連載エッセイ11:先入観・偏見は相互理解の妨げ - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ11:先入観・偏見は相互理解の妨げ


連載エッセイ11

先入観・偏見は相互理解の妨げ

執筆者:桜井悌司(ラテンアメリカ協会常務理事)

誰であれ、先入観や偏見を多かれ少なかれ持っている。日本人も同様で、多くの先入観や偏見を持っている。考えてみると、この先入観や偏見は、相手国の国民性を理解する上で大きな障害となるものである。我々日本人がラテン系の人々に対して持っているいくつかの代表的な先入観や偏見についてコメントしてみよう。本稿は、個人の意見である。

1.働かない?

ラテン系の人々はあまり働かないと言われる。本当なのか?

イタリア駐在の時の話である。日本人が、イタリア人を形容する場合、「mangiare, cantare, amore」(食べる、歌う、恋(する))とよく言われる。人生を楽しむことにも長けている。その結果、余り仕事をしないと考える日本人も多いが、これは必ずしも正しくない。私はジェトロ・ミラノの所長兼在イタリア日本商工会議所の事務局長であったが、当時、会議所の会員である日本企業を対象に、イタリア人の労働意識につき調査したことがあった。その際の回答は、トップ、中間管理職、ワーカーのいずれのレベルにおいてもイタリア人は非常によく働くというものであった。

トップダウンの国においては、当然ながらトップに権限と情報が集中する。イタリアの誇る家族経営的な中小企業では特にそうである。その結果、ある意味では、ボトムアップ方式がいまだに有効な日本のトップよりもっともっと働くことになる。 中間管理職についても日系メーカーによれば、土曜日、日曜日出勤してまで働く人も結構いるということであった。ワーカーレベルについては、「働く」という意味を考える必要がある。日本人の場合の「働く」とは、チーム一体で、サービス残業や付き合い残業を含め長時間働くことが「働く」という意味と思える。

しかし、通常ラテンの国では、ジョブ・デスクリプションに従い、勤務時間内にしっかり仕事をするというのが「働く」と言う意味である。また、労働を比較の問題で考える場合、気候、生活環境、歴史的背景等についても考慮に入れなければならないことは言うまでもない。

この違いを考慮すると、日本人もラテン人も働いているということになる。ミラノは北イタリアにあり、南イタリアでは話は別という人もいそうであるが、日本企業の責任者は、イタリア人は勤勉と考えている。

チリ駐在時代にも、メーカー、商社の駐在員にも同じことを聞いてみたが、総じてチリ人は働き者だと言う回答であった。そう言えば、私は、メキシコ、チリ、ブラジル、スペイン、イタリアに駐在したが、一度として、彼らが働かないと思ったことはなく、しっかりやってくれたと思っている。

2.時間を守らない?

時間順守という点では、おそらく日本人は、世界でもトップクラスであろう。日本人はありとあらゆるオケージョンで時間厳守である。そのため、例えば、ラテンの人々と比べると確実に時間に対して厳しいと言える。しかし、我々が理解しなければならないのは、国によって、地域によって、オケージョンによって、人によって違うと言うことである。

総じて北にある国々(北半球の場合)や裕福な国々では、時間に厳しいと言えよう。地域については、例えば、サンパウロの人はリオの人に比べると、ミラノの人をローマの人に比べると、またカタルーニャの人はアンダルシアの人と比べると、時間に正確である。一般的には、自動車で目的地に行くことが多い地域では、交通事情により、遅刻が発生することになる。地下鉄等公共交通網が発達している地域は、遅刻の言い訳が難しくなるので、必然的に遅刻が少なくなる。オケージョンの意味するところは、例えば、イタリアやスペインでは、サッカーの試合やオペラ等の公演は定刻に始まる。オペラでは、少しでも遅れると一幕の間は、外で待たされる羽目になる。またどこの国でも時間に正確な人とルーズな人がいることは誰もが知っていることである。

パーテイや家に呼ばれた時に、定刻に行くと、まだ受け入れ準備が整っておらず、嫌がられるとか、客が到着する時間がバラバラということが往々にして起こるが、これは、時間の正確さの問題ではなく、習慣の問題と言うべきであろう。

3.宵っ張り?

