後にフィデル・カストロとキューバ革命を達成することになるアルゼンチン生まれのエルネスト・ゲバラが、医学生の時代に学生運動の議長を務めた同級生ピュートル・コルダと12月の卒業試験の後3月の医師国家試験までの休暇を利用して、チリ、エクアドル、コロンビア、ペルー、ボリビアへの南米縦断の旅とその前後の生き様を描いた小説。
ぼく(エルネスト)のママン(母)のサロンには多彩な人士-後にボリビア、チリ大統領になるパス=エステンソロとフレイ、アルゼンチンの詩人ボルヘス等が出入りし、高校時代には地方巡業に来た駆け出し女優時代のジャスミン・エバ=ドゥアルテ-後にペロン夫人-とのその後彼女の死の直前まで続く関わりが生まれ、ペロン副大統領を招いての大学講演会でのペロン自身との論戦に始まる出会い、軍事クーデターで逮捕されたペロンをその秘書兼愛人となったエバに協力して復権させ、交換に過激な学生運動の主導者として拘束されたピュートルを釈放させたことから、彼との南米周遊の旅立ちに至る。
アンデス山脈を越えてチリでは、後の大統領やアジェンデや詩人のパブロ・ネルーダに会うなどして、ついに当初の最終目的地であるペルー北部アマゾンのハンセン氏病療養所に着き二人は一週間手伝うが、ピュートルは看護婦のマリアと将来を約束する。帰途に就いた二人はヒッチハイクでマチュピチュ遺跡に向かい、チチカカ湖を経てブエノスアイレスまで列車が出ている首都ラパス近くまで到着したところで、錫鉱山で労働争議が起きていることを知り、ストライキ見学のつもりで山道に入る。途中鉱山から逃れてきた労働運動の指導者から現地の言葉も事情も判らぬ若者に労働者の手助けは出来ないし、危険だと制止されたのを振り切って先へ進んだ二人だが、ピュートルは地雷を踏んで落命し、冒険旅行にピリオドが打たれた。ブエノスアイレスに戻って医師国家試験に合格したが、旅立ちの予感が続くある日、ジャスミンから呼び出され合格祝いを贈られるが、彼女が癌で余命いくばくもないこと、自分の死後ペロンは暴走するだろうことを告げられ、互いのピアスを片方ずつ交換する。はたして翌朝大統領官邸のバルコニーでの最後の演説後に斃れた姿をみたぼくはその二日後ママンにも別れを告げずにアルゼンチンを後にしたが、目を閉じるとその鼻腔には硝煙の香り、革命の匂いが漂ってきた。
著者は医師にして『チーム・バチスタの栄光』など多数の著作がある作家。百数十冊のラテンアメリカ関係邦文文献により現代政治史に登場する人物や詩人・文学者などについてもよく調べた上で、一気に読ませる筆力はさすがである。
〔桜井 敏浩〕
(文藝春秋 2016年6月 454頁 1,750円+税 ISBN978-4-16-390466-5 )
〔『ラテンアメリカ時報』2016/17年冬号(No.1417)より〕