連載レポート54:チャベス/マドウロ政権とアジェンデ政権=アジェンデ人民連合政権とチャベス第五共和国運動の比較= - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載レポート54:チャベス/マドウロ政権とアジェンデ政権=アジェンデ人民連合政権とチャベス第五共和国運動の比較=


連載レポート 55

チャベス/マドウロ政権とアジェンデ政権
=アジェンデ人民連合政権とチャベス第五共和国運動の比較=
〔記憶の近現代時事分析〕

執筆者:設楽 知靖 元千代田化工建設(株)、元ユニコインターナショナル(株)

今回、記憶をよみがえらせて、スタデイー分析を試みたのは、ラテンアメリカ地域で『民主的選挙において誕生した社会主義政権が、なぜ倒され、あるいは外国の強行干渉を受けるのか』について、近現代史の時事分析として取り上げて検証してみることとした。

1.政権の成り立ち:

1964年のチリ―では、労働者党=社会・共産両党の人民行動戦線(FRAP)の連合だけで、鉱工業労働者の多数を結集することができた。当時、サルバドール・アジェンデ候補は鉱山地帯の57.4%、工業地帯では44.6%の票を集めている。1970年には,社共連合に急進党、MAPU{人民統一行動運動}、PSD{社会民主党}、API{左翼人民運動}、などの中間層政党が加わった。これにより、1964年から1970年までに、左翼連合候補に対する支持、そのものは急速に伸びた。社会主義への移行は少数者の手では不可能であり、各階層の利益が敵対しない方向で条件が整い『人民連合』に統一でき、その大統領候補として立候補できる体制が整い、アジェンデに労働者の票が集まり当選の道が開かれた。

1998年、ベネズエラ大統領選挙で、ウーゴ・チャベス・フリアスが組織した『第五共和国運動』(MVR)から立候補し、公約として社会改革を主張して、憲法制定会議の招集と国家制度の改革を上げて、人気上昇を遂げた。ベネズエラでは石油収入による蓄財が原因で、これが腐敗したオリガルキー(寡頭支配集団)を生み出したと主張し、さらにキューバ・モデルの素晴らしさを訴えて当選を果たした。1999年1月19日、大統領就任を前にして、『国民投票』により、憲法制定会議を招集することを公約。2月2日、チャベス政権誕生.同22日には『ボリバール2000計画』(Proyecto Bolivar 2000)を発表した。これは、緊急国民救済政策として、軍隊を中心として実施され、支持率90%を超えたスタートであった。このように、政策を矢継ぎ早に実行に移した。

2.政権運営の経緯:

チリ―・アジェンデ人民連合政権では、66.7%の支持率を得ていたが、保守反対派
(キリスト教民主党)は26.3%で、これが労働者内部の力関係で政権に影響した。それは、政権内の各派の党や階層の代弁者として行動するという矛盾を抱えていたからであった。1970年、1971年では、中間層、反対派と『共存関係』を維持し、危機を暴力的対決以外の方法で回避し、経済体制が統一とダイナミックスを保つことができた。

ベネズエラのチャベス政権は、1999年4月26日『国民投票』が実施され、ANC{憲法制定会議}を招集、賛成が87%に達し、これにはチャベスの個人的魅力が発揮されたことも大きい。この時同時に、131人からなる『一院制』議会の招集も承認された。これは、24の州と連邦区に人口比率により配分された、104議席とインディヘナ諸共同体3議席、全国区24議席から構成される改革であった。さらに、12月15日、『新憲法』に対する国民投票で承認されたことで、『べネズエラ・ボリバリアーナ共和国』と国名が改められ、大統領権限を強化して、任期6年、連続二期の政権担当を可能にした。また、軍人や警察官に選挙権を保証、PDVSA(石油公社)や社会保障制度の民営化を禁止するなど改革を推進させた。さらに2000年7月30日、『メガ選挙』を実施、大統領選挙には対立候補がなく、チャベスの再選が実現。2000年8月から二期目の社会改革が始動して、同11月7日、議会は大統領に社会政策、経済政策など行政に対する権限を付与した。その結果、経済活動から政府機関に至る分野、土地改革、中小企業関連法、PDVSA組織改革を強行した。

