連載エッセイ571:深沢正雪「日本は外国人受入れか拒否か=選挙の今こそ国民的議論を=在日ブラジル人統計が示す現実 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ571:深沢正雪「日本は外国人受入れか拒否か=選挙の今こそ国民的議論を=在日ブラジル人統計が示す現実


連載エッセイ 571

日本は外国人受入れか拒否か
=選挙の今こそ国民的議論を
=在日ブラジル人統計が示す現実《編集長コラム》

執筆者:深沢正雪(ブラジル日報編集長)

この記事は、2026年1月27日付けのブラジル日報紙の編集長コラムを同紙の許可を得て転載させていただいたものです。

「外国人が増えたら犯罪も増えた」は本当か

「外国人が増えて、治安が悪くなった」

「学校で、日本語も十分に話せない子どもが増えている」

「結局、ツケを払うのは日本人なのではないか」

 在日ブラジル人に関する記事を掲載すると、こうした言葉が、まるで決まり文句のようにコメント欄に並ぶのは珍しくない。

 不安と苛立ちが、短い文章の中に詰め込まれ、互いに呼応するように連なっていく。

 それらの声を、ただ「偏見」や「差別」と切り捨てるのは簡単だ。だが、その奥にある感情は、そう単純ではない。

 日本では少子高齢化が進み、地域社会の余白が静かに失われていく。学校も、病院も、商店街も、かつて当たり前だったものが、少しずつ熱を失い、遠ざかる。

 そんな変化の只中で「どんどん増える外国人」という存在が、名前のない不安の受け皿になってしまう――それは、人間の心理として、むしろ自然な反応なのかもしれない。

 だからこそ一度、感情の熱から身を引き、静かに事実と数字に目を向けてみたい。

 警察庁の犯罪統計によれば、日本に在留する外国人数はこの20年で約1・5倍に増え、2023年には過去最多の約340万人に達した。一方で、外国人による刑法犯の検挙件数は、2005年ごろをピークに長期的な減少傾向をたどり、直近ではピーク時の半分以下にまで落ち込んでいる。


外国人人口は激増しているが犯罪件数は減っている

 少なくとも全国規模の統計を見渡す限り、「外国人が増えたから犯罪が増えた」と断定できる事実は見当たらない。

 それでも、「外国人=治安悪化」という像だけが、独り歩きを続けるのはなぜなのか。

 犯罪そのものよりも、教育や進路支援といった、より深いところにある政策の空白が、人々の不安を増幅させているのではないか。

 本稿では、在日ブラジル人社会を一つの鏡として、日本の犯罪統計をたどりながら、「外国人問題」と一括りにされてきた現象の正体を、教育政策の視点から考えてみたい。

 これは、外国人を無条件に擁護するための文章ではない。

 正直に言えば、著者自身、「できることなら、日本は移民を受け入れない方がよい」と感じている。

 日本の良さは、国外に身を置いて初めて、輪郭をもって迫ってくる。安全、清潔、秩序、そして互いへの目立たぬ配慮。それらは、長い時間をかけて積み重ねられてきた、壊れやすい社会資本だ。

 それを前提に、日本社会が今後も静かな安定を保つために、どこに手を伸ばすべきなのかを考えたい。


在日ブラジル人コミュニティの高齢化

罪は増えていない──数字が語る現実

 在日ブラジル人社会は、この問いを考えるうえで象徴的な存在だ。

 法務省の在留外国人統計によれば、現在、日本に在留するブラジル国籍者は約21万人。2007年前後には30万人を超えていたが、その後は減少し、人口規模としては落ち着いた局面に入っている。

 同時に、静かな「質的変化」も進んだ。

 在留資格の内訳を見ると、永住者、定住者、日本人の配偶者といった長期在留資格が全体の8割強以上を占める。彼らはもはや一時的な労働力ではない。日本で家庭を築き、子どもを育て、老後を迎えることを前提とした定住者だ。

 そもそも、永住権を持つ人々を、短期滞在の外国人と同じ文脈で語ることに、どこか言葉のずれを感じる。色々なカテゴリーの「外国人」がおり、もう少し丁寧な議論が必要ではないかと思う。

 警察庁の国籍別犯罪統計を見ても、この定住化の進展と歩調を合わせるように、ブラジル国籍者による刑法犯検挙件数は明確に減ってきた。人口10万人あたりで見ても、日本人全体の犯罪率と大きな差はなく、「高リスク集団」と呼べる数値は確認されていない。

 数字が語るのは、きわめて素朴な事実だ。

 外国人が増えれば治安が悪化する――その単純な因果は、日本の現実には当てはまらない。

在日ブラジル人の8割は長期定住層

定住化こそ、最も静かな治安対策

 背景にあるのは、「定住」という重みだ。短期就労が主流だった時代には、雇用の不安定さや言語の壁、社会的孤立が、犯罪リスクを高める要因となり得た。しかし今は、家族と暮らし、地域の中で日常を営む人々が多数派となっている。

