連載エッセイ5:アンデス楽器との出会い - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ5:アンデス楽器との出会い


連載エッセイ5

アンデス楽器との出会い

執筆者:小林明夫(元東芝プラントシステム株式会社勤務)

「乗馬からアンデス楽器へ」

趣味として親しんできた乗馬で落馬事故を起こしてから、やはりそろそろ歳も歳なので危険な馬術は、潮時かな~と感じ始め、家内の助言もあったので、新しい趣味を持とうと考えた。 エクアドルに居るのだからアンデス音楽を身に付けたいと思い楽器店を回った。ギターラやチャランゴ等の弦楽器も良いのだが、いま一つシックリこない。 ある時アンデスの笛ケーナの音が気に入り、持ち運びも楽なこともあり、これに決めた。

楽器は買ったが先生を探さなければならない。どこに行ってもケーナの先生は見つけられないので、楽器販売店の若い店員に頼んで、我が家でレッスンを受けることにした。ところがレッスンを受けてもどうしてもうまく音が出ず、自分のことを棚に上げる積りは無いが、先生の能力も疑わしく、とうとう数回のレッスンでケーナは諦めることになってしまった。

「まずはサンポーニャ」

そこで昔の知り合いにアンデス音楽の個人教授の先生を紹介してくれるように頼んだところ、、彼がアンデス楽器の演奏家で製造販売も行っている人を紹介してくれた。 店に行って見ると、50才位の小太りのいかにも南米人らしい気の良さそうな男性が、小さな汚い店で竹の切屑にまみれながら、サンポーニャやケーナを作って売っていた。 その日から私と店主のLuis Gonzales氏との現在に至る長い長い付き合いが始まった。

アンデス楽器を習いたいと言うと、どうせやるならチャランゴかケーナは如何かと言う。レッスンは店の狭い通路、月謝は週に3回合計12回で50ドルということになった。以前の挫折もあるので、今回は簡単に音が出せる笛から習いたいと思い、彼が作っていたサンポーニャを教えてくれと頼み、12ドルで購入した。家に持ち帰り、一人で練習をしてみた。 これならものになりそうだと、翌週から習いだした。2012年3月12日のことだった。

家で音階だけは練習して来たと言うと、すぐに、あの有名な「エル・コンドル・パサ」(コンドルは飛んで行く)の練習に入った。 通常の楽譜は無く、ルイスが吹きながら、音程を書き、独特の楽譜を改良しながら練習した。 家に帰っても、毎日1時間以上は練習した結果、何となくそれなりに音楽になってきた。 帰国する迄の約4か月毎日懸命に練習し、演奏曲目も増え、すっかり自信がついて帰国した。

「いよいよケーナに挑戦」

翌年2013年4月から、サンポーニャもある程度自信が付いたので、ケーナも習うことにした。 ケーナは難しかった。まずどうしても音が出ない。 ケーナは尺八と同じで音が出るまでが難しい。 尺八は首振り何年と言うが、ケーナも同じ様なところがある。四苦八苦して何とか音が出る様になっても、今度はなかなか指が言うことを聞いてくれない。 正確に指で穴を塞げないのだ。 サンポーニャと違い、3音階の音出しが出来る楽器だが、その3音階の吹き分けが出来ない。 ただただ練習あるのみ。その上サンポーニャと違い高音の上、音も大きいので、家での練習は周りにうるさがられるので一寸気が引ける。
                 
ケーナの値段は、1本25ドルで、安い割に楽器としては奥深いところがあり、すっかり気に入ってしまった。 、ケーナを習いだしてからはサンポーニャを放り出して明けても暮れてもケーナ三昧。 毎日1時間は夕食後に練習するので、家内やご近所には随分迷惑を掛けたと感じている。

「ボランテイアでケーナの演奏会」

これらの楽器を開始してそろそろ6年が経ち、お蔭様でそれなりにサマになってきた。

それならばと、日本帰国時に青葉区の退職者仲間が教えて欲しいというのでエクアドルのPRを兼ねて、ボランテイアで有志に教えることにした。 一回2時間のレッスンを始め、最初はサンポーニャから始まり、現在はケーナを教えている。 サンポーニャの時は、生徒は10人弱居たのだが、ケーナに成るとやはり難しいからか、敬遠される方々も増え、現在の生徒数はほぼ5人に減ってしまった。 しかし、この方々はケーナの奥深さが気に入ったのかもう5年も続いている。

最近はホームパーテイや各種イベントでもアンデス音楽を披露するようになってきた。

友人達とのクリスマスパーテイや年末年始の集まりの時には頼まれてケーナとサンポーニャでアンデス音楽をご披露している。 各種のエクアドルの紹介イベント等にも招かれて同様に演奏し、楽しんでいただいている。 大体は屋内での演奏が多いのだが、2018年のエクアドル紹介イベントは新宿の大久保公園で行われたため、初めて屋外の公園内での独演の舞台となった。 広い上に沢山の人がいるので音が届くかと心配になり、そのために普段より強く吹かざるを得ないために苦労したが、何とか乗り切ってホットした。

近年は定例的に、近所にある老人会の音楽会にも毎年招待されて慰問演奏しているがどうも老人会は、アンデス音楽はあまりお好きでは無さそうで、日本の童謡の方が喜ばれるので、ケーナとサンポーニャで日本の歌を演奏している。一寸残念。

海外では2017年と2018年のエクアドルで、クエンカ独立記念日の式典にも招聘された。 私が会長をしているクエンカ日本人会主催で、JICAのエクアドルのボランテイアの中で、楽器演奏の出来る青年達を呼び集め、楽団を組み他のプロの演奏家達と肩を並べて、屋外の大舞台で演奏会を行った。

私は勿論ケーナ、青年達はギター、チャランゴ、太鼓、フルート、沖縄の三線等々で、「El Condor Pasa」「[Chola Cuencana]のようなアンデス音楽や日本音楽を披露し、大きな拍手喝采を貰った時は、本当に楽しかった。

楽器は二番目の口と言われている。 アンデスの人々の話声が聞こえてくるような音楽を演奏出来れば良いなと思っている。

クエンカ独立記念祭の舞台でケーナを演奏(左)