キューバのフィデル・カストロを尊敬し、キューバ社会は素晴らしいを断固主張し相互協力を進めた。チャベス政権は暴力的ではなく、合法的に一挙に『旧国家機構を解体』し、『五権分立』(立法、行政、司法、市民、選挙}を進め、旧支配層の抵抗である石油産業サボタージュは支配されて、これらの勢力はすべて排除され、チャベス政権は安定の方向へ進んでいる。一方、依存しているキューバは『地政学的位置』というアメリカの徹底的侵略、干渉という政策の厳しい条件のなか、『キューバ社会主義』は生き延びている。

3.諸外国への依存と、諸外国からの干渉:

1961年以来のアメリカの西半球防衛政策は『軍部は国内秩序と既存の体制維持』との考えで、これがアメリカの国際利益に従属したものとした。

1964年、チリ―大統領選挙の年には、1962年のアメリカ政府の干渉が影響しているものと思われている。この大統領選挙の年、左翼統一候補として、社会党のアジェンデが立ち、これに対抗して、残りの党を結集してキリスト教民主党のフレイが出馬した。
1970年の大統領選挙でも、トミッチ・キリスト教民主党候補にアメリカ政府は、アメリカ多国籍企業をして支援するが、人民連合の勝利を阻止できなかった。アメリカのアジェンデ政府阻止計画において、アメリカCIAならびにITTの動向は社会・経済体制解体、クーデターへとの動きに干渉していたものと思われる。

ベネズエラの軍に変化が現れるのは、外的要因としてのチリ―のアジェンデ政権の成立とピノチェットによるクーデター、ペルーの民族主義的軍人による革命進行、パナマのトリホス将軍の運河支配を教訓として、軍部の指導部の教育が進展し、新しい教育と訓練により育てられた軍人は、豊かに暮らすオリガルキーと貧困層の対立を社会的観点から構造的にとらえようとする傾向が強まっていった。これが軍隊の目指す『ボリバリア-ノ革命運動2000』を生み出し、1992年の軍事反乱につながった。具体的には、『グローバリゼーションに対抗』、『国家主権の回復』、『人民主権』(アメリカ先進資本主義国の押しつけに反対)である。

チャベスは政権を民主選挙で獲得後は、改革実行に、軍人を大規模に社会活動に動員したことでチャベス政権を支えて来た。こうして、2004年の反チャベス・クーデターはチャベス政権が推進する『軍民協力』で抑えられた。『協同組合運動』、『ミッション参加』(やるべきことをする)が政府主導改革の基本となった。

4.資源と外国の影響:

チリ―における『銅資源』を中心とする鉱工業活動における外国資本の影響と、その労働者の運動を扇動する外資の行動は、エル・テ二エンテ鉱山のストライキに現れた。アメリカは『チリ―の銅は戦略的物資であり、世界一の銅輸出国で、銅輸出国機構(CIPEC)の重要な構成国である』という、OPEC(石油輸出国機構)と同様の認識を持っていた、大国による従属国の中枢部に浸透するのが大きいほど、従属国において大国の利益に相応しい条件を創るのは簡単であるとの理論である。

ベネズエラのチャベス政権も、新しい経済政策の試みは、豊富な石油資源を持っていることによって可能となった。しかし、最初は依存しない経済建設を掲げている。それは、貧しい人々への利潤追求ではなく、『責任、連帯,平等』を強調する、新しい価値観に基ずく労働の創造を勧める政策、すなわち、『新自由主義』の基で破壊された人間性を社会に回復させるという理想であった。チャベス政権は,どの国とも違う『21世紀の社会主義』を目指して、現実の大企業、外国企業、多国籍企業の利潤獲得の活動が展開されている中で進めようとした。

5.何故、アジェンデ政権は短命だったか:

