連載エッセイ487:田所清克「ブラジル雑感」その68 私の選んだブラジル名曲集④ | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ487:田所清克「ブラジル雑感」その68 私の選んだブラジル名曲集④


連載エッセイ487

ブラジル雑感 その68
私の選んだブラジルの名曲集 その4

執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)

カーニバル小行進曲: A Jardineira

 冬から早春にかけて、阿蘇の自宅の周りには寒椿が一斉に咲き始め、赤々とした乙女の唇を想わせる色は、取り巻く緑の樹木に映えて、それはそれは美しい。
 少年の頃はよく椿の枝によじ登って、目白よろしくその甘い蜜を吸ったものだ。
 ところで、上述の歌曲はカーニバル行進曲としてよく耳にする。その歌詞のなかで椿は美しいものとしてみなされているが、jardineiraはその椿よりもはるかに美しい存在として描かれている。  
 ちなみに、jardineiraとは女性庭師もしくは幼稚園の女の先生のことをいう。
 歌詞ではいずれを指すか不明であるが、園芸家、庭師のように思う。
  Jardineira(marcha)
por Benedito Lacerda
Humborto Porto
Oh !Jardineira
Porque estás tão triste?
Mas o que foi que aconteceu?
Foi a camélia que caiu do galho
Deus dois suspiros
E depois morreu
Vem jardineira
Vem meu amor
Não fique triste
Que este mundo
É todo teu
Tu és muito mais bonita
Que a camélia
Que morreu
※No final acaba:morreu
  ジャルディネイラ
おお!ジャルディネイラ
君は何でそんなに悲しんでいるのかい?
で、一体全体、何があったんだい!
枝から落ちて
椿の花が
ため息を二度ついて
その後、死んじまった
僕の愛する女(ひと)よ、おいで
悲しまないでおくれ
この世界は
すべて君のものだから
君はもっともっと綺麗だよ
死んじまった
その椿の花よりも。
※死んじまつた、で終わる

愛と死をみつめて  —感傷的で切ないModinhaを聴いての私の感想—

 メランコリックなメロディの歌曲ではあるが、歌詞の内容は、愛を求めつつ絶望感に浸る人物の心境を直截的に表明したものと解される。
 愛のシンボルともいえる薔薇を愛する人に捧げたい一心で少年時代を夢みる。が一転して、大人になった主人公は、恋に破れたかは定かではないが、愛を求めて懊悩する。
 ゆっくりと山の端に沈み込む太陽は、その主人公の、成就しないままに
命を断とうとしている、もしくは死のうとしている心理状態を象徴的に物語っているように思える。

   Modinha
Olho a rosa na janela
Sonho um sonho pequenino
Se eu pudesse ser menino
Eu roubava esta rosa
E ofertava , toda prosa
A primeira namorada
E nesse pouco quase nada
Eu dizia o meu amor
O meu amor.
Olho o sol findando lento
Sonho o sonho de um adulto
Minha voz na voz do vento
Indo em busca do teu vulto
E o meu verso em pedaços
Só querendo o teu perdão
Eu me perco nos teus passos
E me encontro na canção.
Ai, amor, eu vou morrer
Buscando o teu amor.
Ai, amor, eu vou morrer
Buscando o teu amor.
(Eu vou morrer de muito amor)

モディーニャ セルジオ・ビッテンコート
僕は窓から薔薇を眺め
ちつぽけな夢を見ている
もし僕が男の子になれたのなら
この薔薇を掠め取り
また全ての散文を
初恋の人に捧げるのだが
そしてほとんど何も言わず
僕の愛を伝えるのだが
僕の愛を。
太陽がゆくりと沈むのを
僕は眺め
大人の夢を見ている
僕の声は風の声に乗って
君の姿を探し求めながら
そして僕の詩の断片は
君の許しのみを乞いながら
君の歩調のなかで自分を見失い
歌のなかに自分を見出している。
ああ、愛、僕は死んじまうんだ
君の愛を求めながら。
ああ、愛、僕は死んじまうんだ
君の愛を求めながら。
(沢山の愛で僕は死んじまうんだ)

Maysa Mataraz が歌う サンバ・カンサォン:Meu Mun-do Caiu

 自分の世界が崩れてしまった、と思うことは誰にもある。
 人様には楽観的に見えた私にも、75年あまりの人生は山あり谷ありの、浮き沈みの激しいものであった。
 親の希望に逆らって、高校上がりに大学進学もせずに職につき、辛酸を嘗め、この時ほどに自分の理想とする世界が崩壊したように思えたことはなかつた。
 すべてこれらは自分の蒔いた種であることを悟り、この歌詞の末尾に記されているように、新たな自分なりの世界を構築すべきだと、決意した青年時代が私にもあった。

