ベネズエラの変遷―石油産業とハップニングと中小企業調査 上 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

ベネズエラの変遷―石油産業とハップニングと中小企業調査 上


連載エッセイ41

ベネズエラの変遷―石油産業とハップニングと中小企業調査 上

執筆者:設楽 知靖(元千代田化工建設(株)、元ユニコインターナショナル)

「エンジニアリング企業の頃―PDVSAアプローチ」
1)ランチョと高速道路にビックリ:ダンボールからブロックへ

筆者が初めてベネズエラを訪ねたのは、ジェトロ出向時の1970年12月のことであった。この年、メキシコから次の駐在地ブラジルのサンパウロへ、その後、ブエノスアイレス、サンテイアゴ、リマ、ボゴタを回り、ベネズエラの首都カラカスのカリブ海に面したマイケティア国際空港に着いたのは夜であった。首都カラカスの町は、海抜千メートル、東西に長い町で、空港からはいくつかのトンネルを弾丸道路が貫いてあっという間に中心部に着くが、そのトンネルとトンネルの間の山々は、全てイルミネーションで覆われて、美しい夜景であった。

しかし、昼間にこの山の斜面を見て驚いた。それは立ち並ぶ家々の電気で、これが貧しい地域という説明を受けた。ほとんどがダンボールで作られていて、”ランチョ“(Rancho)と呼ばれる場所であった。大統領選挙が国民による直接投票であるので、水道、電気、清掃も完備されているが、料金は払われておらず、電気は“盗電“と言われていた。このカラカスへ数十回も通ううちに、原油価格の高騰で、このランチョのダンボールの外壁はブロックに変わっていった。また市内の高速道路網は、他のラテンアメリカの都市では見られない光景で、一時代を先取りした街並みであった。

2)見本市の美人アテンダントは、カラカス中央大学生

南米からメキシコへ帰国後、暮れから正月は、車でユカタン半島5000キロのドライブを経験し、パレンケから太平洋側への、ツクストラ・グテイエレスへの山道は、散々な行程であった。そして正月が明けると、ジェトロ所長から、2月に、ベネズエラのカラカスで日本産業見本市を開催する、見本市はジェトロ・メキシコ機械センターが担当するので、事務局員として、1か月、カラカスに行くようにとの指示があった。筆者の担当は、開会前夜の花火の打ち上げとコンサルテイング・コーナーでの産業機械関連の相談であった。2月初めに、カラカスへ出張し、ジェトロ本部からのスタッフとともに一軒家の下宿生活となった。

 前夜祭の花火担当ということで、日本からの花火会社の責任者と段取りの打合せとともに、ベネズエラ最大のカリブ海側のラガイラ港へ通関手続きに行き、花火をカラカスまで運ぶ仕事となった。“危険物輸送“ということで、陸軍とトラックの先導の打合せ、その後カラカスの高速道路の三角地帯にある公園での花火打ち上げ準備の打合せと初めての経験ばかりであった。

 前日に花火輸入時の梱包の箱の中に筒を入れて、それを砂で固める作業を行い、夜は徹夜で陸軍に警備してもらい、いよいよ開会式当日の夜、煙火店の責任者と確認となった。そして、開会式当日は、あらかじめ決めておいたコンサルテイング・コーナー担当の10名のセニョリータとの打ち合わせ、これがすべて美人のセニョリータばかりで、会話は覚束ない状態であった。

 さて、開会式の前夜祭、煙火店の責任者と筆者は、花火をセットした公園でスタンバイ。この三角形の公園は、片方が川、一方は高速道路、二人はこの川の土手で、見本市会場、展示場が見える位置に寝転んで、会場との間はトランシーバーで交信。打合せにより、最初、2~3発のテスト玉を打ち上げて、会場の外の椅子に座っている商工大臣をはじめ、VIPが見えるかどうかを確認。花火をセットした箱は、7個ほどであり、箱の中のグループ毎に順次、打ち上げることにしていた。煙火店の担当者が用意した手製のコントロールパネルで操作することにしていて、その時、トランシーバーの方で、「OK」出た。そして、順次打ち上げたところ、風が出て来て、6番目の花火の殻が、7番目のグループに引火して、ほぼ同時に打ち上がってしまい、ものすごい派手な打ち上げとなってしまった。しかし、大臣とVIPは大喜びで、その上、高速道路は見物渋滞となってしまった。翌日の新聞では、”素晴らしかった”との記事でホッとした。

