南極から南米西岸に沿って北上する寒流はフンボルト海流と呼ばれているが、19世紀にこれを調査したフンボルトは、1769年ナポレオン・ボナパルトと同じ年にプロイセンで生まれ、ともに分野は異なるが当時の欧州に最も影響力を持った有名人と言われた。鉱山技術から地質学、地理学、植物学、さらには物理学まで多岐な知識をもった博物学者として、世界各地の自然を探求した冒険家としてフィールド調査を敢行し、旅行記、地理学評論、奴隷制度批判を含む政治評論、地質学・気候学の論考、晩年その研究成果をまとめた大著『コスモス』に至る幾多の著作を残し、世界の自然科学界に大きな足跡を残しているが、自然界は巨大な一個の生き物で、すべては互いにつながっているとする「生命の網」という彼の自然観の影響は、南米をスペイン植民地統治から解放したシモン・ボリバル、『進化論』を提唱したダーウィンほか学者のみならず政治家やいち早く自然保護活動を提唱したジョン・ミューアなど多岐にわたった。
彼の冒険は、1799年5月にカナリア諸島を経てベネズエラ東部クマナに渡り、カラカスから大平原(リャノス)を横断してオリノコ河をデルタからブラジル国境間近の源流地帯まで周ってコロンビアのボゴタへ赴き、ここからアンデス山脈を越えエクアドルのキト、当時世界一の高山と考えられていた(地球の中心から計れば赤道付近にあるためエベレスト山を凌ぐことには間違いない)チンボラソ山の山頂まで高度差300mを残す5,917m地点まで登攀、南下してペルーのリマに1802年10月に到達したのだが、その間実に多くの観察記録ノート、スケッチ、2,000種が欧州では未知のものだった押し葉標本収集を得た、内容の濃密な大旅行であった。1804年にパリに戻り、以後資料・記録、そしてアイディアを整理して幾つもの学術論文、著作を著すが、再び南北アメリカでフィールド調査をしたいという強い願望は当時の欧州情勢から実現せず、1829年の半年間のシベリア踏査が最後の調査旅行となった。
本書の前半はフンボルトの人生を辿って自然観がどのように形成されたかを明らかにし、後半は、これに共鳴した人々の足跡を追っている。著者は幼い頃をドイツで過ごし、英国でデザイン史を学んだ英国在住の作家・歴史家。
〔桜井 敏浩〕
(鍛原多恵子訳 NHK出版 2017年1月 502頁 2,900円+税 ISBN978-4-14-081712-4 )
〔『ラテンアメリカ時報』2017年春号(No.1418)より〕