 社会学の研究でも、住まいが安定し、仕事が継続し、地域との関係が太いほど、逸脱行動は抑えられることが繰り返し示されてきた。国籍を超えた、普遍的な傾向である。

 定住化は「甘さ」ではない。排除よりも、管理よりも、静かに効く治安対策なのだ。

 なぜ不安だけが語られるのか。その背景には、日本社会自身の足元の揺らぎがある。少子高齢化、地域経済の衰退、社会保障への不安。こうした構造的問題が、「外国人問題」という言葉に、まとめて押し込められてはいないか。

 「外国人問題」という呼び名そのものが、問いの焦点をぼかしている。本当に向き合うべきなのは、外国人の存在ではなく、日本の人口構造と、それに対してどんな政策を選び取ってきたのか、という問いのはずだ。


10年間で1・8倍に増えた日本語指導が必要な学校現場

移民か否か──先送りされてきた問い

 海外に暮らす立場から見ると、日本はこの問いを長く曖昧にしてきたように映る。

 外国人が増えれば、日本らしさが薄れるのではないか――その不安は理解できる。だが現実として、日本の労働力人口は減り続けている。国立社会保障・人口問題研究所によれば、生産年齢人口は今後20年でさらに1千万人以上減少する見通しだ。

 今回の選挙では、この現実から目をそらさず、どちらを選ぶのかを正面から議論してほしい。

 もし「一定数は受け入れざるを得ない」という結論に至るのなら、曖昧さを残さず、隣人として迎える覚悟が必要だ。

 技能実習制度が「現代の奴隷制度」と批判されてきたのは偶然ではない。欲しいのは労働力、だが移民とは呼びたくない。その矛盾が、最も弱い立場にある外国人の子どもたちに影を落としてきた。


高校進学率に外国人と日本人で大きな格差

教育政策という分水嶺

 文部科学省によれば、日本語指導が必要な外国籍・外国ルーツの児童生徒は約6万人にのぼる。しかし支援は自治体任せで、制度としての土台は心もとない。

 母語である外国語も日本語も十分に獲得できないまま学齢期を過ごせば、年齢相応の認識・思考能力に怪しさが伴い、進学の道は細り、不就学や中退のリスクは高まる。これは治安の問題ではない。人格形成や教育の問題だ。

 かつてブラジルに渡った日本人移民は、なぜ教育を最優先したのか。「ここに根を下ろすなら、教育だけは失わない」――その覚悟が、世代を超えて実を結び、社会との摩擦を和らげてきた。

 理想論ではない。歴史が示した現実だ。

 「外国人問題」の根は、外国人にはない。少子高齢化という人口構造の変化こそが、すべての起点だ。外国人を排除しても、日本人の数は増えない。

 まず問うべきは、「外国人を受け入れてでも、現在の日本社会のあり方を維持するのか」という覚悟だ。

 最優先は、日本人人口を増やすための実効性ある政策であり、それが叶わないなら、外国人の議論に進むしかない。でも受け入れると決めたなら、すでに隣で暮らしている人々を、どう包み、どう育て、どう共に生きるのか。その段階へ、できるだけ早く移るべきだ。


高校進学率に外国人と日本人で大きな格差

「自分がされたくないことをしない」

 海外で暮らす日本人として、強く胸に刻まれている感覚がある。それは、人は「歓迎されない場所」には、長く留まらないという、ごく当たり前の事実だ。差別され、疑われ、常に「外から来た人」として扱われる場所に、進んで人生を預けようとする人はいない。

 異国に根を下ろすのは、そこに不自由を上回る何か――尊重や希望、将来への見通し――があるからだ。

 海外在留邦人が、現地の法律を守り、税を納め、慎重に生きようとするのも偶然ではない。その国で「居場所」を失う怖さを、身をもって知っているからだ。

 日本国内に暮らす外国人も、同じだと思う。特別扱いを求めているのではない。ただ、隣人として、同じルールの下で、同じように扱われることを望んでいる。

 日本人が海外でどう扱われてきたか。その裏返しが、いま、日本の内側で起きている。外国人を、隣人として受け入れるのか。定住者として共に生きるのか。あるいは移民として社会に迎え入れるのか。国際化と国内化は、同じ線の両端にあると思う。

 選挙の今こそ、その議論を真正面から引き受けるべき時ではないだろうか。それは、外国人のためだけではない。これからも、日本で静かに、誇りをもって暮らし続けたいと願う、日本人自身の尊厳を守る選択でもあるのだから。(深)


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