 一方、見本市は、午前と午後の2シフトで、朝一番で美人のアテンダントと面会、打ち合わせ、日中は3時間の休憩があることを伝えた。そして、朝の10時にアテンダントが来るときに驚いた。どのセニョリータも運転手付きで、ベンツでの送り迎えであった。ベネズエラは、”ミスコン”の国で有名であるが、学生アルバイトもいいとこのお嬢さんで、コンサルテイング・コーナーは終始賑わっていて大成功であった。
 このような経験をして、メキシコに戻り、翌3月には、新規に開設された「ジェトロ・ジャパン・トレード・センター」に2年強勤務することになった。

3) 石油産業の変遷とPDVSA アプローチ

2018年のベネズエラの原油埋蔵量は、3,032億バーレルで、世界の17.9%を占める、世界一の国である。

 しかしながら、二大政党、AD党とCOPEI党の安定した政治運営がなされてきたが、政党政治が行き詰まり、社会的格差などの諸問題で、社会主義政権へ移行し、社会保障重視の政策が続けられ、石油産業へ依存は大きな変革に陥っている。

 遡って、ベネズエラの石油産業もメキシコの変革と同時期に欧米メジャー、Gulf、 Jeysey、 Shell等が開発を進めており、メキシコの前例などから、ベネズエラでは、”利潤配分方法“を考慮して、1960年に石油公社CVP (Corporacion Venezolana del Petroleo)を設立した。 このCVPは、モロンにリファイナリーを建設した。(日本のJGCが建設)。 この時代、原油開発は、ベネズエラ西部のマラカイボ湖周辺に集中しており、その近郊のパラナグア半島に、Jeysey (Creole: Exxon)がアムアイ製油所(日量約80万バーレル)とShellがカルドン製油所(日量約40万バーレル)を建設し、それより東部にMobilがエル・パリート製油所(日量約10万バーレル)を建設した。Gulfのみが、東部、今日のホセ地区にプエルト・ラ・クルス製油所(日量約20万バーレル)を建設し、各々が原油精製を行っていた。

 1976年になって、石油産業の国有化が実施された。その結果、ホールデイング・カンパニーとして、PDVSA(Petroleos Venezuela S.A.)が設立され、その傘下にアフィリエイトとして、各々をオペレーテイング・カンパニーとして置くことにした。その結果、Exxonは、LAGOVENに、 Shellは、MARAVENに、 Gulfは、MENEVENに、 CVPは、 CORPOVENと改名された。さらに,マラカイボ湖近郊の、石炭鉱業は、CARBOSULIAに、オリノコのビチューメン(オリマルジョン燃料)を扱う企業は、BITORに、そして BARIVENは、調達部門として、 INTEVEPは従来通り、R&D Centerとして機能することになった。

 この時点で、ベネズエラ東部の、オリノコ川流域の超重質原油(Extra Heavy Crude Oil)の開発が徐々に推進されて、INTEVEPにおける重質原油処理研究、そして、各々のオペレーテイング・カンパニーでも、 Refinery Upgradingの検討がなされ始めていた。

 INTERVEPに対して、エンジニアリング企業として、アプローチを開始したのは、東京での“世界石油会議”が帝国ホテルで開催された際、ホテル内にエンジニアリング企業が開設したホスピタリテイルームに、INTEVEPの二人のエンジニアが来訪し、それを契機として、エンジニアリング企業の研究所で、マイクロリアクターにより世界の重質原油の処理方法と触媒の研究を行っていたので、この機会にベネズエラのマラカイボ周辺の重質原油を20ドラム提供を受け、企業の研究所で研究しつつ、営業企画で出張ベースで、INTERVEPとの間で、研究交流が継続されることになった。

