連載エッセイ19:「老後をメキシコで過ごすアメリカ人」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ19:「老後をメキシコで過ごすアメリカ人」


連載エッセイ18

メキシコ車旅 「老後をメキシコで過ごすアメリカ人」

執筆者:富田 眞三(米国テキサス州在住ブロガー)

「米国在住の富田信三氏は、ご自身のブログで興味のあるエッセイやレポートを執筆しておられるが、今回、同氏の許可を得て、その原稿を転載させていただいた。」

今回の「メキシコ車旅」で如何に「老後をメキシコで過ごすアメリカ人」が多いかに気付き、感心するとともに驚いた。メキシコは治安が悪い、との評判をよく耳にしているからである。ところが、場所によっては、治安もよく、アメリカ人は喜々としてメキシコの田舎生活をENJOYしているのを目の当たりにしたのだ。そして、この項を書くにあたって、ネットでメキシコのアメリカ人について調べていると、下記のBBC電子版の記事に出会った。こう書いてあった。

世界で二番目に良い気候

「かつてナショナル・ジオグラフィック誌が、アヒヒックの気候は世界で二番目に良いとレポートしたことがある、とアヒヒックに住むアメリカ人たちは自慢げに語るのである。」
アヒヒックとは、メキシコの第二の都会である、グアダラハーラから車で50分の距離のチャパーラ湖畔にある、人口10,000人の魅惑的な町である。数年前、筆者も一週間滞在したことがある。
北緯20度に位置するアヒヒックは高度が1538㍍もあるため、常春の気候を持ち、最も寒い1月の最低気温は4℃だが、日中の平均気温は24℃にもなる。また最も暑い5月の最高気温は32℃なので、実に過ごしやすい。

この「世界で二番目に良い気候」に惹かれて、チャパーラ湖畔のアヒヒック近辺は、1950年代からアメリカ、カナダの定年退職者たちが老後を過ごすために、移住してくるようになった。今では、町の人口の半数は外国人だと、言われている。因みにチャパーラ湖は1100㎢もあり、670㎢の琵琶湖よりかなり大きい。そして、グアダラハーラの郷土料理、カルド・ミチに欠かせないナマズ等は、チャパーラ湖で放流されているのだ。

なお、チャパーラ湖畔に関しては、下記のアメリカ便り「極楽鳥の花が咲くMexicoチャパーラ湖畔」をご参照頂ければ幸いです。http://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/22372092.html

1960年代からアメリカ北部の厳しい冬を嫌った人たちが、南部のサンベルト地帯へ移住する風潮が始まっていた。こういう人々のうち、お年寄りたちが、気候の良いメキシコを、定年後の終の棲家にしたい、と考えたとしても不思議ではない。実際、メキシコにはアヒヒックのように「アメリカ村」と呼ばれる、外国人が集団で住んでいる地域が数々ある。
米国に「インターナショナル・・リヴィング」という定年後外国で暮らしたい、という人々を対象にした雑誌(電子版)がある。この雑誌は三年連続で、メキシコを「定年後に住みたい国ベスト3」に認定している。

メキシコ永住のアメリカ人は100万人

そこで、メキシコに定年後永住している、アメリカ人がどのくらいいるのか、調べてみた。ところが、この件に関するメキシコ側の資料には年齢別の統計がないため、米国側の資料を探してみた。すると、少し古いが米国移住政策協会(MPI/Migration Policy Institute)のデータが見つかった。

これによると、2006年の時点で、メキシコに住む、60歳以上の定年退職者数は、1,036,300人であることが分かった。同じ時期のメキシコの人口は1億660万人なので、約1%に当たる。そして、MPIによると、アメリカ人からの定年退職者のメキシコへの流入は急速に増加している、という。

アメリカ人定住者の多いアヒヒックを例にとると、1990~2000年の10年間で、581%増加した、というからすごい。バハ・カリフォルニア州のロス・カボスも同じ時期、308%、サン・ミゲル・アジェンデは47.7%、増加している。太平洋岸のマサトランは、2005~2007年の三年間だけで、95%アメリカ人退職者が増加している。

