千葉県に生まれ1955年に県立高校卒業後、1957年に永住を夢見てブラジル丸で渡航し、コチア産業組合で1年間農業研修を受けパトロンの下で農業に従事し、その後宝石販売、輸出、採掘業を手がけ、一度も帰国することなく1991年にミナスジェライス州テオフロ・オトニで肝臓癌のために54歳で亡くなった著者の1978年から1990年の間の日記を、最晩年に訪れた姉 畑中雅子が託されこれを整理・編集したもの。
農業をしていたときの思い出、宝石の買い付けや研磨などでの仕事仲間との交流などに、その時期のブラジルの情勢-政治家の汚職や非効率な行政・警察の実態、治安の悪化、インフレーションの進行、それらに否応なしに影響を受ける著者や周囲の人々の生活の様子、数少ない娯楽の魚釣りや酒場での男女の交流などが淡々と書かれていて、随所に著者の素直な短歌が添えられている。しかし、後半になると悪化するインフレ、公定・闇レートが乖離し下落していく通貨交換率、苦しくなる庶民の生活環境、自身の体調の不調についての記述が増えてくる。
20世紀後半にブラジルの地方の町村で生きた昭和の一移民のシンプルで貧しいながら楽しく、正しく生きた生涯の姿が浮かんでくる日記抄。
〔桜井 敏浩〕
(畑中雅子編 国書刊行会 2017年5月 278頁 1,500円+税 ISBN978-4-336-06159-1 )