連載エッセイ95:設楽知靖 「ゴリオンの嘆き 民芸品にみる中南米のスズメ」 - 一般社団法人 ラテンアメリカ協会

連載エッセイ95:設楽知靖 「ゴリオンの嘆き 民芸品にみる中南米のスズメ」


連載エッセイ92

”記憶を記録に“:
『ゴリオンの嘆き』民芸品にみる中南米のスズメ

執筆者:設楽知靖 元千代田化工建設(株)、元ユニコインターナショナル(株)

子供のころから、一番身近にいる鳥が“スズメ{雀)”であると思う。タイトルのゴリオン(GORRION)はスペイン語でスズメである。今、そのスズメは“コンクリートジャングル”という中で、住みにくくなり、都会で身近な存在から離れつつあるように思えてならない。私の子供のころは、日常の遊びの中で、ご飯粒としょうぎと紐を用意して“しかけ”と称して物陰に隠れてスズメを取ろうとした記憶がある。私はニワトリ以外にスズメを飼ったことはないが、疎開先の会津ではヒワを飼ったり、東京ではジュウシマツを飼ったりしたことがあった。

スズメは我々の近くにいて、いろいろな表情を観察することができた。今回このスズメについて書いてみたいと思ったのは、中南米地域に20数年駐在して、いろいろなところでスズメを観察してみたことと、”民芸品“にまつわるスズメの表情と、その場所の気候などを比較して考察してみたかったのである。

「スズメの種類と世界の分布」

 
スズメはどんな種類がいるの? 世界のどんな所に住んでいるの? と分からないことが多いのもスズメではないか。そこで調べてみると、日本のスズメは『イエスズメ』であることが分かり、ヨーロッパのスズメも『イエスズメ』(House Sparrow)であるが、ヨーロッパでは森や少し自然豊かなところにいるという。したがって、ヨーロッパではTree Sparrow と呼ばれている。日本のスズメと住むところが違うようである。また、子供のころ、『ニューナイスズメ』という言葉を聞いたことがあり、これを調べてみると、”清少納言も見ていた、“頭赤きスズメ”(頬の黒点がない)で、“皇居に棲息する『入内』からきたとも言われると。さらにスズメより少し小型で、オスは頭から背、腰などに赤みのある褐色,背中には黒い縦班、喉に小さな黒点がり、普通のスズメのように頬に黒点はない、と解説されている。『ニュウナイ』=黒点がないで、主に林に住んでいたようである。

スズメの分布は、温暖な気候で、日本、東南アジア、中華圏、ロシア、アメリカと広く、ほぼ同じところに棲息するが、寒冷なところは好まない。

「江戸時代、スズメの色彩は〟“渋さ”の象徴」

この江戸時代には、スズメの色は着物の“渋さ”の象徴として好まれ、色の基本として使われた。また、スズメの特徴として、体重は25グラムほど、体温は40度で年に二回子育てを行い、二週間で卵からひなが孵る。卵は一日に一個、五日で五個卵を産み、全部生み終わってから卵を温める。そして、卵から二週間で孵って二週間で巣立ちを迎える。

私の子供のころは、近所に竹藪があったり、田んぼや畑があって、スズメは身近に沢山いて、その行動を絵にかいたりしたが、今はこの情景は薄れてしまい、スズメについて学校で学ぶこともほとんどなくなってしまった。昔は、普段の生活の中で、鳥の名前や行動が、親から子へ自然に伝えられ、身近に鳥、虫、花があった。スズメは、その色が年齢とともに変化すると言われ、生まれた時は“くすんだ色”であったものが、三年後には鮮やかな色になるという。

「スズメの所帯も少子化か」

スズメは、近年、減少傾向にあると言われている。スズメは巣立ってから一週間は親から餌をもらい、基礎教育を受ける。そして、生まれた場所から遠くへ行く傾向があるとされる。
都市部より農村の方がスズメの子育てにはよく、子の数も多く、これは餌が身近に沢山あることに関係しているのではないか、さらに、スズメの少子化が進行している要因に、人間の家屋の構造が変化して、密閉性が強化され屋根瓦の隙間などが無くなり、使用する建材も変わった結果、スズメが巣づくりをする場所が減少するとともに、餌場としての土の部分が舗装されてしまったことも大きな要因と思われる。

私のところはマンションであるが,一階の天窓式の空間があって、そのガラスの屋根に降った雨は雨どいを伝って流れるが、そのわずかな隙間に、毎年スズメが巣をつくり、ひなを育てている。この巣立ちの後は、駐車場のわずかな空き地に、子育てと基礎教育をする姿を観察してきたが、今年は残念ながら見られなかった。

マンションのベランダには、ブーゲンビリア、ハイビスカス、ランタナ、イッペー,デュランタなどの主に亜熱帯の鉢植えを置いているが、これにつくアブラムシ,尺取虫、毛虫などを求めてヒヨドリ、メジロ、鶯が来てくれるが、スズメはベランダまでは来てくれない。

駐車場のあたりではスズメの他に、セキレイ、カラスを観察でき、直ぐ近くの保育園のあたりでは、シジュウカラ、ムクドリ、ツバメ,キジバト,ドバトなどがみられる。スズメの天敵のカラスは、この辺ではハシボソガラスで、一年中、数羽以上が住み着いている。本当にスズメの少子化が進んでいるのかと近くの木々を観察してみたら、夕方の街路樹で盛んに鳴いている十数羽のスズメを発見し、なんとなく安堵した。

「中南米のスズメは」

さて、私の長く駐在していた中南米諸国にはスズメはいたが、その観察と都市と気候等とあわせて、考察してみることとしたい。そして、興味ある民芸品のスズメを紹介してみたい。