アメリカのアジェンデ政権阻止計画の基本は『国内の軍部と右翼を利用』、『議会工作による政治制度の破壊』、『金融、生産、流通、国際取引への経済的圧力と心理戦』、『暴力行為を挑発』、『社会・経済体制を解体して、クーデターを起こす』などで、アメリカのチリ―大統領選挙への介入はアメリカの安全保障担当とCIAが情報交換を密にしていたとされる。
アジェンデ人民連合政権誕生後、アメリカが一貫してとった戦略は、このうちの『経済的圧力と心理戦』によることが、干渉の基本をなしていた。また、アメリカ政府は、アジェンデは、キューバと共産主義国の早期承認を考えており。アメリカの対軍部援助のカットによって弱体された軍部の空白を共産主義民兵の武装化によって埋めるのではないかと考えた。
さらに人民連合に結集している労働運動をチリ―資本主義勢力としては、労働運動の組織的分裂や路線上の分裂を画策する。さらに、アジェンデ政権が取ると思われる対OAS(米州機構)対策と、他国に対する影響によって西半球の統一が脅威にさらされるとアメリカは危惧していた。

これらに対して、アメリカの戦略は、ベトナム戦争の経験から、決して表面に出ず、間接的干渉を実施した。この間接的手段として、ブラジル、ボリビア、アルゼンチンをはじめとする『米州相互防衛条約』加盟国の軍を利用、金融締め付けでは,IDB,世銀、輸銀を利用して、経済封鎖、さらに、アジェンデは『カストロやソ連の道具とはならず、民主的手続きに従って行動するはず』と見ていた。また、『ハバナーサンチャゴ枢軸』が成功したことによって、アメリカの政権任期中に、ラテンアメリカで共産主義が大幅に進出となると、次回のアメリカの大統領選挙に影響が及ぶことを憂慮していた。このようなアジェンデ政権に対する直接、間接の干渉が継続的にアメリカによって行われたと見ることができよう。

6.何故、チャベス/マヅウロ政権は継続しているのか:

キューバでは、『党は社会主義の建設と共産主義社会への発展のための共同の努力を組織し、指導する』と憲法に規定されている。選挙で構成された議会や政府の上にキューバ共産党が指導力として君臨している。この体制は、中国、ベトナム、旧ソ連とは異なり『民主制への移管の努力』がみられ、キューバの社会主義が生き延びている理由となっている。アメリカの侵略、干渉政策を経てキューバの自由政策の実施を妨害されたが、平等な社会建設の努力がキューバでは続いている。

1979年のニカラグアのサンディ二スタ政権は、改革より『反革命武装勢力との戦い』に明け暮れていた。これに対してチャベス政権は。チリ―のアジェンデ政権に似ている。アジェンデ政権は、合法的に『社会主義』を目指す政権が成立。しかし、チリ―の旧国家機構の再編や政治的社会的改革が後回しにされた。一方、チャベスは当選するや、直ちに『憲法制定会議の招集を決定』し、それを実行した。つまり、主権者である国民によって直接選出された権力は、旧憲法によって,いかなる拘束もうけない状態にした。過渡期の革命政府は、暴力革命でなく『民主共和制』への移行を実現できたのである。チャベス政権は、こうして旧機構を合法的に一挙に解体できたことは、旧支配階級の腐敗,ちょう落がどれほど深く国民の不満として蓄積されていたかを示すものであった。次々に改革を実行、選挙権力を行使するのは『全国選挙会議』、『外国企業への特権供与禁止』、『軍隊については、国家開発に参加、選挙権は持つが被選挙権はなく、政治活動は禁止』を原則とした。

反チャベス派の石油サボタージュの失敗により、チャベス政権は石油産業を憲法の方針に従って国家計画に組み込むことができるようになった。反体制派の闘争手段が失われた。しかしながら、ベネズエラにとって、キューバの尊敬するフィデル・カストロが死去し、カリスマ的存在であった、ウーゴ・チャベスも亡く、ベネズエラはニコラス・マヂュウロ政権に引き継がれたが、頼みの『石油』が国際的価格低迷を続ける中、アメリカの経済制裁の強化で国内は混乱しており、中国とロシアのみの後見では、どこへ行くのか。

7.民主的選挙で選ばれた政権の光と影:

