連載エッセイ57:ムヒカ大統領から贈られた菊の花束と絆の言葉 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ57:ムヒカ大統領から贈られた菊の花束と絆の言葉


連載エッセイ56

ムヒカ大統領から贈られた菊の花束と絆の言葉

執筆者:眞銅竜日郎(しんどう たつひろう)(在ウルグアイ日本国大使館 特命全権大使)

新型コロナウィルス禍が拡大する状況下、皆様のご無事を祈念しています。 南米・ウルグアイより前向きな話題を提供できればと考え、ムヒカ大統領夫妻との絆の親交を紹介します。

ウルグアイにおいても新型コロナウィルスとの闘いが続いています。小職が率いる在ウルグアイ日本国大使館は在留邦人、日系人の保護、帰国支援等に総力を挙げて取り組んでいます。 

長期戦となり閉塞感に覆われる状況下、ホセ・ムヒカ元大統領とルシア・トポランスキー前副大統領夫妻より、菊の花束と絆のメッセージを頂戴しました。ムヒカ大統領夫妻が自ら農園で栽培した菊の花と激励のメッセージを拙宅の大使公邸に届けてくださいました。ムヒカ大統領夫妻の「隔離を強いられる状況下、皆様と一緒に過ごせるように願い、我々の農園の花をお届けします。共に前進しましょう!」との直筆のメッセージが添えられています。


ムヒカ大統領夫妻から贈られた菊の花束


ムヒカ大統領夫妻の直筆メッセージ(スペイン語)

ムヒカ大統領夫妻の優しい心遣いが誠に有難く、染み入ります。暗いニュースが多い中、ウルグアイより一服の清涼剤として皆様にお届けします。小生はウルグアイにてムヒカ大統領夫妻と親交を温めています。ムヒカ大統領ご夫妻は日本人移住110周年を祝った2018年10月、大使公邸で開催した日本人移住110周年記念式典に、国会会期中にも拘わらず駆け付けてくださいました。ウルグアイでは副大統領は上院議長を兼任します。ルシア・トポランスキー副大統領は上院の会合よりも移住記念式典を優先して参加されました。ムヒカ大統領夫妻は日系人の皆様と一緒に鏡開きを行い、びしょ濡れになって歓声があがりました。ウルグアイ在住の95歳の最高齢の御方はムヒカ大統領と抱擁して感涙に噎びました。


日本人移住110周年記念式典・鏡開きでのムヒカ大統領夫妻、眞銅大使

〈ムヒカ大統領夫妻と日本の絆〉

ムヒカ大統領夫妻は若かりし頃、農場の近くで花卉栽培に従事していた日系人を明確に覚えています。今回、拙宅に届けてくださった菊の花は日系人から栽培方法を伝授されたものです。 ムヒカ大統領夫妻は、「日本人は勤勉、真摯、誠実で素晴らしい。世界は日本から学ばなくてはならない」と、敬意を示して語ります。ルシア副大統領は、「私は共和国大学の建築学部で学んだ。日本は建築分野でも優れており尊敬する。日本の建築家では安藤忠雄が好きです」と述べます。

小生はムヒカ大統領夫妻に感謝の気持ちを伝えるため、花の絵皿、生け花カレンダー、花柄のアニメ・キャラクター等、日本文化を象徴する品々を進呈しています。小職は2021年の日本・ウルグアイ外交関係樹立100周年の佳節に向けて、友好のシンボルである桜の植樹を各県で始めました。ムヒカ大統領の農場にも桜を植樹する計画です。これに対して、ムヒカ大統領夫妻は菊の花束をもって答礼してくださいました。花を通じた「チーム・絆・KIZUNA・VINCULO」の信頼関係を構築しています。

ムヒカ大統領は小生との会話で日本への敬愛の念を示すのと同時に疑問を呈します。「私は日本を実際に訪問して各所を見聞し、日本に対する尊敬の念を改めて深めた。しかし、日本人は世界に誇る立派な歴史と文化、技術、産業等を持っているにも拘わらず、米国の影響を受け過ぎているのではないかと感じた。高度に発達した交通システム、清潔な都市には目を見張るが、日本人の時間に追われる暮らし振りを見て、あまりに忙し過ぎると受け止めた。そんなに慌ただしく急いで一体、何処に行くのかと思った。物質的な豊かさを追求する日本人は果たして幸せなのだろうか」と語ります。

〈世界でいちばん心の豊かな大統領〉

ムヒカ大統領はウルグアイ東方共和国の第40代大統領を2010年から15年まで務めました。ムヒカ大統領夫妻は質素な暮らしぶりで知られます。「老夫婦二人が暮らすのに余計なお金は必要ない」との信条の下で給与の大半を寄付し、大統領公邸には住まずモンテビデオ郊外の自宅農場で暮らしています。数少ない資産である愛車の可愛らしいフォルクスワーゲン・ビートルと畑を耕すトラクターを自ら運転しています。

ムヒカ大統領を一躍、世界的に有名にしたのは、2012年にブラジル・リオデジャネイロで開催された「国連持続可能な開発会議(Rio+20)」で行った演説です。ムヒカ大統領は、「私たちはグローバリゼーションをコントロールしているだろうか。逆に人類が消費社会にコントロールされている。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けが皆の前に現れる。貧乏な人とは少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことである。発展は幸福を阻害するものであってはならない。人類の幸福こそが環境の一番重要な要素である」と語り、本質を鋭く突いたスピーチは世界中に感動を与えました。

