連載エッセイ84:ポルトガル語のいくつかのイデイオム表現について - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ84:ポルトガル語のいくつかのイデイオム表現について


連載エッセイ81

ポルトガル語のいくつかのイデイオム表現について

執筆者:田所 清克(京都外国語大学名誉教授)

(田所清克先生が、フェイスブックに掲載されているポルトガル語の表現について、許可を得て転載させていただいた。)

1)オシャラー( Oxalá)の語彙を巡って
Em torno do vocabulário de Oxalá

 通常、大きなバラック小屋の祈祷所(terreiro) に降霊するオリシャーの中で、オシャラーは最高神である。この神に言及する前に今回はまず、その言葉の由来について説明しておきたい。
 ポルトガル語を学んでいる人であれば、tomara, queira Deus, se Deus quiser[神の思し召しにかなえば]と同義、つまり「願わくば、〜でありますように、どうか〜になりますように、〜であればよいのに」といった願望を従属節の動詞に接続法を用いて表現することをご存知であろう。

例文としてあげれば、
Tomara que não chova amanhã.
 どうか明日雨が降りませんように。
Oxalá que acabe a epidemia o mais depressa possível.
できるだけ早く世界的流行病が終息しますように。

 このoxalá はアラビア語の” in sha’ alla”が語源である。イベリア半島がイスラムの支配下にあった際に借入語として採り入れられ、国語化したのであろう。従って、カスティーリャ語ではojalá、ガリシャ語およびポルトガル語ではoxaláのかたちで使われている。その一方で、oxaláはヨルバ語” Òrisànlá”由来の、カンドンブレーの最高神を指す言葉なのである。oxaláはアラビア語起源だけの言葉と思いがちであるが、上に見たように実は、アフリカのカンドンブレーに根ざす言葉でもあったのだ。してみると、両者は同綴意義[homógrafo]で、語源が違うということ。

2)動詞Morrerを使ったポルトガル語のイディオムあれこれ

 
阿蘇の自宅よりも大阪の別宅にいる場合が多い。ポルトガル語の授業などいくつかの事由で大阪に留まっている次第である。結婚歴も無く、従って子供もいないので、天涯孤独の身である。こう言うと、いささか大げさに聞こえる。が、本当のところ私には、九州の実家に6つ年上の兄や甥たちがいる。兄弟仲も良く、しきりに兄は帰郷を勧める。甥たちは甥たちで、心配して訪ねて来てくれたり、メールをくれたりする。とにかく私は、例え身内の者であっても頼ろうとも思ってない。要は、人様を当てにしたくないのだ。

 高齢のために今や満身創痍で、天上に昇る日もそう遠くはなかろう。そう思うこの頃である。長生きしょうという願望や、死に対する恐れは、意外とない。黄泉の国にいる母親へのおもいや憧憬が強いせいかもしれない。
そうした心境もあってか、頻出のポルトガル語のmorrerを使ったイディオムについてのべてみたい。

①Lindo de morrer
とてもきれいだ、という表現。要は、度合い高める意味で他の形容詞も使用可能。

②Morrer de rir
笑いが止まらない、転げ回って笑うの意味。他の熟語にRir às gargalhádas, rebentar de riso(a rir) がある。抱腹絶倒の謂。

③Morrer na praiaは、直訳では浜辺で死ぬ、ということだが、意味するところはまるっきり違う。ある努力などがもう少しで達成・結実できる寸前で、水疱に帰す場合に用いられる。日本語にもこれに似た成句、例えば「磯際で船を破る」「九仞(きゅうじん) の功を一簣(いっき) にかく」がある。

 人口に膾炙している浪漫主義詩人でCanção de Exílioの作者である Gonçalves Diasは、コインブラからの帰途、正確には古里のマラニャン州の海辺にたなびく椰子樹を目と鼻 の先にして、難破のために落命する。詩人の場合はある意味で、文字通りのMorreu na praia do Maranhãoだったかもしれないし、ポルトガル留学の成果も水疱に帰した点で、二重の死を味わったと言えるだろう。
Não permita Deus que eu morra sem que aviste as palmeiras!

3)ポルトガル語のイディオム
ーExpressões idiomáticas da língua portuguesaー

 
私はポルトガル語を学び、教える立場になってから50年余り閲するが、英語然り、ポルトガル語の慣用表現の理解にも、ほとほと参っているのが真相である。それでも、記憶力には限界があるものの、2つ以上の単語が結びついて特定の意味となる、いわゆるイディオムを見出しては、せっせとまとめている。途方もない学習で、死ぬまで続く、それもポルトガル語話者の言語表現の大半を理解できないままに。