チリ―のアジェンデ社会主義政権は、人民連合派とキリスト教民主党の協定により議会承認で成立した。しかしながら、国家機関の危機に伴い、各々相対する利益を持った機関、『司法対政府』、『議会の多数派対行政府』の抗争などにより、1971年初頭に議会で簡単に採決された多くの提案も排撃されるようになった。アジェンデは、単に『人民連合の統一候補』に選ばれて大統領に当選しただけで、彼は人民連合の代表でもなければ、出身母体である社会党の委員長でもなかった。これが統一指導部の欠如であった。ここでチリ―の歴史をひもといてみよう。チリ―国民は、1891年、チリ-の内戦を挑発し、パルマセダ大統領を倒し、自殺に追いやった張本人は、タラパカとアントファガスタの『硝石資源』を狙うイギリス資本であった。このことを小学校で習っている。パルマセダはチリ―政治史上、悲劇的な最期を遂げた唯一の大統領であった。そして、1970年から1973年まで、アメリカの銅鉱山への干渉問題は、一貫して『パルマセダ問題』と対比して考えられてきた。

1970年10月14日、『国民投票』を実施するための提言として、『大銅山、自然資源の国有化』、『第二次・第三次産業の中枢企業の国有化』、『職場、地方自治体の決定機関における労働者の参加』、『大統領に対する国会の解散権、選挙実施の権限付与』が提案されたが、人民連合各党は、これを無視し、『提言』は棚上げとなり、『国民投票』もあきらめざるを得ない状況で『企業の国有化』のみが残った。『国有化』の提案は、1971年7月11日の議会を通過。しかしながら、アメリカは絶対にあきらめず、1973年のクーデター後に『ピノチェット軍事評議会は』、アナコンダ、ブラ―デン、ケネコットの各社に資金を渡したとされる。

ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領は、チリ―と同じく正当な選挙で、1999年に政権が誕生。石油資源と労働者参加を基本として貧困救済の経済構造改革として『21世紀の社会主義』を掲げて、キューバのカストロ国家評議会議長を敬愛することで実行した。

2012年10月7日、チャベス四選。しかしながら、このとき、Ⅰ2月10日、病気治療のためキューバへ。そして、就任前の2013年3月5日、チャベス死去。3月8日,国葬が行われ、副大統領であった、ニコラス・マデュウロが後任として就任した。

2016年11月25日、キューバのカストロ議長死去。
2017年1月20日、アメリカ、トランプ大統領就任。

オバマ大統領が回復した、アメリカ・キューバ国交は白紙へ。2018年4月19日、キューバ、ラウル・カストロ国家評議会議長、引退。
ベネズエラの2018年のインフレは、169万%、キューバが後見だが、中国とロシアが石油部門を中心に支援し、アメリカは国交断絶をした。

2019年1月23日、ベネズエラ野党は、フアン・グアイド国会議長(35歳)が暫定大統領を宣言、一方、軍はマヂュロ支持。諸外国では、中国、ロシア、シリア、イラン、キューバなど11カ国が支持して、二人の大統領になっており、国内経済は破綻状態。 

アメリカは2019年1月末、ベネズエラ石油会社のアメリカ内資産を凍結、取引禁止して経済制裁を強化している。アメリカは、軍事介入をほのめかすが、踏み込めばラテンアメリカへの『反米感情』を広げることになり,事態をさらに悪化させることを懸念している。

『中ロ・中南米』の関係から、アメリカはチリ―の『銅企業国有化問題』での例もあり強行介入はできず、また、ベネズエラ軍はマヂュロ支持で『小康状態』が続いている。
世界一の原油埋蔵量を誇るベネズエラへの介入は、アメリカにとって、国際的石油価格低迷、アメリカ国内のシェールオイル開発。輸出と相まって難しい局面にある。

以 上

2020.9.15  
                
(資料):
1.『アジェンデと人民連合』,ホアン・E・ガルセス著、後藤政子訳、
  (株)時事通信社、S54.1.25.
2.『チャベス革命入門』、河合恒生、所康弘著、澤田出版、2006.12.10.
3.『イラスト』、エンリケ設楽