 また、各オペレーテイング・カンパニーの本社は、今まで通り、首都カラカスに置かれており、プロセス部門、プロジェクト部門へのアプローチも比較的容易であった。一方、INTEVEPだけは、カラカス郊外のロス・テッケスにあり、広大な敷地に整然と研究棟が配置されていて、毎回半日以上滞在して、密度の濃いデイスカッションが行われた。 INTEVEP側も、ドイツのべバオレオと重質原油処理のプロセス、触媒についての議論がなされて、 INTEVEP側には、チリ人の優秀なプロセス・エンジニアが加わることもあった。

4)MARAVEN CPC プロジェクトとINTERVEP スタデイ

 PDVSA傘下の MARAVEN(旧Shell)も重質油の処理を考慮するとともに、自社のカルドン・リファイナリーのプロセス・チェンジを考えて、 CPC Project(Cambio de Patron de Cardon)として、HC Process(水添分解)の改善のプロジェクトを設定して、そのエンジニアリング・スタデイをエンジニアリング企業のINTERVEPアプローチが効を奏したこともあり、MARAVEN側は、副社長、 PMが来日し、面談を行った。 MARAVEN側は、訪日に当たり、副社長自ら、MARAVEN機(15人乗り)をマイアミまで操縦してきた、とのこと。またベネズエラのオペレーテイング・カンパニーは、今まで、プロジェクト実施に当たっては、米国のエンジニアリング企業としかプロジェクト遂行したことが無く、そのベースは、全て、「コストプラス・フィー」方式であった。ベネズエラ国内のエンジニアリング・コントラクターも、このベースの経験しか無かった。「オフショア―・ポーション」(Offshore Portion)と「オンショア―・ポーション」(Onshore Portion)に契約を分割でき、各々別に契約することで、オンショア―・ポーションは、ベネズエラ国内に登記した。ベネズエラ法人が契約して、プロジェクトを遂行し、ベネズエラ国内法人税法で対処することができた。また、労働法は厳しく、石油産業にて雇用する労働者の賃金は、石油産業共通のコレクテイブ・コントラクトに従う必要があり、さらに、毎年決算の利益をベースにして、何人かの人員を研修生として、各地域にある労働者研修センターへ派遣する義務があった。
この後に、東部オリノコ地域の開発に従って、重質原油の処理技術はますます重要視され、エンジニアリング企業として、独自に開発した触媒の効用について、アプローチを続けることになった。一方の MARAVEN CPC プロジェクトは、カルドン・リファイナリーを、さらにパターンを見直して、製品を変更するため、エンジニアリングの途中でプロジェクトは中止された。

5)経団連「日本・ベネズエラ経済委員会」でのハップニング

この委員会には、エンジニアリング企業として、その都度参加していた。

(ア) JFK-CCS AVENSA航空社長の操縦
経団連主導の「日本・ベネズエラ経済委員会」は、東京とカラカスで交互に開催されていたが、ある時の会議では、カラカスでの開催で、日本からの出席者は成田からニューヨーク経由、カラカスへ向かうことになっていたが、ニューヨークに着くと、委員会のベネズエラ側委員の中にAVENSA航空の社長がおり、社長自らがカラカスからボーイング727を操縦して、皆さんを迎えに来た、ということで、翌日は社長の操縦でカラカスまで快適な旅をすることができた。

(イ) 世界一の落差の”エンジェルの滝“をボーイング727で見学
ベネズエラ東部、ガイアナ地域(テーブルマウンテンで有名)には、世界一の落差1,000メートルの滝がある。ここには、通常、カラカスから国内線でカナイマへ飛び、そこからヘリコプターか川をボートでさかのぼることで観光するのであるが、この時の経済委員会の宿舎と会場が、CVG(ガイアナ開発公社)のグリ水力発電所のゲストハウス(キャンプ)で開催することになっていた。前日の視察として、AVENSAの社長が、再び操縦して、カラカスから東部ガイアナへ向かい、そのまま、川をさかのぼるようにエンジェルの滝に向かった。社長は操縦席から、”右に見えますのがエンジェルの滝です”とアナウンスして、低空で窓から目の高さで滝が見られた。その後、急上昇してテーブルマウンテンの上空で旋回して、再び高度を下げて、今度は左側の人々が見えるようにアナウンスして、その後、その先にあるマタンサス地区のアルミニウム工場と製鉄所(SIDOR)の上空を低空で飛んで、カラカスへ戻った。まさに最大のサービスで、ボーイング727でエンジェルの滝を見るなどは、先ず出来ない経験であった。

