連載エッセイ75:コロナ危機の別の面。葉巻の話 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ75:コロナ危機の別の面。葉巻の話


連載エッセイ74

コロナ危機の別の面。葉巻の話

執筆者:渡邉尚人(前在バルセロナ日本国総領事)

1 コロナ危機の別の面

(1) 新型コロナウィルス感染症は、世界中で猛威を振るっており、感染者2,780万人で90万人以上の尊い人命を奪い、経済、社会、人類の働き方や生き方にまで大きな影響を及ぼしております。 治療薬とワクチンの開発による一刻も早いコロナ危機の収束が期待されるところです。

(2) 反面、このコロナ危機は、在宅勤務やテレワークの増大により、自分時間の回復、家族の絆強化、通勤地獄の緩和、工場や物流、交通量の低減による大気汚染の低下、自然の回復、地球環境への好影響、デジタル技術の進歩等良い影響も与えています。

(3) 例えば、私も含めて、これまで毎日満員電車に詰め込まれ通勤地獄に堪えながら経済発展の歯車となり頑張ってきた勤労者にとっては、一度立ち止まり、人生を見つめ直す良い機会となるのです。俳人高浜虚子が述べた如く、ひとり汗ばかりを流すのが人間ではなく、花鳥風月と共に涼風を満喫するのもまた人間であるからです。

(4) 更に創造力を逞しくし、空の向こうに目を遣れば、地球は戸惑う我等を乗せて秒速466メートルで回っており、その地球は太陽の周りを秒速29.8キロで公転し、太陽系は銀河系の中心を秒速220キロで周り、その銀河系は秒速600キロで移動しており、更に宇宙自体が秒速1000キロで膨張しているのです。人間を取り巻く環境は一見単純に見えて、実は極めて複雑なのです。

(5) こういう宇宙の摂理にまで気付かせてくれるのが今回のコロナ危機の別の面であるのです。

(6) コロナ危機により、自宅での自分時間や趣味の時間が増えるこの機会に、ひとつ奥深い葉巻の世界を垣間見て頂ければと思います。葉巻の歴史とエピソード、私の経験をも交えてご紹介したいと思います。

2 葉巻の世界

(1) 歴史

(ア)タバコの葉は、中南米で先住民により太古の昔から栽培されてきました。元々の発祥地は紀元前5千年のアンデス山脈の高地といわれています。タバコの葉は、色々な用途に使われていました。ひとつは神官による宗教儀式で、神との交信や部族間の戦いの占い等に。もう一つは薬としての鎮静効果により切り傷、腫物、腹痛、歯痛、虫刺され、座薬、リューマチ治療等に利用されてきました。更に嗜好品として、葉を噛んだり、ヤシやトウモロコシの葉で包んで葉巻の様にして燻らせたり、パイプで吸ったりしていました。

(イ)1492年のコロンブスの新大陸発見により、タバコや葉巻は西欧世界に伝播します。フランスに初めて薬草としてまた観葉植物としてタバコをもたらしたのは、在ポルトガル・フランス大使のジャン・ニコと言われております。ニコチンの名やタバコの学名ニコチン・タバクムは彼の栄誉をたたえて名付けられたものです。
ともすれば野蛮と考えられた新大陸の物品、タバコが急速に旧大陸に根付いたのは、
タバコが当初から医薬品として西洋の医学体系に位置付けられたためです。16世紀のセビリャの医師モナルデスは、タバコを万能薬として位置づけ、その効用を詳しく解説、推奨する本を出版し、当時のベストセラーとなっています。

(ウ)タバコ、特に葉巻は、国王や貴族、兵士等社会の上層から普及し、ステイタス・シンボルとなり、更に重商主義で恰好の国庫収入となるため高関税や奢侈税がかけられ高級嗜好品となりました。それ故に高品質が求められてきました。カルメンで有名な1717年創設のセビリャの王立葉巻工場で葉巻が製造されていましたが、1821年フェルナンド7世によりキューバでのタバコの自由な生産販売が許可されてからは、より良い品質であるキューバ産葉巻が王室御用達の葉巻となり、以来キューバが最高品質の葉巻の一大生産地となっているのです。

(2) 葉巻のエピソード

(ア)数百年に亘り綿々と嗜好されてきた葉巻は、粋な紳士淑女のライフスタイルの一つとなり、世界の各界の一流人に愛されつつ、世界の政治・経済・社会・文化と密接に絡み合いながら、興味深い歴史を歩んできました。

(イ)19世紀、キューバでは葉巻工場の労働者が革命の担い手となってゆきます。葉巻工場で文学作品や新聞の朗読を聞き啓蒙された労働者達が自由主義や解放思想を持ち、キューバ独立戦争の際に米国に亡命し、米国の葉巻工場で働きながらホセ・マルティに率いられた革命を資金的に支援するのです。独立戦争では、ホセ・マルティからの蜂起計画が葉巻の中に巻かれキューバに送られたと言われ、またバチスタ政権により投獄されていたフィデル・カストロには支持者からのメッセージが葉巻に巻かれて届けられたと言われています。

