連載エッセイ27:記憶の中のラテンアメリカ・プロジェクトエクアドル国営石油公社第一号リファイナリー建設 オイルショックの中の国際入札 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ27:記憶の中のラテンアメリカ・プロジェクト
エクアドル国営石油公社第一号リファイナリー建設
<第1回>オイルショックの中の国際入札


連載エッセイ26

記憶の中のラテンアメリカ・プロジェクト
エクアドル国営石油公社第一号リファイナリー建設
第1回 オイルショックの中の国際入札

執筆者::設楽 知靖(元千代田化工建設株式会社、元ユニコインターナショル株式会社、元明治学院大学国際学部講師)

「牛が草を食んでいたところにタンクローリーが走り出した」

1973年5月、著者は、ジェトロのブラジル・サンパウロ・ジャパン・トレード・センターより帰国して、出向解除となり、元のエンジニアリング企業へ戻って、直ちに、南米エクアドル共和国・国営石油公社(CEPE)の第一号リファイナリー(石油精製工場)建設のプロジェクトの国際入札に参加するため、現地ファクター調査(サイトサーベイ)の命を受け、プロジェクト・メンバーとともにエクアドルへ飛んだ。

 当時の同国は軍事政権で、その数年前に東部アマゾン河源流付近で、米国メジャー・オイル(ガルフ・オイル)により、石油資源が発見され、その原油を太平洋岸へ輸送するため、米国コントラクター≪モーリソン・クヌードセン)により、アンデス越えの36インチ・パイプによる500キロメートルのパイプラインが施設され、太平洋岸、同国北部、エスメラルダスまで完成し、そこに数基の原油貯蔵タンク(日本企業が建設)が置かれ,海上のシングル・モーリング・ブイ・システムにより、原油輸出が開始されていた。

 この地に、第一号リファイナリーを建設して、付加価値を高めるために設立されて間もない石油公社(CEPE,Corporacion Estatal Petrolera Ecuatoriana、現在Petroecuador)が、米国のUOP(プロセス・コンサルタント)に依頼して、国際入札体制を整え、クオリティ・ビッドで選定された4社(米国Mckee社、イタリアSNAM社、日本の日揮、千代田化工)を対象として、国際入札を実施することになった。

「Overseas Jobsite Survey Reportの作成」

この入札条件はLSTK(ランプ・サム・ターン・キー、一括請負)であった。この時、設立直後の石油公社の管轄上部機関は、天然資源省であり、それまで同国の主要輸出品であったバナナと木材を取り扱う省で、「原油天然資源」ということで、担当省になったもので、大臣は海軍大佐、石油公社総裁は海軍中佐であったので、入札書類はすべてUOPの作成であり、ビッド・エバリュエーションにも大きな力を持っていた。そして、ラテンアメリカ地域内には、ARPEL(Asistencia Reciproca Petrolera Estatal Latinoamericana,ラテンアメリカ石油公社機構)という組織があり、当時ブエノスアイレス本部では、アルゼンチンのYPF、ブラジルのPetrobras、メキシコのPemexが影響力を持っていて、アービトレーションのような法的アドバイス、YPF、Petrobras、Pemexは後発石油公社のテクニカル・アドバイスも実施していた。エクアドルのリファイナリーの国際入札でも。ビッド・エバリュエーション段階でアドバイスをしたり、建設後のオペレーター・トレーニングはメキシコのPemexが担当することになっていた。

このような情勢の中で、応札者(コントラクター)は、UOP作成の入札書類(コマーシャル/テクニカル・ドキュメント)を受領することとなり、これらの資料を読んで、見積書(プロポーザル)を作るため、サイト・サーベイ(現地調査)を行うことになった。メキシコ経由、首都キト―へ入り、石油公社と打ち合わせ後に、国内線TAME(空軍オペレーション)のDC-3機でキトー国際空港から、エスメラルダスへ向かったが、エスメラルダス河口に太平洋側からアプローチし、いきなり、草原と砂利の滑走路に着陸、その衝撃に最初、不時着と思った。ターミナルは、小さなバラック一軒、トランクも取りに来た空港員は、リヤカーを引いて来た。それに付いていくと、一段下の河岸に行き、なんと船外機は付いているものの丸木船で、エスメラルダス河を横断して、しぶきを浴びながら、反対側の船着き場に到着。そこで、また、びっくりした。トランクを運ぶ子供たちは、みんな裸足の黒人。最初、アフリカのどこかの国に来たのかとの錯覚を起こした。丸木船から下したトランクは子供たちが我先にタクシーへ運んだ。タクシーは床の部分が朽ちていて、水たまりを通ると床下から泥水が跳ね返る状態であった。

このエスメラルダ市は港からすぐ近くで、エスメラルダス河に沿って、高床式のバラックが立ち並ぶ。裏側に商店が少し並んでいる街並みの中に1軒のホテルらしき建物があり、そこに泊まることにした。ホテルと言っても、数室で、室の上の部分は網が張ってあり、トイレは共同であった。夜はギシギシというベッドに、敷布1枚で、電気が消されて、眠ると夜中に顔の上に何かが落ちてきたので、手で払うと、それはゴキブリで、さらに眠っていると腹の上を何かが通るので、目をさますと小さなネズミであった。

しかし、ここしか無いし、現地調査なので、我慢するしかなく、翌朝、ホテルの家主と話したところ、この町は、パナマ運河建設工事の際に、労働力として連れて来られた黒人労働者が、工事完了後にコロンビア沿岸から、南下して、このエスメラルダス河の河口につくった町とのことで、家主が書いた小冊子「Negro en Esmeraldas」を見せてくれた。

