大正から昭和初期に花開いたモダン都市文化の様々な記録を再録し、モダニズム研究の総合資料集全100巻の一冊として「移民」を取り上げ、3点の文献を復刻し、編者による解説と詳細な年表を付したもの。日本の近代化は、ハワイへの移民に見られるように、組織を通した大規模で中長期的な労働人口移動である海外移民と背中合わせであった。農村部から都市部への移住だけでは吸収できない人口が、国策として国が直接・間接に関与して行われ、その宣伝のために数少ない成功談を紹介する移民奨励本も多く出版された。
本書では、永田 稠(しげし)日本力行会会長による南米視察巡回写真集である『南米日本人写真帖』(1921年発行、日本力行会)、短期間に農園経営で成功して帰国した古澤清外の『ブラジル移民としての五年間』(29年刊の海外興業(株))、メキシコに留学した後外務省に入り、25年間を中南米で過ごした外務省きっての中南米通であった甘利造次の『コロンビヤ国事情』(30年、植民同志会刊)をそれぞれ写真復刻し全編収録している。
永田は開拓精神をもった海外発展を推進した日本力行会の会長を長く務め、北米、南米等での拡大を目指し、1920年に文部省の命で北米とともにブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルー、パナマへ在外子弟教育調査のために3ヶ月回った視察を写真で綴った記録である。
古澤は1922年に一家でブラジルに渡った移民だが、英語ができポルトガル語も習得して、1年間の契約農生活後自立して農園経営に成功し、5年の滞在で長女夫婦を残して帰国した“模範的成功者”で、より多くの移民希望者をと意図する移民業界大手企業が刊行したものである。甘利が記述したコロンビアは、1908年に外交関係が出來、移民も29年以降戦前には約200名しか渡航していないが、有望移民先としては注目され、農業のみならず商業や貿易の可能性についても触れ、当時外務省の中南米通が農、鉱、工業、貿易にいたる実務環境、移民の生活訓に至るまで記述している。
異なる3つの視点から記述した移民関係刊行物の再刻と解説、整理された年表は、移民史の貴重な記録である。
〔桜井 敏浩〕
『ラテンアメリカ時報』2014年春号(No.1406)より
(細川 周平 ゆまに書房 2013年12月 684頁 18,000円+税)