Meu mundo caiu
E me fez ficar assim
Você conseguiu
E agora diz que tem pena de mim
Não sei se me explico bem
Eu nada pedi
Nem a você nem a ninguém
Não fui eu que caí
Sei que você me entendeu
Sei também que não vai
se importar
Se meu mundo caiu
Eu que aprenda a levanter

あたしの世界は崩れちまった。
そして、あたしはこんなふうになったの。
あなたは(自分の思いを)成し遂げ、
そして今は、あたしを気の毒であると云う。
うまくあたしに説明できるかどうか分からないけれども、
何も懇願なんかあたしはしなかったわ、
あなたにも誰にだって。
崩れちまったのはあたしではないの。
あなたが理解していることも、気にしていないことも知っているわ。
あたしの世界が崩れているのであれば、
立ち上がるのを学ぶのはこのあたしだわ。

ブラジル音楽史上、最大のサンビスタであるCar-tolaの珠玉の名曲である
As Rosas Não Falam ①

A obra-prima musivcal,
As Rosas Não Falam de
Angenor de Oliveira, mais conhecido como Cartola que o maior sambista da história da música brasileira

 歌手であるだけでなく詩人でヴィオロン奏者にして作曲家でもあるカルトーラ[1908〜1980]は、サンバとサンバ社中(escola de samba)について語る上では到底無視できない。
 何故なら、彼は1928年にMaracanã 近くのマンゲイラのスラムに生まれた、伝統あるGrêmio Recreativo Escola de Samba Estação Primeira de Mangueira、シンプルにはEstação Primeira de Mangueiraの創立者の一人であったのみならず、10代の頃からサンビスタとして活躍し、作曲を手がけては独特の香り放ちながら、アクのある節回しのサンバを歌い続けた人であったからだ。
 私がサンバの虜になったのも実は、カルトーラの歌曲、中でもここで訳出・紹介するAs Rosas Não Falam([無言のバラ])を聴いてからであろう。
 残念ながら、時間の関係で今日は無理のようである。申し訳ありませんが、続きは明日に。

           

無言の薔薇に込めたCartolaの、叶わぬ愛に泪する、愛の復活をひたすら願う失恋の男の、悲痛な思いを託した歌曲:「無言の薔薇」(As Rosas Não Falam)

 庭は愛する人との想い出を象徴する場所である。そこに香ばしい匂いを放ちながら咲く薔薇は、黙して語ってはくれぬ。
 愛する人を失ってもはや不在感に耐えきれず、例えようもない痛みを覚える彼にも一縷の希望があり、再び心は鼓動している、比喩的に表現されている夏の終わりが愛の終わりを意味していたとしても。
 Cartolaが作曲したAs Rosas Não Falamは、二人の愛がもう二度とよりを戻すことのない現実に直面していることが分かつていても、ひたすら愛する人との愛の復活を願う、男の歌とも言える。カルトーラは抒情的で哀愁漂う詩を介して、かつての恋人が不在であることの悲痛と、まだ残っている彼女との愛の復活の可能性を歌に仕上げている。

   無言の薔薇
     田所清克試訳
希望で
再び鼓動する僕の心
もう夏も終わりかけなので
僕は花園に帰る
僕のもとへ
戻りたがらない君をよく
分かっているので
きっと僕は泣くにちがいない
僕は薔薇に哀しみをこぼす
何と馬鹿げたことか、薔薇は無言のまま
単に薔薇は香りを発するのみ
ああ、君から奪うその芳香
君は僕の悲しげな目を見に来ていたに違いなかった
そしてつまるところ、僕の夢を君が見ていたことなど、誰が知っているだろうか。
来ていたに違いない
僕の悲しげな目を見に
 As Rosas Não Falam
Bate outra vez
Com esperanças o meu
coração
Pois já vai terminando o verão
Emfim
Volto ao jardim
Com certeza que devo chorar
Pois bem sei que não queres voltar
Para mim
Queixo-me às rosas
Que bobagem as rosas não falam
Simplesmente as rosas
exalam
O perfume que roubam
de ti, ai
Devias vir para ver os meus olhos tristonhos
E quem sabe sonhavas os
meus sonhos por fim.
Devia
Para ver os meus olhos
tristonhos

おい、アブレ・アラス 国歌的なカーニバル行進曲
 Ó abre alas por Siquinha Gonzaga
A marcha carnavalesca considerada como hino nacional