これらの資料を読んでみると、研究者たちは、ふた昔前、移住といえば、「南から北へ」即ち、低開発諸国からアメリカ等先進国へと人々は向かったものだったが、最近はその反対の流れ、「北から南」も始まっていることに驚きを禁じ得ない、と書いている。では、「何故アメリカ人はメキシコで老後を過ごしたい」と思うのだろうか? 良い資料があったので、ご紹介したい。

以下は、国連の移住に関する専門機関である、移住に関する国際組織(OIM/ Organizacion Internacional Para las Migraciones)が、聞き取り調査した、メキシコへ移住した、アメリカの定年退職者の「移住動機」である。

1. 十分な経済力を持っていること。メキシコにいても、自分の出身地に残る、家族、特に子供たちとインターネット等を通じて連絡を取り合える。
2. 時間と金に不自由しないので、好きなときに隣国の母国を訪れることが出来る。
3. メキシコ政府の移住政策の柔軟性により、米国からの入出国が簡単に出来る。
4. 主たる収入は年金であるため、米国政府の政策の変化は自分の経済に影響する。従って、隣国のメキシコに居れば、政治に積極的に関与出来る。

筆者は以上に次の三項を付け加えたい。
5. メキシコの亜熱帯地方の気候が年間を通じて快適なこと。
6. 物価、特に不動産価格が本国に比べて格段に安いこと。よって年金で米国より充実した生活が送れること。
7. 医療施設が充実し、英語を話す医者も多いこと。メキシコ人は彼らに友好的であること。

老後をメキシコで過ごす、アメリカ人の多くは、いわゆるベビーブーム世代の人々である。彼らの多くは夫婦共稼ぎで、50代、60代で退職すると、「さぁ、これから老後をEnjoyするぞ」と言って、メキシコに移住してくるのだ。大体、アメリカ人は子供が高校を卒業すると、それ以降の学費の面倒など見ないのが普通だから、「十分な経済力を持っている。」このへんが日本人と異なるところだ。昔、筆者がヘローキティーのメキシコにおける代理店だったころ、米国の代理店を見学に行って、驚いたことがある。キティー・グッズは、高校生になった、女の子がベビーシッターなどをして稼いだ金で買うのである。ママもパパも「必需品」でないものは買ってくれないのだ。そうして老後の資金を貯めるのかも知れない。

クオリティ・オブ・ライフがある、メキシコ

さて、そんなアメリカ人がメキシコを目指すのは、メキシコには「QOL/クオリティ・オブ・ライフ」即ち、メキシコには人間らしい生活を送り、人生に幸福を見出す環境が整っている、というのが理由である。筆者のように何十年もメキシコ・シティーで暮らしたものには、この言葉は驚きだった。
話をよく聞くと、彼らが考えるQOLは、メキシコの都会ではなく、ゆっくりとした時が流れ、潮騒がかすかに聞こえてくる、冬でも温かい、田舎やビーチで暮らすことから始まる。おまけにメキシコは物価が安いときている。
例えば、筆者は「車旅」にも書いたが、グアダラハラで散髪に行った。高級なショッピング・モール内の床屋は、高そうな店構えだったが、フルサービスの散髪代がたった7.50ドルだった。日本の1/4である。
レストランに行っても、3~7ドルで結構美味いものが食べられるし、ビールは2ドル以下である。何しろ、メキシコの最低賃金は、一日5.1ドルである。時給ではなく、日給である。これはラテンアメリカ17か国の最低賃金ランキングで下から二番目である。最下位はキューバである。(国連資料による)

従って、住宅もアヒヒックの場合、建築面積200平米の広大な家が380万ペソ(2100万円)で買える。 アヒヒックのような地域に住むと、メイドさんが週に2,3回来てくれて、掃除、洗濯はもちろん、料理も作ってくれ、旅行とか珍しい体験をする機会も増える。しかもそれが本国よりずうっと安く出来るのだ。百万長者でなくともこんな暮らしがメキシコでは出来るのである。先に紹介した、「インターナショナル・リヴィング誌」は、年に30,000ドルあれば、これが可能になる、と書いている。

