執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)
1973年にGal Costa の楽曲であるÍndia は、大ヒットして話題をさらった。留学時に私はこの曲を幾度となく聴き、彼女の繊細な美しい歌声に打ち飲まされる思いがした。
ことほど左様に、Gal Costaの歌は素晴らしく、MPBの頂点に位置する文字通りの女王であることを認識した。
まさにその頃私は、アレンカールの名作Iracemaを翻訳していた最中で、歌詞Índia との表現法や姿形の類似性に気づき、Gal Costa の歌うÍndiaはもしかしたらイラセマではないか、とまでに思ったほどであった。
グラウーナ鳥[ムクドリの類]の濡れ羽いろなし、椰子の木しのぐ長き黒髪、
その蜜の唇甘き処女(おとめ)イラセマ。
[Iracema]
Índia, seua cabelos nos
ombros caídos
Negros como a noite que
não tem luar
Seus lábios de rosa, para
mim, sorrindo
肩まで垂れ下がったインディオ女
月明かりのない夜さながらの漆黒色
私に微笑む、彼女の薔薇色の唇

同じバイーア出身のCatano VelosoとGilberto Gilが提唱するTropicalia運動に参画・共鳴したGal Costa[本名Maria da Graça Costa Penna Burgos 1945-2022]は、持ち前の力量で、MPBに新たな広がりを見せた。
フィリップ・レコードと専属契約した彼女は、1973年、私の大好きな四番目のアルバムとなるÍndia で爆発的なヒットを遂げた。
人の心に響く美声と歌唱力の歌い手であるのみならず、コンポーザー、マルチ楽器奏者のGal Costaであった以外に、視覚面での自己表現や立ち振る舞いでも注目される存在であったことは特記すべきであろう。
結果として、国の内外においてブラジル女性シンガーの名をほしいままにした逸材である。以外、拙訳ながらÍndiaを紹介しよう。
Índia
Índia, seus cabelos nos
ombros caídos
Negros como a noite que
não tem luar
Seus lábios de rosa, para
mim, sorrindo
E a doce meiguice desse
seu olhar
インディオの女
髪の毛が肩まで垂れ下がったインディア
そは月明かりのない夜さながらに漆黒色なり
我に対して微笑む、彼女の薔薇色の唇
そして、甘き情愛ある視線
Índia da pele morena
Sua boca pequena eu
quero beijar
小麦色の肌をしたインディアさん
我が口づけしたし彼女の口は小さき
Índia, sangue tupi
Tens o cheiro da flor
Vem, que eu quero lhe dar
Todo o meu grande amor
トゥピイの血が流れるインディアさん
君は花の香りせり
君に僕の大きな愛を
授けたいので、おいで
Quando eu for embora para bem distante
E chegar a hora de dizer-
lhe adeus
Fique nos braços só mais
um instante
Deixa os meus lábios se
unirem aos teus
僕がはるか遠くに出かける時
そして君にさよならを言う時が来たら
僕の腕に中に少しだけでもいて
僕の唇と君の唇が重なるようにしておくれ
Índia, levarei saudade
Da felicidade que você me deu
インディアよ、君が僕にくれた仕合せが恋しくなるだろうよ
Índia, a sua imagem
Sempre comigo vai
Dentro do meu coração
Todo meu Paraguai
インディアよ、そなたの
姿かたちはいつだって僕と共に、僕の心のなかにあることだろう
僕のパラグアイのすべて
39年に亘る大学での私の学者としての研究対象は、言語、文学、民俗学などの広義の文化であったが、リオに留学した後の一時期は、ブラジル全土に存在する自然発生集落、すなわちスラム街の研究に没頭した。
貧困、社会的不平等、犯罪の巣窟ともいえる各地の貧民街を訪ねてはfield調査を実施して、その成果を論文にまとめたり、新聞に公表したりしたものである。
リオの丘陵に櫛比する文字通りmorro とも呼ばれるfavelaは、まさしくElizeth Cardosoが歌うBacarrãoで、社会批判の歌と捉えることができよう。
リオのホテルの屋上から一望できる、一方において富裕層の住む高級リゾート、他方においてトタン屋根が林立する光景は、この国の社会縮図とも言えよう。この対比は、植民地時代の農村貴族階級であるfazendeiroたちの大邸宅(casa grande) と、黒人奴隷たちのタコ部屋(senzala)を想起させもする。
スラム研究のきっかけになったのは、横浜の副領事として来日してO Japãoの著書もある、自然主義小説家Aluísio Azevedo の手になる『百軒長屋』(O Cortiço)読んでからのことである。ともあれ、Bacarrãoを聴けば、亜鉛葺きの劣悪な環境に住む貧困住民の生活等が垣間見えるかもしれない。
歌の中でBacarrãoは擬人化されて表現されている。
バラック小屋
岡にぶらさり
助けを求めている
あぁ、バラック小屋よ
街はそなたの足元に
あぁ、バラック小屋よ
われ汝の声聞きし
一分たりともわれ忘れぬ
われが汝が誰かを知るし故に。
亜鉛葺きのバラック小屋
わが国の伝統なり
亜鉛葺きのバラック小屋
不仕合わせなすこぶる貧しきもの。
1966年にSérgio Mendesとブラジル60の演奏で大ヒットしたMais Que Na-da。
この歌の意味も分からず私は、何度聴いたことか。
そもそもJorge Ben が1963年作詞作曲して発売された曲であるが、皮肉にも彼の名が知られるようになったのは、Sérgio Mendesによって歌われてからのことである。
歌詞からも想像できるように、Jorge Benは、アフリカのリズムを自然に体得しているかに思われ、事実この楽曲のメロディには、マラカトゥ(maracatu[アフリカのコンゴ王国を再現した、ペルナンブーコ州の絢爛豪華なカーニバルの仮装行列、音楽、踊り、儀式])の影響が感じとれる。
