連載エッセイ87:田所清克 「ブラジルのクラシック音楽の魅力ーヴィラ=ロボスー」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ87:田所清克 「ブラジルのクラシック音楽の魅力ーヴィラ=ロボスー」


連載エッセイ84

ブラジルのクラシック音楽の魅力ーヴィラ=ロボスー
A atração da música eruditaーVilla Lobosー

執筆者:田所清克(京都外国語大学名誉教授)

「ヴィラ=ロボスとパリ」ーVilla Lobos e Parisー その1

 
 ロボスが現在においてもなお、国民から慕われ高い評価を得ている点については、ロボスの項目の最後に言及することにしょう。そしてここでは、彼のパリでの芸術家たちとの交流を中心に綴りたい。
 
 しがない生活の中で演奏活動をしていた頃、知人のレオン・ヴェローゾ博士よりロボスは、当時リオフランス公使館の秘書であるダリウス・ミヨーを紹介された。
 この青年との関係が親密になるのには、そう時を要しなかった。ロボスはマクンバの儀式に彼を連れて行ったり、ショーロ演奏家の仲間たちに紹介したりもした。

 そして、いわばブラジル音楽が宝庫的存在であることを説きつつ、フランスの青年にカーニバル音楽の鑑賞をも熱心に勧めた。後々知られることになる組曲「ブラジルの郷愁」(Saudades do Brasil) は、彼と送ったリオの想い出に他ならず、ロボスなくして作品は生まれなかったであろう。
 国内で評価を勝ち得つつあったロボスが、自作品を宣伝・流布するために36歳で渡る前の、1920年代のパリの文化、芸術について一言触れよう。

 この時期に、ピカソに代表されるキューイズム、ダダイズム、さらには、ブルトン・デスノス等による超現実主義などの美学運動が生起し、芸術変革の機運がみなぎっていた。そうした環境の中で、わけてもフランスの芸
術家たちの関心は異国趣味的なものに向けられ、それを重視する傾向にあった。

 ブラジルの女流画家タルシーラ・ド・アマラルの手になる作品「アバポル」(Abaporu)などが耳目を集め、高い評価を得ていたのも、そうした背景があったからであろう。ロボスが磁石に惹かれるようにパリに赴いたのは、1923年の7月のことであった。

「ヴィラ=ロボスとパリ」ーVilla Lobos e Parisー その2

 パリではまったく無名であったロボス。しかしながら、「近代芸術週間」がサンパウロで開催される直前に自国で知り合った、パリ在住のブラジルの近代主義の詩人、作家、画家を介して、芸術界にも出入りする機会に浴した。「芸術の都」パリでの様々なアーティストとの交友が、後のロボスの音楽人としての有り方に多大の影響を与えたのは明白である。

 すでにパリでも名を馳せていた女流画家のタルシーラ・ド・アマラルに招かれた彼はそこで、オズワルド・デ・アンドゥラーデ、セルジオ・ミレー、ジョアン・デ・ソウザ・リーマなどの同邦の詩人や文化人に出遭った以外に、フランスの詩人で画家ジャン・コクトー、詩人のブレーズ・サンドラール、音楽家のエリック・サティとも面識を得ることになる。

 招かれた昼下り、ピアノ独奏のために膨大な曲をものにしているロボスは即興でピアノの弾いた。ところが、それを聴いたコクトーは、彼の音楽はドビュッシーやラヴェル流のものに過ぎないと酷評するのである。するとヴィラ=ロボスは急遽、別の曲を披露するが、コクトーの感想はこれまたきびしく、挙げ句は取っ組み合いの喧嘩寸前の口論に二人は及んだそうだ。

 ブラジルの近代を刻印するロボスの作品の多くは、国民的な要素をモチーフにしている。しかし、1910年代の作品の中には、印象主義を彷彿させるものも散見される。
 パリの《6人組》と称される近代主義者たちが、ドビュッシーらの楽想を否定し、反ワーグナー的姿勢を露わにしながら、ロボスにいちゃもんつけたのも解らない気がしないでもない。

「ヴィラ=ロボスとパリ」ーVilla Lobos e Parisー その3

 もし仮にヴィラロボスがジャン・コクトーを前にして、原色的な熱帯ブラジルを題材にした楽曲を弾いていたとしたら、コクトーの評価も別のものになっていたかもしれない。外交官として1917年から2カ年ブラジルに住んだことのある、《6人組》のメンバーの一人となるダリウス・ミヨーも、コクトーと似通った意見を吐露している。

 ミヨーの慨嘆の弁は、概してブラジルの作曲家が作った曲は、ブラームスやドビュッシーなどの作品に過ぎず、ヴィヴィッドで独創的な手法によるブラジル的な要素が表現されてない。加えて、特異なメロディーのリズム感ゆたかなこの国のフォークロアの要素さえ、リオの作曲家の作品には微塵も感じられない、ということらしい。