 さて前回、ポルトガル語のmorrer動詞を伴う慣用表現のいくつかを紹介した。好評なので、ランダム(a esmo) ながら今度はlínguaを使ったイディオムを少し取り上げてみたい。言うまでもなくlínguaは女性名詞であれば、舌、言語、言葉などの意味になるが、男性名詞では通訳の意味があるので注意したいところ。

línguaを使った慣用表現はあまたある。が、ここでは直訳とはまるっきり違う意味の好例のものを取り上げ、参考に供する。

①estar com a língua coçando
 直訳: 舌が痒い [状態にある]*[言ってはならないこと言いたくて]ウズウズしている

②engolir a língua
直訳:舌を飲み込む * [言おうとしてしていた事を]言わないでおく、口をつぐむ

③não falar a mesma língua
直訳:同じ言葉を話さない *お互いに理解し合っていない、同じ考えでない、意見を異
にする

④ter a língua maior que o.corpo
 直訳:体より大きな舌を持つ *[見境なく]しゃべる、よくしゃべる人

⑤pagar ( pela ) língua
 直訳:舌のため(原因)に支払う *口が災いした結果として、報いを受ける、  
  悪い結果が降りかかる

⑥dobrar a língua
直訳:舌を曲げる *言ったことを取り消す、(相手から注意されて)態度を改めて話す
●舌を曲げることから、舌を巻く、と誤解しやすい。

⑦saber〜na ponta da língua
 直訳:舌の先端で〜を知っている  *〜に精通している
●同義の表現としてconhecer ou estar por dentroがある。

3)食べ物に関するポルトガル語のイディオム
Expressões idiomáticas da língua portuguesa referente à comida

 
ありふれた日常の食べ物にパンとチーズと魚がある。健康に良いということで、魚に限って一日の食事で欠かしたことがない。小生をよく知っている元学生さんならば、小生がマグロの刺し身に目がないことをご存知であろう。ことほど左様に、マグロ、ことに黒マグロはほぼ毎日、夕食時の晩酌のあてになっている。

 パンについては、昔ほどに食べなくなった。すぐに飽きがくるからである。もし日本にもポルトガルのブロア(broa) 〔トウモロコシパン〕の如きパンがあれば、毎朝食することだろうに。私の印象でしかないのであるが、ブラジルのパンは実に美味しい。というのも、ポルトガルの伝統を引き継いでいるからであろう。

 チーズを食べるようになったのは、つい最近のことである。とくにカマンベールは認知症(demência) に効能があることを知り、ワインのあてになっている。チーズは臭いがあまり好きではないが、健康志向のために食べ始めた。現金なものである。以下に、上記3つの食べ物にまつわるイディオムなり身近な表現を若干取り上げてみたい。

①pão
*女性がイケメンの男性に使う。
 Aquele jogador é pão. あのプレイヤーはハンサムである。

②a pão e laranja
直訳:パンとオレンジ 意味:貧困状態
 Ex. pôr…a pão e laranja= …をひもじいおもいにさせる、苦しめる

③pão- duro
直訳:固いパン 意味:けちん坊(mesquinho, agarrado)
●パン屋さんで貰った固くなったパンを吝嗇者が食べたことに由来。

④pão, pão, queijo, queijo
 直訳:パン、パン、チーズ、チーズ 意味:(回りくどく言うのではなく)そっちょくに、はっきりと〔francamente, claramente〕
*率直に言って→Falando francamente, Para falar com franqueza

⑤comer o pão que o diabo amassou 直訳:悪魔がこねたパンを食べる
意味:非常に苦しむ、生計を立てるために苦労する、失望落胆する
類似の表現: comer da banda podre(ruim),
comer banda da crua=苦労する、辛い目に会う

⑥manteiga derretida
 直訳:溶けたバター 意味:クヨクヨする人、泣きべそ

⑦passar manteiga em focinho de gato(cachorro)
直訳:猫(犬)の鼻面にバターを塗る 意味:耳を持たない人に忠告する、感謝する気のない人に助言する、無駄に時を過ごす、無駄なことをする

4)魚にまつわるイディオム
Expressões idiomáticas da língua portuguesa referente a peixe

 前回、私が大の魚好きであることを述べた。若かりし頃のブラジル留学の間も、少なくとも週1回は、リオにある日本料理店を訪ねては刺し身などを食べたものである。以後、巡検や単なる旅行でアマゾンに出向いた折は、必ずと言ってよいほど、美味な淡水魚のトウクナレー(tucunaré)やタンバキ(tambaqui) に舌鼓を打った(dar estalos com a língua)  ものだ。

 パンタナルの黄金の魚ドウラード(dourado) も美味な点では勝るとも劣らない。こうした魚を口にすると、まさに幸せな気分になる。ブラジルではpeixeのことを「sakana」とは口を出しても言えない。俗語的に下品な意味があるからだ。故に、ブラジルではいつも、冗談抜きで「uo」と私は称していた。

 前置きが長くなったが、peixeを使ったイディオムをいくつか紹介したい。

①como o peixe n’ água
意味:水を得た魚 Ex. Na aula de japonês, Manuel estava como o peixe n’ água.
日本語の授業で、マヌエルはまるで水を得た魚のようであった。

②não ser nem peixe nem carne
直訳:魚でもないし肉でもない意味:どっちつかずである

③vender o seu peixe
直訳:自分の魚を売る 意味:自分の利益になることをうまく売り込む、巧みに自分の意見・意思を表現し、相手を納得させる

④não ter nada com o peixe
直訳:魚と全く関係ない 意味:[問題、争い、議論など]と全く無関係である
●類似の表現に、não ter que ver=関係ない、見るまでもない