ムヒカ大統領は「世界でいちばん貧しい大統領」と形容されます。しかし、小生はムヒカ大統領夫妻のお人柄に触れて、ムヒカ氏は「貧しい」のではなく「質素」、「心が豊か」と表現するのが適切であると認識します。「世界でいちばん質素な大統領」、或いは、「世界でいちばん心の豊かな大統領」と表現するのが望ましいと考えます。ムヒカ大統領夫妻の生き方を拝見すると、国連開発会議での名演説で語ったとおり、「貧乏な人とは少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人である」と実感します。

〈ムヒカ大統領の映画が日本で公開〉

ムヒカ大統領は日本では絵本にもなり、幅広い人気があると承知しています。ムヒカ大統領夫妻を主人公とする映画「世界でいちばん貧しい大統領 愛と闘争の男、ホセ・ムヒカ」(エミール・クストリッツァ監督)が公開され、オンライン視聴できます。この映画は当初の計画では3月から上映予定でした。しかし、日本全国で公開される予定がコロナウィルスの影響を受けて映画館が閉鎖されたのですが、強い上映要望に応えて期間限定で5月8日より9月1日までデジタル配信されています。ムヒカ大統領夫妻の有りの儘の人物像が日本の視聴者に伝わることを願っています。オンライン上映に関しては次のサイトを参照してください。

https://eiga.com/news/20200430/14/

〈ウルグアイではムヒカ大統領の評価は二分〉

ムヒカ大統領は日本では礼賛されており、美談しか伝えられません。しかし、ウルグアイに居住するとムヒカ大統領に対する評価は二分されていると受け止めます。

好意的な評価では、ムヒカ大統領は、「エル・ペペ」(ぺぺおじさん)の愛称で呼ばれ、飾らない人柄で多くの国民に親しまれています。大統領時代の治世では、社会保障政策を充実させ貧困対策に注力しました。ムヒカ大統領は庶民の味方、弱者の庇護者と位置付けられています。

ムヒカ大統領の経歴そのものが小説、映画になる劇的な人生を体現しています。ムヒカ大統領は青年時代の1960年代には左翼都市ゲリラ組織のツパマロスに加入し、軍事政権に対抗するゲリラ活動を展開しました。闘争活動中の1972年に逮捕され、85年まで13年間に亘り収監されました。軍事政権が終わり民主化されて以降、1995年に下院議員を務め、2005年には拡大戦線(FA)のバスケス大統領政権で主要閣僚である農業牧畜水産大臣に就任しました。そして、2010年から15年のムヒカ大統領の治世では中道左派政権を率いて反自由主義的政策を採りました。

ムヒカ氏が大統領に就任して権力を掌握しても、嘗て軍事政権時代に収監されて命の危険に晒された経験をしながら、敢えて暴力を用いる報復を行わず、国民の分断を避けて過度なイデオロギーに走らず平和で安定した政治環境の維持を図った実績は高く評価されます。

一方、ムヒカ氏が都市ゲリラとして活動した時期に攻撃を受けた被害者は現在でも厳しい表現で批判します。ウルグアイ市民に話を聞くと、ムヒカ大統領は①観念的でイデオロギー色が濃い、②労働組合、労働者の権利を保護し過ぎている、③国際情勢が大きく変化したにも拘わらず依然としてキューバ、ベネズエラを擁護している、④ムヒカ大統領の治世は、ばらまき政策であり後任のバスケス大統領は負の遺産を背負わされた、⑤我流のスタイルを固持しプロトコルを無視して大統領を支える官僚、スタッフを困惑させた等、批判する意見は多数あります。

このように考える国民の声が積み重なり、2019年のウルグアイ大統領選挙において野党連合が勝利してラカジェ・ポウ大統領が誕生し、15年振りとなる左派から右派への政権交代に繋がったと分析できます。

〈小さくてもキラリと光る国・特筆に値する民主主義の安定度〉

ウルグアイでは3月1日にラカジェ・ポウ新大統領が就任し、5党による右派・連立政権が発足しました。2019年に実施された大統領選挙では、史上稀にみる接戦が繰り広げられたにも拘わらず、選挙期間中に暴動、騒乱、テロ事件が発生せず平穏に完了しました。ウルグアイでは過激派が台頭することなく政情は落ち着いています。ラテンアメリカ諸国で政情不安、暴動が発生する状況にあるなか、円滑に政権交代する政治環境は特筆に値します。ウルグアイが安定している理由として伝統的な政党政治が根付いている土壌があります。国民党とコロラド党の2大政党は100年以上に及ぶ長期間をかけて政党政治を培ってきました。現在は穏健左派の拡大戦線を加えた3大政党政治が定着しています。“小さくてもキラリと光る国”ウルグアイでは政党政治が信頼され、安定した民主主義が穏やかな国民の支持を受けています。

2019年に実施された大統領・議会選挙の結果、ムヒカ大統領が所属する拡大戦線は15年振りに野党になりました。しかし、上下両院の議席数では、与党・連立政権の第1党である国民党を上回り、拡大戦線が最大政党であり続けています。ムヒカ大統領が率いる人民参加運動(MPP)は拡大戦線の有力派閥であり、ムヒカ大統領夫妻は上院議員を務めて影響力を保持しています。

小職は左派、右派の両勢力のバランスに細心の注意を払いながらウルグアイの指導者と信頼関係を構築し、日本とウルグアイの「絆・KIZUNA・VINCULO」をより一層深めて参る所存であります。

(注:本稿において意見に関する部分は個人の見解であり所属する組織を代表するものではない。)

以上

2020年6月15日記