新潟県新発田市で1907年に生まれ、20歳の時に農業移民としてキューバへ渡った日本人移民一世の最年長者だった島津三一郎さんが2016年7月に108歳で亡くなった。キューバへは20世紀半ばまで1,200人の日本人が渡り、ほとんどが農民として暮らしていたが、第二次世界大戦中はバチスタ親米政権下で敵性国民視されて約3年間は強制収容所に入れられた。戦後フベントゥ島で地道にスイカ等を栽培し生活が好転しかけたが、バチスタ元大統領のクーデターによる政権奪取、独裁政権を倒そうとするカストロの武装蜂起とキューバ革命、米国による傀儡武装勢力の侵攻とキューバ危機、経済援助を依存してきたソヴィエト連邦の崩壊と米国との対立激化といった次々と続く情勢の激変に見舞われた。革命後農地は国有化され、米国との断交でスイカの輸出は出来なくなって農家収入は減り、経済の困窮から米国に亡命する日系人子弟も少なからず居た中で、歯を食いしばって農業でぎりぎりの生活を堪え、1997年にフベントゥ島の老人ホームに入り終の棲家とした。
著者はキューバで学んだこともある映像ジャーナリスト。度々キューバと新潟を訪れ、島津さんや多くの関係者にインタビューしている。島津さんが年金だけで賄えた晩年の“幸せな孤独”は、それを支えたキューバの医療制度の手厚さが背景にあると指摘している。
〔桜井 敏浩〕
(KADOKAWA 2017年1月 238頁 1,700円+税 ISBN978-4-04-103842-0 )
〔『ラテンアメリカ時報』2017年夏号(No.1419)より〕