連載エッセイ538:渡邉裕司「中南米赴任の心得ABC」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ538:渡邉裕司「中南米赴任の心得ABC」


連載エッセイ538

中南米赴任の心得ABC

執筆者:渡邉裕司(元ジェトロサンパウロ所長)

今から半世紀前、1974年11月15日サンパウロ・コンゴニャス空港・・カラっと抜けるように晴れ渡る空、南半球高原の初夏は心地良い。機体にSAMURAIの文字を施した日本製国内線双発YS-11型機も見える。これが生まれて初めて私が見た外国だった。羽田から20時間以上飛んで漸く地球の反対側に達した興奮、リオデジャネイロの美しいコパカバーナ海岸を眼下にした時の感動は今も鮮明に覚えている。セニョール、ゴスタリーア・・?にっこり微笑んで機内サービスする乗務員。貧富、肌の色を超えて明るく、屈託のない大らかな国民性にかつてない解放感を覚え、そこに21世紀の大国ブラジルの片鱗を見る思いがした。ここは仕事に追われる窮屈な日本よりはずっといい、第一印象からそう予感した。同時にこの国を知りたいという強い好奇心にかられる。1964年以降、自由体制擁護に敷かれた軍政下にありながら一見、想像した暗い雰囲気は微塵もなく、国全体が発展という大きな目標に向って力強く前進しているようだった。

<不思議な大陸>

先ず任地を好きになる・・これが海外勤務を実りあるものにする出発点。幸いさしたる努力もせず日本人ならほぼ確実に好きになるのが中南米だろう。海外赴任はしたがその国が最後まで好きになれなかったという不幸な話はたまに耳にはする。しかし中南米に限ってそのような話は先ず聞いたことがない、と言えば人は不思議がる。何故なのか、説明はしにくいが「中南米は中南米に住んだ者にしか分からない」と言えばいい。日本で流れる悪いニュースはその大半は仕方のないことだがコンテクストが省かれて伝わる。だからそこだけをそのまま切り取って真に受けると判断を誤る。話は先ず半分に聴き、情勢をどう判断するかだ。面倒だが中南米を見る時の大切な視点である。こういう話しがあった。中南米の輸出先国外貨事情が逼迫し代金回収と政情の先行きに不安を覚えた日本本社が事業の撤退を考えた。一方、その輸出原料は当該国基幹産業になくてはならないものだから輸入禁止などあり得ない、と主張する現法。双方激しく対立した揚げ句に事業継続が決まった。その後、ビジネスは何事もなく継続され評価を挙げたその現法代表は社内で発言力を増したという。

任地を好きになることは勿論だが、いくつかのことを心得れば更に充実した駐在生活を送ることができる。それには何事も初動が肝心、始め良ければ終り良し・・だがこれには自分の努力でできることと、自らの力ではどうにもにもならないことがある。駐在生活のスタートをミスると引っ越しを繰り返したり、現地に馴染めない家族を帰国させたり、余分な出費を強いられる、貴重な時間を失うことにもなりかねない。以下は私の現役時代計4カ国、5回、足掛け15年に及ぶ中南米駐在生活で経験したABCである。赴任の機会ある方にいささかなりとも参考になれば幸いである。

<駐在の成否決する住宅選び>

長期滞在型ホテルの活用・・着任して前任者の住居にすぐに住めればいいが人にはそれぞれ好み、家族の帯同や予算などの事情がある。また家主にすれば後任者の到着を待ってもその人と契約できるかどうかの保証はないから物件を手待ちする訳にもゆかない。そうなると新居探しは面倒だが念のためやや長期化する可能性も考えて取り組むのがよい。人にもよるが私の場合はとにかく住居が決まるまで何をしてもフワフワした感じで地に足がつかず、仕事が身に入らない。同伴する家族がいれば尚更、早く落ち着きたいと思う。

