連載エッセイ32:ラテンアメリカ音楽に魅せられて - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ32:ラテンアメリカ音楽に魅せられて


連載エッセイ31

ラテンアメリカ音楽に魅せられて

執筆者:松田 郁夫(元ジェトロ・サンホセ事務所長)

私のささやかな趣味の一つはラテンアメリカ音楽(以下ラテン音楽と称す)を聴くことである。ラテンアメリカというのは、北米のアングロサクソンアメリカに対して、メキシコ以南の中南米でラテン系言語のスペイン語やポルトガル語を公用語とする諸国を指す。日本では1950年代後半頃にラテン音楽ブームが起こったが、私がラテン音楽に興味を覚えたのは、1970年前後にラジオでラテンアワーなる番組があって、情熱的でかつ哀愁を帯びた歌とメロディーに惹かれよく聴いていた頃である。そのうち、折角聴くのに歌詞の意味がわからないのが悔しいので、勤務先の語学研修制度を利用してスペイン語を学び、のちにメキシコやコスタリカに駐在することになって本格的に聴くようになった。

ラテン音楽は寿里順平氏によると、およそ4つの異なる文化要素の習合もしくは変容と言われている。

第1の要素はイベリア文化で、スペインやポルトガルの征服者、植民者がもたらしたものである。第2の要素はそれを受け入れた土着民、インディオの文化、第3はヨーロッパ人がアフリカから奴隷として連れてきた黒人の文化である。そして第4に、植民地からの独立後にやってきた大量のヨーロッパ移民のもたらした文化が、これらに加わっていることが挙げられる。

こうして様々な分野、ジャンルの音楽がそれぞれの国で発展してきている。独断と偏見でラテン音楽をざっと巡ってみることにする。
(写真 ラテン音楽のCD)

(1) メキシコの音楽

メキシコのラテン音楽としては、まずはマリアッチが挙げられる。マリアッチとは元々ハリスコ州の舞曲を演奏する楽団のことであるが、転じて彼らが歌い演奏する音楽そのものになり、1910年代からメキシコ・シティにも入ってきた。トランペット、バイオリン、ギター類の演奏から成り、コーラスが入る。メキシコ・シティ中心部にはガリバルディ広場、通称マリアッチ広場があり、多くの楽団がいて聴衆、観光客の要望に応じてささやかなチップを渡すと演奏し歌ってくれる。マリアッチではハリスコ州の州都にちなんだ「グアダラハラ」はメキシコの名歌の一つである。もちろん、マリアッチ楽団が歌うのはマリアッチだけでなく、有名な「シェリト・リンド」などあらゆるラテン音楽を聞かせてくれる。

1920年代にはキューバからボレロがメキシコに入ってきた。ボレロはスペイン各地で発生した舞曲で、のちにラテンアメリカ、とくにキューバで広がった。その後キューバでは廃れたが、メキシコでアメリカから入ったブルースも合わせて、1930年から40年代にはロマン歌謡として人気を博した。世界中に広まった「ベサメ・ムーチョ」は代表的な歌である。

50年代になるとトリオで歌うグループが大人気を呼んだ。ペレス・プラードやトリオ・ロス・パンチョス、トリオ・ロス・ディアマンテスなどが全盛期を迎え、来日して各地で公演、日本にラテン音楽ブームを巻き起こした。
とくに、トリオ・ロス・パンチョスはボレロ界で一つのエポックを成し、私の大好きなグループである。
トリオのメンバーは何回も入れ替わってはいるが、その歌声は変わらない。何回も来日、各地で公演した、京都や大阪に数回聴きに行ったことがある。ヒット曲である「ある恋の物語」はパナマ人が作詞作曲したボレロである。

メキシコ南部からグアテマラにかけては、マリンバによるワルツが知られている。マリンバそのものはいわゆる木琴であるが、11オクターブの大掛かりなもので、7人で演奏する。代表曲である「ラ・サンドゥンガ」は非常にメランコリックである。(写真 マリアッチのLP盤)
 
(2) ペルー、ボリビア、エクアドル、チリーなどの音楽
 
南米のアンデス山脈沿いにあるこれら4カ国とアルゼンチンのラテン音楽としてはフォルクローレが知られている。フォルクローレの本来の意味は民衆の音楽や舞踊だけでなく、あらゆる種類の大衆文化および民間伝承のすべてを包括している。しかし、日本では狭い意味でアンデス諸国とアルゼンチンの音楽を指す場合が多く、アンデス地方に古くから伝わるたて笛のケーナととくにボリビアのものが有名な弦楽器であるチャランゴの音楽だとみなされている。また、アルパ(インディアン・ハープ)もフォルクローレを彩る重要なファクターとなっている。

フォルクローレのジャンルでアルゼンチンが生んだ今世紀最大の女性歌手はメルセデス・ソーサである。彼女の比類ない素晴らしい歌声と、その深い歌心は聴く人々の心をとらえて離さない。軍事政権下で彼女の「アルヘンティーナの女」、「勝利のときまで」などの歌が反体制的であるという理由から多くの政治的圧迫を受け、半ば亡命生活を余儀なくされた。

