『女であるだけで』 ソル・ケー・モオ
著者はメキシコ南部ユカタン州出身、大学で教育学ならびに法学を学んだ先住民マヤ語話者の小説家、医療・司法通訳者で、民族独自の視点から文学の先住民的貢献を模索する多くの小説を発表している。現在の先住民族は多数を占める国民の文化との間には過去から大きな壁があり、ハンディキャップを背負わされている。マヤの社会では、アルコール中毒、暴力、権力からの差別、無教育、貧困などの問題が日常的に起きているが、誰からも助けてもらえない。
本書は、14歳で身売り同然に暴力的な夫フロレンシオと結婚させられ、貧しい生活の中で日常的に暴力を受け理不尽な差別に苦しんできたオノリーナが、ついに誤って夫を殺害し、裁判にかけられ刑務所に入れられるが、弁護士デリアや支援者たちの尽力で法廷闘争の末に州知事の恩赦を勝ち取る。しかしオノリーナはデリアの母親の下で働くようにとの提案を、「人は思い出の最初の場所から離れたことで死んではいけないんだ」と断って故郷へ戻る。
現在も今も先住民女性だけに差別的な社会規範や慣習を、イデオロギー的な主張ではなく、オノリーナの夫殺しを通じて、貧困、差別と搾取、被害と加害の実態を静かに告発している。
本書を初めとして、「新しいマヤの文学」全3巻が、同じ訳者、出版社から刊行されている。
〔桜井 敏浩〕
(フェリペ・エルナンデス・デ・ラ・クルス 解説 吉田栄人訳 国書刊行会 2020年2月 248頁 2,400円+税 ISBN978-4-336-06565-0 )
『穢れなき太陽』 ソル・ケー・モオ
ソコロという娘を中心に、先住民のマヤの村落で行われる村祭りの一日を描いた民族描写的小説だが、高校進学を教師から勧められた賢いソコロは大学まで進学したいという希望を持っていたにもかかわらず、それは自分には閉ざされた道と考えて村のしきたりを理由に断る。マヤの伝統的な村落の出来事を牧歌的に描いているが、マヤの伝統文化を美化するものではなく、伝統の裏にあって女性というジェンダーにのし掛かる、自らは変えられない社会的な抑圧、不正義という「穢れ」の存在があることを示している。貧困のどん底にあって妻子に暴力を振るうことで虚栄心を保とうとする暴力的な夫がここでも登場し、妻の反撃で一応は収まるが、そうはいかずに夫殺しまで進んでしまった『女であるだけで』に続いて、伝統そのものが自らの力で変えられない状況下で女性はどのように生きればよいのかを告発するのが著者の一連の小説である。
〔桜井 敏浩〕
(吉田 栄人訳 水声社 2018年8月 244頁 2,200円+税 ISBN978-4-8010-0356-9 )
〔『ラテンアメリカ時報』 2020年夏号(No.1431)より〕