長期戦も覚悟するなら先ずは簡単な自炊もできる長期滞在型ホテルに仮住まいするのがいい。TV、机とベッドだけの普通のホテルでは何かと自由が利かず1-2週間もすれば疲労感を覚える。飲料水や何かちょっとしたことを頼む度に従業員にチップ、ではなんとも落ち着かない。小さな子供もいる家庭なら尚更だろう。この辺のことは気にならなければいいが、自分の好みや都合はよく前任者に伝えておかなければならない。海外生活と言えど住居は家庭生活の拠点、軽視せずその後の長い駐在生活の成否を決する最も重要な要素と考えるべきだ。現地で自分の眼で物件を確認し家族同意のうえ決めるのがよい。特に夫人方は一日中、家事で家にいるから奥様の意見が尊重されなければならない。運よくすぐに適当な物件が見つかることもあれば長期化し、いっそのこと滞在する仮住まいで駐在生活を終えてもいいという人も中にはいる。しかし単身赴任者ならいいが、家族のいる家庭だとなかなかそうはゆかない。

仲介業者・・スペイン語圏で agente、ブラジルはcorretorという不動産仲介業者がいる。人づてで物件を探すこともできない訳ではないが、その道のプロに頼むのが一番いいのは日本と同じだ。ただ仲介業者なら誰でもいいという訳ではない。居間の日当たり具合、方角、日本人学校スクールバス経路、治安、買い物の便など日常生活に問題ない物件か、家具什器付き契約か、など日本人の好みを熟知する業者がいるからそこに頼んでおけば効率的だろう。中には家主と個人的信頼関係を持ち厳選された確かな物件を提供できる気の利いた業者もいる。私の経験でこんなことがあった。

高級ゴルフクラブを見下ろす立地に目がくらみ?入居したアパートの住み心地が余りに悪い。約束を果たさない不誠実な家主にもあきれて短期間で見切りをつけた。別な業者に新たな物件探しを依頼したところ、程なく話があり家賃は4000ドル、良い物件だから一度見てみろ、という。4000ドルなど払える訳がないから見る必要はないと家内が断ったものの「いいから見ろ、明日現場に来い」と言う。時間の無駄とは思いながら重い腰をあげた。行くと上品な感じのセニョーラが一人居間で椅子に座ってジッとこちらを見つめている。このアパートいいですね、でもとても払えませんからと言うと、その青い目をした家主から予期せぬ反応が返ってきた。「いくらなら払えるか貴方が言え」と。恥ずかしかったが、どうせダメなのだから小細工しても仕方ない。2000ドルです、と正直に言うと相手は考え込む様子もなく少し間を置いて「分かった、それでいい」と。細かなことは一切、触れず話は決まった。後は業者に全権を委ねているようだった。このご婦人は一体どこの大者か、と驚いたが、彼女は我々夫婦が日本人である、というだけで決断したのだという。おカネは二の次、約束と規律を守るイメージを持つ日本人に奇麗に使ってもらえばそれでいいのだと。後で分かったが、この家主婦人はその苗字から推測した通り出自は上流階層のある高名なファミリーであった。家賃収入など宛てにしなくていい寛大な家主との、私達にとって幸運な出逢い・・その住居は住めば第一印象の通り、満点に近い希少物件、その後の私達の駐在生活を快適で豊かにしてくれたのは言うまでもない。

もうひとつ、住居退去時のインベントリー・チェックには相手家主によっては自分サイドの弁護士を同伴するのがよい。なかには理不尽な要求を突きつけ敷金を返そうとしない家主もいるから注意が必要だ。現場は弁護士に任せておけば不誠実な家主もしぶしぶその場で敷金相当額の小切手をきって返金するものだ。プロとケンカして勝ち目がないからだろう。

<手荷物引越し>

現地着任後、追って引越し荷物が任地の港に着くと、その通関業務を船積書類を渡して現地乙仲に依頼する。輸送手段は海上貨物、航空貨物、旅客便手荷物がある。私の経験から言うと海上貨物は一番遠い東京~ブエノスアイレスで寄港地にもよるが航海日数が40-50日。輸送経費は割り安だが港湾は治安が悪いせいか盗難リスクが高くなる。また目的不明の説明しづらい経費が額は知れているが現金で乙仲が請求することがある、ことも頭の片隅に置いておく。多分、通関時の aceite 潤滑油に使うのだろう。私が経験した海上貨物の引越し荷物被害はサントス港での盗難。子供の新品学用品がゴッソリと抜かれて消え自宅に届いた段ボール箱は見るも無残な姿を晒した。運送作業員に訊いてもラチは明かない。

