連載エッセイ42:パタゴニアとコケ - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ42:パタゴニアとコケ


連載エッセイ 41

パタゴニアとコケ

執筆者:鈴木 均(元日商岩井(株)サンチャゴ駐在員)

パタゴニアへの旅
パタゴニアと聞いただけで、体の芯が熱くなる。目をつぶると、アンデスの山脈から落ちる糸のように細くて、信じられない程長い滝が、一直線に海になだれ込む景色を思い出す。山脈の上に広がる真っ青な空を見るため、頸がもう曲がらないほど、体を反り返す。細く閉じた眼が、紫外線で痛い。そう、もう一度、行ってみたい。

パタゴニアには、ほぼ十年に一回ほど、ほとんどバックパッカーの旅をしている。最初は、1995年のクリスマスとお正月休暇を利用して、10日間の旅をした。日商岩井(株)(現 双日(株))の、サンチャゴ駐在員の時だった。ファルトボート(注:折りたたみ式のカヤック)に、テントと食料とワインを積んで、チリのフィヨルドを漕いだ。一人焚き火に酔いしれながら、信じられない程沢山の星が散らばる大空に、大小のマゼラン星雲を眺めた。

2008年には、Navimag社が運行するフェリーボートに乗って、南緯46°のLaguna San Rafaelの氷河に遊んだ。海に浮いている氷山のかけらをグラスに取り、ジョニ赤を注ぐと、「ぷちっ、ぷちっ。」と音がして、空気がはじける。ウイスキーは、忽ちジョニ黒の味に変る。残念ながら、この氷河はもう溶けてしまい、こんな景色は消えてしまったそうだ。尚、僕が乗ったフェリーは、その後、岩礁に衝突して沈没してしまい、去年からは新しいフェリーが就航しているそうだ。

チリ南部のLaguna San Rafael

2014年には、風が「びゅーびゅー」と吹くビーグル海峡で、名産のコルデロ(注:未だミルクしか飲んでいない赤ちゃん羊の丸焼き)を味わいながら、約40日間ぼんやりと過ごした。アルゼンチンの氷河と山を、あちらこちらで物見遊山した。

そして、最後になる筈のパタゴニア行を、令和元年の年末に計画していた。ところが、アルゼンチンの経済が崩壊してしまい、インフレが再び襲ってきた。現地通貨のペソや、クレジットカードで支払いをすると、五割くらい高くつくことになる。しかも、現地通貨での支払いは、まるで歓迎されない。個人営業のチンチロ(注:洗濯屋)のおばちゃんでさえ、米ドルを出すと、顔をほころばす。だから、米ドルの現金を沢山持って行かなければならない。しかし、米ドルを沢山持っているのがわかると、泥棒さんや強盗様を呼び寄せる事になる。それに、あの超安全と言われたチリでさえ、火炎瓶が飛ぶようになってしまった。地方はまだ平穏だが、干支が六周りしてしまったお爺ちゃんには、もう無理な旅は出来ない。万が一何か起こってしまっても、誰も褒めてくれない。「冷や水」とお叱りを受けるだけだ。

コケする人生とその馴れ初め

このパタゴニアには、大自然にも増して心を奪われてしまうものがある。それが、コケだ。コケ好きな仲間たちの間では、「コケをする」という。これは、コケを山から採ってきて、盆栽のように育てる事ではない。コケの生育はもの凄く難しく、庭に植えても直ぐに消えてしまう。採ってきた苔を、顕微鏡で眺めては図鑑と見比べて、名前を調べる。これを、同定と呼んでいる。同定が終わったら、コケを乾燥させて、標本袋に入れて保存する。40年後でも50年後でも、新鮮に保管できる。しかし、部外者から見ると、きっと詰らない話だろう。

何時、そして、何故コケが好きになったのか、正直言って覚えていない。もしかすると、コケの生き様が、気の弱い自分にそっくりだからかもしれない。何と言っても、コケは逃げ足が速い。秋になり、周りの草が枯れて、木の葉が落ち、太陽の光が地面に届くようになると、いつの間にかどこからかやって来て、百年前からずっと住んでいたような大きな顔をする。ところが、春が過ぎ、植物が繁茂して、生活環境が悪くなると、あっと言う間に、どこかに消えてしまう。「あいつは、どこへ行ったんだ。」と誰かが気がついた時には、とうの昔に姿を消している。そんな生き様の繰り返しだ。癒やされる。

コケの図鑑を、2001年に買った。この年を、僕の「コケ元年」としている。ところが、コケをするのはそんなに簡単ではない。図鑑を見ることができるようになるまで、少なくとも1年はかかる。更に、初歩の同定ができるようになるまでには、最低五千個くらい標本を見なければならないと言われている。毎日十個顕微鏡で見たとしても、五百日はかかる。これは、先達がいた場合で、自己流で盲滅法やっていても、まるで進化がない。従って、気合いを入れてコケを始めたのは、現役を完全に引退した2009年からと言うことになる。オリンパスの生物顕微鏡も、この年に手に入れた。

