連載エッセイ548:司涼「観光というプリズム — メデジン都市再生の研究ノート —」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ548:司涼「観光というプリズム — メデジン都市再生の研究ノート —」


連載エッセイ548

観光というプリズム
—メデジン都市再生の研究ノート —

執筆者:司 涼(元JICA海外協力隊)

1.予定変更から見えた「富の系譜」

前日のコミューナ13訪問で体験した、暴力からの再生が放つ強烈なエネルギーと、過密化という新たな課題。そして、その前日(旅の初日)に体験したエル・ポブラド地区の熱狂—グローバルな観光客で溢れる一方で、公園には客引きの女性が立ち、ビールの価格が店ごとに倍違うというジェントリフィケーションの現実—。

その強烈な「光と影」の交錯が網膜に焼き付いたまま迎えたメデジン滞在3日目は、あえてガイドツアーを入れず、自らの足でこの都市の多層性を確認する「プレ調査」の日と決めていた。

当初の計画では、メデジンを語る上で避けて通れない人物、パブロ・エスコバル縁の博物館を訪れる予定だった。しかし、あいにくの休館日。この予期せぬ予定変更が、結果として私の視点を「現代の影」から「歴史的な富の系譜」へと向かわせることになった。

急遽向かったのは、ヨーロッパの古城のような「エル・カスティージョ博物館(Museo El Castillo)」だ。初日の夜に体験した喧騒とは対照的な、丘の上に静かに佇むその城は、メデジンが持つもう一つの顔、すなわち「階級差」と「富の象徴」を理解するための入口となった。


写真1:エル・カスティージョ

2. エル・カスティージョの庭園と「日本庭園」の謎

この博物館は、もともとフランスの古城に憧れた実業家が1930年代に建てた邸宅であり、その後、メデジンの名士ディエゴ・エチャヴァリア・ミサス夫妻の手に渡り、ヨーロッパ各地の美術品で満たされた(博物館公式サイトより)。朝9時半からのガイドツアーを申し込み、待つ間に広大な庭園を散策する。

まず圧倒されたのは、サンタクロースの髭のように枝から垂れ下がる巨大な「チランジア・ウスネオイデス」や、ウコンの巨大な葉だった。だが、それ以上に私の足を止めさせたのは、予想だにしなかった「日本庭園」の存在だ。アカマツやクロマツが植えられ、盆栽が並ぶ空間。ガイドに尋ねても、その由来まではわからないという。

20世紀初頭、地球の反対側に位置するコロンビアの富裕層が、なぜ日本庭園に興味を持ったのか。日本人移民との接点か、それとも単なる異国趣味か。プレ調査の段階で、コロンビアと日本の初期の文化的接点という、新たな研究の「問い」が生まれた瞬間だった。


写真2:チランジア・ウスネオイデス

城内のツアー(写真撮影禁止)では、バカラクリスタルやヨーロッパの磁器、タペストリーが並び、19世紀の貴族の生活が再現されていた。書斎に東洋の書籍がいくつかあると聞き、先ほどの問いが再燃したが、詳細は不明のままだった。この城は、メデジンの持つ構造的な不平等の「始まり」、すなわち、かつての支配階級がどのような美意識と生活を送っていたかを物語る貴重な資料であった。

3. エル・ポブラド:「動」と「静」のジェントリフィケーション

博物館を後にし、初日に「夜」を体験したエル・ポブラド地区へ再び向かった。目的は、前回買いそびれたコーヒー土産だ。立ち寄った店には、パネーラ(サトウキビ糖)入りやリンゴの皮入りなど、コロンビアらしいユニークなフレーバーコーヒーが並ぶ。


写真3:昼間のエル・ポブラド

土産を購入した後、改めて地区を歩いてみた。その光景は、初日の夜とはまるで別世界だった。あれほど溢れていた人波は消え、ディスコや飲み屋は固くシャッターを下ろしている。代わりに目立つのは、エレガントなブティックや美容院が並ぶ、静かで洗練された街並みだ。ジェラス公園にも客引きの姿はなく、観光客相手の露店が細々と土産物を売っている。

この極端な「動」と「静」の対比は、この地区の観光がいかに「夜」に偏重しているかを物語っている。だが、ジェントリフィケーションという観点から見れば、これは単なる時間帯の違い以上の意味を持つ。初日の夜に体験した「夜」の姿(一杯のビールの価格差に象徴される物価高騰、快楽消費、公園の客引き、騒音)は、グローバルな観光客向けに最適化された「表層」であり、それこそがジェントリフィケーションの強力な推進力となっている。一方で、「朝」の静かな姿は、観光客が去った後に残る、高所得者向けに整備された「本来の」空間機能と言える。

