連載エッセイ68:ワラスとチャビン・デ・ワンタル(ペルー) - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ68:ワラスとチャビン・デ・ワンタル(ペルー)


連載エッセイ67

ワラスとチャビン・デ・ワンタル(ペルー)

執筆者:元日商岩井サンチャゴ駐在員  鈴木 均

ペルーの旅

ペルーには、世界遺産が9箇所ある。クスコ(1983年指定)とマチュピチュ(同)は、余りにも有名で、この二箇所を観光すると、殆どの日本人はもう「ペルーを制覇した」気分になってしまう。しかし、1985年に指定されたチャビン・デ・ワンタル(以下、チャビン)の遺跡の名前を聞いた人は、余りいないのではないかと思う。2020年7月現在、日本には世界遺産が23有るが、最初に姫路城と法隆寺が指定されたのは、1993年の事だ。チャビンは、大先輩に当たる。

筆者は、1993~1996年チリのサンチャゴ市に駐在した。又、2002~2005年と2007~2009年の二回、米国に駐在した。まとまった休みが取れると、日本の家族をちょっと省略して、ペルーの遺跡とアンデス山脈を見に出かけた。ペルーは最南端のタクナから北部のチクラヨまで、何度も旅しているから、土地勘は十分にある。チャビンには、2004年と2005年に二回旅している。個人旅行をする時には、専らバックパックと決めている。その方が気楽だし、スケジュールもその場の思いつきで決められる。晩飯を食べてから、『さて、明日はどこに行こう。』と考える。翌朝天気が悪ければ、そのまま昼寝で過ごす。

チャビン・デ・ワンタル遺跡

チャビンは、首都リマから北に約250kmのアンデス山中にある。標高は、3,150mある。こんな山の中に、紀元前1200~紀元前400頃の間に、つまり、日本ではペルーの代名詞にもなっているインカ帝国(1438年~1533年)より遙か昔に、大宗教・交易都市を作り上げた人たちがいた。最盛期には、何千人もの人が暮らしていたという。
太平洋から海産物がチャビンに運ばれ、ここでアマゾンから運ばれてきたジャングルの産物と交換された。この交易の中心地に、高さ16mもある石造りの神殿を中心とする文化センターが出来上がった。神殿からは、Spondylus という南海産の美しい貝が、沢山見つかっている。アンデスの狭い谷間に、大神殿が鎮座する。観光客が余りいないためか、静けささえ感じる。
写真は、Wikipediaから

遺跡を見ても、ただの崩れかかった石の塊のようにしか見えない。しかし、直径20mのU字形の大きな広場の前にそそり立つ遺跡は、圧倒的なボリュームと共に、荘厳さを感じさせる。大して修復されたような跡が見えないのは、予算が足りないからだろうか。筆者は、こんな景色に出会うと、何時も目をつぶって原風景を復元する。神官は、この神殿の最上階に立って、人々に神託を告げた。全身に、金でできた衣装をまとって、キラキラと輝いて見えた筈だ。ペルーの有名な考古学者Telloは、チャビンを「南米文化の誕生の地」と表現した。

壁が崩れたらどうしようと思うほどの狭い通路を通って、神殿の内部に入る。照明はあるものの、暗い。この頃は未だLEDランプがなく、米国製のMagliteで照らす。古い米国映画で、パトカーから降りた警察官が、容疑者の顔を肩から下げたランプで照らす。この小型版だ。ちょっと遠くになると光が届かず、真っ暗闇だ。不安感が一段と増す。比較的照明が明るい所に、Lanzon Stela(槍)と呼ばれる神権を象徴する石の杖が置いてあった。高さ5m近い。ここが、神殿の中心だ。

通路の総延長は、2kmもあるそうだ。神官は、この通路を走っては、いくつもある窓から顔を出したという。同じ神官の姿が、突然離れた窓から現れる事で、神聖さと不思議さを演出したそうだ。神官というのは、中々体力がいる職業のようだ。やっと出口の光が見えて、見学が終わった。もの凄く長い時間かかったような感じがする。

リマからワラスへ、そしてチャビンへ

チャビンに行くのは、ちょっと面倒だ。筆者の場合には、リマからローカルバスに乗り、海岸沿いのカスマまで行く。リマから330kmある。この周辺が、プレ・インカの発祥の地で、山の方には未だ発掘されていない遺跡が、沢山残っている。一見の価値がある。但し、まるで石垣が崩れた塊にしか見えない。更に、カスマから、一段とローカルなバスに乗り換え、標高4200mの峠を越えて、ワラスに入る。勿論、舗装されていない。ワラスと周囲の山脈も、1985年に世界遺産に指定されている。

ワラスでは、1970年代からエドワルドが経営するEdward’s Innが、バックパッカーには有名だ。お値段が安い以上に、エドワルドの知識と顔の広さが財産だ。この国の山奥では、ごく普通の農民が、突然強盗に変わる事もある。そんな時に、『エドワルドの宿に泊まっている。』と言うと、元の温和な農民に戻る。人徳があると言うか、『エドワルドの客には、いたずらをしない。』と言う律が有るのかも知れない。それに、エドワルドは、この地域では珍しく英語をはなす。これも、欧州からの客に受けている点かもしれない。

一泊して高地に馴化した後、観光乗り合いのマイクロで、標高4300mの峠を越えてチャビンに入る。途中、ケロコチャ湖の畔で小休止する。見上げると頸が痛くなる程高い山脈と、どこまでも藍より青い空が湖に反射した。きっと天国とはこんな景色の所に違いない。それから暫く走り、突然神殿の前に到着する。

二回目のチャビン行の時には、友達二人を同行した。何と、一人は高山病に罹ってしまい、コカの葉をしゃぶりながら、ホテルで終日横になっていた。ワラスは、標高3050mだから、未だ体に優しい。そう言う筆者も、大きな顔を出来ない。翌日、ワスカラン山の氷河を見に行った時には、4000mを越えた辺りで、高山病に罹ってしまった。道路脇に横たわって回復を待ったが、結局、氷河を断念した。2004年に初めてワスカラン山に行ったときには、全く何とも無かった。今回は、しっかりガイドをしようと思っていたが、最初に倒れてしまった。友達には、言い訳を繰り返した。

尚、404kmあるワラスとリマの間には、直行のエグゼクティブバスも走っており、こちらは早いし、快適だ。しかし、一人旅の時には、インディオのおばさんと隣り合わせに座り、足を縛られた鶏を蹴飛ばしながら、聞き取りにくい雑談に耽るのが、醍醐味だ。新発見や大発見が続く。

パソコンで旅する

ペルーでも、コロナが大流行になってしまった。暫くは入国できないだろう。筆者が最後にチャビンに行ってから、もう15年も経つわけだし、現地の事情も大きく変っているかもしれない。それに、今はインターネットがあるから、自分で旅をするよりも遙かに貴重な、且つ、綺麗な映像が、パソコンの画面から手に入る。ネットで、Edward’s Innを見たら、予約画面が生きていた。エドワルドは、元気にしているようだ。尚、UNESCOとNHKが共同制作したビデオで、チャビンの遺跡を見る事が出来る。  2020年7月13日