メキシコに駐在していた1970年代半ばには、メキシコ人は、宵っ張りだと良く言われていた。いつも遅くまで酔っぱらって騒いでいるというイメージである。西部劇にあるメキシコの無法地帯もそういったイメージのシーンがよく出てくる。当時、好奇心も旺盛であったので、私なりに本当にそうなのかを調べてみることにした。

私の住んでいた地域は、大学都市の近くでColonia Guadalupe Innと呼ばれ、私のアパートは、中流の上のクラスが住んでいた。駐車場は2台分あり、1台しか持っていない住人は、私を含め数世帯であった。アパートの窓から住人全員の駐車場が見えるので、月曜日から日曜日まで、夜の9時時点でどのくらいの車が車庫に戻っているかチェックすることにした。その結果、判明したことは、月曜日から木曜日までは、ほとんどの車がその時刻までに戻っていたのである。金曜日と土曜日については、1~2割の車が戻っていなかった。要はほとんどすべてのアパート住人が静かな市民生活を営んでいるということであった。

メキシコ人は「メリハリのある宵っ張り」と言った方がいいのかもしれない。それ以降、人の言うことはほどほどに聞き、自分で確認したことのみを信用することにした。「人に影響されるな」が私のモットーとなった。

4.組織的でない?

ラテン人はあまり組織的でないと言われる。サッカーなどでも欧州のチームプレー、組織的なプレーに比較してラテン系サッカーは個人技が中心だとよく言われる。総じて正しいのかなと私も思うが、ただそれだけではないというのが私の意見である。個人技だけに頼る国が、サッカーワールドカップに5回優勝〈ブラジル〉、2回優勝(ウルグアイとアルゼンチン)はあり得ない。個人技に加え、組織技も備わって初めて可能となるのである。

サンパウロ駐在時代の話だが、2005年12月にサンパウロの有力なサンバ・スクール(エスコーラ・デ・サンバ)5施設を見学する機会があった。ブラジルと言えば、誰もがサンバ、サッカー、コーヒーを思い浮かべる。サンバは確かにブラジルを代表する音楽、踊りである。年明けの1月ともなれば、カーニバル・ムードがしだいに高まり、仕事も手がつかなくなる。カーニバルとなると、誰もがリオを思い浮かべるが、サンパウロのカーニバルも相当なものであり、年々勢いをつけている。リオと同じようなサンボドロモというサンバ会場もあるし、多くのサンバ・スクール(エスコーラ・デ・サンバ)も多数存在する。

当時、日本人にサンバやカーニバルにもっと参加してもらおうとサンバ・スクール視察ツアーが開催されることになった。主催は、サンパウロ市の観光公社でスポンサーは、ブラジル中小企業支援事業団(SEBRAE)他である。2008年は、日本人移住100周年にあたったが、それをターゲットに楽器、ダンス、衣装、サンバの組織等を勉強するサンバ講座の開催、サンバ・チームの組織、そして2008年には、サンバ・スクールの14の特別チームにそれぞれ日本人100名ずつ参加してもらおうという野心的な計画であった。ブラジルでは、日系人の評価が極めて高く、リオのサンバ・スクールのポルタ・ペドラが、2008年のカーニバルのテーマとして「日系移民100周年」をテーマにしたくらいである。

サッカーでもそうだが、ブラジル人の特徴は、華麗な個人プレーであろう。総じて、組織的なことは余り好きではないと言われている。しかしカーニバルともなれば、極めて計画的、組織的なのである。最初のエスコーラでは、通常なら極秘である山車の製作現場まで見せてくれた。工房の規模も大きくまるで青森のねぶたの製作現場のようであった。毎年8月頃に製作を始めるが、重さは11トンにもなる。車両で運ぶことが禁止されているので、30人が6時間かけてサンバ会場まで運ぶという。カーニバルが終わるとすぐに来年のテーマ、構想を考える。各スクールには、カルナバレスコと呼ばれるカーニバル指揮者がおり、テーマ、音楽、楽器、踊り、衣装、振り付け、山車等を考え、どんどん各担当者に指示したり、アウトソーシングする。一見バラバラなようなカーニバルの動きも緻密に組織化されているのである。

サンバ・スクールがカーニバルに参加する経費は、スクールによって異なるが、サンパウロでは、当時約300万レアル(当時1億5000万円)程度かかるという。主要な財源は、市からの補助金、大企業や多国籍企業等スポンサー、地元に密着しているため地元の中小企業や個人からの寄付、ビンゴーや宝くじからの支援等である。補助金や寄付金集めは重要な仕事であり、組織的に行わないと目標を達成することができない。カーニバル出演者は200~300レアルの衣装代を購入することになる。各スクールともにサンバの普及、財源の確保に熱心で、水、金、日曜日の練習風景の有料公開、出張教授、1~2週間の強化合宿ツアー、記念式典でのショウの請負い等を行っている。このようにカーニバルは、1年がかりで極めて組織的に準備されるのである。ブラジル人が、一概に組織力が弱いと判断するのは間違いである。 同じような経験は、セビリャ万国博覧会時に経験したロシオの巡礼やセビリャの春祭りの準備である。極めて用意周到という感じがした。