通常、この種のプロジェクトの入札に関わるプロポーザル作成に当たっての現地ファクター調査では、本社から持参した「Overseas Jobsite Survey Report」のアイテムに基づいて、現地業者(Local Contractor)を探して、現地調達可能品目を調べて行くのであるが、このエスメラルダスには、そのような業者は、一つもなく唯一、石油公社(CEPE)のエスメラルダス出張所の所長(陸軍退役軍人)にコンタクトして、町の有力者を紹介してもらう方法以外になかった。

先ず、タクシーをチャーターして、Jobsite(Plant Site、建設現場)を視察するとことから始めた。町からエスメラルダス河に沿って、少し、上流方面に行き、その支流を右折して、支流に沿って右手に現場があった。そこはジャングル側から、36インチの原油パイプラインのすぐ横で、太平洋岸の丘から緩やかに傾斜した牧場で、牛が草を食んでいる場所であった。そこで、土木の担当者と分析のための土を小瓶に採取し、周辺も調査するとともに、この現場と町の間にある工兵隊の駐屯地を訪ねて挨拶をして、町の方へ戻った。

町の商店街には、レストランが2軒、そのうち1軒は中華料理店で、あとは電気店や雑貨商があるだけで、また1軒の観光ツーリストを見つけた。そして港の方に向かうと、市役所、郵便・電話局があるくらいで、港と言っても、桟橋は一切無く、普段は、バナナと材木を小型船で積んで沖の本船に渡すぐらいの荷役のようであった。したがって、税関らしき建物は無かったが、一人の税官吏がいるとのことで、探して面談し、話を聞いた。また、現場事務所の建設、日本からのスタッフの宿舎等の手配などを調べた結果、材木屋を1軒見つけるとともに、町の中の唯一の医師が開業していて、その医師が病院を開業するために20名ほどの患者を入院させることのできる建物を建てたが、金を払える患者が無く、建物が、そのままになっているとのことだった。その医師とコンタクトして、借用の話をした。この医師(ドクター・サラス)はプロジェクト受注後、主治医として大変お世話になった。

また、砂利、砂、セメントの調達についても、探れる情報は調べたが、一番重要な案件は、仮設資材をはじめとしたプラント機器を何処から陸揚げするかであった。当面仮設資材の陸揚げについて、木材を輸出するための港であった唯一の小型船とコンタクトすべく準備したが、翌日コンタクトしたところ、河口の浅さに座礁してしまい動かなくなったとのこと。やむなく、仮設機材の第一船は、太平洋岸、エスメラルダスより、少し南のマンタ港で陸揚げして、エスメラルダスへ陸送し、そこに通関のためのボンドエリアを設置することにした。このようにして、何も無いところにリファイナリーを建設するための現地ファクターについて、様々なアイデアを絞って、見積書作成を行うべく、エクアドルから、メキシコ市経由で、帰国の途に着いたが、数人のサーベイチームは羽田着と同時にレポートを提出するために、機内での10数時間、徹夜の状況で書き続けた。

「国際入札」

 そして、3か月後、国際入札が実施された。それは、1973年7月で、日本、米国、イタリアの三カ国の4社のエンジニアリング企業が応札し、プロポーザルを提出した。このリファイナリー建設プロジェクトは、日量55,000バーレルのほぼ完全なプロセスも有する近代的なリファイナリーで原料はエクアドル産原油を使用するもので、米国のUOPがコンサルタントを実施し、コマーシャル、テクニカルの入札資料も作成した。入札条件は、LSTK(一括請負)で、全て、応札者(コントラクター)が責任を持って、プロジェクトを遂行することになっていた。これに対して、応札した4社の内、米国のマッキー社は、「コスト・プラス・フィー』条件で応札したため、最初に入札違反で失格となった。マッキー社は現地の新聞で、自分たちが一番安価なのだと訴えたが、認められなかった。

 したがって、残りの3社の競争で評価されたが、石油公社側は、全社の入札価格が高いという評価で、初めて経験する石油公社側は、域内の経験豊富なブラジルのPetrobrasとメキシコのPemexに担当者を派遣して相談した。その結果は、石油公社側の単純なバーレル当たりの単価比較であったのに対して、PetrobrasとPemex側は、プロセス装置の内容が高度な設備が含まれているために、入札価格はリーゾナブルと評価されたようであった。その後、3社による各々のネゴに入ったが、ここで世界をオイルショックが襲った。このことが原因で、資機材、機器類の価格が高騰し、見積価格が大幅に上昇する事態となった。またLSTKベースのプラント建設では、一番リスクが大きい部分とされる「土木工事」が大きな問題となり、全体のネゴの中で、この部分を如何に除外してもらうかが最大の問題となった。石油公社側で、この土木工事、すなわち、プラント・サイトの「サイト・プレパレーション」を受けてもらうためのネゴに集中することで、ネゴの期間が大幅に遅れることになった。

 石油公社側では、この工事をどこに発注するかということで経験の無い中で、大きな悩みを抱えることになり、約半年遅れのネゴの結果、「土木工事を公社側が引き取って直接実施する」という結論となり、最大のリスクが回避されることになった。こうして「土木工事は公社が工兵隊に発注し、建設機械も供与して、コントラクターの作成する土木工事図面に従って実施し、これをコントラクターは土木エンジニアをスーパーバイザーとして派遣する」という条件に落ち着くことになった。そして、日本2社、イタリア1社のネゴの結果、日本の「住友・千代田コンソーシアム」が受注することになった。

エスメラルダス・リファイナリーの全容

トランス・アンデス原油のパイプライン