航空貨物は費用は高いが輸送時間は短く数日で届く。空港での盗難被害は一般に港湾よりは少ないと思っていい。意外に気づかないのが搭乗便の手荷物で引越し荷物を運ぶ手だ。

メリットは乗客と荷物が同じ便で輸送されるため速いと言うよりも時間が実質、かからないこと。盗難が少ない、費用は単価でみると割高かもしれないが大きな大量の家財でもない限りスーツケース10個もあれば十分に納めることができる。梱包の手間と経費は省け、おまけに手荷物はひとり2個まで無料。日本出発チェックイン時に航空会社に手荷物超過料金を支払えばそれですべてが完結する。記憶は定かではないがサントドミンゴまでの成田で払った超過料金はふたりで数百ドル位。搭乗客荷物の簡易通関なので乙仲も不要、却って費用は安くなるかもしれない。手っ取り早いので帰任時も同様に手荷物とともに帰国した。但しアメリカでの空港セキュリティー検査のためスーツケースのロックが禁止されて以降、空港で細かなモノが頻繁に消えるようになったというニュースをよく見た。家内の愛用した果物ナイフがロス空港で手荷物から消えた。サントドミンゴ空港での手荷物通関前と思うが長く愛用した思い入れあるSony製短波ラジオがなくなった。日本で荷作りした時、貴重品のラジオはもっとケースの中に深く納めるべきであった。手荷物だから大丈夫だろうと無雑作に置いて荷造りしたのがいけなかったかもしれない。後悔したが後の祭り、そのうち時間の経過とともに盗難保険を請求するのも忘れた。蛇足だが空港内では悪質な悪戯もある。引き取ったスーツケースが強いコーヒーの香りを放つ。不思議に思い開けるとワイシャツ、ネクタイなど中の衣類が半分程コーヒー液で真っ茶色に濡れている。手に持つカップを誤ってこぼしたものではない。かなりの量のコーヒーを閉じたケースの隙間から意図的に注入したものと思う。NYかサントドミンゴかは分からないが空港内部の人間でなければできない仕業。こんな被害も保険でカバーできるのか、求償は面倒なので調べもしなかった。

<慣れるまで車は運転しない>

海外生活に車は必需品。家族が同伴すれば買い物など外出機会は多いから尚更のこと。但し着任してすぐ運転はできないと思った方がいい。地理、道路に不案内のうえ、いきなり左ハンドル、右側通行、最悪とも言うべき現地交通マナーでは慣れない状態で運転を始めるのはこの上なく危険である。日本人に馴染みのないrotondaロータリーへの入り方も要注意だ。車の流れにうまく乗って現地流に運転できる様になるには少し時間が要る。着任後、暫くは運転手付きの事務所公用車を使うか、(治安が許せば)公共交通機関を利用し生活に慣れてきたら道路がすく休日を利用して練習するのがいい。慣れる前に高価な車を買っても暫く宝の持ち腐れとなる。

飲酒運転はどこの国でも違法だが、警察が道路で呼気検査をしているのは見たことがない。但し食事のワイン位ならいいだろうと軽く考えてはいけない。万が一、事故があると警察は飲酒検査を行うと聞くから要注意だ。

試験場の通訳氏

免許証は国際免許証条約加盟国なら日本発行の国際免許証で運転可能だが有効期間は1年、切れる前に現地免許証に切り換えねばならない。普通は簡単な手続きだけで切り替えられるが、条約非加盟国だと簡単な筆記・実技試験がある。面白いことがあった。ある国の試験場で受験手続きをしていたら現地の人が声をかけてきた。筆記試験に和西通訳をつけないかと言う。要らない、と思ったがどんな通訳が出てくるのか見てみたい好奇心にかられた。料金は高くない。だがその通訳氏、使って驚いた。実は耳元で問題をすっ飛ばし正解だけを順に耳元で囁き受験者に書かせる?とんでもフェイク通訳なのだ。設問はすべて択一式だから言われた正解の番号を書き込むだけ。ここは中南米、色んな職業があっていい。でも流石にこれはまずいと思ったがもう遅い。テストは始まり契約解除も何もない。日本語の分からない試験官は知ってか知らずか、事態を把握する様子もなく試験は終わった。多分、私の答案は満点だったろう。何かスッキリしないまま新品免許証を頂いた。幸いその後、それがもとで事故に遭遇する不幸もなく、駐在生活を全うできたのはひとえに神の御加護があったものと今も信じている。