「メキシコ市」

海抜2,240メートル、北回帰線より南に位置し、常春の気候である。一年中、どこかに花が咲いている。この大都市の真ん中では大気汚染の関係もあり、スズメの姿を目にすることは難しいが、スペイン風の中庭のある住宅地の家屋ではその姿を観察できる。日本のスズメとあまり変わらない姿である。ある日、東のユカタン半島の世界的観光地、カンクンへ行ったとき、ショウウインドウの中から、じっと私の目を見ているスズメの陶器に目が留まり、“一緒につれて行ってくれ”と言われた気がして、つい買い求めてしまった。

「エクアドル・キトー市」

海抜2,850メートル、赤道直下の位置である。私は、プロジェクトで長く滞在したが、このキトー市は、高地であったので気候温暖で、一日のうちに四季があるという気候であった。ホテル・コロン近くの公園に行くと、大きな鉄の玉を投げて遊んでいる大人たちのそばではスズメの遊ぶ姿が見られた。キトー市のスズメは、高知の気候のせいか、何か行動がのんびりしているように思えた。ラテン系か? 観察してみると、どちらかと言うと小柄で、少しずんぐりして、くすんだ色をしていて、朝は気温が低いので、ふっくらと小太りに感じた。町の中ではよく見かけたし、スペイン風の家の庭の芝生では虫を探す姿を見かけることがあった。そして、土産物店で目についたのが,二羽のスズメが木に止まっている木彫りで、これを買い求めた。今もワックスを塗って大事に飾っている。

「チリ―・サンチャゴ市」

海抜850メートル、南回帰線の南で、地中海性気候,サンチャゴ市の近郊はブドウ畑が連なり、東にはアンデス山脈の山並みが壁のごとく迫っている。冬は雪の降ることもあるが、草花、樹木も多くスペイン風に家屋は庭も広く、そこに遊ぶいろいろな鳥の姿を見ることができる。町の中ではスズメよりも鳩の姿を多く見ることの方が印象に残っている。チリ―には民芸品が多く、特に,銅製品が目立つ、しかし、陶器では鳩を中心に鳥の陶器が多く、その中の一つに“偉そうな顔をしたスズメ”を見つけた。ここに描いたものは、“頭が角刈りで、少しよたっている”スズメの顔が面白い。

「パナマ市」

海抜0メートル。一年の内、乾季と雨季が半分づつの気候。『パナマ市にはスズメがいない』私の観察では、この長く駐在したパナマ市にはスズメがいなかった。住んでいたマンションのベランダには今以上のブーゲンビリア、ハイビスカス、ラッソデアモール、そして、欄の種類で、パナマの国花である、エスプリトサント(通称、パロミット)など多くの鉢植えを置いていたが,花への一番の訪問者は、“ハチドリ”であった。これは、ブラジルのサンパウロでも同じであった。そして、スズメがパナマ市に住まない理由を調べてみたが、海沿いのゴミ捨て場に集まる、Gallinazo(クロコンドル)がスズメの天敵ではないか、と結論付けた。この鳥は、南米のアンデス山脈に住む、インカ帝国では、”神の使い“と言われる大型のコンドルとは別の種類で、わしのサイズであった。この鳥が日常見られて、このためにスズメが近寄らなかったのだと思う。このパナマ市から西へ,約500キロメートルの隣国、コスタリカの国境に近いチリキの方へ行くと、この地域は緑も多く、観光地となっているところにはスズメも住んでいる。

「ウルグアイ・モンテビデオ市」

日本から地球の真反対に位置し、気候的には、冬は南極からの季節風でかなり寒い。ここもスペイン風の家屋が多く,公園、周囲に牧場が多いところで、市内の土曜日の朝の市では金魚なども売っている。また、公園の骨董市では、古銭、古いヨーロッパのおもちゃとともに昔の記念メダルを売っており、日本の万博記念メダルや、1930年のサッカー・ワールドカップ、第一回大会優勝国のウルグアイ大会記念メダルも見られた。このように美しい緑の多い国では、スズメも多くみられた。ここで有名なのが民芸品で土人形に近い素朴な焼き物で、スズメの親子や子スズメの焼き物が興味深い民芸品で、さっそく買い求めたが、とても愛らしく、本棚から毎日見ている。

「家紋の竹にスズメ」

伊達政宗公の家紋として有名であるが、日本では『竹』に『スズメ』がよく似合う存在として絵に描かれている。私も、群馬の田舎へ子供のころ遊びに行くと、秋には稲穂に群れを成して集まって、稲穂が垂れるように下がり、冬には刈り取った田んぼの稲の株のまわりで“落ち穂拾い”のようにわずかに残った穂を食べている姿が見られた。そして、家の北側に赤城おろしをよける竹藪に、夕方になると帰ってくる、それこそ無数のスズメの大群にお目にかかり、その大群が寝静まるまでのうるささは大変なものであった。そして、『家紋』と言えば、仙台藩、伊達家の『竹にスズメ』をすぐに思い出す。因みに、伊達政宗公の『花押』は『鶺鴒』の姿である。あの河原にいて、尾を上下に揺らし俊敏な姿に、政宗公はあこがれたとされている。

スズメについては、まだまだ観察不足であるが、子供のころからの『遊び仲間』ともいうべき身近な鳥として、今後も観察を続けてゆきたい。

参考文献:1.『スズメの謎』、三上 修著,誠文堂新光社、2012.12.31.
     2.インターネット『日本の鳥百科』
     3.イラスト:エンリケ設楽