボウ属で日本へは平安時代に中国から薬草として伝えられたと言われ、別のものである。

3.『イネ』(パンパスグラス):

日本でもよく見られるようになった“パンパスグラス”、私は学生時代に紙パルプが不足するアルゼンチンでこの植物からわら半紙程度の紙ができることを証明して、遠征計画を企てたことがあった。

『イネ科』シロカネアシ属(白銀葦)の多年生植物、学名はCortaderia Selloana で語源の由来は属名Cortaderia はスペイン語のカッターを意味することから来たもので葉の淵の部分が鋭く触ると傷を負うことからつけられた。またSelloana はドイツの植物学者Friederich Selloaへの献名とされており、通常は英語名のパンパスグラスを呼び名としている。高さ2~3メートルに成長、細長い葉が根元から密生してのび南米大陸の草原で見られ日本でもドライフラワーとして観賞用として用いられ、明治時代に入ってきたと言われてる。また、オバケススキと呼ばれることもあるがススキではない。花言葉は光輝、雄大,愛などと言われる。

4.ガウチョ(Gaucho):

オンブ―とパンパスグラスと述べてきたが、このアルゼンチンの広大な草原で忘れてはならないのは『ガウチョ(Gaucho )』の存在ではないだろうか。サウジアラビアでは最近ではラクダのキャラバンではなく羊を追うのにキャデラック、タンクローリー、トラックの隊商と聞いたことがある。

このガウチョの語源はグアラニー語の『孤児』、『放浪者』を表す言葉、あるいは先住民マプーチェの言葉で『友達』(ガチェ)を表す話やブラジル南部の方言で『牛殺し』{ガウディオ}とも言われている。今パンパスの草原で見られるのは観光牧場でのショウの様なところで見られるぐらいになっているのではないか。カブトムシで走っているときでも牧場でほとんど見る機会はなかった。

さらに検索してみると別の説として『ペルー方面からラプラタ地方へ開拓でやって来たスペイン人の農業移民が先住民インディヘナとの抗争の中で、次第に農業から19世紀の後半にラプラタ地方で繁殖して1500~2000万頭となっていた野生の牛馬を生計に役立たせようとしたとも。これはブラジル側の歴史としてサトウキビからミナスジェライスの鉱物資源の開発に移るとき人力に代わって輸送手段が牛馬を必要とした時代と一致するかもしれない。

ガウチョの強靭な精神は〔他人のために己の犠牲を惜しまない〕と言われている。そしてアルゼンチンで有名なガウチョ文学の傑作叙事詩がJose Hernandez の『Martin Fierro』で小学生から読むと言われている。19世紀の後半のパンパスを舞台に波乱の一生を送ったガウチョが近代化によって大土地所有制が進む中、自由を奪われ文明社会の不正に反逆するパンパのガウチョの典型的な姿が描かれている。それは家族からはなされて砦に向かう悲劇的な姿でもある。

私は、あのパンパスの広大な草原の中で強く生きるオンブ―とパンパスグラスの姿を今もよく思い出す.社会が変わり流通が変わりガウチョは少なくなった。しかしながらガウチョの精神『他人のために―――』は世界で生きている。叙事詩のガウチョの悲しみと同時に。
(おわり)

資料:インターネット検索。
  Martin Fierro,,Jose Hernanndez ,Fontanarrosa,Ediciones de la Flor (イラスト)
  Ave de los Humedales del Este de Uruguay
添付:写真(ナンベイタゲリ、ピリンチョ、オンブ―、パンパスグラス)

(以上)