連載エッセイ569:設楽知靖「イラン・パナマ・ベネズエラ=混乱・革命・侵攻:世界の不安=」 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ569:設楽知靖「イラン・パナマ・ベネズエラ=混乱・革命・侵攻:世界の不安=」


連載エッセイ 569

イラン・パナマ・ベネズエラ
=混乱・革命・侵攻:世界の不安=

執筆者:設楽知靖(元千代田化工建設・元ユニコインターナショナル)

私の社会人としての人生経験はこの三つの国と深く関係している。

というのは、社会に出て最初のプラント・プロジェクト・ビジネス経験は『イラン帝国 Kharg Chemical Company の硫黄・LPG回収プラント・プロジェクト』であり入社後初めての海外出張はイランであった。当時のイランは米国との同盟関係のパーレビ王朝の支配する帝国であった。

そのプロジェクトが終了後、私はジェトロへ出向してメキシコとブラジルに駐在し、三年後に帰国して元の企業に戻った後はエクアドルの石油公社最初のエスメラルダス製油所建設プロジェクトに参加し受注後の現場セットアップ後、パナマに駐在して中近東プロジェクトのワールドワイド・オペレーションを経験した。

1.パナマに『シャー』現れる“シャー・ハン・シャー:King of Kings

パナマに駐在しているとイランでは1978年に革命が起こり1979年1月にパーレビ国王が国を脱出して米国へ亡命した。1979年2月11日ホメイニ師が政権を掌握、ホメイニ革命が成功した。パーレビ国王は米国サンアントニオ空軍基地に滞在した。

パナマは当時、まだ米国のカナル・ゾーンが永久租借地として存在していたので、その中から米国のテレビ放送が流れていた。ある日、この放送から『あと5分後にイランのパーレビ国王がパナマの空軍基地に到着する』とのニュースが流れた。

この時パナマは大統領が存在していたが、実際の政治的権限は国家警備軍(Guarudia Nacional )のオマール・トリホス将軍が握っていて、パーレビ国王の再亡命先としてのパナマは米国カーター政権とトリホス将軍との間で交渉が行われていた。

この時、放送が冗談と思ったのは、ワシントン・サンアントニオ・パナマの間で三回の交渉を米国空軍戦闘機で往復していたのが、カーター大統領の首席補佐官の『ジョーダン』氏であったのだ。それで『冗談』かと思ったのだ。(駄洒落)

この再亡命先を承諾したパーレビ国王はサンアントニオの空軍基地から米軍機でパナマのカナル・ゾーンの米南方方面軍基地(ハワード・ベース)に到着したのであった。

その後安全のため、パナマ国家警備軍の警備ができる太平洋岸のコンタドーラ島の駐米パナマ大使の別荘へ移動し夫人とともに暮らすこととなった。

私は最初のプロジェクトの国がイランであったので,親しみがあったので、まさかパーレビ国王がパナマに来るとは夢にも思わなかった。

パーレビ国王はこの時には体調を崩されておられ,コンタドーラから頻繁にプンタパイティーアの病院へヘリコプターで通院されていた。やがてパナマからエジプトへ移り入院してそこで亡くなられた。今、米国へ亡命し滞在している皇太子が頻繁に民間機で両親ところへ来ていた。

2.パナマからの中南米営業活動:

パナマのワールドワイド・オペレーションでベネズエラを含む域内諸国の石油公社とのプラントビジネスを推進させ、特にベネズエラでは、当時欧米メジャー・オイルが石油産業分野を運営していたので、シェル、エクソン、ガルフ、モービル、国営のCVP、国立石油研究所INTEVEPとのコンタクトをパナマから出張で続けていた。

その時のベネズエラの政権はCAP (Carlos Andres Perez)で、この時にすでに国の資本を投入する」国有化の話が進んでおり、シェルはMARAVANエクソンはLAGOVENにガルフはMENEVENにモービルはLLANOVENNにCVPはCORPOVENとなってこれを管理する国営のPDVSA(Petroleos de Venezuera S.A.)も設立されて50%以下の投資が行われていた。しかしながら、技術部門は各々のメジャーとの間で技術提携がなされて支援されていた。

私の企業はマラヴェンと重質原油の処理に係る技術支援プロジェクトを支援し,一方で研究所のINTEVEPとはオリノコ超重質原油軽質化に関して、双方のグレードアップ技術のミーティングを重ねていた。その後は政権がチャベス政権に代わり徐々に国有化の方向へ傾いて、私もエンジニアリング企業から、開発コンサルティング企業へ移りベネズエラは社会主義化の方向へ、石油産業は様変わりしていった。

3.米軍・パナマ侵攻:1989年12月20日

私はパナマから帰国して営業来企画部。経済協力の担当になった直後、パナマに『米軍侵攻』の事件が勃発した。最後の駐在の頃から毎日のように市民と国家警備軍との間で衝突デモが繰り返されていた。

