『危機と人類 上』 ジャレド・ダイアモンド - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

『危機と人類 上』 ジャレド・ダイアモンド 


国家的危機に直面した国家と各国国民は、如何にして変革を選び取り、次の劇的変化を乗り越える叡智を獲得するかを、世界7か国の事例から米カリフォルニア大学ロサンゼルス校地理学教授が論じたもの。国家の危機としては、1939~44年の間のフィンランドに侵略したソヴィエト連邦との戦争、ペリー来訪から明治時代を通じ太平洋戦争敗戦に至るまでの近代日本の危機、インドネシアの独立からスカルノ統治時代と共産勢力のクーデターをきっかけとした大量虐殺とスハルト独裁、そしてチリでの1973年の軍事クーデターをP.180~226で取り上げている。

アンデス山脈と北部の砂漠地帯、太平洋に面した長い西岸で他の南米諸国と隔離されたチリは、独立以来ペルー、ボリビアとの二度の戦争以外外国と戦ったことはなく、近現代史において軍部が政治に介入することはなかった。著者がチリで暮らした1967年当時、フレイ大統領下で米国資本の銅鉱山会社の51%を政府が買い取ったが、次のアジェンデ大統領は残り49%を無補償で接収し米国を敵に回し、理念先行政策と実行能力に欠けハイパーインフレを引き起こし、フレイ時代からの経済悪化を激化させ、急進左派の武装化と暴力の横行、教育政策でカトリック教会を敵に回すことになって社会の混乱と分断を大きくさせた。

1973年9月11日の3軍のクーデターを遂行したのは、米国CIAではなくチリ人自身であったが、軍事政権が17年も続くとは、ピノチェトが斯くも冷酷で握った権力は手放さないとは誰しも予想しなかった。諜報・秘密警察の役割DINA(国家情報局)を中心に弾圧し、政敵を暗殺し、反対する者を容赦なく撲滅したが、経済は「シカゴ・ボーイズ」と呼ばれたシカゴ大学の経済学者フリードマン教授の弟子たちに委ねて自由市場政策を採って、経済を立ち直らせた。

米国政府は軍事政権を支持してきたが、1980年代半ばに残虐行為を見て見ぬふりが難しくなり、チリの民心が離れてきたことから密かに反ピノチェト派を支援し、1988年のピノチェトの大統領任期延長の国民投票は否決されたが、反対勢力内は分立しており、1990年の民政移管後も1980年憲法での右派・軍部に有利な規定によって再度軍がクーデターを起こすのではないかという脅威が続き、それは2006年にピノチェトが91歳で死ぬまで続いた。

国家的危機の原因あるいはそれを防ぐ要因を探る本書の枠組みに照らすと、チリのこの事例は、P.68~74で掲げた12項目の「国家的危機の帰結にかかわる要因」で言えば、アジェンデが政治的妥協を拒んでマルクス主義政府樹立を目論み米国の横やりを受けるなどの外からの支援の欠如の一方で、軍部の米国から自由市場経済を導入するという柔軟性、地形的に近隣国からの干渉を受けない地政学的制約の無さ、対するに世界市場の中で大きな存在の銅産業の維持はいずれの政権にとっても制約要因となったと指摘している。そして過去の悪行に向き合う姿勢として、ナチスの元党員が擁護に動けず、公式にナチスの犯罪に対処しているドイツ型と、未だに軍の影響力が大きく50年前の大量虐殺批判の声が出しにくいインドネシア型に分けると、チリはその中間型であるという。本書の歴史事例に基づく指摘の多くは、現在の、世界各地で起きている事象の要因を考察する上で当てはまる点が多いかもしれないという観点で読めば、少なからぬ示唆を受けることが出来よう。

〔桜井 敏浩〕

(小川敏子・川上純子訳 日本経済新聞出版社 2019年10月 276頁 1,800円+税 ISBN978-4-532-17679-2 )