連載エッセイ26:メキシコ車旅 お伽の村サユリータ - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ26:メキシコ車旅 お伽の村サユリータ


連載エッセイ25

メキシコ車旅 お伽の村サユリータ

執筆者:富田眞三(テキサス在住ブロガー)

『メキシコ観光省選定「魅惑的なお伽の村」、サユリータ』

メキシコ観光省は毎年、「魅惑的なお伽の村」を選んで、観光客の誘致に役立てている。現在、すでに80村落を数えるが、そのうちの一つがサユリータ(Sayulita)である。
6月中旬、メキシコ中部の太平洋岸にある、このサユリータという人口5,000人の村を訪れた。村というより集落というべきサユリータは、同じく太平洋岸に面する、映画「イグアナの夜」で有名になった、「プエルト・バイヤルタ」から北へ40㌔の地点にある。

さらに、サユリータがあるナジャリ州(Nayarit)は太平洋に面して、大小の入り江を有する、300㌔の白砂の海岸線が続き、23にも達する、海浜リゾートがひっそりと連なっている。この辺りには、サユリータのようにビーチ以外名所もない、穏やかなところから、ヨットハーバー、空港、ポロ・クラブ、ゴルフ・クラブ、英語の通じる病院、豪華ホテルまである、ジェット・セット族まで満足させるリゾートまである。そして、この300㌔のビーチ全体をメキシコでは、「リビエラ・ナジャリ」と総称するのである。場所は言えないが、リビエラ・ナジャリには自家用滑走路付きのビル・ゲイツの別荘もある。リビエラ・ナジャリはそんなリゾートなのだ。

さて、サユリータは1960年代、アメリカのヒッピーたちが人里離れた、美しい海辺に惹かれて訪れるようになって、徐々に内外の人々に知られるようになった。その後、波がサーフィンに向いている、と評判になり、サーファーたちが来るようになった。やがてここに定住する、メキシコの都会人やアメリカ人も多くなり、今では大小30以上のホテルのほかに貸し別荘、民宿も多数ある。値段は比較的安いが、空調、駐車場もある、キッチン付きの宿が多いので、内外の家族ずれに人気がある。

サユリータを訪れる、アメリカ人、カナダ人は、近くのプエルト・バイヤルタ空港から、タクシーで村に着くと水着姿になり、喜々としてゴルフ・カートに乗って、ビーチやレストランを探索し始める。我々も、車は駐車場に入れて、ゴルフ・カートで移動していた。

この小さな村にはレストランが250店もある。店はそれこそ、ピンからキリまであって、中には毎日通いたいほどの店もあった。もっと豪華な一流レストランがお好みならば、車で南に30分の距離のミタ岬に、フォーシーズン・ホテルがあり、ジャック・ニクラス設計のゴルフ・コースが併設されている。サユリータとミタの中間には、リティブ・ゴルフ・コースもある。ここで息子と僕はプレイしたが、それこそペブルビーチ並みの海辺のコースは、グレッグ・ノーマン設計のコースである。こんなところに、こんな一流ホテルや世界クラスのゴルフ・コースがあるのも、「お伽の村」と言われる所以なのだろう。

サユリータの魅力

サユリータの魅力は何なのだろう、と考えた。まず、太平洋に面したサユリータの立地条件だろう。北緯20度の熱帯だが、6月中旬の10日間、毎日の気温は判を押したように、最高28℃、最低24℃のうえ、連日快晴だった。海水の温度は、24℃だったが、8月には29℃になり、寒い2月は23℃だが、泳ぐには差しさわりはない。北緯20度は日本では、沖ノ鳥島あたりに当たる。

ビーチは遠浅で波も穏やかである。海辺に面した宿舎の部屋で聴く、潮騒が何とも心地よい、精神安定剤の役目を果たしてくれた。全長五、六百メートルのビーチは連日にぎやかだったが、「芋を洗う」という形容とは程遠い、穏やかなものだった。ここはうれしいことに、日本風の海の家がないため、うるさい音楽とは無縁である。海水浴客は、ほとんどが水着で来て、濡れたままで歩いたり、ゴルフ・カートで宿舎か別荘に帰る。砂まみれの足はどうするのかと思ったら、道路沿いの店、家々に、水道の蛇口があって、その水で足や手を洗うシステムになっている。こんな原始的なところが現代人には受けるのかも知れない。

感心したのは、僕はビーチと街中で、人々が紙くずを拾っているのを2,3回見たことである。日本では珍しくないが、ラテン諸国ではまず見られない風景である。サユリータはエコロジーへの関心が高く、街路には20メートルおきにゴミ箱ならぬ4種類に分別されたゴミかごが設置されている。

また、レストランで使用されるストローが薄い茶色なので、どうしてかなと思ったら、何とこれはプラスチックではなく、「アボカードの種」を原料にして作ったストローだった。そして、近いうちに、水に漬けると溶解する、プラスチック袋の使用を開始する、との話も聞いた。これには、チリ―人とインドネシア人が発明した、二方式があるそうである。

さて、アメリカ人は「クオリティ・オブ・ライフ 生活の質」とよく言うが、彼らはメキシコの田舎にはこれがある、という。物質的な面ではなく、リビエラ・ナジャリ辺りのゆっくりした時の流れ、静けさが訪れる人々をレラックスさせ、人々の満足度を高めてくれるのだ。そうそう、肝心なことはこの辺りの治安の良さだ。メキシコシティ等の大都市と違い、タクシーに安心して乗れることが、安全さの目安になっている。だからメキシコシティでは、Uberの人気が高い。もちろんメキシコは物価が安いため、何事も安くあがることも、クオリティ・オブ・ライフの大事な要素だろう。なお、この件に関しては、稿を改めて書きたい、と思っている。

ストレスを吹き飛ばす

もう一つアメリカ人がこの地を好む理由としてぼくが指摘したいことがある。この辺りは5,60年前は住む人も稀なところだったらしい。そこへこの地に惚れ込んだ、アメリカの物好きな人々が移り住んで、店やレストランを始めたのがそもそもこの一帯がリゾート化する始まりだったのだ。ぼくはサユリータの感じが小笠原諸島の父島あたりに似ている、と感じたものだった。ど田舎にしてはどこか「あか抜けした」ところが、レストランやお店のデザインに感じられるのだ。こういう洒落たところが、アメリカから来る都会人に受けるのだろう。店のオーナーの中には、どう見てもWASPにしか見えない、きれいな「熟女」たちがかなりいるのも面白い。とにかく、こんな田舎に8年制のインターナショナル・スクールがあることが、海外からの定住者が多いことを示している。

こうして、手つかずの自然とごみ無しの集落と海と潮騒は、万病を直し、都会のストレスを吹き飛ばしてくれる。サユリータのビーチには、テント張りのマッサージ店があって、5,6人の女性がアメリカの半値以下でマッサージをしてくれる。おまけに潮騒のバックグラウンド・ミュージック付きである。マッサージが終わったら、ビーチのレストランでカクテル「マルガリータ」をのんで、海と夕陽を眺めるのが良いだろう。日本と違って、メキシコの夜のとばりが下りるのは9時ごろである。

家、宿舎に帰る道すがら、インディヘナ(原住民)の人々の出す、露店を冷やかすのも、我々の楽しみだった。こうして、サユリータとリビエラ・ナジャリは富田家の「もう一度行きたい場所リスト」に加えられたのである。