(ウ) CVG グリ発電所の会議でのハップニング
翌日、会議がグリ発電所会費室で開会した。CVGの総裁が挨拶に立ち、”この水力発電所は国内最大の規模で、地域の鉄鋼やアルミ工場の電力を十分に供給できるもので、これから皆さんにダムの放水をご覧に入れます”という話をして、放水が始まった直後に、会議室が、突然停電してしまい、しばらく復旧せず、総裁としては立場のない状況となり、同情しきりであった。

5)エアーライン・ハップニング 3件

① 国内線「東行き」と「西行き」
ある時、ベネズエラの国内線で、東部のシウダー・ガイアナに行こうとして、マイケテイア空港へ朝早く出かけ、チェックインして、ゲートで待っていると、アナウンスで搭乗の案内があり、扉が開き、国内線は航空機まで歩いて行くので、先頭の人についてみんなが疑いもなく、二機並んでいる同型機、DC-9に、前側のタラップから前の人に続いて乗り込み、各々、指定の席に座って出発を待っていると、機内アナウンスで、「マラカイボ行(西行き)は、間もなく出発します」というと前の方の乗客が、“われわれはシウダー・ガイアナ(東行き)に行くのだ”とクレームすると、クルーは驚いた様子で、確認するということになった。どうやら、先頭の人がタラップを上る前に、行き先表示を確認しないで乗り込んでしまったのだと判明。日本であれば、乗客を全員下して、隣の機材の乗客と入れ替えるところだが、この時のベネズエラの対応は、クルーを入れ替えて、双方出発することになった。何とも気の利いた配慮で、一同、アナウンスに拍手をおしまなかった。

② チケット・チェックイン・ボーデイングパス・ゲート搭乗機

これもある時、カラカスからパナマに向かう時、筆者の持っているチケットは、コスタリカ航空(LACSA))のもの、朝、マイケテイア空港へ行き、LACSAのカウンターに行くと、係員が、今日は向かいのメキシコ航空(Mexicana de Aviacion)でチェックインしてください、と言われて、それにしたがってチェックインすると、ボーデイングパスはメキシコ航空のもの。そして、イミグレーションを通り、出国手続きを済ませて、出発ゲートへ行くと、そのジャバラに駐機している機材は、”フロリダ・エアー”のボーイング737で、ゲートの係員に確認すると、パナマ行だという答え。搭乗すると、クルーは全員コスタリカ人で、”機材はコスタリカ航空がフロリダ航空から購入したものだが、まだ機体を塗り替えていない”とのことであった。筆者は、コスタリカ航空のチケットで、メキシコ航空のボーデイングパスを持って、フロリダ航空に乗って、パナマへ無事到着した。ラテンでは。いろいろなことが起こるものである。

③ 国内線・ジョイント・オペレーションのマジック

さらにある時、東のシウダー・ガイアナへ行って、帰りの便を待っているときのこと。ターミナルのコーヒーショップでコーヒを飲んで、のんびりと待っていると、到着便のアナウンス、降りて来る機体のデザインを見ていると、国内線の”AVENSA”。筆者の乗るのは“AEROPOSTAL”だ。安心して、コーヒーを飲んでいると、滑走路を左から右へ降りた機体が、右の方からUターンして戻ってくると、何と国内線の“AEROPOSTAL”ではないか。慌ててゲートへ駆けて行き、タラップを上る時、正面から機体を見ると、左側半分が ”AVENSA”のデザイン、右半分が“AEROPOSTAL”のデザインであった。こんなジョイント・オペレーションもありなのかと感心した。まさにマジックであった。