事務所のビルのロビーにデモ隊を追ってくる警備軍の催涙ガス弾が撃ち込まれて、そのガスがエレベーターに乗って上階まで達して仕事中も涙が出て」窓を開ける状態で,通りにはデモ隊の障害物絵の放火で暗くなっても家に帰れない状況が続いたりした.昼は運転手に食料を大量に買ってこさせて従業員の分まで冷蔵庫に入れて籠城状態であった。

この時、国家警備軍の長は、トリホス将軍の飛行機事故死後、三代目のマヌエル・アントニオ・ノリエガ将軍であった。このノリエガ将軍はペルーで米軍の訓練を受けたといわれている親米派であったといわれているが麻薬密売に手を出して米国からにらまれパナマにおいても独裁色を打ち出すようになり米国のマイアミ裁判所から訴追され、

米軍がパナマのカナルゾーンを活用することで1989年、ついに侵攻することとなり ,いったんはパナマのバチカン大使館に逃げ込んだが、米軍の包囲により最後は軍服を着て『戦争犯罪人』として米軍に投降して米国へ護送されて米国で裁判を受けて終身刑で最後にはパナマへ帰国して死去した。

米国が侵攻した今回のベネズエラ侵攻と同一の方策であった。すなわち、麻薬密売容疑、拘束、他国の租借地(カナルゾーン米軍基地、キューバのグアンタナモ米軍基地)活用である。

この時の米軍パナマ侵攻は『世界ニュース』の中ではほぼ二日間ほどで批判は中南米地域のキューバをはじめ、ごく限られた範囲であった。それは大半のニュースは『東欧改革』、{ベルリンの壁崩壊}に集中したためであった。

4.米軍ベネズエラ侵攻:2026年1月3日

私は開発コンサルティング企業に移った後にベネズエラの中小企業振興計画調査をJICAの下で行い、主にその中の歴代政権下で実施された『工業団地』のその後の現状調査を担当した。このときベネズエラはチャベス政管に代わっていて、私が今まで経験した石油産業分野とはまったく違う関係先とのコンタクトの連続であった。そしてカウンターパートも商工省でそのスタッフも石油関連公社の人々とは全く違った人材であった。

特に調査対象の機関、現場は首都カラカスから東西の州の都市に及んでいたので、毎日地方へマイケティア空港から国内線で飛んで、地方官庁のスタッフ、ほとんどがチャベス政権で新たに採用された人々で、私の方もその地方の特色などを勉強していかないと話が進まない面もあった。

地方職員との打ち合わせの後、そのスタッフとともにその地方の中小企業を訪問して工業団地でオペレーションをしている企業で打ち合わせ、資料を要請したり、商工省本省から入手した資料を基として内容を確認したりした時は新しいチャベス政権下では資料が整ってなく、資料より現場を見るほうが現状を確認できるのでこれに重点を置いた。

また東西南北の地方都市で人々の考えも多少違い南のジャノス地方では州知事が知事室に州内都市の市長を集めてのミーティングで訪問目的説明後に各市長からの現状問題点の説明を受け打ち合わせは実のあるものであった。これは知事の気の利いた準備であった。

また東は漁村、西はアンデスの大学の義足作製のインキュベーションセンタ―訪問からコロンビア国境のフリーゾーンのアタッシュ・ケース製作工場、ジーパン製作工場を訪問、ジーパン製作所では、輸出先の色の違いに、薄色にするためにエクアドルから軽石を輸入してそれをジーパンとともにドラムに入れて水洗しているところ見学した。アタッシュケースはヨーロッパへ輸出されて、金具はそこで付けられるとのこと。

おわりに:

このようにベネズエラは私にとって地理的には全地域を、企業分野としては石油産業分野から各種中小企業分野まで中南米諸国の中で一番、隅から隅まで訪問したした国であり、おまけに『米国。ニューヨークの9.11.テロ事件』でカラカスに一週間足止めを食って帰国ができなくなった、忘れられないところでもある。

今回、2026年1月3日の米国のベネズエラ侵攻・マドウロラ大統領拘束・移送は驚きであり国の現状を見ると、平和的な早い復興を望む以外にない。

そして、今回のベネズエラ侵攻はいろいろの中南米の事件を見て考察する中で冷戦時代のイデオロギー闘争による東西代理闘争、米国のCIA介入による社会主義政権の崩壊、現状では麻薬、不法移民・難民・問題と変化する中で米国のベネズエラ侵攻は『パナマ方策』というか、麻薬問題を前面に出した同じような侵攻の強行である。

今後の展開は米国の国家運営という話も出ているが、当面は『前副大統領を暫定大統領』として徐々に米国の方針『ドンロー主義』の主張に近づけてロシアと中国を意識した政策を実施してゆくのか。またチリーのアジェンデ政権崩壊後のピノチャット政権のような方式をとるのか。

冒頭に述べたイラン情勢については中近東の中でも、サウジアラビアの急速な多様化の動向を含めて、最初のプロジェクト経験の国であるので気になるところである。

この昨今の混迷の世界の中で中南米の政治と経済はグローバルサウスの団結とリーダーシップをどの方向に出せるか、十分に注視したい。

以   上