 パリに出発する前には、自分はパリに学びに行くのではなく、自分の作品を宣伝するため、と意気込んでいたロボスにとっては、意外で予想だにしなかったことだろう。
 一世を風靡していた当時のフランスを代表する人物から、彼の芸術が否定されたことはまさしく、パリでの成功を夢見た本人にとってはショックだったに違いない。最終的に帰国した1930年以後も、新しい作品を携えて幾度も芸術の都を訪ねている。その過程で、ヴィラ=ロボスの音楽にも変化があらわれるようになり、国民音楽の本質を凝縮した、偉大な作曲家へと変貌するのである。

ブラジルのクラシック音楽の魅力―その後のヴィラ=ロボスー その4

 
パリでのロボスの作品を出版・紹介することに尽力し、音楽活動を全面的に支えた点で、マックス・エシッグス社の存在は看過できない。合わせて特筆すべきことは、彼のパリの逗留中に、女流詩人のリュスィー・ドウラリュ・マルドゥリュスとの邂逅・交友だろう。

 詩人がロボスの住まいを訪ね目にしたのは、16世紀の砲術師Hans Staden 〔1525-1576〕が記した『蛮界抑留記』(Duas Viagens ao Brasil)であった。ポルトガル語がある程度理解できる彼女は、その人喰い人種トゥピナンバー族(tupinambá)に捕獲され、危うく彼らの餌食なるところを九死に一生を得て難を逃れた、その砲術師の実録にいたく興味を示した。そして、その書を借りて持ち帰り、通読したそうである。このことから二人の関係は深まり、音楽家は詩人から詩的言語を学んだようだ。いずれにせよ、パリでのあまたの芸術家、音楽家、文化人など、中でもジャン・コクトーとの出会いは、本人の個人的な生き方のみならず、自身の音楽観、芸術観を変節させる要因となった。

 パリへの遊学から帰国した彼の音楽はかくして、従来の美学に追従した作曲の有り方を絶ち、ブラジル性を内包した音楽制作にそれまで以上に注力するきっかけとなる。
 結果として、ロボスの音楽観も截然とした変化がみられるようになった。その好例は、以前には皆目垣間見ることのできなかった、大衆音楽のリズムの広範囲な活用だ。
 先住民インディオの歌を研究しつつ、その一方でドビュッシーの美学を捨象して、原始的雰囲気が漂うストラヴィンスキーの曲想にインスピレーションを得ながら、作品「春の祭典」(Sagração da Primavera) を創り上げたのも、この時期だろう。ロケット・ピントが録音した表音文字などを国立博物館で聴いたりもしていたのもこの時期と重なる。

ブラジルのクラシック音楽の魅力―その後のヴィラ=ロボスー その5

 ヴィラロボスは時を追うごとに、紛れもない独自の音楽言語で自国を表現する道を歩む。そして、ヨーロッパのクラシック音楽と、ブラジルのフォークロア的要素を内包した民衆的な音楽とが融合した、オリジナリティー溢れるものを創造するようになる。
 畢生の大作『大農園の邸宅と奴隷小屋』(Casa Grande & Senzala) のある社会史家で人類学者のジルベルト・フレイレは、「自らの音楽のなかに国民音楽の本質を凝縮させた作曲家」、とロボスを評している。

 ブラジルの国のかたちと風景と民衆の魂を
 音楽芸術できる表徴したヴィラ=ロボス
   ー19世紀以降の音楽を巡る背景ー

 さながらアマゾン河があまたの支流を束ねて大河をなしているように、言わずもがな今日のブラジル音楽は、様々な民族的要素の影響の下に成り立っている。アフリカ黒人や先住民インディオの要素は、宗教祭儀を含めたヨーロッパ音楽の流れを汲んだものと合わせて、この国の音楽の基底構造でもある。リズム感などはその典型だろう。

 ところで、ブラジルでは最初の音楽的天才とみなされているジョゼー・マウリーシオ神父の場合は、ハイドンやモーツアルトにみるウイーンの古典主義的様式に則って、ミサ曲、祭式曲などを作曲した。そればかりか彼は、そうした古典主義的な文脈の中に、感性ある哀愁にみち満ちたブラジル特有の抒情歌とも言うべきモディーニャ(modinha) [18世紀後葉から19世紀の中葉までの間、一世を風靡したオペラに似たロマンチックな愛の抒情歌で、パターンにとらわれずテンポがゆっくりしているのに特徴がある]を採り入れてもいる。

ブラジルのクラシック音楽の魅力―ヴィラ=その後のロボスー その6

 ところで、この国のクラシック音楽をより良く理解するために、19世紀後半から近代主義が本格的に浸透する契機となった、「近代芸術週間」までを今一度展望・俯瞰しょう。
 
1890年に当時の国立音楽院の院長に就任する際に、作曲家のレオポルド・ミゲースは、クラシック音楽の美学上の現代化を強く訴えた。
 リオにおけるこのジャンルを巡っての美学上の議論は、イタリアのオペラの持つ旧き伝統性や高尚さと、ワーグナーおよびサン・サーに代表される近代性、クロード・ドビュッシーの革命的ともいえる美学とに二極化した状況にあった。
 
 ヨーロッパで学んだレオポルド・ミゲースと次の院長となるアルベルト・ネポムセーノ。二人は、当時、絶頂にあったワーグナー音楽の近代的な側面のみならず、ドビュッシーの美学革命の発現を目の当たりにしていた人物でもあった。
 