 ブラジルのカーニバルと言えば、いわばそのカーニバルの国歌的存在と位置づけられているSiquinha Gonzagaの行進曲であるÓ Abre Alasは欠かすことはできない。
 「黄金の薔薇」(Rosa de Ouro)と称するコルダゥン[cordão=カーニバルに加わりお祭り騒ぎする集団=folião]のテーマ曲として成功を収めた、最初のポピュラー音楽と見なしうる。
 本来alasは翼を意味するが、ここでは山車(carro alegórico)などがカーニバルの行列で通り抜ける際の、象徴的な表現として用いられている。
[歌詞の試訳]
おい、通り抜けたいから、道を開けてよ。
発散するのに赦しを乞うよ。
薔薇が僕を好きになったという理由だけで、
庭師は僕の庭を見捨ててしまった。
おい、通り抜けたいから、道を開けてよ。
僕が発散するのに赦しを乞うよ。
薔薇が僕を好きになったという理由だけで、
庭師は僕の庭を見捨ててしまった。
薔薇が僕を好きになったという理由だけで、
庭師は僕の庭を見捨ててしまった。
棘のない薔薇ない薔薇はないから、
僕は薔薇が欲しくない。
むしろ愛情のこもった庭師の方が好きだ。
香ばしい花
そしてその優しさ。
おお、通り抜けたいから道を開けてよ。
僕が発散するのに赦しを乞うよ。
薔薇が僕の方を好きになったという理由だけで、
庭師は僕の庭を見捨ててしまった。
薔薇が僕の方を好きになったという理由だけで、
庭師は僕の庭を見捨ててしまった。
通り抜けたいから道を開けてよ。
僕が発散するのに赦しを乞うよ。
薔薇が僕の方を好きになったという理由だけで、
庭師は僕の庭を見捨ててしまった。
薔薇が僕の方を好きになったという理由だけで、
庭師は僕の庭を見捨ててしまった。


広大なTijucaの森の近くに生まれたMilton Nasci-mentoは、1967年のリオ歌謡祭でトラヴェシーアを歌い二位を獲得して知られるようになり、ブラジル音楽界において確固たる地位を築いた。のみならず、度重なる米国での音楽活動を通じて、自国の音楽を紹介する一方で、米国のポピュラー音楽にも多大の影響を与えたアーティストである。そして、ブラジルの声(A voz do Brasil)としての彼の名声は欧米でも高まりを見せる。
 そう言うミルトン・ナシメントの曲の中で、ヒットして成功を収めたのはおそらく、ここで紹介するトラヴェシーア(Travessia)だろう。
 親友のFernando Brant と共同で作曲したそれは、歌詞そのものがミルトンの望み思い描いた内容そのものだったらしい。
 愛する大切な人との終局に伴う喪失感と孤独に陥った者が、自裁したい気持ちを乗り越え、そうした心理的な逆境に立ち向い、新たな人生を歩むことを決意した心情を吐露した歌。それがTravessiaである。この言葉をどう日本語に置きかえたらよいのだろう。私なりの解釈で、道程の意味を含めた人生航路ととりあえずした。

Travessia
Quando você foi embora
fez-se noite em meu viver
Forte eu sou, mas não tem jeito
Hoje eu tenho que chorar
Minha casa não é minha e
nem é meu este lugar
Estou só e não resisto, muito tenho falar.

  「人生航路」
君が立ち去って
僕の人生は夜になっちまった
気丈な僕だが、どうにもならない
今日僕には泣きたいことがあるんだ
僕の家は僕のものではないし、この場所だって僕のものではない。
独りぼっちの僕は、耐えきれそうもない。
話したいことが山ほど僕にはあるんだ。

Solto a voz nas estradas,
já não quero parar
Meu caminho é de pedra,
como posso sonhar
Sonho feito de brisa, vento
vem terminar
Vou fechar o meu pranto,
vou querer me matar.

僕は道路で声を張り上げ、
もう立ち止まりたいとも思わない。
僕の道は石ころの道。
どうして夢を見ることができようか。
そよ風で出来上がった夢。
風が終止符を打ちにやって来る。
僕は嘆くのをよそう。
僕は命を断ちたい。

Vou seguindo pela vida me esquecendo de você
Eu não quero mais a morte, tenho muito o que viver
Vou querer amar de novo
e se não der não vou sofrer
Já não sonho, hoje faço
com meu braço o meu viver.

君を忘れながら
人生は過ぎて行く。
僕はもう死を望みはしない。
うんと生きねばならないんだ。
そして、もしうまくいかなくとも、僕は苦しむこともない。もう夢を見ることもなく、今日僕は自分の腕(かいな)で、自らの人生を築き上げて行くのだ。
Solto a voz nas estradas…
道路で僕は声を張り上げる、、、。