その意味で、南東部のリオ、サンパウロのサンバとは一味違ったものになっており、北東部のアフロ系のフオクローレの持ち味がダイナミックに表明されているような気がする
Mas Que Nada Jorge Ben Jor
Oariá raiô
Obá obá obá
Oariá raiô
Obá Obá Obá
Mas que nada
Sai da minha frente
Que eu quero passar
Pois o samba está anima-
do
O que eu quero é sambar
マス・ケ・ナーダ
ジョルジ・ベン
オアリアー ハイオー
オバー オバー オバー
オアリアー ハイオー
オバー オバー オバー
それがどうしたと言うの
僕の前をあけておくれ
通り過ぎたいから
サンバが乗ってきているので
僕はサンバを踊りたいんだ
Este samba
Que é misto de maracatu
É samba de preto velho
Samba de preto tu
マラカトゥが混じった
このサンバ
年老いた黒人のサンバ
黒人、そなたののサンバなり
Mas que nada
Um samba como este tão
legal
Você não vai querer
Que eu chegue no final
それがどうしたと言うの
この黒人さながらに素敵なサンバ
おれが最後まで達するのを
君は望まないだろうが
Oariá raiô
Obá obá obá
Oariá raiô
Obá obá obá
オアリアー ハイオー
オバー オバー オバー
オアリアー ハイオー
オバー オバー オバー
Mas que nada
Sai da minha frente
Que eu quero passar
Pois o samba está anima-
do
O que eu quero é sambar
それがどうしたと言うの
僕の前をあけておくれ
通り過ぎたいから
サンバが乗ってきているので
僕は踊りたいんだ
Este samba
Que é misto de maracatu
É samba de preto velho
Samba preto tu
マラカトゥが混じっている
このサンバ
年老いた黒人のサンバ
黒人、そなたのサンバなり
Mas que nada
Um samba como este tão
legal
Você não vai querer
Que eu chegue no final
それがどうしたと言うの
この黒人さながらに素敵なサンバ
おれが最後まで達するのを
君は望まないだろうが
Oariá raiô
Obá obá obá
オアリアー ハイオー
オバー オバー オバー
Oariá raiô
Obá obá obá
オアリアー ハイオー
オバー オバー オバー
●Obá はYobáとも称されるヨルバのカンドンブレーで、戦いを司る神。
roda de sambaやカーニバルにおいて歓喜を表現する意味で頻用される。
Mas Que Nadaというフレーズは、ポルトガルとブラジルでは幾分ニュアンスが異なる。インフォーマルな用法でブラジルでは、問題ではない、放っておいて[não importa, não é nada, deixa disso]などの意味で使われる。
私の間違った解釈かもしれないが、sambaの喜びや楽しみを妨げるものは何もない、という意味合いでMas Que Nada が使われているように思える.
ボッサ・ノーヴァのジャンルのBarquinho も僕の好きな歌曲である。その最大の理由は、絵を見るかのような歌詞で、冒頭の、潮路を滑るがごとく突き進む小舟が浮かぶ海の場景ないしは描写は、José de Alencarの傑作『イラセマ』(Iracema)の劈頭部分を想起させるものがあるからである。それほどまでに美しいその詩的表現に、私は絶句する。
あしたの陽に溶けたる碧玉の色に輝き
椰 子樹のかげ深き
白砂の磯洗う緑の海。
凪げよかし荒海
心やさしき船人をして
潮の上を滑るが如く行かしめよ。
[『イラセマ』(彩流社)拙訳]
Verdes mares que bri-
lhais como líquida es-
meralda aos raios do
sol nascente, perlon-
gando as alvas praias
essombradas de
coqueiros.
Serenai, verdes mares,
e alisai docemente a
vaga impetuosa para
que o barco aventurei-
ro manso resvale a flor
das águas.
O Barquinho(Bossa-Nova)
por Roberto Menescal e
Ronaldo Boscoli
Dia de luz, festa de sol
E um barquinho a desli-
zar, no macio azul do mar
Tudo é verão e amor se
faz
Num barquinho pelo mar,
que desliza sem parar
Sem intenção nossa can-
ção, vai saindo desse mar
e o sol
Beija o barco e luz, dias tão azuis
Volta do mar, desmaia o
sol
E o barquinho a deslizar
e a vontade de cantar
Céu tão azul, ilhas do sul
E o barquinho e o coração,
deslizando na canção
Tudo isso é paz, tudo isso
traz
Uma calma de verão
O barquinho vai, a tardinha
cai.
[ad-libitum]
光の日、太陽の祭典
そして、滑るがごとく青い柔らかな海原を止まることもなく小舟は突き進む。
何もかもが夏、そして愛は育まれり。
海を滑り行く一艘の小舟の中で、意図もせず私たちの歌はその海と太陽から生まれたり。
小舟と光に口づけする、かくも真っ青な日々の光。
海から戻ると、太陽の光は輝きを失いけり。
そして、滑り行く小舟と
紺碧の天空や南の島々を
歌いたくもなる気持ちにもなれり。
そして歌に乗って小舟と心は滑り行く。
その全てが平和であり、その全てが夏の凪をもたらす。
穏やかなりし夏、小舟は突き進み、夕闇は迫りけり。
[最後の節はレフリエンが自由]