 その意味で、帰国後の二人が巨匠たちの美学を踏襲するのは当然だったかもしれない。ヴィラ=ロボスの場合も、そうした美学の違いを認識しながらも、ミゲースとネポムセーノに追従することとなる。
 サンパウロの市立劇場を舞台とした、この国の政治的独立からちょうど100年という節目の年に発現した「近代芸術週間」。言うまでもなく、この催しはブラジルの文化史を塗り替え、と同時に、近代主義の始まりを象徴するものでもあった。
 
 コーヒー農園主で素封家のパウロ・プラードなどの支援を受けた、劇場に結集したリオおよびサンパウロの知識人や野獣派を中心とする芸術家たちは、異口同音に自国の文化の有り様に疑問を呈し、文化的な脱植民化(descolonização cultural) を説いた。そして、ナショナル・アイデンティティーの拠り所となるブラジル性(brasilidade) を打ち出す必要性を強く訴えたのである。
 
こうした流れの中で、ヴィラ=ロボスはブラジルの音楽を真の国民的スタイルするために彼なりに、困難な仕事、つまり異なるジャンルの、クラシック、民族、大衆音楽等の垣根を取り払うという難事業に心血を注ぐことになる。
 
そしてついに彼は、ブラジルの音楽を不動のものにしたのである。都会風の対極にある田舎風的な要素もむろん、それぞれの地域の民謡などを自らの曲想の中心に据えたりした。その一方で、クラシックにもたらされた前衛的(vanguarda) なものを考慮に入れつつ、民衆楽器、わけても打楽器も駆使して、純乎たるブラジル風の音楽を確立する。音楽言語を通しての「ブラジル再発見」とでも言えるものを。

ブラジルのクラシック音楽の魅力―その後のヴィラ=ロボスー その7

 絵画の世界で、タルシーラ・ド・アマラルがブラジルの原色的な熱帯の文化風土を、自由奔放なキュービズムで表現。すると、それに呼応するかのようにマリオ・デ・アンドゥラーデは、言語芸術を介してこの国の大地の豊饒さと民俗(民族)の根源性を追い求めた。

 これに対してヴィラ=ロボスの場合は、言語よりも雄弁に音楽を通じて、量感に富んだ「パウ・ブラジル」(pau brasil) [ブラジルの国名の由来となった、染料の材料として用いられたスオウの木]に表徴される椰子樹の茂る国の、相貌なりかたちと共に民衆の魂を表現した人であった。

 このことを立証するかのように、『未来の国 ブラジル』の著者シュテファン・ツヴァイクはロボスの音楽を賛辞を込めてこう評している。
 「独創的なリズム感に富んだ作曲家で、その彼の作品はいずれも他の作曲家には見い出せない色彩を有している。しかも、目を眩ませる程の耀きや神秘性等によって、ブラジル的風景やブラジル人の魂が表現されたものになっている。」

 傍若無人にいくらか見えたロボスが音楽家として大成するのには、内外の音楽家や芸術家に負うものがあったことは言うまでもない。音楽の世界では、ブラジルにあってはブレーノ・ニーエンベルグ、フデリッコ・ナッシメントなどに師事して、指導も受けている。

 当初触れたが、すでに少年の頃に、ショーロの演奏家たちと出会う機会に浴して、当時リオで流行していたそれを目の当たりにしたことも、彼にとっては良い肥やしになっている。
 それよりもさらに重要と思われるのは、印象派の権威であるドビュッシーや、彼の作風に無意識のうちに影響を受けたであろう、ストラヴィンスキー、アルトゥール・ルービンシュタイン、ラヴェルなどの音楽と曲想に触れたことかもしれない。

ブラジルのクラシック音楽の魅力―ヴィラ=ロボスー 最終回

 カルロス・ゴーメスはイタリアのオペラを介して、ブラジルの歴史に基づく「オ・グアラニー族」(O Guarani) を演じることで名を馳せた。それに対してロボスの場合は、ヨーロッパの音楽形式に則りがらも、きわめて自然で活力があり、純粋性を醸し出す音楽、それも原始的で異国趣味をそそる、一連のブラジル的な音楽を通じて世界に知られることとなった。

 ロボスが今日なお、ブラジルはむろん、世界中で高い評価を得ているのはおそらく、これまで度々言及してきたことに集約できよう。

 つまりそれは、『ブラジルの手引』(Guia Prático) に好例のように、彼が自国の音楽教育に熱情を持って挺身したこと。そして自身の音楽では、国民的なモチーフを採り入れながら、ブラジルの美しい自然や多様性に富む地方文化にも視座を据えて、国民の独自の精神性、心理、生きる美学を、音楽言語で格調高く表現したことにつきる。

 しかしながら、ブラジル的でありながら、普遍性を孕んでいる、不思議なヴィラ=ロボスの作品。世界の人々の心を惹きつけてやまない要因は、実を言うと、作曲家の天稟に加えてそんなところにあるのかもしれない。


Villa Lobosの写真