(ウ) ケネディ米国大統領は、1962年の対キューバ禁輸の前に、サリンジャー大統領報道官に対し1100本のハバナ・シガー「プティ・アップマン」を取り寄せるように命令し、無事葉巻が取り寄せられた後に大統領令に署名をしたのでした。以来今日まで、米国では、キューバの葉巻は禁輸となり、今では、ニカラグアの葉巻「パドロン」等が品質、価格、売り筋でも米国のナンバーワン葉巻となっているのです。

(エ)吉田茂首相がGHQ総司令官として来日したマッカーサーと初めて対面した際に、横柄な態度でマニラ産葉巻をすすめたマッカーサーに対し、「自分はハバナ産しか吸わない」と毅然として断り、気骨あるところを示し、マッカーサーの信頼と尊敬を得たと言われています。一国の宰相としての威風堂々ぶりを葉巻が演出したエピソードとして有名です。

3 葉巻と共に40年

(1) 私が外務省に入省した40年前は、タバコに大らかな時代で、課長がパイプを嗜み、私も葉巻を吸いながら仕事ができた時代でした。その後、日本や世界で禁煙運動が盛んとなり、両切りのピース等を吸っていたヘビースモーカー達は懸命に禁煙に励みましたが、肺炎で亡くなる人の数が当時の4倍となっているのは何とも皮肉で奇妙なことです。

(2) 当方は、ベネズエラ、ニカラグア、リオ・デ・ジャネイロ、マイアミ、エクアドル、ウルグアイ等葉巻と関係の深い地域に勤務してきました。特にニカラグアでは、経済交流、貿易投資促進の一環としてニカラグアの葉巻「パドロン」の対日輸出に尽力し、日本からの視察団の北部エステリのタバコ畑や工場視察、更に米国マイアミの本部も訪問し、これらの努力もあり、10年かかってようやくニカラグアの最高級葉巻「パドロン」は日本の市場に参入し、貴重な輸出産品として日本中の葉巻愛好家を満足させているのです。

(3) 葉巻は、外交の面でも大いに役立つものでした。葉巻を嗜む各国の大臣や経済界や学術界等の要人とは、年齢、性別、職業、社会的地位を超えて知己を得て人脈形成ができ、その国の社会や文化のより深い理解に役立ちました。更に葉巻と文學の人脈を通じ、欧州王立博士アカデミーの名誉会員にも任命されました。

欧州王立博士アカデミー入会式

(4) スペインで唯一産業革命を経験したバルセロナでは、産業革命の担い手である企業家には、お雇い社長ではなく、創業者一族が多いため商工会議所等に行ってもなかなか会えないのです。しかし葉巻の人脈を通じて、スペインで最初の製薬会社ウリアックの社長や会長、スペイン最大の資産家で親日家のレーサーでもあるチタン・ペンキのフォルチ会長等多くの方々の知己を得て、大変面白い話が聞け、カタルーニャ社会の単純ではない奥深さを知ることができました。

(5) また、ダリ美術館のあるフィゲラ市で3年前に開催された世界葉巻大会に参加して世界4位入賞も果たしました。1時間以内に与えられた葉巻を灰を落とさずにどこまで吸えるかを競うものです。カタルーニャ州では、知る人ぞ知る大変ユニークな世界的イベントが数多く開催されているのです。

世界パイプ・葉巻大会のレセプション風景

4 最後に

(1) 葉巻は米国映画の影響もあり、アウトローや権力や金力に物を言わせた不正に富める者のみの嗜好品としてのネガティヴなイメージがありました。しかし、一度でも良き葉巻を味わえば、作られたうわべだけのイメージや偏見や誤解は瞬く間に凌駕され、深い満足と喜びとくつろぎが得られることが分かります。

(2) 葉巻は実に不思議な魅力と力を持っています。母なる大地の恵みと人間の労力、経験、匠の結晶である葉巻を豊潤な個体として、また芳醇な気体として、口蓋と鼻孔に感じる時の物質的な満足と精神的な喜び、くつろぎと開放感、深まる思索と広がる創造力、官能的とも言える魂と肉体の恍惚感。葉巻の一服に興味深い物語を紡いだ多くの世界的作家がいるのです。葉巻とは人生の重要な機会に栓を抜くとっておきのシャンパン或いは特級酒の如く、人生に喜びと楽しみを与えてくれる価値ある嗜好品なのです。

(3)趣味の時間が持てるこの機会に、是非葉巻の魅力的な世界に触れて頂ければと思います。葉巻には人生の秘密がいっぱい詰まっているのですから。 (了)