このように良いことづくめではあるが、心配すべきこともあった。2016年の大統領選のときだった。トランプ氏がメキシコからの不法移民流入を非難して、国境に壁を造り、不法滞在のメキシコ人は国外追放すると、息巻いたことを皆さんはご記憶のことだろう。彼が当選したら、メキシコは対抗措置を取り、彼らアメリカ人はメキシコから追放されるのではないか、と心配し、仲間内で不在者投票に参加して、ヒラリーに投票しようと話し合いをした、という。幸いトランプ大統領が当選しても、彼らは安泰だった。日本と違って、アメリカは実に良い隣人たちを持っているのである。

アメリカ人が好む地域

では、次にアメリカ人はメキシコのどんな地域が好きなのか、検討してみよう。
アメリカ人お気に入りの、メキシコの町、村はどこかというと、ハリスコ州アヒヒックの次は同じく同州のプエルト・バイヤルタから、北隣のサユリータ・ビーチ等が連なる、太平洋岸のナジャリ州のビーチ地帯である。この辺りは亜熱帯のため夏は暑いが、冬季は実に快適な避寒地と言える。リチャード・バートンとエリザベス・テイラーもプエルト・バイヤルタが大いに気に入って、夫々バイヤルタ市内に豪邸を持っていた。二人は道路を挟んで建つ両家の二階部分をつなぐ橋を造って行き来していた、のは有名な話である。二人亡き後、この豪邸はキンベルリー・ハウスという5星のホテルになっているので、宿泊できる。

さて、先日ご紹介した、サユリータ・ビーチは庶民的なリゾートだが、少し北にある、プンタ・ミタ・ビーチには、豪華なホア・シーズン・ホテルやプライベートの飛行場もある。この辺りはごく庶民的な地域と超一流の施設、例えば、豪華なヨット・ハーバーとかニクラスやノーマン設計の一流ゴルフ・コースが入り交ざっている、大変珍しい地域と言える。

三番人気は、世界文化遺産の、サン・ミゲル・アジェンデである。この市はグアナファト州に属し、「メキシコで最も美しい市」と言われている。人口は15万と大きいが、街並みはヨーロッパ風の実に雰囲気の良い街である。ここも北緯21度の地点にある亜熱帯で、高度が1900㍍ある、常春の地の暮らしは実に快適である。
ここもアメリカ人を中心とする、外国人居住者が多い。また、観光地であるため、英語がかなり通じることが、利点である。ただし、国際空港は270㌔先のメキシコ・シティまで行く必要があるのが、難点ではある。
また、市内には外国人が経営する、良い趣味の絵画、彫刻、骨董品の店が多く、ビーチとは異なり、古く歴史的で落ち着いた雰囲気が好まれるのだろう。筆者もサン・ミゲルが大いに気に入り、Facebookのカバー写真に同市のカテドラルの写真を使っているほどである。

かくのごとく、メキシコには知られざる穴場があり、アメリカ人たちはそこに住みついて仕舞うのである。筆者はアヒヒックのチャパーラ湖を望む高台の、友人所有の別荘で夢のような1週間を過ごしたことがある。このあたりはアメリカ人が多いため、店やレストランはどこでも英語が通じる。しかし、トランプ氏当選後、スペイン語を再び勉強しようとする老人たちが増えた、と地元の英字新聞が伝えていた。アメリカの中学、高校の第一外国語はスペイン語なので、彼らにはスペイン語の素養があるのだから、すぐ話せるようになる。スペイン語を話せば、メキシコ生活がより楽しくなること、請け合いである。
(3枚の写真はすべて富田眞三氏の撮影したものです。)

「なお、写真付きのオリジナル原稿をご覧になりたい方は、https://blogs.yahoo.co.jp/stomita2000/28753169.htmlを参照ください。」