<為替に注意>

住宅と並んで赴任生活の明暗を分けるもうひとつが為替相場だ。ただ為替に注意しろ・・とは言ってもこればかりは注意のしようもない。為替のことは主権国家たる当該国通貨当局の政策とその結果としての市場メカニズムに左右されるから基本的に手の打ちようはない。しかしこれから赴任する国の為替事情が今、どうなっているか、現地通貨の価値が米ドルに対しどのように評価されているか、その原因は何か。外国人の生活にどう影響しているかを理解し、実情を本社担当部署によく説明しておかなくてはいけない。これを怠ると後々、東京を説得する必要に迫られた時に苦労する。本社は大体、地球の反対側の国で何が起きているかなど細かなことは特定部署以外は分からないのが普通。中南米は物価が安い、「闇ドル」がある、ドル安なんてあり得ないと思い込むものだ。高インフレ下に意図的に強い通貨政策が採られることはよくあることだ。その代表例が20世紀後半、中南米諸国が競って採用した自由開放経済政策を支えた極端な通貨高政策であった。手法は簡単・・為替切り下げをインフレ率以下に抑えれば現地通貨の対ドル価値は自動的に上昇する。

閉鎖保護から自由開放へ

中南米軍政全盛期の1960-80年代、国家再建を託された軍部は当時、ケインジャンに代って世界を席巻したシカゴ学派レッセフェールを政策の中核に据えた。軍の絶対的支持を背景にアメリカで薫陶を受けたシカゴ・ボーイズが政策で実権を握ったのは言うまでもない。チリのデ・カストロ、アルゼンチンのマルティネス・デ・オス、ペルーのカルロス・ボローニャなど著名エコノミストが新自由主義の手法で敏腕を奮った。輸入代替保護から徹底した自由開放に転換し時代遅れの非効率な産業を国際競争に晒せばそれは必然的に近代化投資と技術革新が促され生産性は向上する。政府は市場経済に関与せず通貨管理に専念すれば経済は市場原理に従って自ずと成長軌道に乗る。しかしこのマネタリズムの改革で先陣を切ったチリは一定の成果を見たものの、アルゼンチンなど多くの国では過度な自由化による弊害が表面化、輸入急増、輸出・投資の停滞、投機的短資流入が目立ち対外債務だけが累積し行き詰まった。劇薬は効き過ぎたのだ。失政回復に最後の賭けに出たのがアルゼンチンの軍事政権だった。1982年、領有を主張する英領フォークランド諸島を奇襲、軍事占領し国民のナショナリズムに訴えて軍への全面支持を狙う奇策に出たが敗北、以後軍は政治の表舞台を去った。