だから、1995年の旅では、まるでコケに関心を持っていなかった。そして、2008年にパタゴニアに旅した時には、未だ初心者あるいは駆け出しのコケをする人だった。それでも、チリのChiloe島(南緯40度付近)の田舎村に行った時には、山を埋め尽くすような、コケの絨毯に驚いた。ほんの少しだけ標本を採取したが、帰国後いくら調べても、皆目何なのか同定出来なかった。それもそのはずだ。日本から持って来た図鑑には、全く載っていない。似たような種もあるが、良く見ると形が全く違う。南米は、あの古代ゴンドワナ大陸の子孫だ。日本とは、地質上繋がっていない。日本との共通種は、10%位しかない。

しかし、2014年の旅の時には、コケする人として大成長していた。日本には無い種類でも、何となくこの属だろうとわかるようになっていた。(注:生物は、科→属→種と細分化する。)そうなると、意気込みが違う。パタゴニアの大自然に魅せられながら、ふと気がつくと足元を見ながら歩いている。ああいかんと、再びビーグル海峡にぼんやりとするが、夢から覚めた時には、いつの間にか地べたに座りこんでいる。それほどに、のめり込んでしまった。

世界最大のコケ

日本にも、1mを超すコケが生えている。しかし、そんなコケは、全て木からぶらぶらと垂れ下がっている種類だ。地面から垂直に生えているコケの仲間は、高さが1mm以下から、精一杯で数cm程度だ。日本で一番大きいのは、例外的に、スギゴケ属のウマスギゴケPolytrichum communeだ。普通はせいぜい10cm位までだが、条件が会えば、30cmくらいにまで伸びる。夏のスキー場や、湿原の周りに、広い絨毯のように生えている。

ところが、このパタゴニアのスギゴケの仲間Dendroligotrichum(注:和名なし)は、何と60cmにもなる。このコケが、世界で一番背が高いと言われている。燦々と降り注ぐ強い太陽の下を好む。こんな群落の中に足を踏み入れてしまうと、足元がまるで隠れてしまい、歩くことも出来なくなる。黄色い葉は、これでもかと太陽光をもろに反射する。そして、蒴(注:コケの胞子嚢をこう呼ぶ)は、一層黄色く、まるでお花畑に遊んでいるような気分になる。

このDendroligotrichumは、南部パタゴニアのUshuaia市(南緯55°)辺りまで行くと、高さが数cm位にまで縮んでしまう。本当に同じ種類のコケだろうかと、同定に自信がなくなってしまう。気温の影響だろうか。尚、コケは低温に強い植物で、凍り付いても、解凍すれば生き返る。南極の昭和基地付近には、キョクチハリガネゴケという種類が密生しているそうだ。

コケ Dendroligotrichum

オーストラリアやニュージーランドにはDawsonia(注:和名なし)と言うスギゴケの仲間が生育している。こちらも、50cmにも成長するという。僕は、20~30歳台の頃、出張で20回以上も行っているが、何しろその頃はコケにまるで興味が無かったので、記憶にも残っていない。今考えると、本当に残念だ。

標本と帰国

Dendroligotrichumを、土産の標本に持って返ろうと、茎を引っ張ってみた。どれもこれも根の所で切れてしまう。それではと、お好み焼き用の篦で土を掘ってみた。(注:コケを採る道具として、便利。)何と、もの凄く堅い。パタゴニアの土は、密度高く締まっていて、鉄の篦が曲がってしまう。日本では、余り見かけない土壌だ。ご経験者は少ないと思うが、こんな土は、野営の野糞の際に一苦労する。結局、根っこは諦めた。
 
さて、標本を採取したのは良かったが、持ち帰りようがない。長すぎる。やむなく環にした。日本の標本箱にしまってあるが、環を開こうとすると、そこから折れてしまう。従って、全長は未だちゃんとは計測できていない。

こんな調子で、あそこではこれ、こちらではこれと、標本集めに忙しかった。勿論、目的の物見遊山も楽しんだ。そして、最後の難関、どうやって税関と検疫を通るか、何しろ、バスでの移動が主となるため、チリとアルゼンチンの国境を繰り返し越えなければならないし、米国と日本での検査もある。そう、「乾燥植物」にして持ち帰る。土を全部落として、ホテルの部屋中に新聞紙を敷き、その上にコケの標本を広げる。何回も繰り返す。紅茶とおなじようになる。都合が良い事に、強い香りがしないから、マリファナと間違われる事はない。

ある日、物見遊山と採集からホテルに戻ってきた。「さあ、ビールだ。」と勇んだが、部屋の様子がなんとなくおかしい。良く見ると、今朝出て行った時のコケの並びとちょっと違うようだ。そうだ、お掃除おばちゃんが、電気掃除機をかけてしまったのだ。吸い込んでしまった標本を、そっと戻したようだ。う~む。これは、参った。頭を捻りながら、どれがどこで採取して、これはどこでと、復元作業に一晩費やした。これも、コケをするための、大切な勉強だった。上級編だ。

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