一方、フォルクローレの曲として世界的に大ヒットしたのは、「コンドルは飛んで行く」である。

(3)アルゼンチン、ウルグアイの音楽
 
この地域にはミロンガ、チャカレラなどの音楽もあるが、とくにアルゼンチンではなんと言ってもタンゴであろう。タンゴはキューバから渡来し、ブエノスアイレスの港町ラ・ボカに上陸したという説もあるが、一方でイタリア移民たちがワルツやポルカのリズムを持ち込み、それらが合体して1880年ごろにタンゴとして生まれ変わったとされている。当初は全く踊りのための音楽であった。楽器もギター、バイオリン、フルートなどが主であったが、ドイツからバンドネオンが伝わりタンゴ楽団の主役となった。情熱的で男女の激しく妖しいステップとバンドネオンの哀愁に富んだ音色がよくマッチすることとなった。タンゴには「エル・チョクロ」、「リベル・タンゴ」、「郷愁」、「カミニート」、「さらば草原よ」など数多くの名曲があるが、最高の傑作はやはり「ラ・クンパルシータ」であろう。ウルグアイ人のマトス・ロドリゲスが1916年ごろに作曲したので、厳密にはアルゼンチン・タンゴとは言えないが、それでもこの曲はアルゼンチン・タンゴの代表的名曲と言われている。有名な楽団や歌手も数多い。日本人の藤沢嵐子もその一人である。ブエノスアイレスにはタンゲリーアというタンゴの生演奏を聴き、踊りを見ることができる数多くのバーまたはレストランがあり、連日夜遅くに開演されている。
 
メキシコ駐在中に当時ブエノスアイレスに駐在していた先輩からいただいたタンゴのLP盤を今でも大事に聴いている。   

ところで、ルンバ、マンボ、チャチャチャ、ボレロ、コンガなど、いわゆるラテン音楽の最もよく知られたリズム形式は、すべてキューバから生まれてきたと言われる。カリブ海諸国のサルサ、メレンゲ、レゲエ、ブラジルのサンバ、ボサノバ、ショーロ、および、コロンビア、ヴェネズエラのクンビア、タンボールなどとともに、ラテン音楽を語る上で欠かせないが、これらについては次の機会に譲ることとし、ここでは、ラテンアメリカ諸国の2大宗主国であるスペインとポルトガルの音楽について簡単に触れておきたい。(写真はタンゴのLP盤)

(4) スペインの音楽
 
スペインはラテン音楽の母なる国である。ラテン諸国は混血の文化であるが、実はスペインも混血の国である。もとより、先住民と目されるイベロ族やケルト族、その後の移民者や征服者であるローマ人、ゲルマン系西ゴート人などのヨーロッパ的な血筋に加えて、フェニキア人、ユダヤ人、アラブ人、そして数百年にわたってスペインを占領したムーア人など中近東、アフリカの様々な人種がそれぞれの血と文化を堆積させた。各地の民謡・舞曲やアルベニス、グラナドス、ファリャなどの近代民族主義楽派の作品には、色濃く東方の響きがこもっている。とりわけムーア人と、一番遅く入ってきながら、とくに南部アンダルシアの音楽・舞踊に対し大きな貢献を果たしたジプシー(スペイン語でヒターノ)のことは、スペインの文化を語る上で最も重要なファクターとなっている。フラメンコは、まさにヒターノによって育まれ、最もポピュラーなものとなった。2004年にスペインを旅行し、セビリヤの劇場で本場の本格的なフラメンコを鑑賞したときは、フラメンコの情熱的な踊と迫害を受けていたヒターノの苦しみと悲しみを切々と唄う歌とギターの旋律に接することができ、その感動はいまだに忘れることができない。

(5) ポルトガルの音楽
 
ポルトガルの代表的な音楽と言えば、やはりファドであろう。
ファドについては多くの思い出がある。ファドと初めて出会ったのは1993年である。この年は種子島に鉄砲が伝来して450年。これを記念してポルトガルと縁がある全国の都市に記念事業実行委員会が設置され、様々な事業が実施された。当時徳島事務所に赴任しており、徳島市とポルトガルのレイリア市が姉妹都市であったことから徳島にも県、市、会議所、業界団体を中心に実行委員会が組織された。その委員会のメンバーに名を連ねていたことから、輸入促進ミッションを派遣することになり、輸入品のショップを経営する業者を中心に20数名でポルトガルに行った、ワインやコルク製品などを買い付け、レイリア市とも友好を深めることができた。リスボンのレストランで初めてファドを聴いたのであるが、ギターの伴奏で歌われ、哀愁に満ちた旋律と歌声に感激したのを覚えている。

その後、帰国してから、徳島の百貨店でポルトガル製品の展示即売会を開催し、盛況であった。さらに、これを盛り上げるために、ファドのコンサートを企画し、当時日本のファド歌手第一人者とされていた月田秀子を探し当て、直接交渉の上徳島に来ていただくこととなった。

幸い地元商店街の協力と支援も受け、商店街の一角で夜、野外コンサートを開催した。リスボンでの感動の再現であった。実は、この年には、ファドの女王であり、ポルトガルの国民的歌手として有名なアマリア・ロドリゲス(1920~1999)の公演が日本全国で開催され、わざわざ徳島から大阪に聴きに行ったものであった。さすがに彼女の哀切で叙情的な歌声には魅了されてやまなかったのである。(写真 アマリア・ロドリゲスのファドのCD)(了)