アルゼンチン・ペソ

私が1980年初め着任したアルゼンチンの第一印象は一言で言えば経済に活力がなく輸入急増で外国製消費財がやたらと目についたこと。100m道路、欧州風石畳みの街並み、高層アパート群、銀座線より古い地下鉄などはかつての繁栄を偲ばせる。しかし通信、鉄道、港湾、空港など重要インフラへの投資の停滞は覆うべくもなく老朽化が目立つ。輸入品に対抗して品質と価格で負けないモノが国産され始めている訳でもなく製造業は元気がなかった。ペソ通貨の対ドル過大評価は凄まじく、外国人は口を開けばドル安生活苦?を嘆いた。この過大評価は猛烈なインフレ進行に見合う切下げをしないこと、市場のドル過剰供給が主因。当時のドル円相場は226円、500-600ドルも払えば冬は床暖房が効き蛇口を捻れば熱い湯の出るアパートに住めたものが、今やドルベースでその数倍になった。出勤前、街角でクロワッサンとエスプレッソの簡単な朝食をとっても10ドル以上・・円貨で2300円。ドル族はドル安族?に転落、日本人駐在員の窮状は暫らくは東京本社にはなかなか理解されるところではなかった。市民は日々、価値を下げるドルよりもペソを欲しがった。家主の中にはドル建て契約を敬遠しペソ建て賃貸契約に切り替える者もいた。このペソ選好がまたドル安を助長し国民は安いドルを買って空前の海外旅行ブームを満喫した。市場は中国、台湾、韓国から欧米日本品で溢れ、花火、玩具、文房具、衣料品等なんでも手に入った。日本からは家電製品、自動車、オートバイ、船外機や石油掘削鋼管等の高級鋼などに及んだが、活発な資本財輸入が製造業近代化を後押しする兆候ははた目には見えなかった。ただ国民が世界最高品質の日本車の存在を知ったことの意味は大きかった。

100万ペソ札

デノミで100万ペソ札が出たがその価値は猛烈なインフレですぐに対ドル半減、やがて数分の一に減価した。政府発表の消費者物価は年率100%~200%、街の銀行店舗は30日定期預金年利100%、90日120%などと為替レートとともに表示した・・こんな短期預金を集めて何をするのか不思議だった。安いドルを国内で調達し高利のアメリカで運用するのか。ユーロドル市場で調達したドル資金も邦銀の稼ぎ頭だった。スプレッドを乗せアルゼンチンのボロワーに貸せば労せず日本の10店舗分の年間利益を出せると言う邦銀もいた。面白い程、稼げる・・こんなチャンスはそうはない。邦銀も競ってブエノスアイレスに駐在事務所を開設した。しかし楽して稼ぐビジネスなど永くは続かない。やがてそれは巨額の不良債権となって長く世界経済を揺るがすことになる。

ア軍降伏直後の1982年6月、長く見なかった闇ドルがついに出現した。英機動艦隊を苦しめた仏製最新鋭戦闘機やミサイルなど高価な兵器購入で外貨が底を尽き始め市場は不安を反映してドルが急騰したのだ。「ヤミ」は正確には地下経済、厳密には違法だ。しかしヤミとは言っても実際の感覚は自由相場程度の意味。この相場に世話にならない人はアルゼンチンに住む限りいないだろう。公定相場はレートが悪いからだ。新聞は毎朝、経済指標欄にこの並行レートparalelo を報じ、それが市場の実勢をよく反映した。

適正為替レート試算

為替レートが適正かどうかは本当は誰にも分からない。市場はあらゆる要素を織り込んだうえで需給が決めるものだ。ただどの程度の水準であるべきか、一応の試算は理屈上は可能かと思う。起点となる時点のレートに消費者物価上昇率を乗じ、それを更にアメリカの消費者物価上昇率で割り米ドル・インフレ分を差し引いて適正レートを算出する。

実例としてブラジルのレアル・プラン以降の一定期間について適正レートを試算してみたのが別表である。プランは1994年7月時点の実勢レートをもとに旧通貨クルゼイロと新通貨レアルと米ドル通貨を等価CR$2,750= R$1= US$1に置きそれを試算の起点とする。先ずR$1をブラジル消費者物価上昇率レアル・インフレ率②を乗じて調整する。この調整後レート③は等価たるドル自身のインフレ含みレートであるから、これを差し引くべく米ドル・インフレ率④で割る。これを2007年末まで計算すると1994年起点から調整した各年末の適正レート⑤が算出される。市場の実勢レート⑥がインフレ率を反映した「適正レート」とどれだけ乖離するか、を見る。対ドル増減価をみて切り上げるか、切り下げるかの最終調整率が⑦、⑧である。最後の2007年末レートを見ると実勢@1.77が適正@3.63の0.4876倍へと対ドル増価している。これを1に戻す、つまり@3.63にするには1÷0.4876= 2.05倍に、つまり率で105%の切り下げ調整が必要となる。

以下、別表を参照のこと