『メキシコ・ルネサンス省察 ―壁画運動と野外美術学校』田中 敬一 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『メキシコ・ルネサンス省察 ―壁画運動と野外美術学校』田中 敬一


1910年に30年以上続いたディアス独裁政権に反対するメキシコ革命が勃発、1917年に憲法が制定され一旦は収束したが、その後も米国が軍部を焚き付けたり各派の抗争が続いて内戦化し、最終的には1934年に発足したカルデナス政権によって農地改革が実現するまでの間に、革命後の復興期である1920年代から30年代にかけてメキシコで展開された「メキシコ・ルネサンス」と呼ばれる広範な芸術活動が行われ、その中心的な役割を担った「壁画運動」と「野外美術学校」の歴史的・社会的背景と発展を明らかにしようとするのが本書の意図である。

壁画運動には、国民意識形成の際に人口の約30%を占める先住民的なものをどう評価するかや作品の材料費や画家への給付資金などの課題があった。この運動には、所管する国立大学や文部省の建物の壁面を提供して壁画を制作させた時の文部大臣バスコンセロスの教育文化政策が大きく関わっており、彼は主として絵画による芸術復興運動「メキシコ・ルネサンス」が、「壁画運動」を下支えした野外美術学校にも財政支援を与えた。

この時代に起きた「壁画運動」に代表されるメキシコ文化ナショナリズムには、リベラ、オロスコ、タマヨ、シケイロス等の画家に加えて、メキシコで画学生としてタスコ野外美術学校で児童美術教育に携わり、メキシコで版画、石版画の技法を身に付けた北川民次(1894~1989年)も関わっていた。また日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチも、1930年代にリベラ等との壁画の共同制作に加わり、巨大なレリーフを遺している。

1970年の大阪万国博覧会で「太陽の塔」を制作した岡本太郎(1911~96年)も、1968年から69年にかけて何度かメキシコを訪れ、メキシコ人実業家で複合施設「エル・オテル・デ・メヒコ」の建設を進めていたスアレスの要請を受けて、ホテルのための壁画制作を行った。原子爆弾と核実験、骸骨をテーマにした巨大壁画を完成させたが、スアレスが経済状況の悪化からホテルを手放したため、その後この壁画は行方不明になっていた。それが30数年の後に発見されて修復作業が開始され日本に持ち帰られた。2008年に常設展示の公募の結果東京都に決まり、現在は渋谷駅に続くマークシティの連絡通路に展示されている。

著者はイスパノアメリカ文学とメキシコ美術史を専門とする、愛知県立大学教授。

(あるむ 194頁 2019年1月 2,500円+税 ISBN978-4-8633-3148-8 )

〔『ラテンアメリカ時報』 2019年春号(No.1426)より〕