つまりエル・ポブラドでは、時間帯によって空間の利用者が(そして恐らくは経済圏も)分離されているのだ。観光客は「夜」の顔だけを消費し、地域コミュニティの「昼」の顔とは断絶している。この時間的・空間的な分離こそが、ジェントリフィケーションがもたらした歪な「持続可能性」の形なのかもしれない。観光客の時間的分散は、騒音などの課題を緩和するかもしれないが、この根本的な空間の機能分離を解決するものではないだろう。

4. セントロの現実と「見えない壁」

午後は、メトロに乗って「Parque Berrío」駅で下車した。エル・ポブラドの洗練された雰囲気とは一変し、そこは「セントロ(中心街)」の雑多な空気が満ちていた。友人ガイドのカミーロと、土産のキーホルダーなどを購入した後、アンティオキア博物館へ向かう。


写真4:Parque Berrío

4階建ての博物館の最上階は、メデジン出身の巨匠フェルナンド・ボテロの作品群で埋め尽くされていた(ここだけ撮影禁止)。私自身の関心は、他の階に展示されていた20世紀以降の現代アート、特に当時の都市の風景や景観を描いた作品にあった。当時の人々の暮らしを想像することは、都市の変遷を研究する上でささやかな収穫となった。


写真5:博物館内にあった19世紀後半の市内マップ

博物館を出て、近くのローカルレストランで昼食をとる。テラス席に座ると、セントロの現実が目の前に現れた。物乞いが客に話しかけないよう、テーブルの周りが植木鉢で巧みに隠されているのだ。この「見えない壁」は、エル・カスティージョの物理的な城壁とは異なる形で、現代の都市における分断を象徴しているように思えた。富裕層が自ら築いた「物理的な壁」に対し、ここは一般市民が日常の安全を確保するために築かざるを得なかった「心理的な壁」である。

5. 本棚の向こうにあるメデジン

昼食後、私はこのプレ調査の目的の一つであった、メデジンに関する文献を探すため、Biblioteca Pública Comfenalco Héctor González Mejía(メデジンの公立図書 館)に向かった。カミーロの助言で、書店ではなく市民図書館を目指す。幸いにも、都市計画や観光に関するコーナーを見つけることができたが、当然ながら閲覧のみ。購入はできない。


写真6:カルチャーセンター内の図書館で書籍探し

何冊かを急いでメモを取りながら、私は自覚せざるを得なかった。今回の旅でできることは、ここまでだと。次にメデジンに来る時は、本格的な調査の段階でなければならない。日本でできる文献収集を徹底的に行い、現地でしかできないフィールドワークやインタビューに備える必要がある。首都のボゴタに戻ったら、まずは専門書籍を探すことから始めようと決意した。

6. 観光のプリズムを通して都市を聞く

夕方、ホテルへ戻る電車の窓から、メデジンの街並みがゆっくりと流れていく。エル・ポブラドの洗練された喧騒、コミューナ13の再生のエネルギー、セントロの雑踏、そして丘の上に静かに佇むエル・カスティージョ——それぞれが異なる「光と影」を持ち、観光というプリズムを通して都市の表情を変えていた。

本来であれば、メデジンを語る上で避けて通れない存在——パブロ・エスコバルの跡地や関連ツアーにも触れる予定だった。だが、今回は休館日という偶然もあり、その“影”に深入りすることは叶わなかった。結果として、都市の「富の系譜」や「空間の分断」に焦点が移り、別の光景が見えてきたのは、旅の偶然がもたらした必然だったのかもしれない。

メデジンの再生は、決して一枚岩ではない。暴力の記憶をアートに変える力、富の象徴が残す静かな支配の痕跡、そして市場原理が生む空間の分断——それらが複雑に絡み合いながら、この都市の現在を形づくっている。

かつてラテンアメリカに暮らした方なら、メデジンの風景にどこか懐かしさを感じるかもしれない。そして同時に、「今のメデジンはどうなっているのだろう」と、もう一度歩いてみたくなるかもしれない。

私自身、この旅を通して、都市を「調べる対象」としてだけでなく、「耳を傾ける相手」として捉えるようになった。観光の光が当たることで、都市は語り始める。その語りに、私たちはどう応えるべきなのか——それが、次の旅の問いになる。

メデジンは、まだ語り終えていない。そしてその語りは、かつてこの地に暮らした人々の記憶とも、静かに響き合っているのかもしれない。

<参考文献>

Museo El Castilloの公式ホームページ

https://www.museoelcastillo.org/

Biblioteca Pública Comfenalco Héctor González Mejía

https://www.comfenalcoantioquia.com.co/personas/sedes/biblioteca-publica-hector-gonzalez-mejia-la-playa/